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菜月ちゃんはそんなことはしないと信じよう。
「春花ちゃん。私、魔法使いになれないことはほんと、ちゃんとわかってるよ。わかってて魔法使いになる練習をしてるんだから。だからネズミの糞なんていれなし、ネズミの糞なんて入れたくても見つけれないよ。このアパートにはネズミいないし」
「そっか…そうだよね」
「なんかちょっと、」と菜月ちゃんが私を上目遣いで見てくる。「なんかちょっと涼しく感じて来たなって気がして来た?」
「え?あ?…うん」
そう答えたのに、菜月ちゃんは途端に残念な顔をした。「して来こないか~~~」
して来ていないのが速攻でバレていた。
「まあまだ全然暑くないもんね。汗だって出ないしさ。まあ夏に向けて改良途中のお茶だから」
言い訳のように菜月ちゃんが言った。『改良途中』という言葉も知ってるんだな。今の子どもたちは私たちが小学生の時よりずっとかしこいのかもしれない。動画を見たりしてたくさん情報も得られるし。
手作りのよくわからないお茶は飲まされたけど、こうやっていろいろなことを話してくれるのは嬉しい。私に気を許してくれているんだろうか、それかこのアパートの中では一番歳の近い相手だからだろうか。
「味見してくれてありがと!」満面の笑顔で菜月ちゃんは言った。「もう無理して飲まなくて大丈夫だよ。マグカップ貸して」
菜月ちゃんは私の手からマグカップを取り上げる様にして受け取ると、そのままタタタッと菜園の方へ走って行き菜園の端の土の上に残ったお茶をかけた。そしてまた私の方へタタタッと帰って来る。
「お母さんね、最初は結構味見しててくれたんだけど、最近はしてくんないんだよね。でもね春花ちゃん、私だったからいいけど、知らない人から『涼しく感じるお茶』とか言われて渡されても信用できる人じゃないと飲んじゃだめだよ。絶対」
菜月ちゃんの言い草に、ハハハ、と笑ってしまった。「うん。そうする」
「私だって同級生の子が魔法使いの練習してて、作ったお茶飲んでとか言ってきたら超嫌だもん。絶対断る」
菜月ちゃんが可愛くて、つい私は自分の話をしてしまう。
「私もね、魔法使いになりたいと思ってたときあったよ、ちっちゃい時」
「へ~~、どんな練習した?」
「練習?…そうだなあ…私の家は田舎にあって昔の古い家で、庭に木も生えてたからお手伝いで庭の掃除させられてたんだけど、箒で掃くときにちょっとまたがって「飛べ!」って念じたりとかしてた」
魔法使いになれたら、美味しいおやつや可愛いワンピースやお金を出そうと思っていたことは言わない。
「どのくらい?」菜月ちゃんが真面目な顔で聞いた。
「ちっちゃいときだよ。菜月ちゃんよりもうちょっとちっちゃいとき」
「違うよ。何歳かじゃなくて、どれくらいの強さで念じたのかってこと」
どのくらいの強さで念じたか?「…そこまで強く念じなかったかも。なんとなく魔法使えたらなって思ってただけだよ」
「大家さんのおじちゃんが言ってたんだけどね、なにかしたいこととかなりたいこととか欲しいものとかあったら、強く強く想うことが大事なんだって。あとどうしてもこれ嫌だとかいうときも、『これはすごい嫌!』って想うことが大事なんだって」
「…」
「んんんんん~~!!て力込めるくらい」
「…そっか」
「それどう思う?」
「え?…いいことだと思うけど、すごく強く想うって難しいかも。んんんん~~て思っても、いろいろ余計なこと考えちゃう」
「私も思った!私も違うことすぐ考えちゃう。春花ちゃんが一緒で良かったー」
菜月ちゃんがとても嬉しそうにそう言ってくれたので、私もとても嬉しくなった。
奥さんが私たちを呼んでくれた。
「菜月ちゃんも春花ちゃんも、ご飯出来たよ~~~!」
そんな風に呼ばれてパッと走って行く菜月ちゃんの後ろから、同じように走って行ける嬉しさを私は嚙みしめた。
そして夜は菜月ちゃんが魔法使いになったという夢を見た。単純だからなんでもその日に気になったことをすぐ夢に見てしまう。
「なり立ての魔法使いなんだ」と菜月ちゃんは自慢げに私に言った。「でもなり立てだから微妙な魔法しか使えないんだよ。見る?」というので見せてもらう。「ここが草原にかわります」と菜月ちゃんが言ったとたんに、やまぶき荘の駐車場から奥さんの菜園までずっと、コーポの建物以外のところが全部膝くらいまでの草で覆われた草原になった。驚いて私は質問する。「全然微妙じゃないよ。すごいよ菜月ちゃん。どうやってそんなこと出来るようになったの?」菜月ちゃんは嬉しそうに笑って、「ダメだよ。種は教えられたないんだよ」と答えた。種?と私が思っているうちにどこからか風が吹いてきて、足元の草がそよそよと揺れた。いつの間にか夜になっていて月も出て、そこにたたずむ菜月ちゃんは本当に魔法使いのようだった。そこへ急に出て来た奥さんが言ったのだ。「魔法使いなんて、あってもなくてもいいようなものを出して、結局何の役にも立たずに終わるんだから」。
なんでそんなことを言うんだろう。いや、奥さんがそんなことを言ったことにがっかりしている夢の中の私がいた。
菜月ちゃんの足元の草の上をキイがゴロゴロと転がって、そしてキイはそのまま転がりながらどこかへ行ってしまった。
「木本さんは本当のところ水本のことどう思う?」
石崎さんが真面目に聞いてきて、私は黙り込んでいる。
新学期が始まり今は菜月ちゃんはまだ学校で、私は石崎さんの部屋に呼ばれて、石崎さんが焼いたシュークリームをごちそうになっているところだ。
仕事の休みが合うときで、お互い用事が特になかったら一緒におやつを食べよう、と石崎さんが誘ってくれていた。仕事が休みの日に私は別に用事はないが、石崎さんは石崎さん本人の用事だけではなく菜月ちゃんの用事もあるだろうし、社交辞令で言ってくれているだけだろうと思っていたが、本当に誘ってくれてとても嬉しい。シュークリームは焼き立てで、皮はパリパリ。中のカスタードクリームは固すぎず柔らかすぎず甘すぎず、絶妙な美味しさ。店に出せる程の腕前だ。
紅茶とシュークリームを私の前に出してくれて、開口一番水本の話だ。また何か、水本からあからさまな好意でも寄せられたのだろうか。
水本の話か、とは思ったが、話題はどうでもこうやって、部屋に呼んでくれて手作りのシュークリームを食べさせてくれることが嬉しい。が、それでも水本みたいな人に、年上でかつ子持ちなのに好意を寄せられている石崎さんが実は羨ましいとも思っていた。
引越しから三週間ほどが経っていた。
仕事に行き、帰って来て一人で過ごし、また仕事に行き、休みの日は自転車であたりの探索をしたり、図書館へ行ったり、少し離れた史跡を見に行ったり。他の住人たちとも顔を合わせれば普通に挨拶をする。嫌だと思って参加した歓迎会だったが、参加させてもらえて良かったと今では思っているし、どうにかしてあの高森の魔法のような手品をもう一度見たいと願っている。
そして石崎さんが前に言っていた、奥さんのインスタグラムを私にも教えてもらえて、奥さんともLINEの交換をしてもらえた。奥さんのインスタは、それも前に石崎さんが言っていたように料理の写真や動画が主で、動画は作り方よりも盛り方、お皿の選び方をうまく編集していて、凝った料理が出来ない私だが勉強になる。
さらには黒猫のキイもたまにベランダに現れるようになった。奥さんからもらったプランターに生えている草のおかげだ。窓を開けるとすぐに水本の部屋のベランダの方へ行ってしまうが、それでも少しずつ距離が近くなって来た。
ここの住人として暮らしていけている感じがする。
水本はあの後一回私のいるときに職場の書店に現れたが、普通に大学受験用のテキストを買っていっただけで、もう菜月ちゃんのドリルの話をすることもなければ、手品が出来るようになったという話も聞いていない。いくつか出来るようになったのだろうか。出来るようになったら私にも見せてくれると言っていたのに。
水本が石崎さんに話しかけているのは数回見かけた。それはただの挨拶や、菜月ちゃんに手を振ったりと、顔見知りの住人の普通の距離感に思えた。それでもその時の水本の表情は私を含め他の住人に対するときとやはり違う。ぱあっと、本当に嬉しそうに笑うのだ。




