幼馴染の人気配信者に、俺は捨てられた
「はい、今日も来てくれてありがとー! チャンネル登録と高評価、通知オンもよろしくね! それじゃ、また明日の配信で会おうね!」
画面の中で、朝倉莉央が笑った。
甘い声。少しだけ上目遣いの角度。最後に右手を振るタイミングまで、今日も完璧だった。
配信画面が暗転する。
同時に、俺は手元のノートパソコンで配信終了処理を済ませた。
コメント欄のログ保存。
スパムアカウントの確認。
切り抜き候補のタイムスタンプ整理。
企業案件部分の音声チェック。
ついでに、明日の配信タイトル案を三つ、下書きフォルダに放り込む。
ここまでやって、ようやく息を吐いた。
「おつかれ、莉央」
俺がそう言うと、莉央は配信用の笑顔を消して、椅子の背もたれに体を預けた。
「んー。疲れたぁ」
さっきまで五万人の同接相手に元気いっぱい手を振っていたとは思えない声だった。
けれど、俺にとっては見慣れた姿だ。
朝倉莉央。
俺の幼馴染で、クラスメイトで、そしてチャンネル登録者50万人を超える人気配信者。
配信チャンネル「RioLive」の顔。
そして俺は、その裏方だった。
企画を考えるのも俺。
台本を書くのも俺。
サムネを作るのも俺。
配信中に荒れそうなコメントを処理するのも俺。
切り抜きのタイトルを考えて、SNSに投稿する時間を決めて、企業案件のメールを返すのも俺。
もちろん、配信画面に俺の名前が出ることはない。
リスナーが褒めるのは莉央だ。
「今日の莉央ちゃん神回だった!」
「トークうますぎ」
「サムネ可愛かった!」
「切り抜き助かる!」
そういうコメントを見るたびに、莉央は嬉しそうに笑う。
俺も、それでよかった。
幼馴染が夢を叶えていくのを見るのは、悪くなかったから。
少なくとも、少し前までは。
「悠真、今日の反省点まとめた?」
莉央がスマホを見ながら言った。
俺は頷いて、ノートパソコンの画面を向ける。
「案件部分の読み上げで一か所だけ商品名が曖昧だった。あと、後半の雑談で他の配信者の名前を出したところ、切り抜かれると少し面倒かも。そこは俺の方で切り抜き候補から外しておく」
「ふーん」
莉央は画面を一瞬だけ見て、すぐに興味をなくしたようにスマホへ視線を戻した。
前は違った。
配信が終わったあと、莉央は必ず俺の横に来て、反省点を一緒に確認していた。
「ここ、私どうだった?」
「次はこうした方がいいかな?」
「悠真の台本、やっぱり話しやすいね」
そんなふうに、笑っていた。
けれど登録者が10万人を超え、30万人を超え、そして50万人を超えた頃から、莉央は少しずつ変わっていった。
俺を見る時間が減った。
俺の話を聞く時間が減った。
代わりに増えたのは、配信者仲間との通話と、数字の話と、バズるかどうかだけの会議だった。
「莉央さん、今日の配信めちゃくちゃ良かったっすよ」
後ろから軽い声がした。
神谷レンだ。
最近、莉央の周りにいるようになった男子で、自分も動画投稿をしているらしい。
登録者はまだ多くないが、口だけはやたらとうまい。
今日も配信部屋の隅で、足を組みながらスマホをいじっていた。
「やっぱ莉央さんは素材が強いんすよ。もっと攻めた方がいいですって。今の路線、ちょっと優等生すぎるんで」
「そうかな?」
莉央がまんざらでもなさそうに笑う。
俺は眉をひそめた。
「攻めるって、具体的には?」
神谷が待ってましたと言わんばかりに身を乗り出す。
「たとえば暴露系とか。あと、最近流行ってるドッキリ。リスナー煽って、反応見るやつとか。多少荒れても数字取れれば勝ちなんで」
「それはやめた方がいい」
俺は即答した。
莉央の視線が、ようやく俺に向いた。
少しだけ面倒くさそうな目だった。
「なんで?」
「RioLiveの強みは、安心して見られる空気だ。莉央の明るさとか、リスナーとの距離感とか、そういうので伸びてきた。炎上狙いに寄せると、一時的に数字は出ても、案件先と既存リスナーが離れる」
「でもさ」
莉央が唇を尖らせる。
「最近、伸びが鈍ってるじゃん」
「50万人まで来たら、伸びが緩やかになるのは普通だ。焦って変なことをするより、今は企画の質を上げた方がいい」
「それが古いんすよ」
神谷が笑った。
軽い笑い方だった。
俺の積み上げてきたものを、上から踏むみたいな笑い方。
「今は質より話題性っす。炎上ギリギリを攻めて、切り抜きで広げる。悠真くんのやり方って、悪くはないけど、守りすぎなんですよね」
俺は神谷を見た。
「守るのは悪いことじゃない。莉央のチャンネルは、莉央だけのものじゃない。リスナーも、案件先も、手伝ってくれる人も関わってる」
「でも表に立ってるのは莉央さんですよね?」
神谷は肩をすくめる。
「裏方が主役みたいな顔するの、違うと思いますよ」
部屋の空気が、少しだけ冷えた。
俺は莉央を見た。
否定してくれると思った。
さすがに、それは違うと言ってくれると思った。
だって俺たちは幼馴染で。
最初の登録者が三人しかいなかった頃から、一緒にやってきたのだから。
けれど莉央は、俺から目をそらした。
「……悠真ってさ」
莉央はスマホを机に置いて、ため息をついた。
「もう裏方として古いんだよね」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
聞こえているのに、意味が頭に入ってこなかった。
「古い?」
「うん。ちゃんとしてるのは分かるよ。でも、ちゃんとしてるだけじゃ伸びないじゃん。レンくんの言う通り、もっとバズることしないと」
「その結果、炎上したら?」
「炎上炎上って、悠真はそればっかり」
莉央の声に苛立ちが混じる。
「私、もう50万人なんだよ? いつまでも悠真の言う通りに安全運転してたら、置いていかれる」
胸の奥が、ゆっくり沈んでいく。
それでも俺は、感情を押さえて言った。
「莉央を止めたいわけじゃない。ただ、危ない企画は避けた方がいい。特に未成年リスナーを煽るような内容は」
「ほら、また説教」
莉央は笑った。
配信で見せる笑顔とはまるで違う、乾いた笑いだった。
「私のチャンネルなのに、なんで悠真が決めるの?」
その言葉は、思っていたよりずっと深く刺さった。
俺は何も言えなくなる。
神谷が横で、勝ち誇ったように口角を上げた。
莉央は立ち上がり、机の上に置かれていた俺の資料を指で軽く叩いた。
「もういいよ。こういう細かい資料も、正直いらない」
「莉央」
「裏方はもういらない。明日から来なくていいよ」
静かだった。
配信部屋の中は、妙に静かだった。
さっきまで聞こえていたパソコンのファンの音まで、遠くなった気がした。
俺は莉央の顔を見た。
冗談だと言ってほしかった。
言いすぎたと笑ってほしかった。
けれど莉央は、俺を見ていなかった。
スマホを手に取り、誰かから来た通知に目を落としている。
もう話は終わった。
そういう態度だった。
俺はゆっくりとノートパソコンを閉じた。
机の上に置いていた企画資料を、まとめて莉央の方へ押し出す。
「分かった」
自分でも驚くほど、平坦な声だった。
莉央の眉が少し動いた。
「え?」
「明日から来ない。アカウントの引き継ぎに必要な資料は、共有フォルダに入れてある。案件メールの返信期限は明日の午前中。今週の配信スケジュールは、カレンダーに登録済み。切り抜き候補も今日の分までまとめてある」
口が勝手に動いた。
感情より先に、仕事の引き継ぎをしている。
我ながら、救いようがない。
「あと、来週のコラボ相手には、炎上系の話題を嫌う人がいる。今日レンが言っていた企画をやるなら、先に確認した方がいい」
「いや、そういうのがいらないって言ってるんだけど」
莉央が少し強い声を出した。
俺は頷いた。
「そうだったな」
椅子から立ち上がる。
鞄を肩にかける。
神谷が鼻で笑った。
「お疲れ様っした。まあ、あとは俺らで何とかするんで」
俺は返事をしなかった。
ドアの前で一度だけ振り返る。
莉央は、まだスマホを見ていた。
俺の方を見ていなかった。
それが答えだった。
「じゃあな、莉央」
小さい頃から何度も呼んできた名前が、やけに遠く感じた。
莉央は何も言わない。
俺はそのまま部屋を出た。
廊下に出ると、体から力が抜けそうになった。
でも倒れなかった。
倒れるほどの権利が、自分にあるのか分からなかった。
俺はただ、階段を降りた。
外に出ると、雨が降っていた。
天気予報では晴れだったはずだ。
傘は持っていない。
それでも、引き返す気にはなれなかった。
雨に濡れながら、学校へ向かう道を歩く。
今日は配信のために放課後から莉央の家に寄っていたから、もう校内に残っている生徒は少ない時間だった。
制服の肩に雨が染み込む。
前髪から水が落ちる。
スマホが震えた。
一瞬、莉央からかと思った。
ばかみたいに、期待した。
画面を見る。
通知は、チャンネル管理アプリからだった。
「RioLive」の管理者権限が変更されました。
続けて、もう一つ。
あなたは「RioLive」の管理者から削除されました。
足が止まった。
雨音だけが、やけに大きく聞こえる。
本当に終わったのだと思った。
冗談でも、勢いでも、喧嘩でもない。
俺は捨てられた。
幼馴染に。
ずっと一緒に作ってきたチャンネルから。
俺がいなくても大丈夫だと、そう判断された。
「……そっか」
声に出すと、思ったより情けない響きになった。
笑おうとした。
無理だった。
視界がぼやけたのは、雨のせいだと思うことにした。
校門の前まで来たところで、俺はようやく立ち止まる。
もう帰ろう。
今日は何も考えたくない。
そう思って顔を上げた瞬間だった。
校門の屋根の下に、一人の女子生徒が立っていた。
白瀬雫。
学園一の無口な美少女。
誰ともほとんど話さず、いつも静かに本を読んでいるクラスメイト。
彼女は黒い傘を片手に持ったまま、こちらを見ていた。
濡れた俺を。
何もかも失ったみたいな顔をしている俺を。
白瀬は少しだけ目を細める。
そして、ゆっくりと俺の方へ歩いてきた。
雨音の中で、彼女の声は聞こえなかった。
けれど、その視線だけはなぜかはっきり分かった。
俺を、見ていた。




