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惑い

 その日の夕食は随分と騒がしかった。古宇田がひっきりなしに喋り、神門も珍しく口数が多い。食事を摂りながら良くも器用にと、半ば感心し半ば呆れる。


「あ、そうだ! ねえ椎奈、ちゃんと旅の間ご飯食べてた?」

 思い出したように古宇田が尋ねてきた。神門はおろか旭までも返答を求める視線を向けてきて、不本意に思い軽く眉を寄せる。

「食事も摂らず魔物も出る旅をする程、愚かではない。必要分は摂取していた」

「もー椎奈、もうちょっとご飯楽しもうよ」

「くどい。栄養が摂れればどうでもいい」


 ぴしゃりと言って、私は立ち上がった。そのまま外へ出ようとして、呼び止められる。

「椎奈、どこへ行く」

「図書館だ。調べたい事がある」

 簡潔に答えて、足早に出て行った。しかし、廊下を突き当たりまで進んだ所で、追いかけてきた気配に足が止まる。


「今は単独行動を避けろ。王宮も気が立っている」

 目の前まで来て立ち止まった旭が、静かに諭してきた。理由も原因もはっきりしているそれに、抗う理由は無い。黙って頷いた。

 そのまま図書館に向かうつもりで歩き出しかけ、ふと思い出し旭を見上げる。問うように眉を上げた旭に、訊く。

「訊きたい事があるのだろう? 調べ事は明日でも構わない」


 寧ろ王宮に残っていた旭が知っている可能性が高いと、今更ながらに思い当たる。時間は有限だ、旭が知りたい事があるなら合わせて相談する方が良い。


 旭は私の提案に1度瞬いた。珍しい反応を意外に思ったが、続いて先導するように歩き出したので黙って付いていく。

 しばらく進んでから、魔術の訓練に使っていた部屋に向かっていると気付いた。久々だからか、道のりを忘れかけていた。


 部屋に入ってまず、旭が盗聴防止の結界を構築した。人の目を気にするような内容なのかと気を引き締める。



 けれど、次の瞬間引き寄せる強い力と塞がれた視界に、意識の全てを持って行かれた。



「……帰ってきたな」

 声が、直接身体に響く。背に回された腕に、力がこもった。

「約束通り、ここに戻ってきた」


 ——約束。


 必ず彼の元に帰ってくる、彼の側に戻ってくる。

 私は確かに、彼と約束、した。


 今守れたそれを、この先私は、破らなければならない。


 でも——。


「……ああ。そうだな」

 ようやくそれだけ囁くと、そっと髪を撫でられる。

「……無事で、良かった」

 触れる手の温かさに、透き通るような言霊の美しさに、心が震える。


 どうして、今まで平気だったのだろう。これからも、平気だと思えるだろう。


 この人無しに、一体どうして。


「……約束を守れて……よかった」


 言葉が、震えた。


 どう、すればいいのだろう。


 全てが終われば彼の信頼を裏切らねばならないと、頭では、理解しているのに。


「側にいろ。これからもずっと」

「旭……」

 揺るがぬ声に、こらえきれず目を閉じる。額を胸に押し当てれば、更に強い力で抱き寄せられる。


 ——私は、還れない。元の世界に、還れないのだ。


 分かっているのに。だから、と続く言葉が、どうしても言えない。


「——椎奈」


 強い言葉に、込められた想いに、縛られて。


 ——だから、旭は彼女達と還ってくれ、と。


「……旭、も、……死ぬな」

「ああ」



 たったそれだけの、もう決めたはずの事が、告げられない。







 2人でどれだけの時間、そうしていただろう。


 いつまでも腕の中にいたいと思ってしまう弱さを叱咤して、私はそっと旭の胸を押す。やや間を置いて、旭がゆっくりと離してくれた。


「……、……」


 何ともなく口を開いて、話すべき事を見失い口を閉ざす。1つ首を振って、意識を切り替えた。

「——魔族について、何処まで調べている?」

 私の問いかけは予想済みだったのか、旭は頷いて淡々と語り始める。変わらぬその様子に、密かに肩の力を抜く。


「膂力の差、魔力量の差が人間と桁違いである事、独自の異能を持つ事。知性は人間と同等であるが、仲間意識や倫理観、道徳心を持ち合わせない為、人が残虐であると忌避する手段も躊躇わない。細かい事を省けばこんなものだろう」

「……人の心理については、どの程度の理解があると思う」

 旭が頷いた。

「椎奈の言いたい事は予想が付く。人間と異なる感情構造でありながら、スーリィア国の件では人間の思考や欲を非常に上手く突いた作戦が練られていたようだな。あからさまに見下す様子だったという奴らが、人の心理を何故正確に理解出来るのか——」


 旭は言葉を句切り、ゆっくりと結論を口にする。



「——読心の異能を持っていたとしか、考えられない」



 同じ結論に辿り着いた旭に、思わず眉が寄った。

「……書物には、記載されていなかったか」


 首肯が返ってきて、溜息が漏れる。


「そろそろ、王城の知識や情報は当てにならなくなってきたな」

「今までの知識が要だとは思うが。王が閲覧制限をしている可能性は、サーシャを探る限りはない」

「王族のみが知るものは……取引としては、不可能ではないだろうが。おそらく時間がないな」


 旭が少し眉を上げた。一呼吸置いて、すいと片手を上げる。何事かと問いかけるより先、旭の胸元でクロスが輝いた。金色のまばゆさは人の形をとり、顕現する。


 咄嗟に頭を下げかけたが、旭が何故か肩を抱き寄せて阻んできた。驚いて見上げると、旭は剣呑な表情で神を見据えている。

 いくら何でも不敬に過ぎると咎めかけたその時、面白そうな声が場に響く。


『少し見ぬ間に、面白い真似をするようになったな』

「誠意を見せず利用ばかりするもの達に払う敬意はない」

「旭!」


 慌てて名を呼んで制止を求めるも、旭は応じない。こちらに目もくれようとせず、肩を抱く力も緩めぬ旭を今度こそ咎めようとするも、機先を制するように神が笑った。


『ふむ。どうやら我が子らの対応が気に入らないようだな』

 その言葉に驚いて旭の顔を見ると、旭は目を眇めて神の言葉に応じる。

「当たり前だ。全てをこちらに託し、政治の都合ばかりに目を向け。三国もが異世界の人間に頼り、あまつさえ望み通りに動かなければ役立たずの烙印すら押す連中を、諾々と受け入れる程甘くない」


 神が肩を揺らして笑い出した。怒る気配のない様子に少し驚いて見守っていると、神はその碧の瞳に面白がるような色を乗せて旭の糾弾に答える。


『随分と怒っておるようだが、私は我が子らの動きには責任を持たぬよ。私は全てを見守る立場であり、私が管理する世界に責任を持つのだからな』

 真っ当な反論に、しかし旭は眉を寄せ、不満を露わにした。露骨な程強い反応が引っかかったが、続いた言葉に我を忘れる。



『それにしても、汝は本当に特殊だな。人並みに感情を発露させた感想はどうだ?』



「ミハイル神!」

 鋭く呼んだ名には、気付けば言霊を込めかけていた。慌てて気を落ち着かせ、それでも収まらぬ思いのまま神を視線で射貫く。


「——そのような風に仰るのはやめていただきたい。彼は、人です」


 神は眉を上げ、ついと口の両端を持ち上げた。青い髪をかき上げ、傲然と言い放つ。

『シイナの巫女よ。そなたの発言は、キョウヘイ・アサヒの事情を把握した上での言葉だろうか?』

「無論」

 きっぱりと言い切ると、神は口元の笑みを消した。


『ならば問う。何故そなたは、契約者を置いて行った。私は、我が契約者の危うさをこのところずっと危うんでおったぞ』


「っ、……それは」

 気に病んでいた部分を突かれ、勢いを失う。旭の事情を甘く見たのは、私の失態だ。


「こちらの世界に無理矢理転送された結果、椎奈が俺の為に紡いだが弱まった。それを感じ取るだけの要素は、この世界にない。全てはこの国の人間の暴挙が原因だ」


 けれど旭が反論を繰り出した。待機している間に組み立てたのだろう推測は正解だったのか、神が満足そうに笑う。

『言い切るの、若造。世界神相手に畏れを知らぬは無謀だぞ』

「俺が敬意を払う存在はあなたではない」

「旭!」


 流石に止めるも、旭は応えなかった。神も笑うばかりで、頭が痛い。


『汝の度胸に免じて教えよう。確かに汝が「薄く」なってしまったのは、この世界故よ。汝らの世界と違い、縁があの少女達だけではな』

 神が滑らかに告げてきた事実に、ほっとすると同時、胸が微かに痛む。


 ……やはり、旭はあちらの世界へ戻るべきなのだ。


 神はふと私を見据え、目を細めた。碧の瞳に何かが過ぎるも、旭が呼びかけるとそれを綺麗に消して旭の方を向く。


「神よ。そうと認めるのなら、俺達を今直ぐ戻せ」

『それは出来ぬ相談だ。キョウヘイ・アサヒよ、汝らがこの世界の危機と戦うのはもはや定め。今逃げたところで、定めは歪みに歪んで汝らに反ってこよう』


 旭がまたも眉を寄せた。予想していた事とはいえ、不本意な状況である。旭の不満に同意するも、心のどこかで安堵してしまった自分に嫌気が差した。


『そう嫌そうな顔をするな。いつかこの定めを悪くなかったと思う時も来るだろうよ』

 私に視線を流しながらそう笑った神に、少し鼓動が跳ねる。……知って、いるのだ。


「……何を言っている」

『さてな』

 怪訝そうな旭を神があしらう間に気を落ち着かせ、私は神に声をかけた。


「神よ、ひとつうかがいたい」

『聞こう』

 許可を受け、私は抱いていた疑問を口にした。

「魔王とは、何ですか」

 神が笑みを深める。唄うように、言葉を口ずさむ。


『魔王は瘴気の淀みより生まれ出でし、唯一の存在。甚大な妖気と刻み込まれた憎悪を武器に、生きとし生けるものを破壊する』


「魔族の王ではない、と?」

 旭の問いに、神が頷いた。

『人の子らはそう誤解しておるようだな。魔物の中で特に妖気が強く知能を持つ魔族が、魔王の危険性にいち早く気付き、自ら降っただけよ。それも、視界に入れば滅ぼされる故、味方に付く事だけを宣言し、魔王の居る土地の周辺を保護するように固めているのみ』

「魔王は彼等をどう認識しているのですか?」

 問いかけると、神は首を傾げる。

『さて。配下として使えるとは思っているのではなかろうか。時折拠点から出て無作為に破壊行為に出ているが、魔族を攻撃するのは見た事がないな』


 軽く告げられた事実に、思わず額を押さえた。旭を伺えば、こちらもどこか呆気に取られた様子だ。


 どうやらこの神、ふらふらと出歩いては魔王を観察しているようだ。一歩間違えれば瘴気に犯され堕ちる事となるのだが。


「……神よ。契約者を置いて観察に赴けば、その分契約者の負担となり得ます。旭の変調の一端ともなっておりましょう」

 溜息をこらえて諌言申し上げれば、神は委細構わぬ様子で手を振る。

『巫女が側におる事の様が余程意義があろう。さて、魔王についての情報はここまでだ。これ以上は干渉となる』

「……畏まりました」


 神は世界に直接干渉してはならない。その掟は、どうやら世界共通であったらしい。こう言いだしたら食い下がるのは無益と知る私は、ただそう言った。


『では、私はそろそろ退散するとしよう』

 笑いながら言って、神はその姿を光に変え、旭の首に掛かるクロスに吸い込まれた。


 もう1度溜息を漏らし、私は旭を軽く睨み上げる。

「……どういうつもりだったんだ」


 神が随分と上機嫌だったから咎められなかったものの、旭の態度は限度を超えている。旭にはその知識があると知っているからこそ、理解出来ない。


 けれど旭はその質問には答えず、真顔で私を見下ろした。未だ肩を抱き寄せたままの距離を、唐突に意識する。


「旭?」

 怪訝に思って名を呼ぶと、肩を抱き寄せるのと逆の手が頬に触れた。

「……協力者の……男は、どういうつもりで椎奈に近付いた」

「……え?」


 予想外の問いかけに、間の抜けた声が漏れてしまう。直ぐに気を取り直し、肩をすくめて答える。

「冗談も言っていたが、つまる所はあの街の異常に気付いて協力者を求めたようだな。こちらを味方と判断した根拠は直観頼りらしいが、まあ他意はないだろう」

「……何故ガレリアの勇者を頼らなかった」

 目を眇めて尚も追求してくる旭に、戸惑いながらも考えを答えた。

「どうも彼は友人である勇者を、企み事の方面では信頼していないようだった。後は、私が異変に気付いていると察した事も要素だったらしいが……」


 言葉を切り、どうにも機嫌が悪いように見える旭を胡乱に見上げる。


「昴の件しかり、どうしたんだ? 今日はやけに拘る」

 旭は私の言葉を受け、微かに溜息をついた。らしくもない反応に更に尋ねようとしたら、またも両腕でしっかりと抱き込まれる。



「俺は、お前が欲しい」



「あ……旭?」

 唐突に想いをぶつけられ、声が裏返りかけた。暖かな掌が頭に乗る。髪を撫で、背まで滑り下りてはまた頭に手が乗る。繰り返し繰り返しそうされるうちに、段々胸の奥が妙にざわついてくる。


「旭、何を」

「俺は椎奈が欲しい。側にいるだけで良いと思っていたのに、椎奈が俺を見ていないだけで自制が効かなくなる。神の言っていた事は、あながちおかしくない。俺の感情を動かすのは、椎奈だけだ」


 大きく心臓が跳ねた。不安ばかりではない己の反応に密かに動揺しつつ、私は身動いで旭を見上げる。


「旭、やめろ」

 旭が目を細めた。闇色の瞳に宿る真摯な光に、続けようとした言葉が縫い止められる。

「椎奈の恐れている事は分かっている。だが、俺も怖い」

「……え?」

 信じられない言葉に、大きく目を見開く。


 ——今、なんと。


「椎奈がこれ以上傷付かないようにと、椎奈の不安が現実にならないようにと、これまで椎奈の望み通り動いてきたが。……時々、椎奈を見ていると、怖くなる」

「そ、んな」

 先程までの動揺ごと凍り付きそうな冷たいものが、背筋を撫でた。


 ——かれまでも、おそれるのか。


「……椎奈」

 私の表情に何を見たのか、旭は微かに眉を寄せて私の名を呼ぶ。一拍おいて、後頭部に添えられた手が柔らかく力を加えてきて、また旭の胸元に顔を埋める事となった。


「椎奈の考えたような意味ではない。俺は大丈夫だと、どんな事があろうとお前から離れないと、何度も何度も言っているだろう」

 宥めるようにそう言われて、安堵してしまう自分が嫌だ。声が震えるのを恐れて、ただ頷く。



「……椎奈が、消えてしまいそうで怖い。お前はまた、自分の事だけを考えていろと言うだろう。だが……俺だって、椎奈が消えるのは、怖いんだ」



 旭の声が、微かに揺らいだ。抱きしめる手に、力が加わる。


「旭……わたし、は」

 何を言えば良いのか、分からない。彼は今、とても大切な事を言ったはずなのに。頭が混乱して、舌が空回る。


「どう、して」

「分かっている。今はまだ、良い」

「……え?」


 予想外の言葉に、声が揺れた。旭の手が、またそっと髪を撫でる。



「椎奈を困らせたいわけではない。ただ、覚えていて欲しい。俺もまた、椎奈を失いたくないのだと」



 どくんと、心臓の音が耳の側で響いた。


 旭は、知らない。何も、知らないはずなのだ。


「……私は、災いだ」

「違う。お前は、俺の側に在る、人間だ」


 なのに……どうして、こんなにも的確に私の心を揺らすのか。



「椎奈の抱えるものも、全て受け止める。だからお前は、俺の側にいろ」



 こんなにも強く、深い想いを向けられて。



 ——どうやって、決意を固めれば良いんだ。


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