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精神病な生霊たち  作者: 破魔矢タカヒロ
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第11話:ダブル重体



第11話 ダブル重体




 俺の兄貴は、今年、すなわち、2018年に入って早々、「頭がフラフラする」と言い出した。




 そのような症状を訴え始めたのは今年の1月だ。




 この1月、新年になって初めて、兄貴の病院を面会で訪れたとき、俺は、「ジャンカラいつ行く?」と兄貴に聞いた。




 しかし、兄貴は、「頭がフラフラするから、寿司を食べるだけでええわ」と俺に言った。




 兄貴は、2月も3月も、あんなに好きだったカラオケに行きたがらなかった。




 兄貴は「頭がフラフラする」と訴えるわけだが、医師にそのことを伝えると「特に変わったことはありませんけどね」とか言われた。




 それでも、俺は、兄貴のそのような症状のことをあまり気にしなかった。




 何故なら、俺には、他に気にすることがあったからだ。




 それは、俺の御袋のことだった。




 実のところ、御袋は、一昨年から、つまり、2016年の10月1日から認知症の進行によりグループホームに入居していた。




 俺は、御袋の面倒を認知症の最終段階である要介護5まで見たのだが、母の認知症が混乱期に入ると、1日に尿意を100回も訴えるなどして手に負えなくなり、ついには45時間も眠らせてもらえない日が出てきて、俺一人ではどうにもならなくなった。




 だから、御袋はかなり嫌がったのだが、姉と二人で説得して、グループホームに入居してもらった。




 それで、身体の方は楽になったのだが、母の遺族年金とグループホームや医療費等の費用との差額が平均で月に15万近くにもなり、俺は、金の工面のことで頭を悩ませるようになった。




 そのようなわけで、俺は、御袋の方に気を奪われていたと言える。




 しかも、御袋が去年から慢性的な重体状態に陥り、去年の8月10日にはグループホームの提携クリニックとの間で「看取り契約」を結んだ。




 つまり、俺の御袋は、去年の8月から「いつ逝ってもおかしくない状態」に陥っていたわけだ。




 なので、俺は、兄貴のことをほとんど気にしなくなっていた。




 そのようなとき、俺のスマホの呼び出し音が鳴った。




 電話に出てみると、兄貴の病院の女性看護師からだった。




 担当医から話があるので病院に来てほしいという内容の電話だった。




 だから、言われた通りに病院に行き、担当医に会うと、その担当医は兄貴の脳の左右の側頭葉に水か血が溜まっていることを俺に告げた。




 兄貴は、この1月から、「頭がフラフラする」と訴えていたわけだが、その原因は溜まった水か血で脳の組織が圧迫されていたからだった。




 担当医の説明を聞いた後、俺は、兄貴を見舞ったが、表情が冴えない以外、特に変わったところは見られなかった。




 それから、病院を後にして帰宅すると、病院からまた電話が入った。




 女性看護師がすぐ病院に来てほしいと俺に言った。




 だから、俺は、帰宅したばかりだというのに病院に引き返した。




 病院に着くと、兄貴は昏睡状態に陥っていた。




 病状が急変したのだった。




 兄貴が昏睡状態だというのに、病院のスタッフは手をこまねいているように見えた。




 検査の結果が出るのを待っていると俺に告げるのみだった。




 だから、俺は、脳外科医などの専門医の診察を兄貴に受けさせろと病院側に強く要求した。




 しかし、兄貴の担当医は不在で、しかも、夜の8時のことだったので、病院側の動きはどこまでも鈍かった。




 だから、俺は、強い口調で迫った。




「何をノロノロとやっとるねん。この病院の救急車を出せよ。早よ何とかせんと、兄貴が死んでしまうやろ!」




 俺にどやされて、当直医がようやく動いた。




 兄貴は、消防署の救急車ではなく病院専用の救急車で近くの脳外科がある総合病院に搬送された。兄貴の病院には脳外科がないからだ。




 専門医による診察とMRIなどの精密検査を受けた結果、兄貴は、硬膜下脳水腫と診断された。




 昏睡状態の原因は、脳の制御機能の低下により血中のナトリウムが大幅に不足したためだった。




 兄貴の病院のボンクラ医師団とは違い、脳外科医のアクションは素早かった。




 その脳外科医は、兄貴の頭部のCTスキャンの写真を見て、驚きの表情を見せた。




「これは驚いたな。こんなに水の量が多い脳水腫は初めてですよ。これでよく生きているよな」




「そんなに酷いのですか?」




「ええ、今まで見てきた中では最悪ですね。水の量が一番多い症例ですよ。普通なら、亡くなるケースですね」




「なら、どうして生きていられるのですか?」




「たぶんの話ですが、皮肉なことに癲癇の発作のお蔭でしょうね」




「癲癇の発作?」




「そうです、お兄さんは、これまで何回も癲癇の発作に見舞われているでしょ?」




「はい、これまでに20回とかでしょうね」




「そうですよね。癲癇の発作が生じると脳の神経細胞が死滅するのですよ。そして、神経細胞が消滅したところが空洞になるのです。お兄さんの脳には、そのような空洞がたくさんあります。だから、脳水腫による水圧で脳が圧迫されても、そのような空洞が縮んで神経細胞が受ける圧力を軽減するのでしょうね。もしもそのような空洞がない脳にこれだけの水が溜まったら、その人は、死んでしまうでしょうね」




「そうですか。それで、どのように治療するのですか?」




「自然治癒しかないですね」




「ドリルで頭蓋骨に穴を開けて水を外に出すとか?」




「そのような処置もあるにはありますがね、それは延命処置でしかありません。しかも、数週間の延命しか見込めませんしね」




「どうしてですか?」




「また水が出てきて溜まるからですよ、イタチごっこです」




「じゃあ、脳にチューブとかを挿入して、どこかに排水するとかは?」




「それはシャント術と言って、水を太い静脈などに排水する方法ですが、詳しい話はともかくも、残念ながらお兄さんには適用できません」




「では自然治癒しかないと?」




「はい、そうです」




「放っておいて治るものですかね?」




「パーセンテージでは言えませんが、治るケースも少なからずありますよ。ただし、1ヶ月が過ぎても水が引き始めなければ、厳しいですがね」




「そうですか。それで、この病院に入院させて頂けるのですよね?」




「いえ、当院には精神科がないので、お引き取り下さい。特に治療することもありませんしね。昏睡状態の方は、点滴の輸液にナトリウムを加えれば解消されますので御心配なく」




 そのようなことで、俺の兄貴は、要するに、元の病院に追い返された。




 兄貴がその病院に診療科目のない病気を患うと、よその病院の診察を受けことになるのだが、兄貴は、その度に入院を断られて追い返されてきた。




 受け入れてくれたのは、あのインチキ泌尿器科医の病院だけだった。




 しかも、誤診で不要な手術をされただけだし。




 ま、それが日本の知的障害者や精神障害者を取り巻く現状と言うわけだ。




 俺は、もう慣れっこになっている。




 俺の兄貴の病院は、ヤブ医者だらけだ。




 しかし、兄貴には他に行き場がないのだ。




 さて、その後の兄貴だが、昏睡状態を脱し、水は一旦引いたものの、また溜まり、誤嚥性肺炎になり、飲食物を正常に飲み込むことが出来なくなり、絶飲食とされ、鼻から胃へとチューブを通して、それで栄養を取ることで何とか生き延びている。




 その間の御袋だが、残念ながら、今年の8月26日に他界した。安らかな大往生だった。死因は老衰で、享年は93歳だった。




 兄貴が重体になったのはこの3月の末のこと、そして、御袋が重体になったのは去年の8月のことだった。




 つまり、今年の3月末から母が他界する8月26日までの約4か月間は、御袋と兄貴がダブルで重体だったことになる。




 その間、俺は、「同じ日に逝ったらどうしよう?」などと気を揉んだのだった。




 そうこうしている内に、早いもので今年も11月になった。




 今、俺は、兄貴との面会を終えて、病院のロビーに降りてきたところだ。




 これから、京阪バスで京阪香里園駅に出て帰宅するわけだが、それにしても今日も疲れた。




 兄貴と面会した日はいつもそうだ。




 往復を入れても4時間ほどしか費やさないのに、俺は、帰宅すると、必ず、1時間ほど眠ってしまう。




 それほどに疲れるのだ。




 いったい、どうしてだろうか?




 ひょっとしたら、「生霊いきりょう」の仕業ではないだろうか?




 生霊とは、「生きている人間の霊魂が体外に出て自由に動き回るといわれているもの」なのだそうだが、俺がやけに疲れるのは、精神科病棟に入院する患者の生霊が俺にしがみつくからだと思うのだ。




 不幸な人は、悲しみから、その生霊が体外に出て、自分の不幸を他人に移そうとする。




 そのような話をどこかで聞いたことがある。




=続く=


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