妹の話を聞いてくるね、えっちゃん
ニ十分ほど沈黙が続いて。デュークスもエミリッタも、体がソワソワし始めた。
「流石に……行かないとダメかなぁ」
本音で言えば、このまま二人で甘い時間を堪能したい。
だが戻ってこない事をハック達に心配され、探されでもしたら。それこそ気まずい思いをするだろう。
覚悟を決めたエミリッタは、デュークスの手を繋いだままスッと立ち上がった。
「仕方ない、行こうか」
デュークスも立ち上がって、でも手は放さないままで。
二人はハック達のいる方へ戻った。
道中、ハックの叔父がデュークス達の所へ走って来る。
エミリッタはデュークスの手を離そうとしたが、デュークスはギュっと握り返して離さなかった。
二人の手元は見ていないのか、ハックの叔父は慌てた様子だった。
「マナ殿がまだ戻りたくないと申されてな。一人で外にいるのも危ないと言っても聞かなくて」
確かに少女一人で、ましてやマナのように整った顔立ちの娘が一人でいるのは危ないかもしれない。
そう思ったデュークスは、ため息を吐いた。
「……しょうがないな。俺行ってくるから。えっちゃん、ちょっと待っててね」
何故マナが戻らないのかは分からないが、きっと何か理由があるのだろう。
大人数で聞き出すよりかは、兄妹だけの方が話しやすいかもしれない。そう思ったデュークスは泣く泣く彼女の手を離す。
「叔父さんはハックの所戻っててよ。えっちゃんの事、よろしくね」
「うむ、任された」
エミリッタの手の熱を名残惜しく思いながらも、デュークスはマナの元へ向かった。
マナはハックの家から少し離れた、見晴らしの良い丘の上にいた。
「こらマナ。叔父さん心配してたぞ」
「お兄ちゃん……心配かけたのはゴメンナサイ、だけど」
マナは少し気まずそうに、デュークスと目を合わせないまま話す。
「……何か理由でもあるのか? よし、ここはお兄ちゃんが何でも聞いてやろう」
「お兄ちゃん、ハックさんって私の事好き?」
「お兄ちゃんにそんな事を聞くんじゃない」
デュークスは思わず頭を抱えた。
勝手に伝えても良いものか、と。
俯いたマナは、そんな質問をした理由を話し始めた。
「なんとなく、そうなのかなって。今朝もお花くれたの」
「アイツそんな事してたのか」
ハックの行動に驚いたデュークスだが、今度自分もやってみようか、とも思っていた。花を受け取るエミリッタの笑顔を思い浮かべ、デュークスの頬が緩んだ。
だがマナの表情は暗く、喜んでいるようにも見えずに。デュークスは慌てて、表情を引き締めた。
「マナはハックの事、そんなに好きじゃないのか?」
「良い人だとは思うよ。優しいし、私の事助けてくれたし。でも……私、ハックさんが言うほど、美しくないもん」
デュークスは困惑した。
ハックが嫌なのではなく、マナ自身に問題があるというのか、と。しかも美しくないというのがデュークスには理解できなかった。
整った顔立ちは勿論、スタイルも悪くない。内面的にも、家族思いなしっかり者。今は亡きデュークスの友達からは、デュークスの妹にしては美人過ぎると評判だった。
「何言ってんだ。今だから言うけど、マナは兄ちゃんの友達からも結構人気あったんだぞ」
「今の私は、お兄ちゃんの友達皆が知ってる私じゃないもん。私自身……汚れてると思ってる」
「汚れてるって、昨日だってシャワー借りたろ」
「そうじゃないの。そうじゃなくて……」
今にも泣きそうなマナを見て、ただ事ではない空気を感じ取ったデュークス。
思わずマナの肩を掴んで、軽く揺すった。
「何だ、何かあったのか。誰かにそうやって言われたのか!?」
「言われた訳じゃない。私も納得してた事だもん」
「納得してた事……?」
そう言われても、デュークスには検討もつかなかった。
マナはとうとう涙を流しながら、答えを述べる。
「私、旦那様……あの貴族のお嫁さんとして過ごしてたから……」
そこまで言われて、デュークスも気づいた。
好きでもない貴族の嫁になったマナは、きっと夫婦の営みのような事も求められ。全て受け入れてきたのだろう。
生きていると信じていた、家族達を守るために。
デュークスはマナの体を抱きしめた。エミリッタを愛おしく思って抱きしめるようなものではなく、辛い思いをした妹を落ち着かせるためのハグだ。
だがデュークスのハグはマナを落ち着かせるどころか、声を上げて泣き出させてしまった。
「痛かったの、気持ち悪かったの、でも逆らったら皆殺されちゃうと思ったの。だから我慢して、それなのに、それなのに……!」
デュークスは以前、マノリスの隊長に襲われかけたエミリッタの姿を思い出した。
あの時はギリギリ助ける事が出来たが、今回の妹の事は助けられなかった。
助けられずに、辛い思いをさせてしまった。
悔しさがデュークスの胸を抉った。怒りをぶつけようにも、あの貴族の首は既に齧り捨てた後だ。
これ以上、どうする事も出来なかった。
「もっと苦しめておくべきだったっ……!」
ひとしきり泣いて気分が晴れたのか、マナは小さな声で呟いた。
「お兄ちゃん、もういいよ。これ以上は、えっちゃんに怒られちゃう」
声が落ち着いていた事を確認し、デュークスはマナから離れた。
「えっちゃんは優しいから、きっと許してくれる。それより……マナが連れて行かれてた事、気付けなくてごめん」
「ううん。お兄ちゃんが来てくれて良かったよ。教えてくれなかったら、ずっと辛い事を受け入れることになってたもん。ありがと」
マナは頬に涙の後を残したまま、笑顔を見せた。
「急に変わるのは難しいだろうけど、ゆっくり受け入れていってさ。新しい幸せを見つけよう」
「うん。ハックさんとすぐに付き合うとかは少し難しいけど……前向きには考えてみるよ。パン屋さんもやってみたいしね」
妹の前向きな言葉を聞いて、デュークスも少しだけ安心していた。
「戻ろっか」
「うん」
兄妹はゆっくりと、前に向かって歩いて行った。心の傷も悔しさも、完全に消えた訳ではないけれど。今は前を向くしかないと、二人とも分かっていた。
「なんだか騒がしいな」
デュークス達がハックの叔父の元へ戻ったところ、叔父は二人組の男と口論をしていた。その後ろにはエミリッタを庇うハックもいる。
「ここは朧族の里! 旅人ならば歓迎するが、里を破壊しようとする者は断じて許さん!」
「何が朧族の里だ。ここにはデカい宿屋を建てるって話があるんだよ」
「許可もなく勝手な事を言うでない!」
「死んだと思ってたから誰の許可も必要ないと思ってたのに、まだ生きてたのかよ!」
事情は分からないが、争いはよくない。そう思ったデュークスは、ハックの叔父と人間の男達の間に割って入った。
「まぁまぁ。何があったのか分かんないけど、落ち着いて。そうだハック、お前のパンあげれば? お腹が膨らめば皆穏便になるでしょ」
「それはいい。しばし待たれよ」
ハックは叔父の家へと入っていく。
デュークスを見た男達は、怪訝な表情を見せた。
「何だお前、人間のくせに朧族とかいう奴らを庇うのか?」
「こう見えて普通の人間じゃないからね。とりあえず、デカい宿屋の話はなかった事に出来ない?」
「はっ、出来る訳ないだろ。俺達の儲けがかかってるんだ」
完全に敵意を向けられ、デュークスは困ってしまった。当然、奴らの儲けのためだけに里を潰す訳にもいかない。
そこへハックが皿に乗ったパンを持って戻って来る。
「待たせた。さぁ、これでも食べながら話し合おう。我の自信作だ」
「自信作って……そんなキモい手で作ったパンがうまい訳ないだろ!」
ハックは己の手を見つめた。人とは違う、竜の手ではある。だがこの手は自身の一部であり、キモいとも思わなかった。
悲しい素振りも見せずに、男達に皿を差し出す。
「見た目で判断するとは無礼な。一度食してみるといい」
「食す気なんか起きねーよ!」
男は皿を叩き落とした。地面にパンが転がる。
「貴様! 何をする!」
「うるせぇ!」
男は笑いながら、地面に落ちたパンを踏みつけた。




