第9話:「なんちゃって」膀胱ガン
第9話 「なんちゃって」膀胱ガン
俺の兄貴は、ガンでもなんでもないのに、あるインチキ医師の誤診によって、膀胱ガンの手術を受けさせられた。
そのインチキ医師は、とある医大の附属病院から週二回、兄貴の病院に派遣されていた医師だったのだが、兄貴の手術はその附属病院で行われた。
つまり、兄貴は、住み慣れた病院から一時的に転院したわけだ。
そして、文字通り「痛くもない腹を探られた」わけだ。
兄貴は、手術後にその回復まで2週間ほど、そのまま入院したわけだが、その入院は兄貴に精神的なダメージを与えた。
その附属病院の精神科病棟のスタッフがあまりにも性悪だったからだ。
彼らの兄貴に対する言動は、兄貴から聞いて知るに至ったわけだが、母も俺もスタッフたちのタチの悪さを彼らとやり取りする中で実感していた。そのインチキ手術にしたって、午前8時という非常識な時刻に予定された。だから、俺は、兄貴の手術に間に合うように大阪の天六の自宅を朝の5時半に出たのだった。
さて、スタッフたちの性悪を示す事例だが、ガンでもなんでもなかった兄貴に男性看護師が「あんたは膀胱ガンだったけど切っちゃったよ」とか平気で言ったのだった。
そんなことは事実に反しているし、もしも兄貴が本当に膀胱ガンだったとしても、普通は選りにも選って知的障害者に「あんたはガンを患っている」などというショッキングなことは言わない。
その精神科病棟のスタッフたちは、看護師たちも介護士たちも、そのほとんど全員が常識はずれの奴らだった。
だから、ガンだと伝えた以外にも、兄貴をバカにしたようなことを平気で言った。
故に、兄貴は、自分の病状と知的障害について本気で悩み、その表情と顔色は、たった2週間の入院の間に急速に冴えないものになっていった。
しかし、そのようなことは、まるで顧みられず、顔色の悪い兄貴は単に手術の傷が癒えたからと元の病院に戻された。
ちなみに、その附属病院は、後に、別件ではあるが、収賄や診断書での虚偽の陳述などで、病院の幹部たちが警察に逮捕されるという曰く付きの病院であることが判明するのだった。
しかも、その附属病院の悪徳ぶりは今も是正されずに続いているという。
それはともかくも、元の病院に戻った兄貴は、なんとか普通に歩けるようになり、ある日、天六界隈の一画にある我が家のマンションに外泊で帰ってきた。
俺と母は、帰宅した兄貴の顔色を見て、たいそう驚いた。
土気色だったのだ。
だから、俺は、兄貴の顔を洗ってやり、ぬるま湯に浸して軽く絞ったタオルで入念に拭いてやった。
そして、明るいところで兄貴の顔色を母と一緒に再び確認してみたのだが、やはり、顔を洗う前と変わらぬ土気色だった。
そこで、兄貴を病院に連れて帰った母は、顔色が悪いことを担当医に伝えた。
しかし、担当医は、兄貴のことを面倒臭そうに少し診ただけで「大丈夫ですよ」と母に告げたのみだった。
ところが、兄貴は、大丈夫などではなかった。
兄貴の顔色は、それからかなりの月日が流れても、悪化こそしなかったが土気色のままだった。
母も俺も不審に思い続けたのだが、担当医は「問題ありませんよ」という回答を繰り返すばかりだった。
かかるように埒が明かないまま、「なんちゃって膀胱ガン」の手術から3ヶ月が経過したある日、俺と母は兄貴の担当医から病院に呼び出された。
すると、担当医がいきなり意外なことを告げた。
「息子さんには大腸ガンの疑いがあります。来週、内視鏡検査をしますから御足労ください」
だから、俺と母は、担当医から言われた通りに、兄貴の病院に出向き、検査室の前で内視鏡検査が終わるのを待った。
「もう終わるだろう」とか思っていると、若い医師が検査室から慌てた様子で飛び出してきて、ナースステーションの方へと駆けて行った。
検査室の中が何やらにわかに慌ただしくなった。
医師と看護師の慌てたような声が聴こえたのだ。
俺たちが落ち着かない気分の中でそのまま待っていると、ストレッチャーに乗せられて横たわる兄貴が検査室から出てきた。
「なにすんねん、バカ野郎、ウォー、アーアー、やめろ言うたやろ、イーッ、キーッ!」
兄貴は半狂乱になっていた。
そして、兄貴の担当医が少し遅れて検査室から出てきた。
母は動転するばかりで担当医に事情を聴けないでいた。
だから、代わりに、俺が事情の説明を求めた。
「いったい、何があったのですか? どうして、兄貴はこんな風になっているのですか?」
その担当医は、気まずそうな表情で俺の問いに答えた。
「エアーを送り込んだら破けちゃいましてね」
「破けたって何が?」
「大腸です」
「大腸が!」
「そうです、大腸です、大腸が千切れたのです」
「おい、何を言っているのだよ、検査をしたくらいで、どうして大腸が千切れるのだよ?」
「だから、大腸の内視鏡検査をするときには、肛門から大腸にエアーを送り込むのですが、大腸がその空気圧に耐えられなかったのです、それで破れてしまって」
「どうしてだよ?」
「それは、お兄様の大腸ガンが我々の予想よりも大幅に進行していたからでしょうね」
「『でしょうね』ってなんだよ、大腸なんかが千切れたら、兄貴はどうなるのだよ!?」
「今、緊急開腹手術の準備をしています」
「緊急開腹手術! で、いつやるのだよ?」
「まだ、わかりません」
「『わかりません』ってな、大腸が千切れたまま放っておいたら、兄貴は死ぬだろうがよ!」
「今、麻酔医がいないのですよ」
「こんな総合病院にどうして麻酔医がいないのだよ。手術室があるのだから麻酔医がいないわけがないだろ!」
「今、夏休み中なのです」
「夏休みだと! じゃあ、どうするのだよ?」
「今、他の病院にあたっています。けれども、麻酔医は人手不足なもので、なかなか見つからなくて」
「そんなこと知るかよ! すぐに見つけてこいよ!」
「はい、だから、今やっていますから」
「とにかく早くしろ!」
「はい、わかりました」
そんな頼りないことだったが、兄貴の緊急開腹手術は、それから5時間後にやっと始まった。5時間後で「緊急」とは、どれだけ呑気な病院なのだと思った。
それまでの間、兄貴は、ストレッチャーの上で、苦痛とショックから、まさに狂ったように叫び続け、喚き続け、罵り続け、そして苦痛の呻き声を上げるのだった。
ちなみに、兄貴がストレッチャーに乗せられて検査室から出てきたのは午後2時のことで、だから、緊急開腹手術が始まったのは午後7時のことだった。
その手術は1時間ほどで終わり、兄貴は午後8時頃に手術室から出てきた。
まだ麻酔で眠っていた。
それは、10年前の8月のあるクソ暑い日の出来事だった。
それからの兄貴だが、なかなか回復しなかった。
麻酔が醒めてからは人が変わったように、ほとんど何も言わない精気のない人間になってしまっていた。
その状態がその緊急開腹手術から1年以上も続いた。
しかし、そんなある日、
「おい、弟よ、寿司買ってきたか?」
それまで、食いしん坊のはずが食べ物に興味を示さなかった兄貴が忽然として食べ物を欲したのだった、
だから、俺は、
「だって、明ちゃんは、このところ、食欲がなかったやろ、ほやから、買ってきてないで」
「ほんでも食べたいねん」
「けど、困ったな、この近くに寿司屋なんかないで ・・・ あ、そうや、コンビニの巻き寿司とかでもええか?」
「うん、それでええ」
そこで、俺は、担当医の許可を得てから、近くのコンビニで助六寿司を買って兄貴に食べさせてみた。
すると、兄貴は、その寿司をモリモリと食べた。
以前と何も違わない旺盛な食欲を見せながら。
それは、兄貴が末期のガンから突如として回復した瞬間だった。
兄貴が病から回復するときは、不思議なことに、いつもそんな調子で突然なのだ。
ちなみに、緊急開腹手術の結果として分かったことなのだが、兄貴のガンはS字結腸癌だった。
検査時に大腸にエアーを送り込んだときに大腸が千切れた事実からも推測できるように、兄貴のS字結腸癌はステージ4のそのまた末期のものだった。
俺の兄貴は、そこから奇跡的に回復したのだった。
それは、約8年前、2010年の春のことだった。
桜が咲き誇る頃だった。
しかし、
=続く=