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「まあいい。乗り込むぞ」
「えー。あたしはここから」
私は思いっきり旅娘を幽霊船に向けて投げた。
さすがは世界を恐怖に叩き落とした賊の頭目だ。悲鳴ひとつ上げずにまっすぐに船に飛び込んだ。それも途中でくるりと身を捻り速度と位置を調整し、甲板の上に着地するとつーと滑りながらミイラになっている亡霊船員から曲げ短刀を奪う。
それからは残念ながら私には何をしたのか分からない。瞬きの間にミイラ3体が上半身と下半身で切り分けられていた。
「 たんだ。さようなら」
旅娘が何かを言った。前半は何を言っていたのかわからなかったが、少しだけ哀愁のこもった笑みが、ひどく目に着いた。
私は着地する直前に運動エネルギーと、自重のほとんどをポケットの中にしまい込んで何の衝撃もなくその場にとんと降り立った。
「すごー! ねーさん実は鳥なのかい? 空も飛べるし、あんな高い所から落ちてきたのになんともない!?」
目を輝かせて驚く旅娘だが、その手は自動的に迫りくる亡霊の1体を真っ二つに切り捨てていた。こいつも相当な使い手だが。
「あんた魔女だろ? なんでそんな剣が上手いんだ?」
私は腰の小物入れから秘密道具を取り出して構えた。
この世界の科学技術や金属加工技術はそれほど高くはないが、マスケット銃やりゅう弾を込めたカノン砲を作れるくらいには高い。
私の秘密道具のひとつ。6連装の回転弾倉式けん銃は、火薬を使わない優れた物だ。
弾倉に込められているのは銃身内径と同じ太さの杭。火薬や雷管なんてものは一切ない。引き金に連動した撃鉄が落ち、杭の尻を叩くとポケットにしまっておいた加速度を付随するだけ。それで装填された杭は音速を超えて銃口から射出される。火薬を使わないから汚れないし整備の手間がない。私以外誰も使えないから、奪われて形勢逆転する恐れがない。
あと手のひらに収まる小さな本体は、敵から警戒心を消し去ってしまう。まあ、相手が人間の時だけだが。
「上手くないよ。ただ、絶対に殺すって意思があるだけ」
旅娘はそう言うと、曲げ短刀を逆手に持ち替え飛びかかってきた亡霊をいなし、ひらりと身を捻り躱す。すれ違い様に首をさくっと切り落としていた。短刀で首を落とすなんて、生半可な技術ではないのだが。
まあ、いい。こいつの事ばかり見ていると、私が死ぬ。
私は手に持ったけん銃をまず1発撃った。そこそこ強めに、音速の1・3倍くらいの速さに調節して射出。通常の銃弾の比較にならない重量弾である。直撃の衝撃は生半可ではない。
まず1体の心臓に大穴を開け、その後ろにいた2体目まで貫通。威力が適度に落ちたせいで着弾の衝撃で2体目の体はばらばらに砕け散った。
本来はこの程度では、死者の船員は倒せない。
しかし今回は別だ。
「ふー」
旅娘が中指と親指の先をこすり合わせながら、そこに息を吹きかけていた。すると指先から煙が漂いだして、うごめく死体に纏わりつく。
その瞬間死体たちは身もだえ、急激に朽ち果て灰になっていた。
あたしが消すから大丈夫。とは言っていたが、こういう事か。
「あと18人だったかな」
言って、旅娘は制帽をぽいと投げ捨てた。ついでに上着の前も開けた。
「さぁ、早く出てこないと、部下全員を切り捨ててやるぞ! あおたん小僧」
ひゅんと空を切る音。そして袈裟にばっさりと切り倒される死体。その死体を軽く蹴飛ばして宙に浮かせると、さらに縦に切って分断する。
「それともまた怯えて逃げ出すか? あれは、そうだ、ソマリ半島沖だったか? 武装商船団に怯えて、隊列を崩したのは!?」
けらけら笑う彼女。
その言葉に艦橋の戸が勢いよく開いた。
「いちいち昔の話をする女だ! それほど過去の栄光に縋りたいのか?」
「やっとお出ましか。それは過去に名誉のひとつもないお前の妬みか?」
艦橋から出て来たのは、部下を引き連れたあの男。日よけのコートに、つば広の旅人帽。ゆったりしたズボンとシャツ。
どこかで見た格好だなと思ったら、普段の旅娘の装いに似ている。そういえば伝説のメアリ・アン・リードリはコートと帽子を身に着けた姿で描かれる事が多い。というか半ば彼女の代名詞だ。旅人のする格好だが、不吉だからこそ身の安全のためにあえて旅人はそういう恰好をするというのを昔どこかの行商《依頼主》から聞いことがある。
にらみ合う双方。私は周囲を見渡し、近付いてこようとする死体の船員を撃った。
「おい貴様!!」