はじまりの違和感
桜が舞い、厳かな音楽が講堂に満ちていた──入学式という晴れやかな場にふさわしい演出のはずが、私の胸の中には別の問題が渦巻いていた。
薫ちゃんは、過保護な兄弟たちに「絶対安静」を言い渡されたとのことで、本日は欠席。
つまり、私は一人きりでの登校となった。
けれど、これは“シナリオ通り”の展開。むしろ、歓迎すべき事態だ。
ゲームの物語上、紅野エリカは時間よりも早く登校し、校門前で白川蓮に出会う。
そしてその出会いがきっかけとなり、彼の影響で保健委員に立候補する流れになる。
だから、私もそのシーンをなぞるように、早めに家を出た。
校門へと続く道、春の朝日が眩しい坂道で信号待ちをしていた時、不意に声をかけられた。
「紅野さん?」
振り向くと、そこには黒縁眼鏡に漆黒の髪、白川蓮が立っていた。
朝日を受けて彼の髪には天使の輪のような光が浮かび、完璧な造形の横顔が静かに微笑んでいた。
「れ、先生!……おはようございます!」
危うく「蓮さん」と呼びそうになったが、なんとか取り繕った。
…癖とは恐ろしい、気を付けないと!
笑顔で「おはようございます」と返されただけで、もう頭がふらつく。
──やばい、尊い。これが推しキャラと登校するイベント……。
しばらくの間、蓮と並んで歩ける。もしかすると会話次第で好感度も上がるかもしれない。
一番最初に回収できるスチルと全く一緒のの場面、そして笑顔を横目で見て、私はひとり内心で悶絶していた。
(……ああ、蓮さん、最高……このゲーム世界、ほんと神……)
──と、ふわふわしていた思考が一瞬、現実に引き戻される。
「ゲーム」という言葉が脳裏をよぎったからだ。
「そういえば、薫ちゃんの様子なんですが……昨日から大丈夫そうでしたか?」
我に返りながらも、話を振ってみると、蓮の瞳がほんの僅かに細まった。
「うん、熱は下がったよ」
「日頃の疲れでしょうか……」
「そうかもしれない。これからは、同じ学校にいることだし。きちんと、体調を見てやらないとね」
柔らかな言葉の中に、どこか他人事ではない責任感が滲んでいた。
そして──次の瞬間、蓮はふと立ち止まった。
私も慌てて足を止め、彼を見上げる。
「……紅野さん。僕と薫は、学校では“他人”ということになっている。それは、君も理解していたと思っていたけど」
──淡々と告げられたその言葉は、思いのほか冷たく、突き放すような響きを持っていた。
「……はい。すみません」
(こんな塩対応……シナリオにはなかったはず……)
蓮はそれ以上言葉を交わすことなく、「じゃあ、僕はこっちだから」と裏門へと足を向けていった。
残された私は、胸に小さな穴が空いたような気持ちで立ち尽くしていた。
校舎へ入ると、生徒はまだまばら。朝のあいさつも上の空で交わし、自席──窓際の一番後ろの席に腰を下ろす。
机に頬杖をついたところで、薫ちゃんからメッセージが届いた。
内容は、保健委員会の件についての確認だった。
(……大丈夫、予定通り進める)
スタンプで返信を送ってから、私は目を閉じて仮眠を取ることにした。
まだ大丈夫。こんなのミスのうちになんかはいらない。
懐かしいチャイムの音に目を覚ますと、教室には徐々に生徒が増え、和やかな空気が流れていた。
今日はレクリエーション中心の一日。
初日らしい穏やかなムードの中、私は「しっかり者のエリカちゃん」というキャラに徹していた。
そして、昼過ぎ。待ちに待った「委員会決め」の時間がやってきた。
担任の若林先生が朗らかな声で言う。
「各自、興味のある委員会を選んでください。空欄のままだと、こちらで割り振りますよ〜」
私は迷わず、保健委員会に手を挙げた。
理由はもちろん、白川蓮との接点を増やすため。
薫ちゃんも保健委員会になるように根回しをしていると報告を受けている。
私の予想に反して、保健委員の倍率はそれほどでもなかった。
仕事量が多いと噂されているせいか、敬遠されがちなポジションらしい。
私は少し安堵しながら、選ばれたもう一人──田中くんという、物静かそうな男子生徒と簡単に挨拶を交わした。
放課後、保健委員会の初回集会が講堂で開かれた。
「こんにちは。保険医の白川蓮です。よろしくお願いします」
現れた蓮は、清潔感のある白衣姿だった。
ステンドグラスから差し込む光が彼の姿を神々しく浮かび上がらせていた。
つまり、白衣の天使ってこと。
「じゃあ、1年A組から順に自己紹介をおねがいします」
蓮さんからの指示により、1年A組の生徒が立ち上がり、自己紹介が始まった。
「1年A組、宮島守です。もう一名は本日はお休みしている灰葉さんです。よろしくお願いします」
パチパチと拍手が起こり、直ぐに収まった。
田中君に目配せして、私から自己紹介を行うため立ち上がった。
紅野エリカならきっとそうした筈だ。
「1年B組、紅野エリカです。よろしくお願いします」
蓮さんは私の方を見て、微笑みながら拍手を送ってくれた。
その笑顔にどこか作り物めいた硬さが見えたのは、気のせいだったのだろうか。
会議は淡々と進行し、仕事の分担や保健だよりの担当が決められたところで解散となった。
***
その日の夕方、私は薫ちゃんの家を訪れた。
玄関先でインターホンを押すと、彼女が出てきて、少しだけ笑顔を見せてくれた。
「エリカちゃん、わざわざありがとう」
「ううん、大丈夫。これ、委員会の資料」
薫の様子に安心しつつ、紅茶をいただいて談笑していると──
「ただいま」
玄関のドアが勢いよく開いたかと思えば、颯真くんがずかずかと入ってきた。
紅茶が気管に入ってむせた私の背中を、薫ちゃんがそっと叩いてくれる。
「薫ちゃん、大丈夫だった!?」
颯真は真っ直ぐに彼女のもとへ駆け寄り、優しく覗き込む。が、私に気づくと──
「こんにちは、紅野エリカさん」
礼儀正しい声に、私はなんとか返す。
「え、あ、はい。初めまして」
──だが、その瞬間。
「はじめまして・・・?姉さんあまり無理しないでね。じゃあ僕は部屋にいるから」
冷え切った声で一言。視線は鋭く、感情の見えないものだった。
「姉さんに迷惑、かけないでくださいね」
去っていく背中に、私は声も出せなかった。
「……颯真とエリカちゃんは、初対面じゃないよ」
薫の一言に、全身が凍る。
(……そうだ。忘れてた。彼とは“面識がある設定”だった……!)
薫ちゃんが「あとでフォローしておくね」とは言ってくれたが、かなりのマイナスからのスタートだ。
気を取り直して、今日起きた、登校イベント時の蓮さんとのイベントと保健委員会の共有している
──丁度その時、メッセージを告げる着信音がスマホからなった。
丁度その時、明日からの昼食はウィリアムと薫ちゃんと私で食べないかと、メッセージがウィリアムからきた。
現金なことに、先ほどの失敗のことは直ぐに頭から抜け、ウィリアムとの食事に心を躍らせた。
明日は薫ちゃんも一緒にいてくれるからきっと大丈夫だ。
そして、薫ちゃんにではなく、私にメッセージをしてくれたことにほんの少し優越を感じた。
玄関まで薫ちゃんに見送られたが、残念ながら颯真君は顔を出してはくれなかった。
まあ、まだ初日なので何とかなると、自分を奮い立たせて私は帰路についた。