第9話 海斗の懐柔
馴染みの商店街を歩いていると、時折、学院の生徒らしき男女とすれ違う。もしかしたら、この雑踏の中にいるんじゃないか、と探してしまう俺がいる。
前を揚々と歩く海斗と雅次郎には考えがあるようだが、安井に会いに出かける理由が、俺には分からない。
気乗りしない気持ちをそのままに、「なあ、悠長にピンクゼリーを食いに行く場合じゃないんだが」と、疲れ果てたように漏らした。
二人は揃って立ち止まり、俺の方に振り返った。キョトンとした顔の海斗の横で、雅次郎は小さいくせに、やけに自信たっぷりに言った。
「まあ、いいから。黙ってついてこいよ。今日、安井に会っておけ。絶好のタイミングだってことが行けば分かる」
やっぱり要領を得ない。甘いのか辛いのか酸っぱいのか、よく分からない物を食わされている気分だ。
例のレンタルCD屋の前まで来ても、立ち寄るでもなく、二人は迷うことなく、向かいにある船木屋の扉を開けた。
「いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」
颯爽と雅次郎が、先陣を切って店に入っていく。常連客らしく、カウンター越しに、さりげなくオーダーを入れたりしながら。
「ママさん、俺、ピンクゼリーね」
「あ、俺も!」
と、思わず俺が追従してしまった瞬間を、雅次郎は見逃さず、こっちを見てニヤッと笑った。ぬかったとばかりに、俺は小さく舌を鳴らす。
かと思えば、海斗は「僕はコーラで」と炭酸も弾けんばかりの爽やかさを振りまいている。
俺には見えない何かが、この二人には見えているのだろうか。雅次郎と海斗は店の奥を一瞥した後、顔を見合わせ、二人して悪巧み前の余裕を見せた。
カウンター席しかない狭い店内の通路で、雅次郎はサッと、海斗に道を譲った。海斗もそそくさと奥へ進んでいく。
「おい」と海斗に手を伸ばそうとすると、雅次郎が俺の腕を掴んで下げさせた。
「湯島に任せておくのが上策だぞ」
奴の無表情な顔にイラっとしたのも束の間、カウンターで夢中になって絵を描いている安井の横顔に、思慮の浅い俺は思わず声を掛けてしまった。
「安井、ひっさしぶり!」
手元の白い紙から視線を上げ、安井が怪訝な顔で俺たちを見た。
「……誰?」
この世界では、よそ者であることを失念していた。何の作戦かは知らないが、雅次郎の冷ややかな目つきを見れば、どうも俺は邪魔をしているらしい。
海斗が俺に振り返り、無邪気に笑って見せる。
「人違いだよ。制服が違うでしょ」
「は?」
俺と安井の声が、同時に店内に響いた。
海斗は暗に「もうしゃべるな」と目を細め、背筋が冷やっとする笑みを浮かべている。
邪魔者に釘を刺した後、再び、海斗は安井の方に向き直ると、
「ごめんね。僕らの友達にさ、安井くんていう名前の子がいるんだよね。君によく似てるから、彼、勘違いしたみたい」
「ああ……そういうこと。ちなみに、僕も安井だけどね」
「それは偶然だね。僕は湯島海斗。よろしく」
「よ、よろしく……」
雅次郎は満足気に笑みを浮かべながら、入り口に近い端っこの席に腰を下ろした。離れたところから、観戦するつもりらしい。
雅次郎が俺にも「座れよ」と、自分の隣にある椅子の座面をぽんぽんと叩いた。結局、俺は店に入ってすぐの席に座ることに。要は、安井と海斗から一番遠い末席というわけだ。
その間に、海斗は安井の隣を指差し、朗らかに言った。
「隣、いいかな?」
まごつきながら、安井はカウンターに広げていたスケッチブックを閉じた。
「あ、邪魔だった?」
「いや、別にいいけど……」
安井は険しい目で、麗しい笑みを讃えた海斗をチラチラと見ていた。初対面のくせに、妙に馴れ馴れしく近づいてくる男は怪しいに決まっている。
ちゃっかり安井の隣に座り、海斗はカウンターに肩肘を乗せたまま、俺たちにリラックスした背中を向けた。
「ねえ、さっき何を書いてたの?」
安井は閉じたスケッチブックに視線を落とし、黙り込んでいる。
「僕らが入ってきた時、スケッチブックに何か描いていたように見えたから、ちょっと気になって」
「……イラスト。クラス全員の似顔絵を描いてるんだ」
「凄いなあ。しかも全員分? 大変じゃない?」
そう言われて悪い気はしないようで、安井は困惑混じりながら、ぽつぽつと話し始めた。
「そんな大したことじゃないって。明日の文化祭で使うから、今夜中に仕上げないとマズイんだけど、実はまだ完成していないんだよね……」
「へえ、文化祭」
安井がうつむきがちに「うん」と短く返事した時、海斗は俺たちの方へ一瞥して、悪い顔で微笑んだ。雅次郎は当然のような顔をして、いつの間にか目の前に置かれたパフェを美味そうに食らっている。
あくまで朗らかな好青年を気取って、海斗の誘導自問は続く。
「安井くんも高三?」
「君も?」
「そうだよ。ちなみに僕は三年A組。もしかして、それも同じだったりして」
海斗は自分で言って、クスっと笑った。
「僕も……A組」
「びっくりするくらい、僕らは共通点が多いね」
当然だ。
偶然を装っているだけなのだから。
海斗は軽妙に会話を続ける。
「出し物は何? バンドでライブとか、お化け屋敷とか色々あるじゃん?」
「カフェだよ。クラスの女子がえらく張り切っててさ。他とは違うことしたい、とか言い出して……」
「へえ」
「クラスメートの似顔絵を装飾にする、っていうアイデアが採用されてね。まあ、仕方なく? 僕が担当することになったってわけ」
少し誇らし気に語る安井に、海斗は感心するように頷いた。
「それは責任重大じゃないか」
「いや……そうでもないよ」
と言って、安井は鼻で笑った。
「どうして?」
得意気だった安井が、自虐的な笑みを浮かべた。
「どうしてって……僕が描いた似顔絵なんか……見る奴、いるわけないよ」
自分で自分を下げる言葉を吐くと、思いの外、ダメージを受けるもの。安井は落ち込んだのか、がっくりとうなだれている。
少し間を置いて、海斗が安井を見下ろすように言った。
「だから、手抜きしてるの?」
「僕は断じて、手を抜いたりしない!」
うつむいていた顔を海斗に向け、鼻息荒く睨みを利かせている。絵を描く、という、自分が大事にしてきた生きがいを、愚弄されたように感じたのだろう。
大声を出した安井は、気まずそうに海斗から視線を外した。
「だったら、見てくれる人はきっといるよ」
「……そうかな?」
「絶対にいる」
飴と鞭というべきか、海斗のギャップある声音に翻弄され、安井は戸惑いながらも、また落ち着きを取り戻した。
「似顔絵、見たいな」
ちなみに、俺は例のピンクゼリーを食いながら、カウンターに身を乗り出し、海斗と安井の様子を伺っていた。
今は安井の困った横顔が、チラチラと海斗の背中越しに見えている。
「それはちょっと……」
見せたい気持ちと評価される恐怖は、常に拮抗するものだ。安井が躊躇する気持ちも分かるが、あのスケッチブックの中身は確認しておきたい。
安井のあいまいな返事の後、海斗は安井の手をすくいあげた。俺は心の中で、「タイプじゃないだろ!」と見当違いな叫びを上げた。
「指、綺麗だね。繊細そうだ」
安井は戦慄いて、言葉も出ない。字面だけなら、イケてる男だけが言って許される、女への賛辞に似ているのだから。
「指が綺麗な人は手先が器用で、絵を描くのが得意な人が多い、と聞いたことがあるよ」
俺と雅次郎は、同時に両手を目の前に掲げて、己の資質を確認してみる。雅次郎は眉間にしわを寄せ「聞いたことないぞ、そんな話」と呟いた。
奥の席の二人は、思いの外、会話が弾み始めている。
「手先は器用な方だと思うけど……初めて聞いたよ」
「らしいよ」
爽やかな笑顔の裏に隠された、巧妙な海斗の嘘に違いない。
安井の指が綺麗だと仮定し、海斗の聞いた話とやらが真実だとしよう。それは、安井が先天的に絵画の才能を持って生まれた、ということを意味することになる。
案の定、安井はその気になったようだ。
横顔は笑ってはいないが、頬は上気している。
安井は閉じたままのスケッチブックを、海斗に恐る恐る手渡した。
「言っておくけど、独学で描いているだけだから上手くないよ……だから、あんまり期待しないで」
「全員のイラストを描く。それだけで十分、君は才能あるよ」
海斗の表情は見えないが、天使のごとく清廉な微笑みを安井に向けているのだろう。
一枚一枚をめくりながら、海斗はさも感心するように「へえ、上手いなあ」と、安井の喉をくすぐっている。
あるページのところで、めくる手が止まった。
「この子、可愛いね」
「ああ、砂上さんか」
「ありがとう、安井くん。僕ら、もう行かなくちゃ」
と、あっさり他のページをめくるのを止め、無情にも安井にスケッチブックを返した。安井は、最後まで見ないのか、と言いたげな複雑な顔をしている。
「あ、うん……」
「君の描いた似顔絵を壁に並べたら、きっと壮観だろうね」
そう言って、海斗はさっと席を立つと、店のママさんに500円玉を渡した。俺たちも慌てて、ポケットから財布を取り出し、小銭を数え始めた。
「じゃあね、頑張って」
と、海斗が安井に告げ、余韻もなく出口に向かって歩き始めた。
「ゆ、湯島くん!」
支払いが終わり、まさに俺たちは店を出ようとした瞬間だった。
安井はガタンと音を立てて席を立ち上がると、必死の形相で海斗を呼び止めた。呼ばれた当人は、ニッコリと笑みを口元に宿してから、安井の問いかけに振り返る。
「なに?」
勇気を持って告白に来た女子のように赤面した安井が、俺たちの方へ慌てながらやってきた。
「これ……良かったら」
「ええ、もらっていいの?」
「うん……そっちの友達と一緒に、明日の文化祭、遊びに来てよ」
手渡されたのは、ケーキセットのチケット三枚。安井から、三年A組主催のカフェへのご招待だ。
「ありがとう。是非、行かせてもらうよ。安井くんのイラストを楽しみにしてるね。じゃあ」
嬉しそうに小さく手を振る安井と別れ、俺たちは暮れかかり始めた商店街へ出てきた。
雅次郎は高笑いし、「上々だよ」と言って、自分より背の高い海斗の肩をバンバン叩いた。
帰りの道すがら、俺は雅次郎に聞いた。
ヤツが一人でこっちへ来た時に、船木屋のママさんから、夏の祝日に文化祭が開催されることを、小耳にはさんだらしい。
海斗は知らなかったが、話の流れを汲んで、今日の目標を変えたという。当初は、安井の信頼を得て仲良くなることが、海斗の目指した成果だった。
桃子が在籍する桜光学院の情報を入手したり、学院に潜入する際の便宜を図ってもらうには、内部協力者がいたほうがいい、ということからだそうだ。
「いやあ、今日はラッキーだったね」
と言って、海斗は穏やかに笑っている。
褒めそやしたり煽ったりしながら、欲しい答えを引き出す海斗の懐柔能力を目の当たりにして、俺は開いた口が塞がらないでいた。
読んでいただきありがとうございます。




