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『五歳の徳川慶喜に転生した大学教授、幕府滅亡まであと二十七年』 〜本能寺で信長を救えなかった俺は、今度こそ江戸幕府を終わらせない〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第30話 最初の学校ができた

「父上」


「嫌だ」


「まだ何も言っていません!」


「学校だろう」


「なぜ分かるのです!」


「昨日言った」


「覚えていたのですか!」


「息子の話くらい覚えておる!」


「では作ってください!」


「嫌だ!」


「なぜ!」


「金がない!」


「またそれ!」


 朝。


 俺と父――徳川斉昭は。


 開始から十秒ほどで。


 いつもの喧嘩に突入した。


 すごい。


 もう前置きすら必要ない。


 お互いに。


 何を言えば。


 相手が何を言い返すか。


 大体分かっている。


 これは。


 親子の絆だろうか。


 多分違う。


「父上」


「なんだ!」


「私は大きな学校を作れとは言っていません!」


「ではどれほどだ!」


「小さくていいです!」


「どれほど小さい!」


「五人!」


 父が黙った。


 俺も黙る。


 少し離れた場所にいた小野寺新吾が。


 帳面から顔を上げた。


「五人?」


 父が聞き返す。


「はい」


「学校を作ると言って」


「はい」


「五人?」


「最初は」


「少なすぎるだろう!」


「父上が金を出さないからでしょう!」


「わしのせいか!」


「半分くらいは!」


「残り半分は何だ!」


「まだ人が集まっていないからです!」


「なら学校ではない!」


「学校です!」


「五人で?」


「五人でも!」


「七郎麻呂」


「はい!」


「それは」


 父は少し考え。


「集まりではないのか」


「言い方!」


 小野寺が。


 とうとう。


 顔を伏せた。


「小野寺」


「はい」


「笑いましたね」


「少し」


「正直ですね!」


「もう隠す意味がございませんので」


「私への遠慮が日に日になくなっていません?」


「育てたのは若君です」


「私のせいですか!」


「かなり」


 父まで笑った。


「父上!」


「何だ」


「今、笑いましたね!」


「笑っておらん」


「絶対に!」


「話を進めろ!」


「父上が逸らしたのでしょう!」


 朝から。


 疲れる。


 本当に。


 疲れる。


 だが。


 諦める気はなかった。


     ◇


「五人です」


 俺はもう一度言った。


「まず」


「うむ」


「清吉」


「鍛冶屋の息子だな」


「はい」


「他は」


「まだ決めていません」


「七郎麻呂」


「はい」


「それで学校を作ると?」


「これから決めます!」


「順番が逆ではないか!」


「夢では先に構想が!」


「便利な夢だな!」


「自分でも分かっています!」


 俺は咳払いした。


「でも」


「なんだ」


「一人だけを特別に学ばせるより」


「……」


「何人かを一緒に学ばせた方が」


「……」


「教える側にも効率がいいです」


 父が少し黙る。


「玄庵一人で?」


「最初は」


「何を教える」


「算術」


「うむ」


「読み書き」


「うむ」


「図の描き方」


「うむ」


「蘭学の初歩」


「嫌だ」


「父上には教えません!」


「ならよい」


「そこですぐ安心しないでください!」


 まったく。


 まだ英語も嫌。


 蘭学も。


 好きとは言えない。


 この人を開国派へ変えるには。


 本当に。


 何年かかるのだろう。


 いや。


 開国派にしなくてもいい。


 思考停止さえしなければ。


「他には」


 俺は続けた。


「測量」


「誰が教える」


「半兵衛殿も興味を持っています」


「学ぶ側ではなかったか」


「学びながら教えれば」


「七郎麻呂」


「はい」


「人は」


 父は言った。


「知らぬものを教えられぬ」


「……」


「まず学ばせろ」


 正しい。


 悔しい。


「では」


「なんだ」


「父上も英語を」


「嫌だ!」


「早い!」


「それとこれとは別だ!」


「同じです!」


「違う!」


 また喧嘩。


 小野寺が。


「若君」


 と口を挟む。


「何です」


「学校の話は」


「そうでした!」


 最近。


 こいつがいないと。


 俺と父の話は。


 永遠に終わらない気がする。


「小野寺」


「はい」


「正式に私の家臣に」


「嫌です」


「まだ最後まで!」


「嫌です」


「少しくらい考えて!」


「学校の話を」


「便利に使わないでください!」


     ◇


 問題は。


 場所だった。


「空いている部屋は?」


「ございませぬ」


 役人は言った。


「本当に?」


「はい」


「一つも?」


「若君」


「何です」


「空いているように見える部屋にも」


「……」


「役目がございます」


「例えば」


「物を置く」


「はい」


「人を待たせる」


「はい」


「客を通す」


「はい」


「雨の日に物を移す」


「はい」


「役人が時々こっそり昼寝を」


「それは!」


 役人が止まった。


 俺も止まる。


 小野寺が。


 静かに役人を見る。


「今」


 俺は聞いた。


「何と言いました?」


「何も」


「昼寝と」


「気のせいです」


「父上みたいなことを!」


「若君」


 小野寺が言う。


「何です」


「そこは」


「はい」


「聞かなかったことにしては」


「なぜ」


「人には休息も必要です」


「でも勤務中に」


「若君」


「はい」


「役人にも生活があります」


「それをここで使いますか!」


 役人が。


 ものすごく感謝した顔で。


 小野寺を見る。


 小野寺が。


 少しだけ後悔したような顔をした。


「とにかく」


 俺は言った。


「部屋がない」


「はい」


「では」


 考える。


 屋敷の中が無理なら。


 外。


「使っていない建物は?」


「ございますが」


「どこです」


「古い物置なら」


「そこです!」


「若君」


 役人の顔が曇る。


「何です」


「雨漏りが」


「直します」


「誰が」


「……」


「若君」


「職人を」


「金が」


「分かっています!」


 何をしても。


 最後は金だ。


 金。


 金。


 金。


 前世で。


 財源なき政策は願望だと。


 学生へ偉そうに言っていた自分を。


 一度。


 殴りたい。


「小野寺」


「はい」


「雨漏りを安く直す方法は?」


「私を何だと思っておられます」


「帳面に強くて何でも正直に言う人」


「屋根は直せません」


「そうですか」


「残念そうですね」


「少し」


「若君」


「何です」


「人には向き不向きがございます」


「分かりました!」


 仕方ない。


 職人に聞こう。


 一人で全部考えるな。


 知っている人間に聞け。


 それでも分からなければ。


 分からないまま決めろ。


 父の言葉だ。


 悔しいが。


 役に立つ。


     ◇


 古い物置を見に行った。


 俺。


 小野寺。


 佐久間。


 お喜乃。


 そして。


 なぜか。


 父。


「父上」


「なんだ」


「なぜいるのです」


「わしの領内だ」


「便利ですね、その言葉!」


「お前が勝手に妙なことを始めぬよう見張る」


「隠すなと言ったのは父上です!」


「だから見ておる!」


「近すぎます!」


 物置は。


 ひどかった。


 俺は。


 しばらく。


 何も言えなかった。


「若君」


 お喜乃が聞く。


「いかがです?」


「……風通しが良いですね」


「壁に穴がございますので」


「明るいです」


「屋根にも穴が」


「自然を感じます」


「虫もおります」


「それは嫌です」


 父が。


 後ろで。


 笑った。


「父上!」


「何だ」


「絶対に最初から分かっていましたね!」


「何のことだ」


「この状態!」


「使っていない建物と聞いたからな」


「使えない建物ではありませんか!」


「似たようなものだ」


「全然違います!」


 小野寺が。


 柱を触る。


「腐ってはいませんね」


「本当ですか」


「全部は」


「全部ではない?」


「この辺は」


 指で押す。


 少し。


 ぼろっと。


 木が崩れた。


「小野寺」


「はい」


「今のは」


「見なかったことに」


「駄目です!」


「では」


「直せます?」


「だから私は屋根も柱も直せません」


「使えませんね」


「帰ります」


「待ってください!」


「若君」


「冗談です!」


「顔が本気でした」


「すみません!」


 本当に。


 人を使うのは難しい。


     ◇


 結局。


 近くの職人を呼んだ。


 清吉の父。


 弥助も来た。


 建物を見て。


 一言。


「これを?」


「はい」


「学び場に?」


「はい」


「若君様」


「何です」


「本気で?」


「本気です!」


 弥助は。


 建物を見る。


 俺を見る。


 また建物を見る。


「清吉」


「はい」


「本当にここで学びたいか」


 父親に聞かれた清吉は。


 中を覗き。


 言った。


「今の鍛冶場より静かだからいい」


「お前!」


「だって父ちゃん、ずっと鉄叩いてるし!」


「仕事だ!」


「知ってる!」


「なら文句言うな!」


「でもうるさい!」


「清吉!」


 親子喧嘩が始まった。


 俺は。


 少し笑った。


 父がこちらを見る。


「何がおかしい」


「いえ」


「申せ」


「どこの親子も」


 一度。


 父を見る。


「似たようなものだな、と」


「わしらを一緒にするな!」


「ほら!」


「何がだ!」


「今のです!」


 小野寺が。


 また。


 顔を伏せた。


     ◇


 修理には。


 金がかかる。


 当然だ。


 でも。


 弥助が言った。


「全部綺麗にしなくてもいいなら」


「はい」


「雨が入るところだけ塞ぐ」


「はい」


「危ない柱だけ直す」


「はい」


「床は」


 足で踏む。


 ぎしっ。


「……少し直す」


「今、怖い音しましたね」


「しました」


「正直ですね」


「落ちてからでは遅いので」


 父が。


「いくらだ」


 と聞いた。


 弥助が。


 金額を言う。


 父の顔が。


 明らかに嫌そうになる。


「父上」


「なんだ」


「出してください」


「嫌だ」


「でも!」


「高い!」


「学校です!」


「五人だろう!」


「五人でも!」


「五人のために!」


「五人からです!」


 また。


 始まった。


 父と俺。


 言い争う。


 弥助は困っている。


 清吉は面白そうに見ている。


 小野寺は帰りたそうだ。


 お喜乃は。


 完全に楽しんでいる。


「父上!」


「何だ!」


「十五年後!」


「黒船だろう!」


「分かっているではありませんか!」


「だからといって金が増えるわけではない!」


「では!」


 俺は言った。


「私の菓子代を減らしてください!」


 父が止まった。


 お喜乃も。


 小野寺も。


 皆。


 俺を見る。


「何です」


 不安になる。


「そんなに驚くことです?」


「若君」


 お喜乃が。


 心配そうな顔で言った。


「お加減が?」


「元気です!」


「熱は」


「ありません!」


 父まで。


 俺の額へ手を当てた。


「父上!」


「本当に熱はないか」


「ないです!」


「七郎麻呂が菓子を減らすなど」


「そこまでですか!」


 ひどい。


 俺だって。


 必要なら我慢する。


 少しは。


「全部ではありません」


 俺は言った。


 父の手が止まる。


「何だと」


「全部は嫌です」


「……」


「半分」


「七郎麻呂」


「はい」


「今」


「はい」


「少しだけ安心した」


「何にです!」


 皆が。


 笑った。


 俺は腹を立てた。


 だが。


 結局。


 父は。


 修理代の一部を出した。


 一部だけ。


 残りは。


 俺の菓子代。


 弥助が。


「材料で余っているものを使う」


 と言ってくれた。


 玄庵先生は。


「面白そうだから無償で少し教える」


 と言った。


 もちろん。


 ずっと無償では駄目だ。


 それは分かっている。


 でも。


 最初だけ。


 皆が。


 少しずつ。


 何かを出した。


 金。


 材料。


 時間。


 労力。


 好奇心。


 そして。


 父は。


 最後まで。


「学校ではない。五人の集まりだ」


 と言い張った。


     ◇


 一月ほど後。


 古い物置は。


 まだ。


 古かった。


 壁は。


 ところどころ色が違う。


 屋根も。


 完全ではない。


 床は。


 少し傾いている。


 机も。


 揃っていない。


 一つは低い。


 一つは高い。


 椅子もない。


 畳も。


 綺麗ではない。


 でも。


 雨は入らない。


 柱も。


 多分。


 落ちない。


「多分?」


 俺は弥助を見る。


「大丈夫です」


「本当に?」


「多分」


「今!」


「冗談です」


「怖い冗談を言わないでください!」


 弥助が笑った。


 その中に。


 五人いた。


 清吉。


 十五歳の農家の次男。


 十二歳の商家の娘。


 十六歳の下級武士の息子。


 そして。


 十三歳の大工の弟子。


 身分も。


 家も。


 違う。


 最初は。


 皆。


 微妙な距離を取っていた。


 特に。


 下級武士の息子。


 藤吉郎は。


 清吉の隣へ座るのを嫌がった。


「なぜ」


 俺が聞く。


「町人だからです」


「清吉が?」


「はい」


「清吉」


「何です」


「どう思います?」


「別に」


「本当に?」


「こっちも」


 清吉は言った。


「侍の隣は堅苦しいから嫌です」


「貴様!」


「ほら!」


「何だ!」


「すぐ怒る!」


「町人風情が!」


「今、風情って言った!」


「二人とも!」


 俺が止める。


 開始前から。


 喧嘩。


 父と俺。


 小野寺と俺。


 榊原と小野寺。


 清吉と藤吉郎。


 どこへ行っても。


 人間は。


 すぐ揉める。


「若君」


 玄庵先生が笑った。


「何です」


「よいですな」


「どこがです!」


「元気で」


「まとめる側は大変なのです!」


「では」


 玄庵先生は。


 清吉と藤吉郎を見る。


「席を離しましょうか」


「それは嫌です」


 俺は答えた。


「なぜ」


「一度」


 考える。


「喧嘩していいので」


「はい」


「同じものを学んでください」


 藤吉郎が。


 俺を見る。


「若君様」


「何です」


「町人と?」


「はい」


「同じ?」


「はい」


「なぜ」


「問題です」


 俺は。


 黒板などないので。


 紙に。


 簡単な算術の問いを書いた。


 まだ。


 俺の字は。


 少し。


 幼い。


 悔しい。


「これ」


「はい」


「武士なら答えが変わります?」


 藤吉郎が黙る。


「町人なら?」


「……」


「百姓なら?」


「……」


「女なら?」


 商家の娘が。


 俺を見た。


「答えは」


 俺は言う。


「同じです」


 清吉が。


「まあ、間違えたら同じじゃないけど」


 と言った。


「清吉!」


「何です」


「今はいい話を!」


「でも本当でしょう」


「そうですけれど!」


 皆が。


 少し笑った。


 藤吉郎も。


 ほんの少しだけ。


 口元を緩めた。


 それでよかった。


 最初から。


 仲良くなんて。


 しなくていい。


 人間だ。


 好き嫌いがある。


 誇りも。


 偏見も。


 意地も。


 全部ある。


 でも。


 同じ場所で。


 同じ問題を考えることはできる。


     ◇


「では」


 玄庵先生が。


 最初の授業を始めた。


「まず」


 紙へ。


 一つの字を書く。


「これは」


 清吉たちが身を乗り出す。


 俺も。


 少し離れた場所から見る。


 父も来ていた。


「父上」


「なんだ」


「なぜいるのです」


「わしの金も入っておる」


「なるほど」


「成果を見る」


「まだ初日です!」


「だから見る」


「気が早い!」


「お前に言われたくない!」


 その横に。


 小野寺もいる。


「小野寺」


「はい」


「あなたは?」


「帰ろうと思ったのですが」


「はい」


「清吉が作った滑車の計算が間違っていると聞いたので」


「気持ち悪かった?」


「はい」


「やっぱり」


「何です」


「いえ」


「言ってください」


「本当に帳面だけではないのですね」


「帰ります」


「待ってください!」


 初日から。


 騒がしい。


 でも。


 玄庵先生は。


 全く気にせず。


 授業を続けた。


「清吉」


「はい」


「この計算は?」


「えっと」


「藤吉郎」


「はい」


「分かりますか」


「……少し」


「では二人で」


 二人。


 嫌そうな顔をした。


「嫌です」


 見事に重なった。


 俺は。


 思わず笑った。


 父も。


 笑った。


「何がおかしい!」


「何がおかしいんです!」


 また。


 声まで重なった。


「似ていますね」


 俺が言った。


「似てない!」


「似ておらぬ!」


 今度は。


 清吉と藤吉郎だけではなく。


 父まで怒った。


 皆が。


 笑った。


 古い物置の中で。


 五人の生徒。


 一人の先生。


 五歳の俺。


 すぐ怒る父。


 帰りたいと言いながら帰らない小野寺。


 時々妙に鋭いことを言うお喜乃。


 右頬で笑う佐久間。


 そんな。


 おかしな人間たちが。


 集まっていた。


 学校と呼ぶには。


 あまりにも小さい。


 粗末だ。


 教科書も足りない。


 金もない。


 制度もない。


 名前すら。


 まだ決まっていない。


 でも。


 その日。


 確かに。


 最初の学校ができた。


     ◇


 夕方。


 授業が終わる。


 清吉は。


 帰ろうとして。


 振り返った。


「若君様」


「何です」


「次はいつです?」


「三日後」


「遅い」


「早くしたいです?」


「……まあ」


「嬉しい?」


「別に」


 素直じゃない。


「藤吉郎は?」


「私は」


 一度。


 清吉を見る。


「次はこやつより先に答えます」


「無理だろ」


「何だと!」


「二人とも」


 また喧嘩。


 でも。


 今度は。


 止めなかった。


 少しだけ。


 見ていた。


 人は。


 競う。


 腹を立てる。


 負けたくない。


 見下す。


 見返したい。


 綺麗ではない。


 でも。


 それも。


 学ぶ理由になる。


「若君」


 小野寺が。


 隣で言った。


「何です」


「嬉しそうですね」


「そうですか」


「かなり」


「顔に?」


「出ております」


「もう諦めました」


「賢明です」


 俺は。


 小さな学び舎を見る。


 歴史を変えた。


 なんて。


 大げさなことは。


 まだ。


 言えない。


 五人だ。


 たった。


 五人。


 でも。


 昨日まで。


 町人の清吉は。


 身分が低いから。


 学べないはずだった。


 今日。


 学んだ。


 昨日まで。


 商家の娘は。


 同じ場所に。


 武士の子と座ることなど。


 なかった。


 今日。


 座った。


 昨日まで。


 藤吉郎は。


 町人と同じ問題を解くなど。


 考えもしなかった。


 今日。


 負けたくないと。


 机にかじりついた。


 未来が。


 ほんの少しだけ。


 変わった。


 本当に。


 ほんの少しだけ。


     ◇


 その夜。


 俺は帳面に書いた。


 **最初の学校ができた。**


 その下に。


 **生徒、五人。**


 少し考える。


 さらに。


 **金、ほとんどない。**


 その下。


 **建物、古い。**


 もう一行。


 **喧嘩、多い。**


「学校としてどうなのだ」


 背後から。


「父上」


「何だ」


「今日は分かっていました」


「つまらん」


「本当にそればかりですね!」


 父が。


 帳面を見る。


「喧嘩が多いのか」


「父上が言います?」


「何だと!」


「ほら!」


「お前が怒らせるのだ!」


「清吉も藤吉郎も同じことを言いそうです!」


「わしを子供と一緒にするな!」


「似ています!」


「七郎麻呂!」


「はい!」


 いつものように。


 怒鳴られた。


 でも。


 父は。


 帳面の最初の一行を。


 もう一度見た。


 **最初の学校ができた。**


「七郎麻呂」


「はい」


「五人だな」


「はい」


「少ないな」


「はい」


「小さいな」


「はい」


「古い物置だな」


「はい」


「金もないな」


「父上!」


「事実だろう」


「そうですけれど!」


 父は。


 少し笑った。


「だが」


「……」


「始まったな」


 俺は。


 何も言えなかった。


 たった。


 それだけだった。


 でも。


 胸が。


 少し熱くなった。


「はい」


 俺は答えた。


「始まりました」


 父が。


 俺の頭へ手を置く。


「なら」


「はい」


「続けろ」


「……はい」


「途中で飽きるな」


「飽きません」


「本当か」


「はい」


「五歳児はすぐ飽きるぞ」


「中身は!」


 危ない。


 俺は止まった。


「何だ」


「長い夢を見た五歳です!」


「便利だな!」


「もう知っています!」


 父が笑った。


 俺も。


 笑った。


 黒船来航まで、あと十五年。


 幕府滅亡まで、あと二十七年。


 生徒。


 たった五人。


 学校。


 古い物置一つ。


 それでも。


 歴史は。


 多分。


 こういう。


 誰にも気づかれない小さな場所から。


 少しずつ。


 曲がり始める。


 そして。


 数日後。


 俺は。


 その学び舎で。


 一人の少年を見た。


 本来の歴史では。


 絶対に。


 そこにいるはずのない少年だった。


 その時。


 初めて。


 本当の意味で。


 俺は気づく。


 未来が。


 変わった。


 いや。


 もう。


 変わり始めているのだと。


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