39話 血色のセロファン越しに見た世界
「…………。」
返事がない。ここは理科準備室の中。小さな人体模型がタケルの名を叫んだ直後……。
「うおいっ!何だよっ!!せっかく名前呼んでやったってのに!」
元のタケルに近い層のマトリョーシカは、既に赤く色付き、もう殆ど元のタケルの姿は見えなくなってきている。その姿は、まるでタケルを閉じ込めた赤いマトリョーシカのようにも見えた。
マトリョーシカという名前を付けたせいでタケルの無意識がそうさせたのだろうか?
「いや、ワシのせいか……。勿体ぶらずに名前を呼んでやれば……。呼んだとて何が減るわけでもないというのに、何をしてんだワシは……。」
後悔する小さな人体模型。その時……。
「何だ?何か失敗でもしたかぁ?」
声が聞こえる。見ると、床に落ちたホルマリン漬けの殺人鬼の肉片の中で唇が動いている。
「なっ!もう動き出しやがったかっ!!」
「キシシ……。」
床の上で唇が笑う。
「でもおかしいな……。早過ぎねぇか?ま、まさかっ!!」
何かに気づく小さな人体模型。だが、その気付きは、窓の外からの轟音にかき消される。
バオォォォォォォォォオ…………!!
「何だ何だっ!!!!」
慌てて窓から外を覗く小さな人体模型。外が血色のセロファン越しに見た世界のように赤い。それは、この部屋自体もマトリョーシカに取り込まれている証拠だった。声のした上空を見上げる。
「なっ!!」
そこに見えたのは、超巨大なヒトガタ。何故か両目を両手で覆っている。
「ま、まさかアレがタケルのマトリョーシカかっ!!それに、ムコウのは何だ?」
血色のセロファンによって、眩しかった外の光が少し和らげられている。
窓越しに理科準備室を照らしていた、月にしては明る過ぎると感じていた光源の輪郭が、薄っすらと確認出来た。
その姿は、なんと……。
「……空を飛ぶ、焼却炉?」
小さな人体模型は言った。それはまごう事なき焼却炉。謎の焼却炉は、セロファン越しでもその眩しさがわかる。そしてジリジリと肌を焦がす真夏の太陽よりも熱を発していた。それは、まるで内部で地獄の業火を煌煌と燃やしているようだった……。
「あの得体の知れないヤツまで襲って来たら……。こ、これはワシにとってもかなり危険な状況だぞ!まずは何としてもアイツを呼び戻さなきゃならねぇ。おい、もう勿体ぶったりしねぇからよ!戻って来るまで何度でも呼んでやるからっ!!戻って来てくれよ、タケル……」
小さな人体模型はありったけの願いを込めて叫んだ。
「タケルーーーーーーーーッ!!!!」
『…………え?』
時を同じくして、暗闇の中でタケルは反応する。
「どうしたんだいタケル?」
中性的な声がタケルの変化に気づき声をかける。
『いや、何か聞こえたような……?』
「……僕には何も聞こえないよ。」
中性的な声の主は思う。
マトリョーシカの聴力だってまだ未完成なんだ。タケルに聞こえるのは僕の声だけのはず……。
『そんな訳ないよ。君とは違う声だ。しかも聞いた事がある声……』
「!!」
中性的な声の主は驚く。
「僕の心を読んだ?まさか、マトリョーシカは僕にまで影響を……!?」
タケルは、その中性的な声の言葉は気にも留めずに、聞いた事のある声に耳をすます。
「……ケル……タケル……タケルタケルタケルタケルタケルタケルーーーーーーッ!!」
『間違いないっ!誰かが俺を呼んでるっ!この声は…………』
タケルは、迷いの晴れた顔を見せ、こう叫んだ。
「ジンタンッ!!そうだっ、この声はジンタンの声っ!ジンタンが俺を呼んでるっ!!俺は戻らなきゃいけねーんだっ!!ジンタンの待つ理科準備室にっ!!!!」
その瞬間、タケルの意識は、外側のマトリョーシカから中心にいる元のタケルへと戻る。
「……何だこれ?体が重い……。何かが俺にまとわりついてる感じだ……。」
ほんの少し向こう側が透けて見える。
「タケルッ!タケルかっ?戻ったのか?」
向こう側から声がする。小さな人体模型の声だ。
「あ、ああ。でも、何かに閉じ込められてるみたいだっ!!」
タケルは答える。
「ああ。それはマトリョーシカだ!お前はマトリョーシカの中にいるんだよっ!!」
「えっ?えーーーーーーっ!!」
トラウマの中に囚われていると聞かされパニックになるタケル。手汗が大量に湧き出てくる。呼吸が上手く出来ない……。
「……そ、そうだ!自分の姿を思い出せば良いって花子が…………あーっ!駄目だ!自分の姿を思い出せないっ!!俺ってどんなだっけ??」
慌て過ぎて意味のわからない事を言い続けるタケルに、小さな人体模型は叫ぶ。
「花子とか言う女都市伝説が言ってたぜ!鏡だタケル!お前の手の中にあんだろ?鏡のキーホルダーッ!そいつを見るんだよっ!!」
ハァハァ……
苦しみながらも小さな人体模型の言った手の中に意識を向ける。鏡のキーホルダーの感触がある。
「あった!」
タケルは、鏡のキーホルダーが握られた腕を動かす。腕が重い。スライムの中で体を動かすような感覚だった。そんな状況になったことはないが……。
何とか顔の近くまで鏡のキーホルダーを運ぶタケル。そして、タケルは鏡のキーホルダーを覗き込んだ。そこに映る自分の姿を見た。
「……俺だ。」
タケルが自分の姿を思い出した瞬間、消えていくマトリョーシカ。
「ハァハァ……。た、助かった……。」
しかし、安心するのも束の間。
「……早速だが、休憩させる訳にはいかねーんだ、タケル!」
小さな人体模型がタケルの前に姿を見せる。
「おーっ!ジンタンッ!やっぱそっちの姿のがしっくりくるわぁ!」
「やっぱりこの姿も知ってたか。っと、そんな事は良いんだよっ!タケル、ヤツ……ホルマリン漬けの殺人鬼の脳を探せっ!」
小さな人体模型……ジンタンは、タケルに向かって叫んだ!!




