第七話:メイド・イン・ヘブン
ライバル店に向かった時は自転車だった。
なのに今、司は車に乗せられて『ぱらいそ』へ帰ろうとしている。
ハンドルを握るのは、ライバル店のエリアマネージャー・黛。司なんて存在しないかのように、無言で目的地目指して車を走らせる。
そして司はというと、すっかり顔を青ざめて
(どうしよう、どうしよう。とんでもないことになっちゃった)
と後悔し続けるのだった。
正直なところを言うと、司は甘く考えていた。
美織の考えたチラシ作戦の前に、相手は何もできないだろう、と。
例えばライバル店同様に安売りだったら、資金力にモノを言わせてさらに安く売ってくることも考えられる。
だけど自分ところの売値より高く買い取ると謳う相手には、一体何が出来るというのか?
いくら資金力があっても、同じ店なのに売値より買値が高いなんて出来るはずもない。
言わばこれは後出しジャンケン。対策なんて出来るわけがなかった。
もちろん、警察に訴えられることはあるだろう。でも、こんなことで警察がすぐに動くとは思えない。
それに直接抗議されたとしても、美織なら強気な姿勢で対抗できるだろう。
結局、なんだかんだで美織の狙い通りの集客は出来ると思っていた。
それなのに……。
(ああ、僕のバカ。絶対に捕まっちゃダメだったんだ)
さすがの美織でも司を人質に、応対策を要求されては突っ撥ねるのも難しいだろう。
加えて黛の要求は『ぱらいそ』の信頼をがた落ちにさせるに充分すぎるものだった。
あんな張り紙をしては、もう今後『ぱらいそ』が何をやってもお客様には信じてもらえなくなってしまう。それこそ終わりだ。
かと言って黛の要求を退ける妙案なんて思い浮かぶはずもなかった。
「……これって」
ものの数分で迷うことなく『ぱらいそ』へと車を到着させた黛に促されて外へと出た司は、思わず感嘆の声をあげた。
まだアルバイトを始めて数日しか経っていないが、それなりに見慣れたぱらいその駐輪場。いつもはがらんとしているそこに、埋め尽くさんばかりの自転車が山を成していたのだ。
どうやらチラシ効果は既に絶大らしい。日ごろ閑古鳥が鳴いている『ぱらいそ』にとっては異様な光景に、司は感動を通り越して、どこか違和感すら覚えるほどだ。
「……」
先に外へ出た黛が、ただでさえ切れ長の眼をさらに細めていた。
そして司の手首を逃がさないとばかりに強く握り締める。
司が顔を顰めても無視。
ズンズンと司を引き摺るようにして入り口へと向かう。
あまりのスピードに司は転ばないよう、足元へ注意を向けるのでいっぱいだ。
だから。
「……なんですか、これは?」
店内の様子を扉の窓ガラス越しに見た黛の絶句の理由を、司は咄嗟に理解出来なかった。
分かったのは自動扉が開いた瞬間、大勢の歓声が耳朶を打ったのと
「いらっしゃいませー、ぱらいそへようこそん♪」
入り口脇で両肩と胸元を大胆に露出させ、満面の笑みを浮かべながら歓迎してくれるメイド服の女性を見てのことだった。
「って、なんだ、つかさ君じゃない。やほー。約三日ぶりの再会だね。元気してたー?」
歓声と思わぬ姿の女性店員の登場にどぎまぎしているところへ、当のメイドさんが司の姿を見るなり、笑顔を三割増しにして手を振ってきた。
当然だが、司にメイドの知り合いなんていない。
だけど外側にふわっと広がるショートカットを栗色に染め、人懐っこい性格が表れている目尻、笑顔をより一層鮮やかなものにする笑窪、白い歯も眩しい口元には見覚えがあった。
「な、なっちゃん先輩!?」
「いえーい! なっちゃん先輩ですよー!」
服装こそ違うものの、『ぱらいそ』の紅一点・波津野奈保だった。近くの学校に通う大学生で、バイト暦はちょうど一年。が、ゲームにはあまり興味がない。興味があるのは、
「おおっ、高級スーツを纏った、いかにも仕事できます系イケメン発見!」
諸手を挙げて司に抱きつこうとした奈保は、しかし、隣に立ち尽くす黛を見て標的をすかさず変更。どうしてそんなところに収納しているのか理解に苦しむが、胸の谷間から名刺を取り出して黛に差し出した。
「どもどもー、私、波津野奈保って言いますー。なっちゃんって呼んでくださいねー」
「……」
眉間に皺を寄せる黛に物怖じすることなく、奈保はその手を取って名刺を握らせる。
「それからもし良かったら、これにちょこちょこっとサインしてくれるとなっちゃん嬉しいなー」
そしてエプロンのポケットから取り出した一枚の紙切れ。既に奈保のサインと捺印がされたそれは……
「いや、結構。間に合っています」
まごうことなき婚姻届だった。
そう、日頃から婚姻届を持ち歩く奈保の興味ごとは、いわゆる「玉の輿に乗る」こと。ただし、お金を持っていたら誰でもいいわけではないそうで、奈保の中でそれなりに基準があるらしい。だからいかにもその手のお客様を引っ掛けやすそうなキャバクラでは働きたくないそうだ。
でも、かと言って、どうして『ぱらいそ』でバイトしているのか? 口の悪い先輩バイトの間では、かつては毎日のようにアタックをかけていたお金持ちのオーナーである店長ことマスターを落とすためなんじゃないかって噂されていた。
しかししかし。
「結婚したらねー、いっぱい子供産んでサッカーチームを作るのが夢なんだー」と楽しそうに話す奈保を知っている司からすれば、相手がお爺ちゃんのマスターってのはありえないとは思うのだけれども……。
さて、それはさておき。
「まったくチラシといい、店員の格好といい、『ぱらいそ』さんの店長は一体何を考えているのですか」
残念そうに婚姻届をポケットにしまう奈保を尻目に、黛は店内をぐるりと見渡す。
マンションの一階フロアをほぼ使用した『ぱらいそ』は決して狭くない。が、子供でも出来るだけ商品に手が届くよう陳列棚を低めに設定していることもあって、見晴らしは良かった。
おかげで入り口からでも、黛は全体像を容易く把握できた。
店員の格好はアレだが、見る限りは普通のゲームショップだ。
ある一部分の狂乱を除いては……。
「ひとつとても気になるところがありますが……とにかく、店長はあちらの方でよろしいでしょうか?」
黛が敢えて気になるものを無視して視線を飛ばした先は、レジカウンターだった。
そこにもひとり、奈保とは異なって大人しい、清楚な感じのメイド服を身に纏った女性がにこやかに接客をしている。
「あ、いえ、あの人は……」
「え? 店長ではないのですか?」
「……はい」
予想外な返答だったのだろう。黛は信じられないとばかりに司を、そして改めてカウンターの女性を凝視する。つられて司も、店内で唯一まともに働いている久乃に視線を向けた。
美織と違って、おっとりとした性格の人――
それが久乃に対する司の印象だった。
だから。
「あ、いらっしゃませぇ。これ、買うてくれるん? ありがとなー。じゃあ、ちょっと用意するさかい、ちょっと待っててなー、PS5が発売されるまで。って、なんでやねーんってな。さて、レジ、レジと。……えーと、最初にどないするんやったっけ?」
久乃には申し訳ないけれど、レジを任せたらこんな感じだと思っていた。
が、今カウンターに立つ久乃は、まるで熟年の店員のように、てきぱきとにお客様を捌いている。どこに何があるのかを完璧に把握しているような無駄のない動き。機械の如く淀みのないレジ打ち。それでいて常に振る舞う柔らかく自然な笑顔で、ありがちな「ただ商品を売るだけの接客」にはなっていない。
「どう見ても彼女が店長だと思うのですが……」
黛の所感はもっともだった。
「しかし、となると店長は……」
まさかとばかりに黛は、奈保に疑わしい目を向ける。
……さすがにそれはない。
「美織ちゃん、あ、えーと、店長はあの子ですよー」
色々と失礼な扱いを受けたにも関わらず、まったく気にしないのが奈保の長所だ。あっけらかんと奈保は、店内最大の混沌、歓声と狂乱の発生場所を指差す。
カウンターの横。
本来ならばそこもまた様々な商品が並べられた棚があった。
しかし、今や棚は全部撤去され、作り上げられた空間には人、人、人、人……見てみろ、まるで人がゴミのようだと言わんばかり。
そして集まった人々が一心に見つめるのは、壁に掛けられた一台の80インチ大型モニターで繰り広げられている、とある格闘ゲームの熱戦。
……ただし、司と黛はその下、周りより一段高い場所に設置されたステージにて嬉々としてコントローラを握り締めるメイド服姿の女の子――『ぱらいそ』店長の晴笠美織の姿に目を奪われるのだった。