第1話 廃墟の入口
フィオナは歩きながら、どこか落ち着かない表情を浮かべていた。
故郷アルデンに残してきた人々のことが、心の奥で気がかりになっているのだろう。
その横顔を見て、ダリオスが低く、しかし穏やかに声をかけた。
「心配は不要だ。あれだけ巨大な瘴気魔獣を倒した、そう簡単に次が現れるものではない」
彼の声音には確信があった。戦場を幾度もくぐり抜けてきた戦士の、それも大人としての重みが宿っている。
フィオナは小さくうなずいた。不安がすぐに消えるわけではないだろう。それでもきっと、頼れる背中があるだけで、歩みはほんの少し軽くなる。
*
旅の道中、立ち寄った宿場で商人から奇妙な噂を耳にした。
曰く、瘴気に沈んだ村の奥に、古代の遺跡があるらしい。
荒唐無稽な話に思えたが、ダリオスは黙って真剣に聞き入っていた。何か心当たりがあるのだろう。
そして実際に足を運んでみれば――噂は現実だった。
鬱蒼とした森を抜けた先に広がるのは、すでに人の営みを失った村。
崩れ落ちた屋根、割れた窓ガラス、雑草に覆われた石畳。
広場にはひしゃげた井戸が残され、水を汲む桶だけが転がっていた。かつては子供たちの声で満ちていたのだろうが、今はただ風が吹き抜けるばかりだ。
それらすべてが瘴気の薄もやに沈み、ゆっくりと飲み込まれていく最中にある。
沈黙が重くのしかかり、鳥の声すら聞こえない。
「……ひどい」
フィオナが思わず呟いた。
壁際に目をやると、そこには色褪せた落書きが残されていた。
幼い子供の手で描かれたのだろう、ぎこちない線で“巨大な竜に踏み潰される人間”の姿が表現されている。
遊び半分で描いたものにしてはあまりに生々しく、痛々しい。
それは人々が抱えていた恐怖の形そのものだった。
「ここにも遺跡が残っていたか……」
瓦礫を踏みしめながら、ダリオスが低く呟く。
その声音には、懐かしさと緊張が入り混じっていた。
どうやらダリオスは、こうした遺跡に以前から何度か触れてきたことがあるらしい。
「俺らも物好きだな」
ジークが鼻を鳴らし、周囲を見渡す。
「こんな瘴気まみれの場所で、わざわざ石っころ拾いに来るなんてよ」
乾いた風が吹き抜け、崩れた石柱がわずかに軋む。
人の気配はどこにもなく、ただ瘴気だけがじわじわと肌に染み込んでくるようだ。
アレンはわずかに顔をしかめた。空気が皮膚の下にまで染み込む錯覚がする。
「ここも……瘴気に……」
フィオナが咳をひとつこぼす。
その音に、アレンはすぐさま反応した。自分の口元を布で覆いながら、フィオナの分も取り出して差し出す。
「フィオナもこれを。油断したら危ない」
彼女は素直にそれを受け取り、口元を覆った。
ほかの仲間も同じように準備を整える。
瘴気の濃度は確実に増しており、長居すべき場所でないのは誰の目にも明らかだった。
「だが、ここには古の記録が残っているはずだ」
ダリオスの声が、一行の足を止める。
ダリオスは崩れかけた石造りの門の前に立ち、真剣な眼差しで奥を見据えていた。
闇に口を開けたようなその空洞が、村の奥に眠る遺跡の入口だった。
「俺たちが探している答えも、きっと中にある」
ダリオスは誰にともなくそう言い切る。
瘴気に包まれたこの土地でさえ、彼の言葉には不思議と道を示す力がある。アレンはその背を見つめ、胸の奥で小さく拳を握った。
この旅の意味を、アレン自身もまだ掴みきれてはいない。だが、自分の歩むべき道がそこに続いていると感じた。
一行は互いにうなずき合い、闇の口へと足を踏み入れていった。