37話 内臓が1つ足りんだろ?
「キシシシシシィ!」
ゲラゲラゲラゲラ……
ひっくり返って首の切断面をこちらに向け、8本の脚をワシワシさせながら理科準備室の床を転げ回るホルマリン漬けの殺人鬼の首。
首以外の肉片達は、殆どが動く人体模型の喉の中。あぶれた肉片達も動く人体模型の上半身に集中して食らいついている。
「ヴッ……アフッ……ウググ…………。」
動く人体模型は苦しそうに喉を掻きむしる。外側に張り付いていた肉片は落ちるが、もちろん咽喉内に入り込んだ肉片はどうやっても取り除くことは出来ない。
「キシッ!誰を呼ぶつもりだったぁ?あ、喋れねぇか!キシシシシッ!」
少し離れた所で、8本の脚で立ち上がり、下卑た笑いを浮かべるホルマリン漬けの殺人鬼の首。
掻きむしっていた動く人体模型の手は、少しづつ力を失っていく……。
そして、遂に両手がダランと下がる。目から光が失われ、木に色を塗っただけの目に変わる。
「……キシ、取り込んでやったぜぇ。」
ホルマリン漬けの殺人鬼の首はそう言うと、
8本の脚でワシワシと蜘蛛のように素早く床を駆け、動く人体模型だった木製の人体模型へ飛び掛かる。
すると、突然、木製の人体模型の口からヌッと右腕が伸び上がり、申し合わせたように、その首を掴む。
そいつは、右手に首を掴んだまま、ズルズルと人体模型の口を抜け、上半身まで姿を現す。その上半身には首がない。
……首のない男。つまり、ホルマリン漬けの殺人鬼の体だった。
何故か服を着ていない。が、後に出て来た左手には、フード付きの黒いスウェットのジャージの上が握られていた。
「……キシシ。動く人体模型だっけ?お前のお陰でどんどん回復していくよぉ!」
右手に掴まれたホルマリン漬けの殺人鬼の首は言った。人体模型の喉からあぶれた肉片達も合流していく。
ガラガラン……
木製の人体模型が倒れ、内臓がばら撒かれる。
ホルマリン漬けの殺人鬼の体は、既に殆どが木製の人体模型から出て来ている。上半身は裸だったが、下半身は残念な事に、しっかりとジャージを履いていた。最後にズルリと左足首を木製の人体模型の喉から抜く……。
「キシシシシシッ!こぉれで完全復活だぁっ!!」
ホルマリン漬けの殺人鬼の首がそう叫ぶと、それを掴んだ右腕は、首のない体の右肩と左肩を繋ぐラインの丁度中心、体の頂点に首を置いた。
首の繋ぎ目がみるみる消えていく。
更に、蜘蛛の脚に変化していた髪の毛が解かれ、長髪が顔を隠す。隠すが、髪の向こうで大きく真っ赤な口がニィと三日月のような形に歪んでいるのはわかった。
その時……。
「キシシ……」
笑い声が聞こえる。それは、ホルマリン漬けの殺人鬼が発したものではない。
明らかにホルマリン漬けの殺人鬼を挑発するために誰かが真似たものだった。
「誰だっ!妙な笑い声を上げやがったのはぁっ!!」
叫ぶホルマリン漬けの殺人鬼。自分の独特の笑い声には、気づいていないのだろうか?
そんな事は今は置いといて、笑い声は一回では止まらない。理科準備室のあらゆる所からキシシ……キシシ……と聞こえて来る。どうやら笑い声の主は、理科準備室内を素早く移動しているようだった。
ホルマリン漬けの殺人鬼は辺りを見回す。
床に気絶する一年前のタケルも、マトリョーシカを発動し動かなくなったタケルも、彼の目には何故か映っていない。
「誰だよぉっ!どこにいやがる!?」
すると……。
「ワシはここだよぉ……。」
突然の後ろからの声。慌てて声のした方を振り返るホルマリン漬けの殺人鬼。
「うわぁっ!!」
そこには、床に倒れていた筈の木製の人体模型が立てられ、置かれている。もちろん内臓も所定の位置へ戻されていた。
……ただ一つを除いては…………。
だが、ホルマリン漬けの殺人鬼は、内臓の数など全く気にしていない。
「え?まさかお前、まだ生きて……?」
ホルマリン漬けの殺人鬼は木製の人体模型を凝視する。が、その目に光はなく、既に都市伝説ではなくなった抜け殻にしか見えない。動く気配など微塵もない……。
「……な訳ないよなぁ。俺が取り込んだんだからよぉ……。」
ホルマリン漬けの殺人鬼は言った。
しかし、今度はまた別の場所から声がする。
「……思い込みってぇのは凄いなぁ。回復したと思い込んでんだからよぉ……。」
「誰だぁっ!なぁにを言ってるぅ!!」
再び声のした辺りを探すホルマリン漬けの殺人鬼。
「お前は目が良く見えちゃあいねぇのよ……。なぁ、そうだろ?」
「どこだ?どこから言ってやがるんだぁっ!」
「そんなこたぁどうでも良いんだよ。ほら、目だ。考えれば気づくだろ?違和感によぉっ!!」
さらに執拗に辺りを探すホルマリン漬けの殺人鬼。
しかし、言われてみれば見えにくい。辺りは暗いし、見える色もさっきより失われつつあるような気がする……。
「え?あれ?」
目を擦るホルマリン漬けの殺人鬼。すると、
ボロ……ボトンッ……
頬の肉が落ちた。肉片は床の上で、水から揚げられた魚のようにビチビチとのたうつと、しばらくして生き絶えたように止まる……。
「なんだぁ?ど、どういうことだぁ!?」
驚くホルマリン漬けの殺人鬼。すると、
「簡単な事だ。お前はワシを取り込んでなどいないのよう!あーあ。アイツならすぐにわかったんだろうがなぁ……。」
という事は、声の主は、やっぱり動く人体模型……?
「アイツ?それって……?」
そう言って再び辺りを探し回るホルマリン漬けの殺人鬼。
「……どこだ?どこに消えたぁ!?あの、タケルとか言う人間のガキはぁっ!!」
叫ぶホルマリン漬けの殺人鬼。しかし、気絶している一年前のタケルも、マトリョーシカを発動し、先程から動かないタケルも、ホルマリン漬けの殺人鬼から程遠くない場所に存在している。が、ホルマリン漬けの殺人鬼には見えていないようなのだ。
それは一体どういうことなのか?
再び声が聞こえる。
今度は、ホルマリン漬けの殺人鬼の首筋あたりから……。
「……気安く名前を呼ぶな。」
「うわぁっ!」
慌てて首筋の辺りを払う。
その払う手を避けつつ空中で回転し、理科準備室の床に着地した小さき者がいた。
「……その名前は、今から神であるこのワシが、特別に呼んでやる人間の名前なんだ!」
小さき者が言う。それはまるでフィギュアのような……小さな人体模型の姿をしていた。
「お前、小さいが、動く人体模型なのか……?」
ホルマリン漬けの殺人鬼は言った。
どうやら彼の事は見えているようだ。
「……ワシは見えているようだな。しかし、それは目の機能じゃあない。都市伝説の気配を察知して、お前の脳がさも見えているように錯覚させてるだけよう!その証拠に人間は見えてねぇ。」
「!!」
「なぁに言ってやがる…………ん?」
そう言って、ホルマリン漬けの殺人鬼は自身の体の異変に気づく。
「な、なんだぁ?か、体がぁ……」
すると、ホルマリン漬けの殺人鬼の上半身に無数の傷が現れ、そこからバラバラと崩れていく……。
小さな人体模型が口を開く。
「当たり前よう!貴様はワシを取り込んではおらんからなぁ。貴様が取り込んだのはワシが抜けた、ただの抜け殻。つまりは、貴様にワシの負のエネルギーは供給されとらんと言う事よぅ!!」
「ど、どういうことだ……?」
崩れつつも、まだかろうじて人の姿を残しているホルマリン漬けの殺人鬼は言った。
「お前は気付かんかったようだが、あの木製の人体模型、内臓が1つ足りんだろ?」
小さな人体模型は答え、更に質問する。ホルマリン漬けの殺人鬼は、木製の人体模型を見ると、
「は?そ、そんなのわかんねぇぞぉ……?」
と言った。小さな人体模型は呆れた顔で告げる。
「……胃だよ。ワシの正体はあの木製の人体模型の胃に取り憑いたツクモガミだっ!あの時、お前に取り込まれそうになったワシは、あの人体模型から本体を切り離したのようっ!!」
小さな人体模型は、一瞬、胃に姿を変え、再び小さな人体模型に戻る。
「キ……シシ……。絶対……わ、かんねぇ…………」
バラバラバラバラ……
ホルマリン漬けの殺人鬼は、ただの無数の肉片へと戻った……。
小さな人体模型は、すかさずマトリョーシカを発動しているタケルに向かって叫ぶ。
「おい、人間っ!!次はお前の番だぞっ!!今からワシが名前を呼んでやるんだぁ!耳の穴かっぽじって良く聞きやがれぇっ!!この殺人鬼が再び動き出す前に、早く戻って来やがれぇタケルゥゥゥゥゥゥッ!!!!」
果たしてその声はタケルに届くのか……!!




