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 菜月ちゃんが高森弟のジャケットの内側を気にして見ている。その様子は可愛い。じりじりと少しずつ高森弟に近付いていっている。もちろん私も気になっているが、私は近付いてはいけない。

 手品を見せてもらっているので当たり前だが、菜月ちゃんだけではなくて石崎さんも高森弟を凝視している。元旦那さんに似ていると、少しは思って見ているのだろうか。

 そして、高森弟を見ている石崎さんを水本は見ていた。

 水本が高森弟に聞いた。「花見団子出せないの?」

「出せないよ」

「なんで?スーパーになかったから?」

「いやいやいや」と首を振る高森弟。「手品で出した食べ物とか嫌でしょ。衛生的じゃないよ」

そんな理由なんだ、と思う。

 菜月ちゃんが高森弟から何かを受け取ろうとしている。高森弟はポケットに手を入れ何か黒い塊を取り出したが、それは一瞬で黒猫に変わった。

「キイ!」

 キイも手品に参加!菜月ちゃんはキイを抱き締め、キイは少し苦しそうにもがいた後、ぴょんとそのまま飛び降りて、あちこちの匂いを嗅ぎまわり、カーペットが敷いてあるところでごろごろと転がった。

 私たちが転がるキイに気を取られていると、高森弟がパチンと指を鳴らし、とたんに部屋が暗くなった。反応して「うっ」とか「あっ」とか、もごっとした声を出す私たちだ。キョロキョロと周りを見ると、真っ暗ではない。月も明るいし、窓の外からうっすらとした外灯の灯りが入り、向こうの家の窓の明かりも見える。

 高森弟がもう一度パチンと指を鳴らす音がすると、天井にぽつぽつと淡い光が浮かんだ。プラネタリウムみたいだ。実際のプラネタリウムには行ったことがないのだが、テレビで見たプラネタリウムの星の光のようだった。薄暗い中にみんなの顔も見える。

 高森弟が天井に手を伸ばした。この部屋の空気をかき混ぜるようにゆっくりと天井に向かって円を描くと、その円の真ん中にオレンジ色の光の輪が出来た。オレンジの光はキラキラと光りながら回転した。

 綺麗だな。あの光に手を伸ばしたい。でも一人だけそんなことも出来なくて手は伸ばさない。それに誰かが手を伸ばしたらあの光は消えてしまうかもしれない。この光を少しでも長く見ておきたいという気持ちの方が強いのだ。

 見ていると光は少しずつ小さくなって来た。残念だ。もう一度高森弟が右手を伸ばした。高森弟が人差し指を立てるとそこにしゅうううっと光が細い線になって吸い込まれて行き、高森弟がゆっくりとその手を下ろすと光も着いて来た。「ふわあああああ」と菜月ちゃんが声を上げた。私も口を開けて声にはならない声を上げていた。もう完全に魔法使いのやり口だった。

 光が完全に消えると同時に部屋の明かりが点いた。

 高森弟はいつから持っていたのか左手に割り箸を持っていて、光を集めた右手の人差し指をその割り箸の先端に当てた。そして差していた手を一旦ぎゅっと握りしめてこぶしを作り、解き放つようにパッと拳を広げた。光は割り箸の先端に集まり、高森弟かもう一度拳を握ってまた広げたとたんに、割り箸は一輪の薔薇に変わった。大輪の黄色いバラだ。魔法だ。決して手品なんかじゃない。この人は物理の教師でも手品師でもなく、魔法使いなのだと思った。

 黄色いバラは菜月ちゃんの手にあった。見るとちゃんととげが刺さらないように抜いてあった。石崎さんは菜月ちゃんを見て少し微笑んでいたが、水本は眉間に皺を寄せていた。

「私、黄色い色がいちばん好きなんだよ」と菜月ちゃんが高森弟に言っている。

うんうん、と高森弟はうなずき、私たちは残りのココアをゆっくりと味わって五号室を後にした。

 



 仕事が終わりいつも通り午後六時過ぎにやまぶき荘にたどり着く。今日も一日中夕べの高森弟の手品の様子が頭の中を回っていた。今日も、というか夕べ五号室を後にしてからずっとだ。

 また見せてくれないかな。菜月ちゃんが貰ったバラの花は石崎さんの部屋で飾られているんだろうか。

 私もいつか手品で出したものを貰えないかな。

 今日は疲れた。荷物も多かったが、問い合わせも多く、他のアルバイトの子が電話で受けた在庫検索をそのお客に電話返信するのを忘れ、そのアルバイトの子が休憩中だったために私が代わりにクレームの電話を受けることになったり、この間ここで買ったテキストで資格試験を受けたけれど落ちたと難癖をつけて来たお客に対応しきれず、店長を呼んで処理してもらったり…。

 溜息をつきながら駐輪場に自転車を回したら、大家さん駐輪場の周りの芝生の手入れをしていた。

「おかえり」と大家さんは手を止めて言ってくれる。「仕事疲れた?」

「はい。なんか今日はちょっといつもより…」

「そっかそっかお疲れ様。部屋…というかここはどう?住み心地。改善して欲しいところとかあったら言っていいんだよ。まあ出来ないこともあるけどね」

「ありがとうございます。職場からの距離がちょっと遠いですけど、今のところちゃんと通えていますし、快適です」

「そっかそっかそれなら良かった。なんか最初ここを見に来たときより、元気な感じはするよ。一人でがんばってて偉いねえ。うちの奥さんといつもそう話しているよ」

とても嬉しかった。大家さんの優しい言葉に疲れが和らいできた。それから大家さんは物語を読むようにこう言った。

ときは実際、今この、春花ちゃんがここにいる、このとき、この今しかないんだよ。過去はあったもの、未来はあるものとしてとらえることができるけれど、それは今ここにはない。過去にあったことが本当に実際あったという証明は誰にもできない。記憶や映像の録画でそれを確認できたとして、それはただの記憶と映像なんだよ。今ここにはない。そこに実際にはもう行くことはできない。今をどうするかでその先に繋がっている。その先がもしも何かの大きな力であらかじめ決まっているとしても、それも実際ここには今ないのだから、私たちが考えなきゃいけないのは今この、春花ちゃんが実際いるここ、今このときのことだけなんだよ。今が快適に過ごせているのなら、それはとても素晴らしいね」

 高校のときの担任にも雰囲気が似ている、白髪交じりの飄々としたおじいさんがそういう話をしてくれると、とても感慨深くて、その通りだな、とすぐに思ってしまうが、過去には実際にもう行くことは出来ないなんてわかってはいても、それでも過去にはとらわれるのだ。私は。この先も一生とらわれる。私の味わってきたみじめさや哀しさにずっと囚われるのだ。

「なかなかね」と大家さんは言った。「難しいよね。私もそれは高校の時の世界史の先生に聞いた話なんだよ。その先生は歴史を教えているくせに、これは試験のためには覚えなくちゃいけないことだけど、本当にあったことがそのまま伝わっていると限らないということだけは覚えておくようにと言っていてね、昔の歴史書にきちんと書かれて伝えられていることだって、まるきり本当かどうかはその時その場所にいた人にしかわからない、というのが口癖だったんだよ」

 驚いた。

 大家さんに似ている高校のときの私の担任も世界史の担当で、そんな感じのことを言っていたのを思い出したのだ。



 次の休みの日だ。なんと石崎さん親子と二回目の女子会だ。今回は私の部屋に石崎さんに来てもらっている。

 自分の部屋にいる石崎さん親子を見ると、ここが別の世界のような気がしてくる。母が人が家にくるのを嫌がるし、家も汚かったから、子どものころだって友だちをうちに呼べることなんてなかったのに、大人になってこうやって自分で部屋を借りて、そこに人が訪ねて来てくれるなんて。しかも今回私は、ちゃんと前もってお菓子も用意出来たし、三人で一緒に食べたかった少し高めのアイスクリームも買って冷凍室に準備している。微かな自分の成長がとても誇らしい。

 今回の女子会は、前に石崎さんが言ってくれていた一回遊園地に一緒に行こうと言う話を煮詰めるためだ。遊園地もいいけど動物園もいいよねという話にもなった。私はなにより、石崎さんが社交辞令でだけでなく本当に一緒に遊びに行こうとしてくれていることがとても嬉しかった。

 それに今日は菜月ちゃんが学校から帰って来たら、まずここに来てもらうことになっているのも嬉しかった。菜月ちゃんの帰りを待つ間、私と石崎さんは、大家さん夫妻に聞いた近所の人の話や、キイがどれくらいの頻度で部屋に来るかとか、高森姉弟の仲は実際どうなのかとか、そういう他愛もない話をした。キイに関しては菜月ちゃんがいるからか石崎さんの部屋は二階にも関わらずしょっちゅう現れているらしい。私のところへはまだベランダ止まりなのだ。

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