セレスティーヌシチュー【コミック4巻発売記念】
ご報告遅くなりましたが、2/29にコミック「悪の華道を行きましょう」4巻(作:やましろ梅太先生)が発売いたしました。
ご興味のある方はお手に取っていただけますと泣いて喜びます。
よろしくお願いいたします。
その日セレスティーヌは思い出した。
己が転生者であるという事実を。
「そうだわ。前世の知識で料理無双をしましょう」
普段何かと忙しいセレスティーヌであるが、その日はたまたま時間があった。
息子のリュカはお昼寝でしばらく起きる気配がなく、宰相も義息子のマルクも仕事で不在。
知人と会う予定もなく、使用人も忙しそうだ。
つまり暇なのだ。
宰相は今朝出かける前にディナーは屋敷で取れると嬉しそうに報告してきた。
というのもここのところ宰相は会食続きでろくに家で食事をとれていない。
そこで手料理を振舞うことを思いついたのであった。
それも今までに食べたこともないような最高に美味な料理を宰相に食べさせてあげたいが、美食家な宰相である。
この世のあらゆる料理は食べつくしただろう。
だがセレスティーヌならば前世の知識を活かしてこの世界にはない料理を用意できるはずである。
さっそく鼻息荒く調理場へ向かうと宰相家お抱えの料理人たちが忙しそうに働いていた。
突然現れたセレスティーヌに驚く一同。
仕事を続けるように告げ、緊張で固くなっている料理長に空いている場所を使わせて欲しいと説明。
貴族自ら調理をするなどという発想がそもそも存在しない世界で突拍子もないことを言い出したセレスティーヌに周囲は大反対したが、彼女の決意は固い。
彼女が一度言い出したら聞かない性格を知っている使用人たちは早々に諦めた。
「お怪我をされては大変なので、私が見守らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ結構よ。むしろ忙しいのにごめんなさい」
「い、いえ」
がたいの良い大きな体を小さく丸めて申し訳なさそうに頭を下げる料理長に逆に申し訳なく思うが、これも宰相に愛のこもった手料理を振舞うためだ。
「それで本日はどのようなお料理を作られるのでしょうか」
「そうねぇ、最近寒いから何か温まるもの…スープ…いえ、シチューにしようかしら」
メニューが決まればあとは前世の記憶を呼び覚ますだけだ。
シチューはこの世界にもあるが前世のレシピで作れば一味違うはず。
きっとこの世界のシチューに革命を起こして見せようと張り切ってドレスの袖を捲る。
「シチュー…シチュー…あら?」
しばらく脳内を探っていたが、シチューのレシピに関する記憶があまり出てこないのである。
眉間に皺を寄せて考え込んだセレスティーヌを料理長がオロオロと見守る。
なんとか絞り出した記憶に、とある食材が脳裏に浮かぶ。
「そうだわ、大福! 確か大福を入れるシチューのレシピがあったはずよ」
「ダイフク? それはどのようなものでしょうか?」
「ええっと、あんこの入った餅で――」
「アンコ? モチ?」
「あんこは豆を炊いたもので、餅は米を何度も叩いて捏ねたものよ」
「ほう! 外国の料理でしたか。流石はセレスティーヌ様、博識でいらっしゃる。丁度米も豆もありますよ。しかも豆は珍しい紫豆です。輸入品が市場に出回っていたので少し手に入れたところでした」
「丁度よかったわ。では早速それを茹でましょう」
料理長が得意げに引っ張り出してきた紫色をした小粒な豆を茹で始めるセレスティーヌ。
「よく分からないけれど柔らかくなったわね。あんこってこんなに水分が多い物だったかしら? まぁシチューなのだからこの水分をそのまま使いましょう。甘ければきっとあんこだわ。砂糖を適当にいれてっと。でも旦那様の身体の為に少な目がいいわね」
「セ、セレスティーヌ様!? シチューに砂糖を!?」
「もちろん。大福だもの。餅を作るのは大変だしこのまま米をスープに入れてしまいましょう。煮たら米も餅も一緒よね」
「あの、灰汁は…? その豆は灰汁の処理をしなければ渋みが…」
控えめにアドバイスを囁く料理長であるが、段々と料理が楽しくなってきて浮かれているセレスティーヌの耳には彼の言葉は届かない。
「シチューには肉がいるわね。このお肉を使わせてもらおうかしら」
「あ…」
キラキラした笑顔でセレスティーヌが手に取ったのは、宰相の好物である霜降りヒレステーキだ。
久々に今晩のディナーは一家が揃うと執事から聞いていた料理長が張り切って用意した最上級の一品だ。
料理長の心は悲鳴を上げていたが、楽しそうなセレスティーヌを止める術などない。
本来何種類のスパイスを振り、最適な温度管理でミディアムレアに焼き上げられ、自慢のグレイビーソースで仕上げられた、口の中に入ればとろける柔らかさで消えていく絶品ステーキになる予定だった肉は、何故か砂糖を入れられたシチューを自称する煮豆の鍋の中に消えていった。
止めようと無意識に伸ばしていた腕を悲しげにそっと下ろす料理長。
「あとはなんだったかしら…そうそう、味噌と沢庵よ。うーん、でもそんなのこの世界にはないわ。まぁ細かいことにこだわっても仕方ない。料理はインスピレーションが大切よ。味噌の代わりにアンチョビソース、沢庵の代わりはオリーブの塩漬けでいいわね」
迷いなく鍋にぶち込まれていく食材たち。
当然宰相家の厨房に常備されているのはどれも逸品ばかりだが、まったく調和がとれるとは思えない食材の取り合わせに、強面の料理長の顔面は蒼白になり涙さえ浮かんでくる。
「後はミルクを注いで――」
「うわ…なんか見たこともない色になった…」
紫豆の黒かった煮汁にミルクの白が足されると、明るい紫色に変化した。
料理長の呟き通り、とてもシチューの色には見えない鮮やかさだ。
しかもアンチョビとミルクと豆が融合することによって醸し出されるなんとも生臭い匂いがセレスティーヌのシチューにおどろおどろしい迫力を付与させている。
「最後にたしか虫の抜け殻を入れていたような気がするのだけど――」
「セ、セレスティーヌ様! それはっ!」
「季節外れなので諦めましょう」
今が冬であることにこれほど感謝したことはない。
料理長は冬だというのにドッと額に汗を浮かばせ椅子に座り込んだ。
「よし、これで完成よ。ふふ、旦那様きっと喜んでくれるわ」
砂糖のたっぷりと入った甘さをベースに豆の灰汁のえぐみとアンチョビとミルクの臭みを足して、たまにゲスト出演してくれるオリーブの塩味。
極めつけに長時間煮込まれて完全に旨味が抜けた高級肉と、最早固形ではなくなったネチャネチャした米だった物体。
この世の物とは思えない悪夢のようなセレスティーヌシチューの完成である。
お気づきの通り彼女は料理が壊滅的に下手であった。
それは前世から共通している。
前世の知識で料理無双をしようにも、元から正しい知識が備わっていないので到底無双など出来ようはずもなかった。
いや、ある意味無双なのかもしれない。
その晩、ウキウキで帰宅した宰相はセレスティーヌシチューを愛の力で完食してうっかり天へと召されそうになったのだから。
一口おすそ分けを貰っただけの義息子のマルクもまた父親と同じ場所へ逝きそうになったとか。
白目を剥いて昇天するほど料理の味に感激してくれた二人に、セレスティーヌだけが嬉しそうに微笑んでいた。
END
分かる人にしか分からないシチューの参考レシピ