初めてはお弁当味
お弁当の中身は、作り手の人柄を表れやすい。
そんな言葉を、ずっと昔に聞いたことがあった……ような気がしなくもない。
まあ、それはいいとして。
とりあえず。諸々を抜きにして。
一つだけ言えるのは、目の前のお弁当はとってもすごいということ。
嫌いなミニトマトが入っているのは、まあ置いといて。
少なくとも、彼女にこれを作ってもらえるのなら、文句を言えるやつなんてそういやしないとも。
「すごい、すごいじゃん! とっても美味しそうだよこれ!」
「え、ええ。冷凍食品も多いから、そんなに褒められても困るのだけど……」
「全然褒めることだよ! ねえ、早速食べていいかな?」
頬を赤らめ、少し恥ずかしそうに顔を逸らす愛咲さん。
そんな彼女を、素直に称賛しつつ。
口内に涎が溜まりそうなほど、沸き立ってしまった食欲に釣られるまま尋ねてみれば、「どうぞ」と、愛咲さんは少し気恥ずかしそうに了承してくれたので、同封されていたお箸を手に取る。
選んだ品は、卵焼き。
きっと愛咲さんの手作りなのであろう、絶妙に焦げ目のついた、実に綺麗な一品。
何故卵焼きなのかの理由は、特にない。
強いて言えば、興味があったから。
お弁当の中でもっともお弁当を語るのが卵焼きであると、個人的に、偏見丸出しの持論だから。
まずは目で楽しみ。
そして一口。
「……うん、とっても。いいね、いいじゃん。美味しい」
……うん、美味しい。
ガワだけ立派で味は最悪……なんてパターンもありがちだけど、別にそんなことはない。
中まで火が通っていて。
少し甘めで、けれどしつこくなくて。
ああ、うん。
なんだか、どうしてか、とっても懐かしい。そんな味が、どうにも──。
「す、鈴木くん? やだ、大丈夫? 美味しくなかった……?」
「……あれ?」
と。
味に浸っていた僕に、愛咲さんは困惑の声を、心配の眼差しを、こちらへと向けてくる。
なんだと思って、すぐに気付く。
自分の目元の感覚に。
頬を伝う、一筋の感触に。
なんか変だな、おかしいな。
どうしてか、涙出ちゃう。
ご飯食べて感動なんて、本当にあるんだ。
すごいね、彼女の手作り弁当って。
キモいね、彼女の手作り弁当で泣いちゃう僕って。
「大丈夫、美味しい。美味しいよ。とっても、美味しい。ありがとう」
「そ、そう……? 美味しくないなら、無理せず、残してくれても──」
「駄目。これを食べずにポイだなんて、僕の人生の損失になっちゃうから。うん、本当に」
流石の愛咲さんだとしても。
このお弁当を貶すのは許さないと。
片手で制止し、ただひたすらに、無心無言で食べ進めていく。
片方の箱はおかずで、もう片方が白いお米。
夢と憧れ、初めての二段弁当。
それはまさに、僕にとって、この上なく恵まれたもので。
これはあくまで、恋人同士の一時で。
自分が食に没頭するための時間ではないのだと。
そんな当たり前に気付けたのは、嫌いなミニトマト含め、全部を食べ終わってしまった頃だった。
「ごちそうさま。ここ数年で一二を争うくらい美味しかったよ。ネタ抜きでね」
「そ、そう。……それなら、良かったわ。ふふっ」
米粒一つ残すことなく完食したあと。
お口を拭きながら、愛咲さんに心のままの感想とお礼を、そして罪悪から頭を下げる。
「……ごめん。彼氏彼女のランチって、もっと和気藹々と食べるものだったよね。自分勝手だったよね?」
「え」
「え?」
自分勝手な身勝手さを、心の底から恥じながら。
愛咲さんへと謝罪をしたのだが。
返ってきたのはきょとんと困惑顔で、そんな予想外な反応に、僕もまた首を傾げてしまう。
「……そんなこと、気にしないで。むしろ、そんなに美味しそうに食べてもらえるなんて思ってなかったから。ええ、とっても嬉しい。ありがとうと言いたいのは、私の方よ」
愛咲さんは、その綺麗な紫紺の瞳で、真っ直ぐこちらを見つめながら。
その言の葉に、一切の嘘偽りはないのだと。
僕でさえ分かるくらい、優しく口元を綻ばせながら、そう答えてくれた。
……そんな都合のいいこと、あるわけないと。
そう言いたいが、これを疑うのは人の恥。
僕だって最低限の一線くらいは守りたいと、次い出そうになった続きを呑み込んだ。
「……あの、鈴木くん。あなたが良ければなんだけど、これからもお弁当、作ってきたいのだけど」
「え、いいの?」
「ええ。部活があるから毎日一緒には難しいけど、それでも、食べて欲しいの。駄目?」
愛咲さんの提案は、本当に、本当に即答したくなる魅力的だ。
正直なところ、拒む理由が一切ない。
食費は浮くし、購買の一番安い丸パンより豪勢だし、何より彼女の手作り弁当なんてまともな男子高校生であればいつだって嬉しいものだよ。
──けれど。
「でも、悪いよ。お弁当だって無料じゃないし、朝だって忙しいでしょ?」
寸での所で理性的な答えを返せたのは、退屈な現実的側面のせい。
材料費。人件費。その他諸々。
たかが一食だとしても、されど一食。
お店で買えば、一食分で多額の金銭を介さなくてはならない。それがお弁当……食事というものだ。
それに。
僕と違って、女性の朝は大事な時間だという。
例えに出すことさえ、ちょっとばかし申し訳ないけど。
専業主婦ならともかく。
今をときめくJKであれば、一分一秒とて無駄には出来ないはず。それを僕にというのは、些か。
「問題ないわ。へっちゃらよ。元々部活とかで早起きだもの。それに、父もお弁当なの。食費は、心配しなくとも──」
「それでも、駄目だよ。こういうのは、なあなあにしちゃ駄目」
親しい仲でも……いや、親しい仲だからこそ。
金銭の問題は、きっちりさせるべき。
それは愛咲さんのご両親のお金なのだから、例え面倒臭いと早速理想を壊してしまっても、そこだけは曲げられない。僕の負担にもなるし、愛咲さんの負担にもなってしまうのだから。
何より。
僕にそこまでしてもらうほどの価値はないのだから、もっとお金を大事にして欲しい。
そんなに施されるほどの価値は、どこにもないのだ。
……ああ、駄目だな。
こういうとき、コミュ力不足な僕の頭じゃ、上手い返しを何一つ思いついてくれやしない。
流石は僕。彼女が出来てはい覚醒、なんてご都合はないみたいだね。残念。
「……じゃあ、こうしましょう。私は料理の練習のついでに、勝手に多めに作ってくる。食費は私のお小遣いで、鈴木くんにどうこう言われる筋合いはない。あなたが食べないのなら、そのまま捨てるわ」
「ええ?」
実に重苦しい。
美味しかったお弁当の味さえどこかに行ってしまいそうな、この空気をどうしたものかと。
カップル結成二日目にして。
早速終わりかもなと。
どこかで納得しつつ、次の言葉に悩んでいた。そんな最中。
一切、冗談はないと。
不意に思いついたとばかりに。
愛咲さんは真顔で、とんでもないことを宣言してくる。
「それは、どうなんだ?」
「ええ、問題よ。でも、仕方ないわよね。あーあ。どこかに私の食べきれない分、食べてくださる人はいないかしら」
僕を見ながら、わざとらしく。
嘆く愛咲さんに、僕はただ困惑せざるを得ない。
「……僕が食費を渡すのは、駄目?」
「駄目。言い分は分かったけど、お金の関係になりたくはない。私はあなたを……王子様を、愛したいの。渡すのならいいけど、それだけは、死んでも嫌。渡してきたら、例え小切手だろうとビリビリにしてやるわ」
「ええ……」
ごめん、ちょっと理解出来ない。
だってそれじゃあ、道理にそぐわない。
僕だけが得して、きみには損しかないじゃない。
なのに、どうして。
そんな、ことを。
苦渋の決断でもなさそうに、そうも堂々と、むしろ愉しげに言えてしまうんだろうか。
「……じゃあ、仕方ないね。僕が食べなきゃゴミ箱行きだなんて言われたら、うん。本当に、仕方ないかな」
でもまあ。
いいじゃん、とはならないけど。
断りたくないな、と。
そんなのは間違っていると、理解しつつ。
ふとそう思ってしまったのは、そう口に出してしまったのは、僕の浅ましい心のせいなのだろうか。
「愛咲さん」
「なあに?」
「ありがとう」
「……こちらこそ、ありがとうね。鈴木くん」
お礼を言えば、愛咲さんは微笑む。
感謝すべきは僕の方なのに。
まるで僕の方が何かをしたとばかりに、穏やかに。
「ところで。ミニトマト、あまり好きじゃなさそうだったわね。嫌い?」
「……正直。トマトとナスが駄目、あと里芋」
「ふふっ、了解。次からなしにするわ」
きっと、グチュグチュしてるものが駄目なんだろうね。
え、バナナ? ああ、あれはセーフ。不思議だね。そんなものだよね、人の好みってさ。
それから、しばらく。
僕たちは、暫し二人で。
たわいもない話をしながら、邪魔が入ることもなく、ランチタイムを過ごしたあと。
「──そこの、バカップル。乳繰り合うのは勝手だが、五分前だ。鍵閉めるから、そろそろ出ろ」
パタン、と。
妙に響く、本を閉じる音と共に、女性の声がこの一時の終わりを告げてくる。
……えっと、すみません。
確かに、空気と思えと言われはしましたけれど。
愛咲さんのお弁当に夢中で、本当に、一ミリたりとも存在を忘れてました。ごめんなさい。
「先輩。私たち、これからもここで食べるわ。いいでしょ?」
「言っても、どうせ聞かないだろ。好きに、しろよ」
早々に部屋を片し。
追い出されるように、数学室から出た僕たち。
愛咲さんの宣言に、鍵を閉めていた金髪の女性は、半ば諦め混じりと呟く。
「俺は、基本いる。いる日は、勝手に。いない日は、よそで食え。じゃあな」
愛咲さんにというより、僕にと。
ほんのわずかな一瞥と。
それだけ告げた金髪の女性は、億劫そうに鼻を鳴らし、背を向けて去っていった。
「そういえばさ、あの先輩とどういう付き合いなの?」
「腐れ縁よ。他人以上友人未満のね」
ふうん。
それにしては、どこか気の置けない距離感だったと思うけど。
まあ、いいや。
僕には僕の、愛咲さんには愛咲さんの。
互いの交友があるのが当然なのだから、わざわざ深掘りなんてする必要はない。
僕が愛咲さんの全てを知る権利は、この世のどこにもないのだ。
「それじゃあ、また」
「ええ」
名残惜しそうに、愛咲さんと別れを交わす。
愛咲さんは、今日は部活。
昨日のように、一緒には帰れない。まあ、仕方ないとも。
そうして、再び互いの教室へ。
別れるまでの道のりを、歩き出そうとした。
「ねえ鈴木く──いえ、湊くん」
「えっ、んっ──!?」
そんな、瞬間だった。
立ち止まった愛咲さんは、僕を呼び、唇を奪う。
鈴木ではなく、湊と。
ほんの一瞬。優しく、柔らかな重ねで。
「私、今日であなたのことがもっと好きになったわ。あなたはやっぱり、私の王子様。だから、愛して愛して愛し尽くすわ。ええ、決めたの」
「??」
「ふふっ、楽しみね。さあ、戻りましょう?」
呆然と立ち尽くし。
情報を、現実を処理しきれない僕に。
少し頬を赤らめながら、それでも微笑む愛咲さんは、僕へと手を差し出してくる。
初めてのキス。
触れるばかりでしかなったそれに、味はなく。
けれど。
その心地は、思いの外、生温かく。
面白いとは違う、何かそんな不思議な感覚だった。




