贖罪88
エビールはマリスが何かしらの反応をするだろうと思っていたので、言葉を発しながら彼を観察していた。
「そう。悪魔狩りだ。君もよく知ってるだろう。歴史としてじゃない。身を持ってね……。」
そろそろマリスが何か言うと思ってしばらく待ってみたが、何も言わなかったので、エビールは話を続けた。
「人間の懐柔が上手く行かなかったもんで、今度は悪魔に従属する人間を増やそうとした。
いいアイデアだったと思うんだけど、これも上手くいかなかった。
悪魔狩りがあった5年後には魔女狩りがあった。地獄への人さらいのときと同じように、
悪いことが何かあると全部悪魔と、それと悪魔の手下である魔女の仕業と結びつけられた。
更にエスカレートすると単に気に入らない女だからと言うことで密告が始まった。
魔女とされた女たちはどんどん増えていったけど、実際に悪魔と契約した魔女たちは難を逃れて、
処刑されたのは無関係の人間だった。でも問題はそんなことじゃなく、
悪魔への恐れはますます強まったってことだ。今は君だけじゃなく悪魔全体にとって、
契約を取りづらい時代だから、そう気に病む必要はないよ。
悪魔の地上での二つの仕事に触れよう。悪の奨励と不幸の推進だったね。まず不幸の推進。
人間の願いを叶えるフリをしておいて、実際には叶えないで人間を不幸にする。
彼らは、元々は神に願うような人間たちだから、悪魔が現れても易々と契約をしようとはしないから難しい。
それに加えて誰かを助けたいとか会いたいとか、
そういった愛の悲痛な叫びを聞き取る能力をなかなか習得しづらいことも、この業務を難しくしてる。
一方で悪の奨励は神に頼んでも叶えてくれないような人間の邪な願いだ。
こういう人たちは大事にしないといけないね。
邪な声は感じ取り易いし、悪魔と契約することへの恐れがあっても、
望みを叶えるためには我々の力が無いと出来ないことも一方では分かってるから、
不幸の推進に比べると契約は簡単だ。
ただ、願いを何でも叶えられるわけじゃない。
たとえば、世界を支配させろと言われても、誰に対しても、はい分かりました、という風にはいかない。
悪魔の能力も無限じゃない。もしそうなら世界中の人間が王になれる。
世界を支配したいと思うなら、それに足る器がなくちゃいけない。そうすれば、
その器に水を注ぐことができる。器なくして悪魔の能力を発揮することはできない。
器の見分け方だけど、これは悪魔に備わった特殊な能力と言っていいかもしれない。
人間が求める願いを叶えられるか、分かるんだ。
ただ、世界の支配といったスケールの大きさ話とは違って、寿命を延ばしたいとか、
身長を伸ばしたいとかいった自分に関わることとか、誰かを殺したいとか、
誰かを惚れさせたいといった他人が関わることとか、世界への影響度が小さくなればなるほど、
願いは叶えやすくなる。
悪の奨励、不幸の推進どちらでも契約するにあたって契約者が差し出すものはないけど、
魂が真っ黒になって地獄行きが確定するから、それが対価とも言える。
言葉ではね。長ったらしくて、とても読んでいられない契約書の条項にひっそりと
潜り込ませるように書くだけだ。
言えば尻込みしかねないからね。契約した後は言うけどね。
つまるところ、善人悪人問わず、悪魔とやり取りするってことは、
どっちみち犠牲がつきものってことさ。不幸の推進は報酬が良いんだけど、話したような理由から難しい。
それよりも、契約に至りやすくて、悪人とのやり取りをする悪の奨励の方をやりたがる悪魔が断然多い。
次は人の死について触れよう。人間の死には、天国の意向と地獄の意向の二通りがある。
天国ではどういう風にやってるか分からないけど、地獄では申請を出して、
許可が下りれば死神会に登録してる死神が命を奪いにいく。」
マリスはちゃんと聞いているフリはしているが、面白い話でも聞けると思って来たのに、
これまで退屈な講義が続いて退屈していた。
マリスを注意深く観察していたエビールも彼が退屈していることに気が付いていた。
それで次のような話をしてみた。
「知ってるかいマリス君。本来、登録してないと命を奪うことは認められてないけど、
未登録の死神がいるなんて噂を……。」
これを聞くとマリスは突然興味深そうな顔をしてエビールを見た。
思った通りの反応が得られたエビールはニヤリとした。
「未登録の死神がいるんですか? 初耳ですが。」
「そりゃ学校でそんなこと教わらないだろう。」
「そうすると許可を取らずに人の命を取れるということになるんでしょうか。」
「ん?まあ、管理されてない死神だから、そういうことになるだろうね。
変な気は起こさないでくれよな。単なる噂だからね。」
エビールは笑って言った。
「ええ、分かってます。」
マリスは微笑みを浮かべて頷いた。
『自分の手を汚さずに、そんなことが出来たら楽しいだろうな。未登録の死神か。
本当にいるなら、役に立つかもな。』
マリスは思った。
エビールは話を続けた。
「地獄の意向の死の場合には誰かの幸せを奪い取るべく申請を出すんだけど、
幸せを感じ取る力が求められる。これも愛の悲痛な叫びを聞き取ることと一緒で、
一朝一夕で習得できるものじゃない。我々と調和するエネルギーじゃないしね。
プラスエネルギーを感じ取れたとしても、身の毛がよだつようなそのエネルギーに晒され続けながら、
その出所を探知しなきゃいけない。これが難しい。だから悪の推進をやりたがる悪魔が多いことは納得できる。
さて、奪う命は何でもいいかというと、そんなことなくて、子供は駄目だ。人間の親の愛とは物凄い強さだ。
彼ら、とくに母親の方は子のためならどんなことでもする生き物だ。君、見たことあるかい?
生まれたばかりの人間の赤子ったら、まるで猿みたいなんだ。知ってるかい、猿って?」
マリスは頷いた。
「それは猿に失礼ですよ、エビールさん。」
マリスはニヤリとして言った。
「そりゃそうだ!」
エビールはゲラゲラと笑った。
笑い終えると再び話し始めた。
「それなのにさ、母親はそれを大事そうに抱きしめる。まったく、理解に苦しむよ。
生みの苦しみのせいで頭がおかしくなってるのかもしれない。理由はとにかく、
親というものは、たとえ世界を敵に回してでも自分の子を守ろうとする。
そんな彼らから子を奪えば、彼らは自分の身を犠牲にしてでも子を助けようとするだろう。
自分以外を大切にしようなんて、人間とは奇妙な生き物だ。そうは思わないか、マリス君?」




