第4話 祈り絵に刻まれた伝承
アレンたちはフィオナの案内で、瘴気に呑まれて廃村となった場所へ向かっていた。
道はかつて人々の往来で踏み固められていたはずだが、今は土がひび割れ、ところどころに黒ずんだ草がへばりついている。
風が吹いても鳥の羽音一つせず、木々は枝を垂れたまま揺れることさえ忘れていた。まるで世界そのものが息をひそめているかのようだった。
「……静かだな」
ジークが呟く。普段なら軽口混じりの声も、この空気の前では重たく沈んだ。
アレンは剣にそっと手を添える。見えない瘴気が喉をざらつかせ、生き物の気配は一切ない。
あの巨大な瘴気魔獣の爪痕が、まだ残っているのだろう。
村に入ると、光景はさらに無惨だった。崩れた石垣、倒れた井戸桶、玄関先に転がる片方だけの靴。乾いた風が吹くたびに、家屋の残骸がきしみ、粉じんが舞い上がる。
かつてここに暮らしていた人々の気配は、形を失った残骸として散らばるばかりだった。
だが、その荒れ果てた中で、小さな教会だけがかろうじて壁と屋根を保っていた。
「ここだけ……残ってる」
フィオナが足を止め、戸を押し開ける。
中は薄暗く、埃と湿気の匂いが入り混じっていた。床板は一部が抜け落ち、かつて信徒が並んだであろう椅子も、崩れて山になっている。割れた窓から差し込む光が、浮遊する塵を金色に染めていた。
祭壇の奥。その壁に、色褪せた絵がかろうじて残っていた。
それは“祈り絵”と呼ばれるものだった。
かつて信徒たちが祈りを込めて描いたものだという。顔料はところどころ剥げ落ちていたが、光をまとう姿と、黒き竜に立ち向かう構図はまだ残っている。
「子供のころ、父から聞きました……」
フィオナが絵に近づき、小声で言った。
「光は瘴気を祓う、竜は瘴気の源を象徴している、と。……誰も竜を見たことはないそうですが」
アレンは無言で絵を見上げた。
黒き竜の輪郭はなお濃く残り、牙や翼まではっきりと読み取れる。それに比べて戦士は、剣や鎧の形こそ分かるが、肝心の顔だけが色褪せて崩れ落ちていた。その歪な残り方は、絵そのものの劣化を超えて、不気味な不均衡に思えた。
竜という災厄の姿は変わらず残り続けるのに、人を守るはずの戦士だけが消えていく――。
その光景が胸の奥にざらりと沈み、アレンは小さく息をついた。
だから、隣でフィオナが真剣に祈り絵を見つめていることには、気づかなかった。
*
――帰り道。
「竜って、封印されたんだよな」
ジークがぽつりと漏らす。
「もし竜がまだ生きてたら……こんな瘴気どころじゃねぇ、街ごと消し炭だ」
「ただの伝説だろ?」
アレンは吐き捨てるように答えた。竜など所詮は語り継がれた昔話だ。
「……竜、それは昔話の形を取った“恐怖の象徴”だろう」
ダリオスの声は静かだった。
「瘴気そのものに形はない。人は形なきものを恐れる。だから黒き竜という偶像を与えた。燃え盛る炎で街を焼き、瘴気で人を蝕む――そんな災厄を一つの姿にまとめたんだ」
夜の風が吹き抜ける。アレンたちはしばらく無言で歩いた。
廃墟に残された祈り絵の影は、彼らの胸にまだ揺らめいていた。