14話 討伐対象と神官イリス
実はまだ村の中に一人だけ、俺と眷属契約していない人間がいた。
言わなくてもわかるだろう。そうイリス、お前だ。
どうした? お前はうるさいくらいにハイテンションで常に俺に付きまとってきたじゃないか。
不思議に思った俺は村長の家に彼女を呼んで、そのわけを今聞こうとしていた。
しかし彼女は頑なに眷属にはなろうとせず、顔を伏せたまま、自らの衣服の裾をぎゅっと握りしめ黙ったままでいる。例の布で表情はわかりにくいものの、その様子には恐れ、当惑、その他様々な感情が渦巻いている。
イリス。
「!」
俺が近付くとびくっ、と肩を震わせる彼女。
その素顔を隠している布は、目が病で弱くなったからなんだろ?
きっと俺なら治せると思うから――
「――ッ」
って、逃げ出した!? 何で……あいつが一番この契約を喜ぶと思っていたのに。
呆然としていると、見かねたように村長が俺に近付いてきて言った。
「我々の病のようには、彼女の病は癒えぬでしょう」
どういうことだ?
村長は悲しげな目でこちらを見つめてくる。
「あの子は……イリスだけは事情が別なのです」
そう口ごもったかと思うと、彼は勢いよく膝を付き、俺に頭を下げてきた。
「どうかお願いします!! あの子の目と、何より、心の傷を癒やしてやっていただけないでしょうか。これはあなた様にしかできません!」
それから俺は事情を聞くと急いで彼女を追った。
*****
彼女が逃げた先は村に存在する小さな教会だった。
屋根は崩れかけ、そこから光が差し込むあばら家のような有様だが、この場には確かに信仰が息づく独特の雰囲気が充満していた。扉という扉もなく、俺は浮遊したまま上から入っていった。
彼女は祭壇の前で身を縮こませるように跪いていた。
やっと見つけた。イリス。逃げなくていい、お前の目は治せるんだ。
俺を信じて――
「――いえ」
能力で俺の存在を知覚した彼女はスッと立ち上がった。そしてこちらを振り返ること無く祭壇の方を向いたまま、抑揚のない声を発した。
「その必要はありません。私の目が見えなくなった原因は病ではありませんから。ただ見たくなかったのです」
彼女はこちらにゆっくりと振り向いて、顔を覆っていたあの布に手を掛けた。
「この目は」
常に身に着けていたあの覆いがスルスルと外されていた、そしてその下に隠されていた素顔があらわになる。
「私が、自ら炎で焼いたのです」
彼女の顔中に広がる痛々しい火傷の痕と、光が完全に失われた眼。
俺はそこでやっと村長の言っていた言葉の意味を理解した。
『彼女はその目と、そして心を病んでいる』
その傷は傷というにはあまりに深く、重い。
「あなたは今、何故、という顔をしていますね。……耐えられなかったのです。私がレヴィア教と出会うまで、苦しむ人々の姿と心、村が滅びていく様をまざまざと見ました……その時、違う宗教を信仰していたかつての私たちは何もできず、誰も救うことができなかった。私は尊敬していた両親を病で失ってから、いっそこんな目が見えなければ、能力を消してしまえればと」
滔々と語る彼女の口ぶりにはしかし、複雑な悔恨の念が詰まっていた。
「皮肉ですよね。私はその時のショックでより一層心が読めるようになった、目など必要ないくらいに」
彼女は自嘲して言った。
だから、目を治す必要はないって? いやいやイリス。目を治して、良くなった村を俺と一緒に見にいこう。きっとみんなも喜ぶ。何より、お前は救われるべきだ。
「能力を通じて村を見ました。皆の心は喜びに溢れていましたね。……それを実際にこの目で確認することができたらどんなに素晴らしいことでしょう。ですが、私は目を開けることが、幸せになることが怖い」
彼女は唇を噛んで、うつむいた。
「もし、この幸福が全て妄想だったら」
「この目が開いた時、実はもう村のみんなは死んでいて、この世界に神はいなくて、今喋っているあなたも全て、私の能力が作りだした妄想に過ぎなかったら……」
確かに不運が続いた後にいきなり幸運が舞い込んできたら、それは誰でも疑うだろう。特に彼女の場合はずっと闇の中を一人で彷徨っていたようなもので、それが顕著に表れて当然だ。
むしろ彼女にとっては殻にこもり、目を開かないでいた方が幸せになれると思い込んでもおかしくない。ただでさえ彼女の心は一度折れているのだから、目を開ける勇気を出すことは難しいだろう。
「目を開けなければ、存在を信じられる。私はそれだけで」
でもほら、少なくとも俺はここに存在している。お前の妄想なんかじゃない。
俺は躊躇する彼女の手を取って、自分の心臓(多分)の辺りに持ってくる。
しっかりと鼓動を打っているのが分かるはずだ。
「あ……」
勇気を出そうと無理はしないでいい。何なら明日でも明後日でもずっと後でもいい。村のみんなもきっといつまでも待ってくれるだろう。お前は孤独じゃないぞ。俺も、お前がいないと困るし。
そこまで言って、俺は一度言葉を切った。
彼女は、覚悟を決めたように顔を上げていた。完全に不安を振り切ったという表情ではないが、それでも、彼女はもう一度信じようとしていた。俺はそれに応えなければいけない。
「ありがとう、ございます。――私は、本当に眷属になって宜しいのでしょうか。私は一度でもあなたの存在を疑ってしまった。背信者として串刺し刑でも文句は言えないのに」
怖いし重いしグロい! いちいち大げさなんだよな、こいつらは。たかが一回疑ったくらいで。
ああ、でもそうか。一応今の俺は”生と死を司る神”ってことになってるからな。
それならよし、威厳を出してと。コホン。
『――イリスよ』
「は、はい!」
『眷属となり、俺のために命を使え。お前の命は然るべき時に俺が奪おう。故に勝手に死ぬことは許さない』
どうかな?
「……ッ! 承知いたしましたレヴィア様!」
よし。
うーん、邪神も板に付いてきた気がする。自分がサメもどきって事を忘れそうになるな。
悪くない、と思いつつ俺は自分のヒレの先を噛んで、彼女の口を開けさせた。
眷属契約に必要なのは血。俺はじわりと浮いてくる自分の血を一滴、その中に落とした。
ゴクリ、と彼女の喉が鳴る。瞬間――周囲に巨大な魔法陣が波紋のように広がっていく。眩いほどの青い輝きは、ここが地上であることを一瞬忘れさせた。
“苦しみに満ちた地に救済が満ちるであろう。その地の者達は癒やされ、その体は母なる海に還るであろう”
そういえばこの村ではあの予言の最後を「死」と認識していたけど……もしかして「眷属契約」のことだったりして。
【――眷属契約完了】
まぁ何でもいい、これで村人全員が俺の眷属!
名実ともにこのシャーロット村はこの俺の支配下だ! ハーッハッハッハァ!
*****
「み、見えます! すごく眩しい!! おお、神よ!!」
目が治った彼女はキョロキョロと周囲を見回し、その一つ一つに大げさに驚いていた。
今は俺をペタペタと触って確認していて、少しくすぐったかった。
ハーッハッハ、ちょっ、やめろ!
「ハッ……つ、つい」
いや、嘘! いいよ、気が済むまで確認しろよ。
まさかそんなに落ち込むとは思わなかった。
そうだ。
ちょっと目をつぶってろよ。
「? わっ!?」
俺は彼女を抱きかかえてから、風魔法で浮き上がり、教会の屋根に上った。
ここからなら眼下に広がる村を一目で見渡せた。
ほら、ゆっくり目を開けて見てみろ。
「おお……!」
夕日に染まりつつある村のそこここから人々の明るい声が聞こえた。辺りを包む波の音にかき消され、何を言っているかまではわからない。ただこちらに手を振っている。
かつての惨状を残す廃墟が彼らの背後に横たえて、いくつもの影を落としていた。
違う影が小さく右往左往して、それが運び出されているのがわかった。
彼方の朱い陽が波間に沈みゆくごとに、彼らも、朽ちた住居も一様に影になっていく。
村の彼方此方に広がる稲穂がそよぐ風に揺れ、黄金色に瞬いて、彼らを照らす。
死の海に面していてもなお、この村は生き続けている。
……村人が元気になったこと、畑も回復したことがこの一望でわかっただろう。
村を覆っていた重苦しい瘴気も薄れて、空気や土地は正常なものに戻りつつある。
もう少ししたら漁業もはじめられるんじゃないかな。
綺麗だなー。
「……本当に、神は御座すのですね」
ああ。多分今頃、地球再建の為に頑張ってくれてるだろう。
「地球……? レヴィア様、貴方様こそが私の、私たちにとっての神ですよ」
そう言って彼女は微笑んだ。
そうか、そうだったな。
「感謝いたします。この御恩は必ず!!」
ああ。死ぬまで感謝しろよ。
すると彼女は何故かぽっと顔を赤らめて、答えた。
「はい、レヴィア様! 一生お仕え致します!」
うん。……あれ、レヴィア?
俺のことか?
レヴィア教徒の信じる神の名だよな。
俺はただのサメもどきなんだけど、その呼び名は大丈夫なのか……? 罰とか当たらないかな……?
まあ大丈夫か。神の名を騙るくらいでは怒られやしないはず。
万が一、神様を怒らせてしまったところで天罰を受けるだけ。何てことは無い。こっちは一回地球ごと吹っ飛ばされてるんだから。
好きにしてくれ。
さて、じゃあこれで一件落着かな。
俺が一息ついていると、腕の中で彼女はもぞもぞと動いていた。
「眷属として健やかなる時も病めるときも補完しあい、そして一生お側にお仕えする。これはもう身を捧げたと言っても過言ではない、つまり、結婚――!! いえそれは流石に図々しいか……? でも、今私は抱きしめられていて……顔が近くて……ふへへ」
わっ、空中で詰め寄ってくるな! どういう体勢なんだこれは!
……というかこいつ、飛ぶ前からずーっと俺の体をまさぐってないか? まだ確認を?
おまえ……息が荒いぞ。
「はぁ、はぁ……!」
俺の見る限り、どうやら彼女は完全に調子を取り戻したようだ。
「ああ、いけません。我らが神にこんな邪な気持ちを抱いてしまっては……!」
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