第5話 決意の旅立ち
翌朝。街はまだ薄い霧に包まれていた。石畳はしめり気を帯び、吐く息すら白く濁って見える。昨日の戦いで一時は晴れた空気も、ゆっくり、しかし確実に。再び瘴気に侵されつつあるのだろう。
アレンたちは荷を整え、フィオナの食堂を訪れた。旅の道中で口にする食べ物を分けてもらうつもりだったが、そこで思いがけない言葉が投げかけられる。
「……私も、一緒に行っていいですか?」
フィオナの声はかすかに震えていた。それでも瞳はまっすぐで、曇りはない。
一瞬、言葉を失ったのはアレンだけではなかった。ジークが「えっ」と目を丸くし、ダリオスでさえ眉をわずかに動かした。
両親も当然、驚きを隠せない。母親は慌てて娘の肩に手を置き、父親は深い皺を刻んだ顔を伏せる。それでも強く否定はしなかった。むしろ、娘の決意を受け止めようとするように、二人は静かに荷を用意し始めた。
「これくらいしか……」
母親が布袋をいくつも抱えてきた。包みをほどくと、中からは干し肉、黒パン、保存のきく果実、それに薬草の束まで出てくる。
申し訳なさそうに言うが、その量は「これくらい」では済まない。小柄なフィオナが一人で背負えば、すぐに歩けなくなるほどだった。
「……さすがに多すぎるだろ」
アレンは一度ため息をつき、結局は袋を受け取って自分の鞄に詰め込んだ。
ジークも苦笑混じりに肩をすくめ、同じように手を貸す。
ダリオスは何も言わず、荷を一つずつ確かめてから自分の背袋に振り分けた。その無言の仕草には、妙な重みがあった。
その中に、一本の杖があった。木目が磨かれ、握りやすいように細工されたそれは、明らかに誰かが時間をかけて用意したものだった。
「……お父さんが、いつか必要になるだろうって」
フィオナの母親がそう言ったとき、父親は厨房の奥を向いたまま振り返らなかった。
「お前が信じる道なら、行ってこい」
ぶっきらぼうに言い捨てる声。その背中に、アレンは言葉にできない重さを感じた。
「必ず、帰ってきてね」
母親はフィオナを強く抱きしめた。フィオナも小さく頷き、「必ず、いつもみたいに……ただいまって言うから」と囁く。
その声が揺れていたのか、それとも自分の胸が揺れたのか、アレンには判別がつかなかった。
*
街の門へ向かう道。まだ朝の光は霧を完全に払えず、景色は白くぼやけている。
途中、通りすがりの行商人が立ち話していた。
「最近、“救済の環”とかいう連中を見かけたぞ。竜を拝んでるって話だ」
ジークが鼻で笑う。
「……物好きもいるもんだな」
ダリオスは何も言わなかった。ただ、その横顔は霧の白さに溶けて表情が読めない。
言葉が耳に残る。竜を信仰する――不穏な響きだけが尾を引いた。
やがて門にたどり着くと、昨日の門番ともう一人、昨日とは別の門番が立っていた。フィオナは他の街へ行くこともそれなりにあるようで、門番たちと知り合いらしい。
彼らは無言で手を振る。送り出すでもなく、引き止めるでもなく、ただ見守るように。
フィオナも手を振り返し、門に背を向けて一歩を踏み出した。その足は、二度と振り返ることなく進んでいった。
アレンはふと横を見る。
銀の髪が朝日に照らされ、淡く光を帯びて揺れていた。
(……この力があれば、きっと)
胸の奥に、初めて未来を想像する感覚が芽生える。
それは脆く、小さな光にすぎない。だが、確かにそこにあった。
四人の影が、霧の向こうへと伸びていった。
~入れそびれたフィオナの服装~
深緑の旅人用マントの下には、白を基調にした清楚な旅人服。
一見ワンピースのようにまとまって見えるが、実際は動きやすいズボンを合わせている。
首元・袖口・裾には、差し色のように鮮やかな赤のラインが走り、静かな装いにささやかな強さを添えている。