第25話 廊下は走らない
まさかこの部屋から空に飛びだすつもりか、と思ったらさすがに違った。
「妖鳥を脅すのには幼鳥を連れて行かないとだし、そもそも魔法省にも王宮全体にも結界があるからな。壊すのも通り抜けるのもさすがに手間がかかる。そんなわけで、ちょっと移動だ」
「脅す……」
しかも出来ないとは言わないんだ……などと思ってている間に手を取られ、まるで恋人か何かのようにしっかりと握ってきたかと思えば、レシェートは王宮内の廊下を早足で歩き始めた。
私が付いて行けないほどではないので、加減はしてくれているようだ。それは分かる。分かるのだけれど。
(い……いたたまれない……っ)
辺境伯家の廊下を歩いたとしても、使用人たちとすれ違うし、無人の廊下を歩くなどということは、まずない。
ましてここは王宮。人の目が、辺境伯家の比ではなかった。
「あ、あのっ、王宮内の結界はやっぱりそんなに強固なんですか……?」
普段であればともかくこの危急時だ。空中飛行が出来る人間がそれをしないというのは、何か理由があるのだろうか。
結界があるとは聞いたものの、レシェートがあまりそれを気にする性格には見えない。
周りの目線と沈黙に耐え切れなくなったということもあり、私はレシェートに恐る恐る話しかけてみた。
パッとこちらを見る目が、やたらと嬉しそうなのは気のせいだろうか。
「ああ……王宮の敷地自体、バカみたいに広いからな。空を飛びたくなる気持ちは分からなくもない」
……何だか私がとてつもなくめんどくさがりのように思われている気がする。
「疲れたか? 抱き上げて行ってもいいぞ」
そんな、周りの目を更に集めそうな提案を真顔でしないで下さい!
私は勢いよく首を横に振ってしまった。
「違うんです! 気になっただけです!」
遠慮しなくていいのに……なんて声は、全力で聞かなかったことにしておく。
ふむ、と私にどう答えようかと言葉を探す姿自体は、嫌悪感を抱くものではないのだけれど。
その後に続いた言葉がいただけなかった。
「結界そのものの強度がどうと言うよりは、それを取り巻いている規則の方が面倒なんだよ。ちょっと通り抜けたりヒビを入れたりするたびに報告書を書くのも鬱陶しいだろう?」
面倒と鬱陶しいが重なっているうえに、発言自体は恐らくは本心で、王宮内での駆け引きなんて微塵も考慮されていない。
このあたりが、ヴロス隊長が頭を抱える原因なんだろうな――とは思ったものの、私が口を挟めるものでもないので、乾いた笑いだけを返してしまった。
「確かに敷地は広いが、正門からの馬車使用は普段から高位貴族の登城という点でも認められているし、各棟の間を行き来するための、官吏や使用人の移動用の乗り合い馬車もある。そもそも無理をして結界破りをする必要もない」
最初からそこだけを言えばいいのに、と思ったものの、多分それがレシェートの為人なんだろう。
なるほどそう言われてみれば、辺境伯領から王宮に着いて出頭した時は、馬車で正門から王宮内の馬留めまで移動したなと思い出す。
あらかじめ申請さえしておけば、魔法師団の人間であれば部屋から直接「飛ぶ」ことも出来るらしいけど、手続きがそれなりに煩雑らしい。
「一台でもその辺を走っていれば便乗してもいいが、探すのも待ってるのも、まどろっこしい。馬留めに行って馬車がいなければ、そのまま馬だけ借りて走らせるさ」
「……馬」
「乗ったことがあろうが、なかろうが問題ない。今回は俺と乗れば済む話だ」
私の表情の変化を乗馬への不安と思ったらしいレシェートが、斜め上からの太鼓判を押す。
確かに私は、馬に乗らなくても空を飛べば済む話だったから、乗馬の経験はない。
けれど未婚の男女が馬に二人乗りですか……? というそもそもの疑問は、レシェートの頭の中にはカケラもないようだった。
「学院まで馬を走らせてもいいんだが……それもそれで、馬を返すのが面倒だ。門番に引き渡しておけば馬留めまで返しておいてくれるから、今回は王宮内だけの移動だな。そこから飛べばいい」
「その……それでもものすごく目立ちませんか……?」
既に充分目立っていると言われればそれまでなのだけど、聞かずにはいられない。
ただ、問われたレシェートは、心底不思議そうに首を傾げていた。
「うん? あの妖鳥の咆哮は皆が気付いているはずだ。そこへ魔法師団先遣討伐隊の俺が走り抜けて行っても、大して不審には思われないはずだがな」
そういうことじゃない。
どう考えても、魔法師団内でも屈指の実力者たるレシェートと一緒にいることで、悪目立ちする。
そう言いたかったのに、レシェート自身は気にもしていないようだった。
「いいじゃないか。そこから妖鳥を抑え込めば名が上がるし、オレの嫁アピールもバッチリ出来るしな!」
「そっちですか⁉」
あまりの緊張感のなさに声を上げてしまう。
妖鳥に対する怯えとか、そういうのはないかと不安になるほどだ。
「だいたい魔法学院に置いてきた妖鳥が暴れているのは、もちろんちょっかいをかけたバカがいるのが一番の原因だが、目を覚ましたところに幼鳥がいないのも多少は影響しているだろうしな。連れて行けば少しは落ち着くだろうよ」
「そ、そういうものですか……?」
逆に連れて行った幼鳥を見て「早く幼鳥を返せ!」と暴れたりしないのだろうか。
もはやさっきから、私の表情は百面相だ。
今度は不安げになった私の表情を読んだのだろう。レシェートは「大丈夫、大丈夫」と片手を振った。
「魔獣は人間よりも空気――違うな、相手の能力をちゃんと読む。強ければ強いほどだ。学園のクソガキどもはともかく、俺たちが行けば幼鳥を取り返そうにも無事には済まないことは理解する。まあ、怒っているだろうから威嚇くらいはしてくるだろうが、想定の範囲内だ」
ベヒモスといい妖鳥といい、どうやらレシェートの中では自分よりも下に位置付けられているらしい。
あっさりとそんなことを言いながら半歩先を歩いていた。
その「怒っている」が問題なんじゃないかと思うのは、どうやら私だけのようだった。
「あのクソガキもその取り巻きも、せいぜいしばらく怒っている妖鳥に怯えていればいいのさ。多少学園の施設やら備品やらが壊れたところで、王弟殿下サマが何とでもなさるだろうよ」
はっはっはー、という笑い声が聞こえたのも、きっと気のせいじゃない。
(レシェートさん、クソガキ「ども」が単数になってます)
しかも「王弟殿下」とまでバッチリ口にしているし、殿下様などという言い方からして、敬意がどこか遠くに放り投げられている。
王族の方々に謁見したことのない私でも、それでいいのかと思ったくらいなのだから、ヴロス隊長や魔法省の長官が聞けば盛大にこめかみを痙攣らせそうな気がする。
(すみません、聞かなかったことにします)
処罰されるかも知れないサルミン辺境伯家関係者としては、わざわざ自分から罪を重くしたいわけじゃない。
「さて、幼鳥回収して行くか!」
そうしているうちに、魔法師団の先遣討伐隊の部屋に辿り着き、レシェートがノックもなく扉を開けたところで「遅い!」という声が中から聞こえてきた。
「幼鳥がカゴの中で飛び回ってるぞ! 妖鳥がガチ切れて王宮に突撃してくる前にさっさとコレ持って宥めてこいよ!!」
レシェートは魔法師団先遣討伐隊の副隊長だ。とはいえ年齢的には下から数えた方が早いらしい。
実力と年齢が釣り合わない部隊ではあるので、隊長以外の間ではタメ口がほとんどなのだと、ヴロス隊長も言っていた。
だからレシェート自身も、そこには反応しなかった。
「苦情は教会に言えよ! さっさと婚姻を認めないのが悪い!」
いや、普通は認めないだろう――とどこからか聞こえた声を無視するように、レシェートは隊員の一人から鳥カゴを奪い取る。
「ああ、オレじゃ不安かもな」
鳥カゴを手にしたレシェートは、中の幼鳥を一瞥すると、それを不意に私の手に持たせた。
「落ち着かせてやってくれ。このまま学院に近付いても、妖鳥だって落ち着きやしない」
「あ、そ、そうですね……?」
王族への態度より、妖鳥と幼鳥への態度の方が余程丁寧だ。
私はその落差に戸惑ったまま、鳥カゴをそっと受け取ったのだった。




