001
『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である。』
人類で初めて月に降り立った宇宙飛行士は言った。
その歴史的瞬間から何百年後――。
◍
――月面居住区内、とある教会にて。
ある女性の葬儀が終わった。
しばらくは別れを惜しんでいた参列者達も、次第に一人、また一人と退席していく。
やがて最後となった男女の一組がとうとう席を立ち、教会の出口へと向かっていたその時、片方の屈強な男―デイビッドがふと立ち止まり、振り返った。
「社長?」
「…先に行け。すぐに戻る」
連れの女性にそう答えると、彼はその見つめる先―棺の傍らに立つ少年の方へ歩み出した。
「アレックス君」
名を呼ばれた少年―アレックスが振り返る。
母譲りの小麦色の髪束から、悲嘆に暮れる表情が覗く。
「…お母様の事は、本当に残念だった。心からお悔やみ申し上げる」
「あ…ありがとうございます」
大きくなったな、とデイビッドは思った。それでも彼の肩ほどしかないのだが。
デイビッドがアレックスと最後に会ったのはもう何年も前だ。デイビッドはその時のことを今でもよく覚えている。まだ幼かった彼は父と母に囲まれ、幸せそうに笑っていた。
しかし、その後に彼の父は消息不明となり、そして今日、母も――。天涯孤独となった彼の胸中は、到底推し量れるものではない。
デイビッドは名刺を一枚取り出すと、アレックスに手渡した。
「何か困った事があればいつでも連絡しろ。力になる」
そう声をかけ、アレックスの肩を少しだけさすり、デイビッドは傍を離れた。
アレックスは名刺に目を落とす。
〈 民間軍事会社レトリーバーズ
社長 レオナルド・デイビッド 〉
誰もが知る有名な会社だ。もちろんアレックスも知っている。
先の世界大戦で暴走を起こした軍事用ドロイドに安息の地を奪われ、人類が月への移住を始めてから数十年。
今では人類のほとんどが月で暮らしているが、未だ完全な自給自足には程遠く、ほとんどの物資を地球から輸入しているのが実状である。
しかし、現在の地球は危険なドロイドと、野生動物と、ならず者が溢れる無法地帯だ。
そのような環境の中で、命を懸けて物資の回収、警護、輸送を行っているのが、【レトリーバー】と呼ばれる、この会社に所属する戦士達なのだ。
――地球を取り戻すのが父さんの夢なんだ。
突如、アレックスの記憶の奥底から、父の言葉が蘇った。
(…いつぶりだろう、父さんのことを思い出したのは…)
アレックスが父について覚えていることはほんの僅かだ。
熱心な研究者だったこと。
地球についての話をたくさん聞かせてくれたこと。
そして――地球での調査活動中に、消息不明となったこと。
母と一緒に、父の帰りを待ち続けていたはずなのに、いつの間に忘れてしまったのか。
失くしてはいけない大切な思い出を、流れる時の砂の上に落としてきてしまったのではないか。
(…地球に行けば、父さんについてもっと知れるだろうか? 忘れたものを取り戻せるだろうか?)
「――あのっ!」
アレックスの呼び声に、出口へと向かっていたデイビッドが足を止めた。
「僕を――【レトリーバーズ】に入れてください!」
「…なぜだ」
「父を、父との思い出を、取り戻しに行きたいんです――地球へ!」
デイビッドにとって、それはまさに青天の霹靂だった。
アレックスの突拍子もない宣言も、力強くデイビッドを見据えるその双眸も。
(父親譲りということか…)
「…駄目だ。君まで死なせたくはない。残念だが、力にはなれん」
「そんな…」
絶望して立ち尽くすアレックスを背後に、デイビッドは教会の扉に手を伸ばした。
そして。
「――己の行く道は、己の力で切り拓け。君の健闘を祈る」
「…! はい!」
デイビッドの言葉と共に開かれた扉から、アレックスの行く先を祝福するような光が差し込んだ。
☽
――地球、民間軍事会社レトリーバーズN国支部基地。
月から出発した宇宙航空機が滑走路に着陸した。
仄暗い機内の中には、大勢の兵士と共に、3年間の訓練期間を経て、晴れて新米兵士となったアレックスの姿があった。
機体後部のハッチが開き、地面に向かってゆっくりと倒れていくと、眩しい光と、荒々しい風が入り込む。
我先にとハッチを降りて行くほかの兵士達に続き、アレックスも荷物を担いで後を追う。
(やっとここまで来たよ…父さん、母さん)
ハッチの端から、右足、そして左足と。
アレックスは、今確かに地球の大地へと降り立った。
不安はある。これから命懸けの任務が待っているのだから当然だ。
だがしかし、希望もある。地球でなら、きっと父に繋がる何かを得られるはずだ。
アレックスは踏み出した。その一歩が、自分にとって偉大な一歩になることを信じて。
☽
――同日。民間軍事会社レトリーバーズ本部、社長室。
「社長、失礼いたします。頼まれていた資料をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
「あの日から3年、彼もついに前線入りですか…」
「…そうだな」
「僭越ながら…彼を兵士にして、本当に良かったのですか?」
「仕方あるまい。しばらくは様子を見るが…もし何かあれば、すぐに月へと送り帰すまでだ」
(―続く―)
読んでいただき本当にありがとうございます。
次話は来週に掲載予定です。これからも何卒よろしくお願いします。




