第10話:インチキ泌尿器科医
第10話 インチキ泌尿器科医
兄貴の清弘は、S字結腸癌からの回復後、病院での以前の日常生活に戻るためにリハビリを受けたが、一向に歩けるようにはならなかった。
兄貴は、つかまり立ち出来るところまでは回復したのだが、歩くことを怖がったのだ。
そして、結局、兄貴は、あの緊急開腹手術以来、「車椅子の人」になってしまった。
だから、外出の許可が出るようにはなったものの、必ず俺に車椅子を押されての外出となった。
俺は、御袋の希望もあって、兄貴を月に1回、外出に連れ出した。
USJにも行ったし、花見にも行ったし、病院から近い枚方パークにも行った。
しかし、外出のほとんどはカラオケだった。
兄貴は唄を歌うことが大好きだったのだ。
カラオケで歌うときには、京阪電車の香里園駅の駅前にあるジャンカラ香里園駅前店に行った。
それは、兄貴が何故だかジャンカラのメニューを好んだからだ。
兄貴はいつも同じものを注文した。
フレンチポテトと鶏の唐揚げの盛り合わせ、とんこつラーメン、そしてベリーパフェが兄貴のお気に入りだった。
ジャンカラの香里園駅前店は、駅前の雑居ビルの3階と4階に入っているのだが、だから、エレベータを使用するのだが、そのビルのエレベータはたいそう狭かった。
だから、車椅子を押してゴンドラに入るときには、かなり苦労した。
兄貴がその爪先をエレベータの何かにぶつけて「いてて、いてて」と言ったり、俺がやはり何かに踵をぶつけて「いてて、いてて」と言ったり、エレベータに乗るときには兄弟して「いてて、いてて」と言っていた。
とにかく、兄貴がS字結腸癌から回復してからの7年間ほど、兄貴と俺は、そのようにして過ごした。
それは、俺の兄貴にとって平穏で比較的に快適な日常だったことだろう。
ところで、ジャンカラでは、兄貴に歌わせる楽曲を6曲までとした。
それは、俺が決めたことだ。
それには理由があった。
俺と兄貴が初めてジャンカラに行ったとき、兄貴は20曲も歌った。ちなみに、俺は、カラオケをしない。だから、兄貴のワンマンショーだった。
それはともかく、兄貴の歌を20曲も聴いて、兄貴をタクシーで病院に送り届け、そのタクシーで京阪電車の香里園駅に戻ると、俺はその身体に異変を感じた。
頭がふらつき、歩く足下が定まらなくなったのだ。
だから、俺は、自宅の最寄駅である天神橋筋六丁目駅に着くと、かかりつけの医者の診察を受けた。
血圧が200近くまで上昇し、不整脈も生じていた。
そこで、かかりつけの医師は、俺の舌下にニトログリセリンを流し込んだ。
そうすると、不整脈が収まり血圧が下がった。
要するに、心臓発作が起きていたのだ。
俺がその日にあったことをその医師に話すと、兄貴に歌わせる曲数を少なくするように勧められた。
どういうことかと言えば、兄貴は歌がとんでもなく下手くそで、聴く人を酷く不快にしてしまうのだ。
具体的に言えば、かなりの音痴で、それは良いとしても、演歌でコブシを効かせ過ぎ、しゃくり過ぎるので、聴き辛いことこの上ないのだ。
そのような歌を20曲も聴いたため、俺の血圧は200近くまで上昇してしまったのだった。
そのようなわけで、俺は、兄貴の歌う曲数を6曲に制限した。
兄貴に「兄貴の歌は下手くそなので聴くに堪えないから6曲までやで」とか言おうものなら「なんやと! 俺の歌が下手くそやとー!」とか大騒ぎになるので、兄貴には「俺な、すぐに血圧が上がるから、大きな音を聴くのは控えなあかんのや。医者にそう言われてん。だから、悪いけど、6曲までにしといてや」と説明した。
しかし、実際には、途中で「今日は上手く歌えているから7曲までええで」と言ってやった。
ちなみに、兄貴は、いつも、最後に「君が代」を歌った。
それは、俺にとって、非常に有難いことだった。
何故なら、君が代には一番しかないので、短い時間で聴き終わるからだ。
それはともかく、俺が兄貴をジャンカラに連れ出し始めた頃、俺は、「膀胱ガンの疑いがある」として手術を勧めた泌尿器科医の診察を兄貴が受けるときに兄貴と一緒に診察室に入った。
俺は、そのインチキ泌尿器科医の診察を兄貴がまだ受けていることを知らなかった。
ある日、たまたま、そのことを聞いた俺は、兄貴に付き添って、そのインチキ泌尿器科医に「きつい一言」を浴びせてやることにしたのだった。
そうとも知らず、インチキ泌尿器科医が診察室に入ってきた。
そこで、俺は、すかさず、
「アンタ、俺の兄貴に10時に来いと言ったやろ、もう10時5分やで」
「え、診察では5分くらいの時間は」
「とにかく5分遅れやぞ、なんか言うことがあるやろ」
「え、いや、今まで患者様にこれくらいの遅れを咎められたことは」
「そんなこと知らん、とにかく5分遅れや、なんとか言えや」
「すみません」
「最初からそう言えや」
「あの、どうかしたのですか?」
「どうかしているのはアンタの方やろ」
「え、それはどういう意味でしょうか?」
「『どういう意味でしょうか』だと、よく言うよ。アンタ、兄貴が膀胱ガンだと言ったよな。手術してみたらガンなど無かったやないか」
「いや、あれは、膀胱ガンの疑いと言っただけで」
「それでも手術を勧めたやろ」
「だから、それは、その必要が」
「ない! そんな必要なんか無かったやないか」
「それは結果論で」
「つべこべ言うな。それよりも、アンタはどうして兄貴の診察をする?」
「それは、お兄様の膀胱の機能に支障が」
「ない! アンタが『支障がある』と言うのなら、それは『支障がない』ということや」
「そんな無茶な」
「何が無茶や、無茶はアンタの方やろ。チョンボをしておいて、よくも兄貴の診察をするよな、もう二度と兄貴の玉体に触るな!」
「ああ、そうですか」
「ああ、そうや、帰るで、とにかく二度と触るなよ!」
そう言うと、俺は、兄貴の車椅子を押して、診察室からとっとと出て行った。
その結果として、インチキ泌尿器科医が兄貴の診察をすることは二度となかった。
それでも、兄貴の膀胱には何ら異常も生じなかった。
つまり、インチキ泌尿器科医は、やはり、インチキ野郎だったということだ。
ところで、俺は、兄貴の身体を指して玉体と言ったわけだが、「玉体」という言葉は、本来、天皇陛下の身体を意味する。
俺は、そのことを承知していたが、インチキ泌尿器科医の前で敢えて「玉体」という言葉を発した。
そのタコなインチキ泌尿器科医に俺の真意が伝わったかどうかは知らないが、俺は、「お前のような卑しいインチキ医師が俺の兄貴の尊い身体に触れるな!」という意味で「玉体」と言ったのだった。
さて、そのことはともかくも、S字結腸癌の手術以来、兄貴にまつわるトラブルは幸いなことにその程度のことしかなく、兄貴は、その手術からの7年間ほど、俺とカラオケに行くなどしながら比較的に平穏な日々を過ごした。
しかし、ジャンカラがある雑居ビルの狭いエレベータに入るのに慣れた頃、兄貴の脳に異変が生じた。
=続く=




