02話 討伐対象:海竜王《アビス・ドラゴン》
何だ!?
――突如として、荒れ狂う海。
風を切るような異音が下の方から聞こえてくるにつれて、水が嵐のような激しさを持って渦巻いた。
ただ事ではないと一早く察知したらしい小魚たちは既に逃げ出していた、が、それも虚しく流されてしまう。
海の底からやってきたその渦は蟻地獄のように、もがく俺たちを容赦なく吸い寄せた。
自然現象……、違う、これは攻撃か!?
視界が上下左右に振れ、平衡感覚すら無くなる。
そんな中かろうじて目に映すことができたのは、その渦の中心に鎮座する存在。
長くとぐろを巻く年月を感じさせるごつごつとした紺青の体躯に、煌々と輝きを放つ刺々しい赤の背びれ。
額にはテラテラと光るマリンブルーの楕円型の宝玉が付いている。
まさに海の主が如き超巨大な魚、いや、奴はそれより遥か上の存在だ。
奴は――
【アビス・ドラゴン。「海竜王」とも呼ばれる強力な海竜種です】
奴の咆哮は海を震わせた。
――ッ!
ま、まさか俺を食べるつもりで……!
う、うわぁっ!
だが否応なしに、むき出しになった牙はぐんぐん迫ってきている。
蟻地獄と感じたのは間違いじゃなかった。この渦の終着点は奴の口の中……。
く、食われるっ!!
あれっ?
スーッ、とアビスドラゴンを通り過ぎていた俺。
目を開けて見回せば他の魚たちも食われてはいない。
どうやら俺たちを捕食しようと狙ったものではないらしい。
じゃあ一体何を狙って……。
えっ。
人間?
”それ”は上から渦を割ってこの場に躍り出てきた。
相対する巨竜とは比較にならないほど矮小な人の体。
口にレギュレーターをくわえている以外は全く普通の装備で、あとは片手に頼りなさげな小刀のみ。
しかし荒れ狂うこの水中で、その存在は奇妙なほど平然と構えていた。
俺が目を奪われている間に人間は余ったもう片方の腕を真っ直ぐに伸ばして、手のひらをアビスドラゴンに向ける。
ちょうど、銃を突きつけるかのように。
瞬間、浮き上がる紋章。それが合図だった。
わっ!?
まぶし……。
辺りが輝きを放ち、ドッ! と水が爆ぜた。
二発、三発と続く爆音。
その音だけでも圧倒的な火力だと分かる。
『グガアアアアアアアッ!!』
ひっ、な、何だあの魔法……。
あ、あれがこの世界の人間、いや、冒険者だとでも……!?
やっぱりこの世界の人間ヤバすぎるよ!!
上がるアビスドラゴンの怒号。もうもうと立ち込める血煙。
依然、爆音は止まらず。
もう、長くはもたないかもしれない。
既に竜の体はボロボロだった。
それでも一歩も退こうとしない。
その姿はまるで、後ろにいる俺たちを庇っているようだった。
……もしかして、さっきの渦で吸い寄せたのも俺たちを冒険者から守るために?
それに気付くと同時、ズズーン……! と巨躯が海底に崩れ落ちた。
*****
先程までの壮絶な戦いが嘘に思えるほど、辺りは穏やかな流れに変わっていた。
倒れ伏した竜と、爆発で吹き飛んだ地形の残骸だけがその形跡を色濃く残す。
その惨状を作り上げた当の本人はどこ吹く風、仕留めた獲物に近付いてしゃがみ、手でベタベタと触って状態を確認するのに夢中になっている。
恐らくモンスターの素材を剥ぎ取ろうとしているのだろう。
つまり、もう、アビスドラゴンは……。
【逃げることを推奨します】
ハッ。
放心していた俺は、そこでやっと我に返った。
サンキュー、大石。
そうだ。逃げなきゃ殺られる!
意外なことに、何故か冒険者はアビスドラゴンから素材を入手しようとはせず、キョロキョロ、うろうろ、と辺りをさまよいはじめた。
単なる素材ではなく、何か他のものを探している様子だった。
俺はその様子をうかがいながら、そっとバレないようにこの場を後にしようとした。
行くぞ……。そーっと、そーっと……。
『て……待て……止まれ』
――ひぃっ!?
許して下さい! 見逃して下さい! 何でもしま……ん?
待てよ? 何だ、この声。
これは大石のように脳内に響くものとも、人間の発するものとも違う。
同種の生物が発する声だ。
『止まれ。幼子よ』
へっ? 幼子? 俺のこと?
俺はその声の主とばっちり目が合っていた。
海底にとぐろを巻くように倒れ伏しながらも、こちらを薄目で見据える者。
それは紛れもなく、死んだはずのアビスドラゴンだった。
良かった、生きていたのか!
『手短に言う。聞け、我の頼みを』
喜びもつかの間、竜の言葉にさえぎられた。
頼み?
いやいや、今はそんな場合じゃないって!
そりゃ命の恩人だし、海竜種の王に面と向かって頼まれれば俺だって何でもしてやりたいよ。
でも今はここから一刻も早く逃げ出すべきだろ。
なんせ、目と鼻の先にあの冒険者がいるんだから!
こっちにまた戻ってきてる、迫ってきてる!
『ううむ……幼子よ、お主はちと逃げ腰が過ぎるな。……だがまあ、そのぐらいの方が都合が良いか』
ブツブツ言ってないで。早く! 一緒に逃げよう!
急かすと、竜は覚悟を決めたようにこちらを見据えて言った。
『我はもう、助からないだろう。……故に、お主にこの「宝玉」を託したい』
この目はどうやら本気らしい。
実のところ、瀕死の重傷を負っているのは間違いない。今にも事切れそうなほどだった。
つまり、これは遺言なのか。
俺に何を託したいと?
『それだ。心して受け取れ』
見れば俺とアビスドラゴンの間には、変な玉が一つ転がっている。
少し砂に埋もれてはいたものの、うすぼんやりと光っているお陰で見つけやすかった。
蒼い、とても綺麗な宝玉。
俺は言われるがまま、それをくわえて取って見せると、竜は満足げに頷いた。
で、何これ。これをどうすればいいんだ?
『それを持ってとにかくこの場から逃げろ。よいな』
俺は元々逃げるつもりだし、それはいいけど。
お前は本当に逃げないのか? 死ぬのが怖くないのか?
『ふ……無用な心配はせずともよい。我は死してなお消えぬ。輪廻に回帰するのみ。なに、幼子よ。またお主とも、いつかどこかで会うこともあるだろう』
……そうか。じゃあ、それまではこの宝玉を預かっておこう。
『うむ。頼んだぞ。さらばだ』
ああ、またな。
俺は竜に別れを告げ、その場を後にする。
もちろん全速力で。
運良く冒険者には気付かれていない……いないのか?
この世界は死亡フラグだらけで全く安心できない。
海竜種の頂点でさえ、あれほど簡単に討伐されてしまうのだ。
最弱の竜種で、無能力のサメもどきはどこでどうやって生きればいいというのか。
とにかく逃げるんだ、冒険者がいないところへ……もっと安全なところへ……もっと……。
*****
っ、ぜえ……はあ……。
逃げ切れたか?
狭い岩の穴の中に倒れ込むようにして飛び込んで、やっと一息つけた。
エラを通過する酸素が信じられないくらいにうまい。
どれだけ逃げただろう。
この身体はいくらモンスターとはいえまだ小さく赤ん坊のようなもの。それでも持てる力を振り絞ってようやくここまできた。
そうとう無我夢中だったらしい。気づけばさっきの深海と比べて相当上の方まで来ていて、水の世界は明度が上がっていた。
ここならしばらくは安全か。
他のみんなも逃げられたことを願う。
少ししか一緒にいられなかったけど、あのサメもどきの家族とまたいつか会えるだろうか。
アビスドラゴンとも……またいつか。
俺は生きるぞ。
それが助けてくれたアビスドラゴンへのせめてもの恩返しになるだろう。この宝玉も返さなくちゃいけないことだしな。
とにかく、この世界で生存するには、絶対に人間には見つかっちゃいけない……やつらは規格外の化け物で、それで……ああクソ、腹減ったな……。
疲労と空腹で瞼が重くなり、そのうち意識が飛んだ。
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