2-03
「ナオトは主に長距離精密狙撃を担当している。」
殺風景な食堂(と思われる部屋)に戻ると、付いてきたガキは部屋の隅の小型冷蔵庫からペットボトルのカルピスを取り出し飲み始め、小野田は台所の下の収納からダンベルを引っ張り出すと、椅子に座ったままにわかに筋トレを始めた。8キロ、と側面に書かれた銀色のダンベルを、右腕のみで吊り上げるように引き、下ろす。しなる上腕。肘から先の筋肉が束になってうねっているのが分かる。いつかテレビで見た、昔のテニスのフェデラーの腕を思い出した。僕は言った。
「こいつ、まだ小学生じゃないのか?」
「年齢的には小学5年生だが、事情があり学校には通っていない。文字が読めないんだ。」
「僕みたいな障害の子供を『LD児』って言うんだ。」
ガキは誇らしげな笑みを浮かべていた。
「普段見て分かるような障害があるわけではないし知能も普通だけど、ある特定の分野については極端な障害を示す子供のことを言うんだ。計算が全く出来なかったり、集団行動が苦手だったり。僕の場合は文字が読めない。全児童の4パーセントがこの障害を抱えているんだって。結構多いんだよ。」
こいつもよく喋る。そう言えば、トム・クルーズも識字障害を持っていたんだっけ。どこか天才肌な印象を受けた。そして今更になって気づいたが、グレーのTシャツの下で首と肩の筋肉が、やけに盛り上がっている。少年兵。この国にもいるものなんだな。
「だから僕は、勉強なんてぜんぜん。本が読める人たちがうらやましいよ。でも、その代わりほかの子たちには出来ないことが出来るし、お相子だね。」
狙撃なんて出来る子供が他にいるわけ無いだろう。
「でもやっぱ、いつかは高台の狙撃手じゃなくて、グラウンドレベルで戦いたいな。知ってる?何年か前まで続いていた中東の内戦じゃ、民兵がRPG担いで政府軍のMilを叩き落していたんだよ?格好いいよね!」
「RPGではヘッドオンでも命中率が落ちる、ヘリを落とすにも別のものがあるだろう」
小野田が口を挟むが、断じてそういう問題ではないと思う。住む世界が違いすぎるんだ。こんな奴らみたいにはなりたくないと思った。何歳にして改心しているのだろうか。
そこから始まった2人の兵器談義も20分で終了し、小野田はトレーニングに行くと言い残し、部屋を出て行った。ガキと2人。話すことも無いから自室に戻ろうか、と考えていた頃、ナオトとか言うそいつは長々とした談議の対象を僕に切り替えた。ゲーム程度の僕の知識じゃ全くついていけない。丸い目を煌々と輝かせて熱弁を振るうナオトを適当にあしらい続け、こいつが満足して話し終えた頃には部屋の掛け時計は12時をさしていた。
「もう昼だな。」
「そうだね。」
ナオトは相変わらず意味の分からない笑みを顔面に貼り付けていた。
「ご飯食べなきゃね。どう、外に食べに行かない?」
「狙われているんじゃないのか。昨日の奴らに襲撃されたらどうする。」
と言った所で、昨日はこいつがいなかったことを思い出す。だが、チビはまた小さく笑うと、ハムスターみたいな瞳をこちらに向けて言った。
「大丈夫大丈夫、僕とエリ姉が付いているのに、仕掛けてくる奴なんていないよ。もし万が一のことがあったとしても、敵は章君の身柄がほしいんでしょ?撃たれはしないさ。それに、皆川通りの内側には、僕らの『目』が光っている。」
「『目』?カメラでもあるのか?」
「そう、その通り。結構勘が鋭いんだ。」
これでも一応ポリ公の息子だ。ナオトは休むことなく続ける。
「通りには22台のカメラが設置されていて、その全ての映像が知り合いの『警備会社』にリアルタイムで送られている。意味分かるね?プロの会社だ。やばそうな人物を見つけたら、そこから淡路さんの所へ情報が行って、僕やエリ姉に指示が飛ぶんだ。先手を打たせれば僕たちは無敵だよ。まあ、さすがに白昼の銃撃戦は避けるけどね。」
僕はふと、服の下にあるSIGの事を思い出した。光沢の無いマット加工。何かあったら、僕は迷わずこいつを放たなければならない。果たして、僕はこいつの使い時をわきまえる事が出来るのだろりうか。こいつらプロと同じように、中国人の頭を撃ち砕かなければならないのだろうか。射撃センスの無さは、昨日M4で証明済みだ。自分の身は自分で守れ、と淡路は言っていたが、そんなの無理に決まっている。素人の僕に、一体どうしろと?
「ってことで、外に食べに行こうよ!すぐ近くに、安くておいしいラーメン屋があるんだ。お金は淡路さん持ちだし、エリ姉も呼んで3人で行こうよ!」
よくしゃべるチビは、その満面の笑顔でまた僕の思考を玉砕した。
自室でのトレーニングで汗まみれになっていた小野田が全身長袖のスウェットスーツと野球帽姿に着替えるのと、ナオトが護身用の得物を緑のリュックサックに詰め込むのを待って非常口から裏路地に出た。外では、昨日あれだけ散らばっていた鉄片や死体が綺麗に片付けられていた。見慣れた黒と黄色の規制線がそこら中に張られ、中国人たちが倒れていた場所には、ドラマでよく見る白い人型の囲いが作られている。その傍に、青い制服のポリと、くたびれた茶色のロングコートの男が立っていた。間違いなく、親父と同じ兵庫県警の刑事だ。
「...君たち、ここのビルの人?」
僕達に気付いたロングコートの中年男が話しかけてきた。骸骨みたいに肉の削げ落ちた顔に、やたら大きな目玉がはまっている。薄い髪には白髪が混じり、目の下に広がる隈が胡散臭さを倍増させる。一目見て分かる嫌な奴。小野田の表情が明らかに引きつった。
「昨日の晩、ここで派手なドンパチがあったんだけど、知らない?」
「さあ、我々の知るところではない。」
「ふーん」
骸骨は僕達をじろじろと見回す。土気色のミイラみたいな肌の上の、血走った生々しい眼球。きっと寝不足なのだ。そいつはふとナオトに目を向けると、枯れ枝級にやせ細った指で、あの緑のリュックサックを差した。
「じゃあ、その中身は?君たちを疑っているわけではないけど、危ないものが入っていないかどうか、確認させてくれない?」
ナオトが後ずさりした。僕は昨日の小野田の言葉を思い出した。警察は支援機構の外にあるが、公安が抑えているから問題ない。逆に言えば、その公安の目が無い以上、こいつらはもっともやばい相手になり得ると言うことだ。ナオトのリュックの中には、弾薬やら拳銃やらが入っているのだろう。見つかれば、当然銃刀法違反の現行犯逮捕だ。ギョロ目がにじり寄るのを、小野田が慌てて制した。
「お前には関係ない。プライバシーと言うものがあるだろう。」
「黙れ小娘。公務執行妨害で逮捕してやってもいいんだぞ。」
骸骨が言い、傍の警官に僕らを抑えるように指示を出す。この刑事は全てを見通しているようだった。ナオトが非常階段を駆け上り、小野田は警官の進路を塞ぐように立つ。僕はナオトの後に続き、いよいよ本格的に不味い状況になりかけたその時、
「おい待て。」
路地の入り口から、スーツ姿の若い男が歩いてきた。短い茶髪、ボクサーみたいに太い首。若い頃の中村獅童みたい。骸骨は苦々しげに小野田の肩に掴みかかっていた手をのけると、悪態をつき、その若い男の方に向き直る。茶髪の男はスーツのポケットから黒い手帳のようなものを取り出し、骸骨に見せ付ける。金字で「公安調査庁」とあった。
「おいおい、これは我々県警のヤマのはずだ。」
「何バカなこと言ってるんだ。こいつらはウチの関係者だ。そして、現刻を持ってこの件は公安調査庁が引き継ぐ。」
その一言で、骸骨の表情が硬直する。
「何の冗談だ?貴様ら公庁に現場を抑える権限は無いぞ。」
「県警本部に話をつけたのさ。この件は県警の手に負えるものではなく、法務省の手によって調査されてしかるべきだ。お前たちは資料を残して、さっさと失せな。」
「勝手なことを言うなよ、若僧。」
「物分りの悪いおっさんだな。本部につないでやる、聞いてみろよ。」
若い男はスーツの内ポケットからケータイを取り出し、骸骨に手渡す。コートの骸骨は数秒間通話すると、三言も言わぬうちに電話を叩き切り、茶髪に投げて返す。刑事の表情は見る見るうちに変わり、シーシェパードのロゴマークみたくおぞましい表情になった。やっぱ骸骨には変わりないけど。公庁を名乗った男は、勝ち誇ったような嫌味な笑みを浮かべ、言った。
「事件解決後、報告書と資料を送ってやるよ。もっとも、これだけのドンパチだ。いくつの組織が絡んでいることやら。時間かかりそうだなぁ。」
「黙れ!」
骸骨は癇癪を起こし叫ぶと、小野田を思いっきり突き飛ばした。ナオトが息を呑む。不意を衝かれたようで、小野田はアスファルトに無様な格好で投げ出される。きびすを返して骸骨と警官が足早に、盛大に悪態を吐きながら路地から去って行った後、若い男は小野田に手を貸し、立たせた。
「お嬢ちゃん、怪我は無い?」
中村獅童似のそいつは小野田に尋ねる。スウェットスーツについた小石を払った彼女は、大丈夫だ、と首を縦に振ると、
「公庁か。見ない顔だが、助けてくれたことに感謝する。」
「いいよ、そんなの。仕事だし。」
返答を待たず、階段の最上段まで逃げていた僕とナオトに、大丈夫だと言うように手招きした。




