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交換日記は下駄箱の中に  作者: くにたりん
第2部
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第18話 出発点

 ふてくされた子供みたいに受話器を叩きつけた後、パンツの後ろポケットに、残った小銭を雑にしまった。


 あの海斗の捨て台詞はグサリと胸に刺さり、ズキズキと痛みを伴うものだったからだ。


「電話、終わったの?」


 外に出ると、すぐに桃子が笑顔を見せながら言った。


「あ、うん」


 気持ちの悪い笑いを浮かべ、なんとも歯切れの悪い返事をしてしまう。ついでに、桃子の隣で微笑んでいる斉藤さんに、俺は形だけ頭を下げた。


「じゃあ……」


 神様探しに行くか、と言いかけて、言葉が詰まってしまった。興味がないわけではないし、俺の方から行ってみるか、と桃子に持ちかけたことを考えると、今更「気が乗らない」とは言いづらい。


「行っちゃう?」

 迷っている間に、先に桃子に聞かれた。


「って、どこにいるか知ってるの?」


 と口にした後、自分の言葉に刺があった気がして、ぷいっと目をそらし息を飲んだ。


「知らない」


 桃子は気にする風でもなく、あっけらかんと答えると、ふふ、と笑って続けた。


「アオタくんが電話をしている間にね、ちょっとした情報を斉藤さんに教えてもらったの」


 桃子は斉藤さんと示し合わせたように、顔を見合わせて小さく笑った。なんだか嫌な感じがするリアクションだ。


「教えた、ってほどの話じゃないよ」

 と言って、斉藤さんは肩をすくめた。


 俺が眉を寄せて首をかしげると、斉藤さんは涼しい顔で通りの先を指差した。


「ほら。さっき、この先を左に曲がったところにファミレスがある、って話をしたよね」


「はあ」


「近くに駅があってさ、そこが神に会う出発点だと聞いてる。ただね、その先の話は諸説ある、というか」


「つまり……詳細は分からない、ってことですね」


「まあ、そういうこと」

 斉藤さんは、照れ笑いした。


 まったくイライラさせる話である。都市伝説と言うならば、もっと詳細な設定やバックボーンを用意しておくべきではないのか? 


 その神とやらは、どんな姿をしていて、どういう条件下で現れるのか。桃子の道案内のあやふやさ加減と、どっこいどっこいだ。キャラとストーリー設定を、もっと煮詰めてから持ってこい。と俺は言いたい。


 言いあぐねている俺を見てか、それとも、どうしても行きたいのか。桃子が勢いよく多弁になって、俺を説得しようとしている。


「ね、面白いでしょ? 謎が多いのよ、この神様。だから駅に行って、最初に来た電車に乗る。というのはどうかな?」


 どれだけ期待しているのだ、と尋ねたい気持ちは、胸の内にしまっておこう。


「悪くない」


「本当? そう思う?」


 俺は頷いて、もっともらしく言った。


「あちら様は神様だ。会ってやっても良いかな、と思えば、向こうから勝手に来るだろ」


 でたらめとは言え、我ながら合点がいく解釈じゃないか。だからと言って、無条件で桃子に同意するつもりはない。時計の針がてっぺんを回る前に、桃子を連れて、じいさんの家に帰ろうと思う。


 これは断じて、海斗に言われたからではない。


 その意を示すために、俺は険しい表情を作り、えらそうに腕を組んだ。


「これには条件がある」


「どんな?」


 両目を輝かせている桃子を見るに、虚しい牽制の努力も、まったく効力を発していないようだ。


 咳払いを一つして、気持ちを仕切り直す。


 桃子の目の前に、力を込めて指を三本立てた。


「駅を三つ過ぎても神が現れなければ、俺たちは四つ目の駅でUターンする」


 渋面を作って言ったはずなのに、あまりに桃子が嬉しそうな顔をするものだから、つい釣られて相互を崩してしまった。





*********

 結局、俺たちは斉藤さんと歓楽街に別れを告げ、デート時間の延長くらいの軽い気持ちで駅までやってきた。


 乗車券を販売機で購入している間、桃子は改札の向こう側を覗いてみたり、俺のところへ戻ってきたりしている。ジャラジャラと出てきた釣り銭を拾い、財布の中にしまっていると、桃子が笑顔で戻ってきた。


「楽しそうじゃん」


 俺は苦笑して尋ねると、桃子は目を見開き、俺の顔を覗き込んだ。


「だって、ここは出発点なんでしょ?」


「いやまあ……そうなんだけどさ」


 ぼやきに似た俺の相槌など、桃子は聞いちゃいやしない。


「終着点は、どこなんだろう。やっぱり、誰も知らない場所なのかなあ。どの辺りまで行けば、神様に会えるのかなあ」


 桃子は思いつく疑問を宙に並べながら、空中に舞う花弁を目で追うように、視線をゆらゆらさせている。


 期待の高まりに胸を躍らせている彼女に申し訳ないが、どう転んでも、またここへ戻ってくることになるのは明白だ。


 夢みがちな少女に、「ほい」と切符を一枚渡した。


 桃子は切符を受け取ると、上目遣いで俺を伺いながら「ありがとう」と小さな声を出した。


 その申し訳なさそうな彼女の顔は、叱られて涙目になった子犬みたいだった。


「駅は三つまで。これは絶対だから。どんなにお願いされても、俺は譲らないから、そのつもりで」

「もちろん」


 と即答した彼女は、やはり笑っていた。


 山の天気みたいに、コロコロと変わる表情も彼女らしい。しょんぼりしていたかと思うと、今は、根拠のない自信に満ち溢れた笑顔を向けてくる。


 だから、こう言うしかないわけで。


「じゃあ……サクッと行きますか」


 本当に角を曲がれば、駐車場が併設したファミレスがあり、その先に、斉藤さんが話していた駅が見えた。恐らく、かつて俺が桃子と映画デートをした時は、反対側の正面口の方にいたのだろう。俺たちの目に映った駅の入り口は狭く、いかにも裏口のそれだった。


 だが、小さな入り口であっても、改札に立つ駅員は、相変わらずスマートな手捌きを見せている。自動改札の方が、券売機に立ち寄る必要もないし、駅員も無駄に時間を拘束されずに済むというもの。それでも、この一連の流れは嫌いではない。


 切符を駅員の方へスッと差し出し、鋏をいれてもらいながら、空いている右手をシャツの胸ポケットにそっと当てた。


 別れ際に、糸目の斉藤さんから「何かあれば、いつでも電話してね」とバーの名前と電話番号が書かれた白いライターを受け取っていたのだ。バーの名前は『BAR 三毛猫』。マスターが長年連れ添っている愛猫が、美しい三毛猫だからだそうだ。


――それは良いとして。なんだかなあ。


 胸ポケットの中にあるライターを指でなぞり、捨てようか、と迷っている。


 もう、会うこともないだろうから、タバコを吸うわけでもない俺が持っていても何の役にも立たないだろう。なのに、この小さなライターがポケットにあると、まだ繋がりがあるような気がして、もやもやするのだ。


 改札を抜け、後ろを振り返り立ち止まった。桃子が「はい」と言って、駅員に切符を切ってもらっている。


 俺はポケットから手を離し、とりあえずライターは持っておくことにした。


 人の邪魔にならないように、少し改札から離れて立っていた俺のところへ、桃子が駆け寄ってきた。


「お待たせ」


「右と左、どっちがいい?」


 桃子の口がポカンと開いたが、質問の意図を察して、一瞬だけ考えて、すぐに答えた。


「右。右がいい」


「じゃあ、そうしよう。どこ行きかは知らないけど」


「いいよ、いいよ! こういうの凄くいいよ!」


 隣で、はしゃぐ桃子を横目で見ていると、神様はどうでもいいが、楽しいのは間違いないと思えた。


 こうして、右側に進んだ先にあった駅のホームに立っている。どこへ行くでもなく、これから来る電車に乗り込むことになるとは。


 行き当たりばったりの旅も悪くない。どうせ、四つ目の駅で降りる羽目となり、夕方には、またここへ戻ってくることになる、と踏んでいる。


 駅はホームもどこもかしこも、休日ムードが漂っていた。東京の駅で見るような人混みには程遠いものの、親子連れやカップルやら、私用で出かける人たちが、楽しそうに歩いている。


 君たちは誰だ。何者だ。


 何も疑問を持たず、本来とは違う人生を当たり前のように、この世界で過ごしているのだろうか。それとも、かつての海斗のように記憶を抱えたまま、それでも、過去を忘れようとしているのか。


 どうして、ここにいるのだろう。


 そんなことを、ぼんやりと思いながら、行き交う人たちを眺めていると、甲高いベルの音がホーム全体に響いた。


 呼応するように、俺の腹も鳴り始めた。


「キオスクで、なんか買っときゃよかったなあ」


 空きっ腹をシャツの上からさすり、苦笑混じりに呟いた。


 桃子は徐々に近づいてくる電車に視線を据えたまま、控えめに微笑んで、ゆっくりと口を開いた。


「アオタくん」


 鳴り止まないベルと、腹の虫の泣き声が混ぜこぜになる中、名を呼ばれ横を向いた。


「私ね」


「うん」


「なんだか今日――神様に会えそうな気がするんだ」


 そう言って、桃子は俺に顔を向けると、目を三日月のようにして笑った。


「――そっか」


 目の前に滑り込むように入ってきた電車に目を留めたまま、ブレーキの金属音を聞きながら、俺は、ただ、そう答えた。



 何でも願い事を叶えてくれる神様。


 そんなの、全部嘘だから。


 などと、意地悪なことを口走りそうになった自分に、俺はひどく嫌悪した。

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