三話 ×しています
翌朝。シェリーと邂逅を果たし、不安だった夜も無事に越す事ができた。シェリーはというと、どうやらスライムの体は睡眠を必要としないらしく、僕の横で寝ずの番をしてくれた。
時折、思い出したように自分の名前を口にしてはプルプルと震えているが、喜んでくれているなら幸いだ。
……まあ、現実で、自分の名前を口に出しながら思い出し笑いをするって、相当気持ち悪い見た目なんだけど。
さて、昨夜は色々と大事なことを優先したために聞くことができなかったが、少し余裕が出来たならもう一つ聞くことがある。
「シェリー、君は人になれるのかな?」
「…………?」
シェリーは質問の意図が分からなかったのか、不思議そうに体を揺らすだけで、回答はしてくれなかった。
「例えば、人の形になる事が出来るとか、吸収した人間の姿をとる事が出来るとか、そういうのはないのかな?」
なぜ僕がこんなことを真面目そうな表情で聞いているのか。もちろん、現実的な問題もある。シェリーが人間になれるなら、この世界における生活がグッと楽になることは間違いないなだろう。しかし、僕の意図は他にある。
女の子だ。それもスライムの。
一部のファンには元より人気があるだろうその単語は、僕にとっても魅力的だ。ぶっちゃけると、だ。
スライム娘。というより、人外娘。人間の女の子は元より、僕はそういうのも大好きだ。それを言うと大抵の人はドン引きして、僕は色々と大事なものを失う事になるが、この世界ではそういうわけではないかもしれない。
ファンタジーの世界だぞ? 魔法まで存在するんだぞ? だったら、モンスター娘の百種類や千種類くらいいたっていいじゃないか!
「……ヤロウトオモエバ……デキル……」
「マジで?!」
思わず身を乗り出す。シェリーは怯えるように体を揺らすと、肯定の返事を返してくれた。
「デモ……ホントハデキナイ……。ヤロウトスルト……マリョク……ツカウ……」
「魔力?」
また知らない単語が出てきた。いや、知ってはいるんだけどさ。
「マリョクハ……セカイジュウニアル……。マホウノミナモト……。イノチノカケラ……」
「ふむふむ。じゃあ、それを使いきるとどうなるの?」
「シヌ」
「物騒だなぁ……」
気絶するとか気だるく感じるという過程を一足飛びにして、死ぬという簡潔かつ明快な回答が帰ってくる。
「デモ……フツウ……ソコマデ……ツカワナイ……。マホウヲツカウトキ……アマッテイルブンカラ……ツカッテイク……」
「ああ、そういうことか」
つまり、この世界において魔力と生命力は非常に密接な関係にあるということだ。そして、普段は余剰分を使って魔法を発動したりするが、それが不足すると足りない分は生命力から天引きされる。だから、魔力を使いきると死ぬということになる。
やり過ぎは禁物というわけだね。
「そっか。もし人間の形をとるなら、どれくらいの間人間のままでいられる?」
「ダイタイ……イチニチクライ……」
割りと長い時間いけるみたいだ。てっきり数分で元に戻るとかそういうのを考えていた。
「ソレイジョウツヅケルナラ……ゴシュジンサマカラ……マリョクヲモラウ……」
「うん? 僕の魔力を?」
シェリーはその質問に短く肯定の意を返す。
「ケイヤクハ……ゴシュジンサマ……ツクルダケジャナイ……。ツカイマハ……ゴシュジンサマガ……キョカシタナラ……マリョク……モラエル……」
「なるほどね」
つまり、僕が許可すればシェリーは僕の魔力を使い放題らしい。しかし、この点には非常に重要な問題がある。
「そもそも僕って魔力あるの?」
僕は異世界の人間だ。この世界における魔力がどのような形で保管されるかは分からないが、地球出身の僕には魔力を貯蔵するのに必要な物が無い可能性がある。
「ダイジョウブ……ケイヤクハ……マホウ……」
「そうだったんだ」
僕の命を繋いでくれたのは魔法だったらしい。瀕死の状況で魔法を使って一命をとりとめた。そういうと聞こえはいいのだが、どうせなら腕が焼かれる前に使いたかった。
「じゃあ、僕にはどれくらいの魔力があるのかな?」
「…………」
「シェリー?」
「……ワカラナイ」
分からないらしい。まあ、なんでも答えてくれるなんて都合のいいようにはいかないようだ。
「デモ、ワタシガ……ニンゲンニナッテモ……モンダイナイクライ……タクサン……」
「そっか。それなら都合がいいや」
「…………?」
シェリーは不思議そうに体を揺らす。
確かに、自分の実力を知るのは大事だが、分からないのなら仕方がない。それに、元はといえばシェリーに人間になってもらうためにこの質問を始めたのだ。使い道なんて、元々一つしかない。
「じゃあ、僕の魔力を使って人間になってくれないかな? 体調が悪くなったり、シェリーがダメだと思ったら止めてもいいから」
「……ワカッタ」
シェリーは少しだけ答えをためらったようだが、僕のお願いを了承してくれる。
自分の中から液状の何かが漏れていく感覚と共に、シェリーが淡い光を放ち始める。
コレが魔力か。
僕が自分の中の魔力を自覚すると共に、シェリーは形を変えていく。その姿は、どこか神々しさを感じさせる。
「これでいい?」
「おお……エクセレント……」
僕の目の前にいたのは同じくらいの年の可愛い女の子だった。というか、あの夜にスライムに飲まれていたあの子が、目の前にいる。
その姿は、思わず母国語ではない言語を使ってしまうほどだ。
髪はブラウン。鮮やかな栗をほうふつとさせるその髪は、一本一本が決め細やかに輝いている。
瞳は琥珀。一目見ただけで太古の宝石を連想させるその瞳は、僕の目を見て離さなかった。
体は色白。女性の体を白魚のように美しいと表現するように、彼女の体は日に焼けた様子はなく、絹の布地を見ているようだ。
顔つきは可愛い。人形のように整った美しさを感じさせながらも、どこか幼さを残すその顔は可愛いと表現するのが最適だった。
服が白いワンピースというのもポイントが高い。あどけない容姿だけでなく、服装からも彼女の雰囲気を醸し出すとはポイントを押さえている。
「ご、ご主人様……?」
「マーベラス……」
再度言おう。
可愛い。
可愛い。
僕の使い魔は可愛い。
何度言うか? 何度だって言ってやろう。僕の使い魔は可愛い。
「じゅるり」
「ご主人様、なんか気持ち悪いよ……?」
「おっと、ごめんごめん」
可愛さが涎になって流れてしまっていたようだ。紳士たるもの自重という言葉を忘れてはいけない。
「それにしても、その姿ならちゃんと喋れるんだね」
「うん。それに、契約の魔法は使い魔と主人の意思疏通を簡単にしてくれるらしいから」
「便利だなぁ……」
とはいえ、この世界においてどれ程の人間が魔物と契約するか分からない。そもそも、一般的には魔物と契約なんてしないかもしれない。
「それで、これからどうするの?」
「うーん、そうだねぇ……」
これから先どうするか。それを決めるにはどうすればよいのか。まずは、必要なものを探すことから始めるのが先決だ。
では、必要な物とはなんだ?
まずは水だ。しかし、シェリーのおかげでこの問題は解決した。魔力が尽きない限りはいくらでも出せるらしいし、その魔力も僕から供給されて、しばらく尽きる心配もないという。水に関しては問題ない。
では、食糧だ。
「この森って、食糧とかは取れるのかな?」
「うん。なんでもあるよ?」
どうやらこの森は食糧が豊富らしい。僕が何も見つけられなかったのは目が悪かったのか、それとも運が悪かったのか。
とにかく、食糧に関しての問題も解決した。
さて、次は衣服だ。と、そういえば先ほどから気になっていたことがある。
「シェリーは最初からその服を着てたよね? なんで?」
「うーん、なんでって言われても……」
彼女にも分からないらしい。
「じゃあ、服は今後必要になるのかな?」
「いらない……と思う。一応、この服も体の一部みたいだから」
服は体の一部ということらしい。まあ、彼女はスライムでもあるんだし、体の一部ということは、服が汚れても吸収出来るということだ。
ちなみに、服が体の一部という話を聞いて、ほんの少しだけ、それって全裸と変わらないんじゃね? などと考えたが、残念ながら僕は衣服に欲情するようなハイレベルな性癖は持っていない。
まあ、可愛い服を着たシェリーになら欲情する自信はありますけど。
食糧、水分、衣服。住むところはもうあるから名前にあげなかったが、これらの要素は衣住食と呼ばれてとても大事にされている。そんなものに類するというくらい大事なものとは一体何なのか。
僕は、それらの中に『知識』というものを付け加えたい。
知識はとても重要だ。先ほどあげた衣住食も、知識がなければ手にいれることすらままならない。
ましてや、僕は異世界の住人。この世界では知っていて当たり前という要素をほとんど知らない。だとすれば、衣住食が備わりつつある今、手にいれるべきは『知識』だ。
「シェリーはいろんなことを知ってるけど、その知識はどこで手にいれたの?」
「んー……ごめんなさい。思い出せない。村のどこかだと思うんだけど」
「いや、いいよ」
彼女が思い出せないということは、彼女自身の。シェリーじゃない頃の記憶に関わっているんだろう。それに、それがどこなのかというのは大方の予測はついてるし。
「今までの質問で分かってると思うんだけどね」
僕は真面目な顔をしてシェリーを見つめる。シェリーも、雰囲気が改まったのを感じたようで、きれいな瞳をじっとこちらに向ける。
「僕はこの世界の住人じゃない」
「はい」
「だから、この世界のことはほとんど知らない。それこそ、赤子同然に無知であると言ってもいいくらいだ」
「うん」
「僕は元いた場所に帰りたいとは思っていない。帰っても面白いとは思えないし、何よりもまだこの世界を楽しみきっていない」
シェリーの表情は変わらない。馬鹿にするわけでも、冗談だと嘲笑うのでもなく、ただ真面目に話を聞いている。
「僕はこの世界で頼れる人がいなかった。死にかけだった時のことを思い出してもらえれば、分かると思うけどね」
「…………」
シェリーは当時のことを思い出したのか、その表情を苦しげに歪める。僕が焼かれたのは左腕だけだ。あの感覚を覚えているからこそ、全身を焼かれる激痛は想像すら出来ない。
「でも、今は君がいる」
「…………」
「この世界での唯一の僕の知人だ。かけがえの無い存在として、頼らせてほしい」
僕は胸の内を吐き出すと、深々と頭を下げる。
「頭を上げてください」
厳しく、鋭い声が降り注ぐ。僕は言葉に従い、頭をあげた。
目の前では、シェリーがスライム状になった手のひらを組み、祈るように胸に手を当てている。
「私は、死ぬはずだった存在です」
涙こそ浮かんでいないものの、彼女の瞳は潤んでいる。もはや人間ではないその体で、泣いている。
「それを、万に一つもあり得ない偶然……奇跡で、ご主人様に命を救ってもらったんです」
シェリーは両目に涙を湛えたまま、僕が見たなかで最も美しい笑顔を浮かべる。
「私は、ご主人様の物です。不気味で気持ち悪い体ではありますが……この気持ちは人間の頃のままだと、そう思っています」
「…………」
「使ってください。体も、心も、私の全てを、あなたの為に」
「……シェリー」
僕は無言でシェリーに近付き、彼女のことを抱き締める。スライムなんかじゃない、女の子としての柔らかさを感じさせる彼女を。
「大事にするね。君を、君の全てを」
「……はい」
「…………」
僕は、軽薄なのかもしれない。自分ではそんなことはないと思っていたけど、この胸の気持ちを伝えずにはいられないんだから。
「シェリー」
「はい……?」
胸のなかで、恐る恐るといった状態で顔をあげるのを感じる。いざ目を見ると、恥ずかしすぎてまともに見つめ返すことができなかった。
僕はもう一度彼女の頭を抱き抱え、震える声で口を開く。
「×してる」
「――ご主人様の、ばかぁ」
胸のなかで、大粒の涙が流れるのを感じた。