幕間 とある医師の独白②
「先生」
「はい、なんでしょう」
「私これからコンビニに行くんですけど、先生の分も何か買ってきましょうか」
昼休憩が近づき、待合室で診察を控える患者さんが少なくなった頃。受付担当の一人である佐藤さんが診察室に来るなりそう尋ねてきた。
彼女は当病院の受付の中でも一番若く、そして可憐だ。こうして目の前に来てくれるだけで何となく癒されるというか、目の保養になる。私にはあいにく既にそういう相手がいるからもう一つ恋愛関係を作ってしまうとそれは浮気になるが、彼女を愛でるこの気持ちはいわば美術品を愛好するようなものなので、許されるはず。
「あ、じゃあ、カップラーメンをお願いします」
首を傾げる佐藤さんに自分の邪念を見透かされた気がした私は、少し挙動不審になりながら答える。
「味は何にしましょうか?」
「うーん、味噌で」
「はーい」
軽快な足取りで部屋を出る彼女の後ろ姿を見つめながら、若いっていいなあなどと思ってしまう私。こういう現象はもしかすると、世の中のオジサン・オバサン達に見られる共通項なのかもしれない。
ともかくもその後数人の患者さんを捌き、私も短い昼休憩を迎えた。ポットやカップ麺は受付横の部屋に置かれているので、そちらに向かう。
部屋に着くと、佐藤さんがコンビニで買ってきてくれたカップ麺が流しの横のスペースに置かれていた。注文通りの味噌味だったことにわずかな安堵を覚えながら、ポットに水道の水を注いでお湯を沸かす。
お湯が沸くのを椅子に座って待っていると、佐藤さんが部屋に入って来た。彼女の手には食べ終えたコンビニ弁当があることから、ゴミを捨てに来たようだ。
「あ、先生いたんですね。お疲れ様です」
「佐藤さんもお疲れ様。ちょっとお昼が遅くなっちゃいまして」
「今日も朝から患者さんが並ばれてましたから。先生人気ですよね」
「そんなことない」という言葉が喉元まで出かかったが、私はなんとか我慢した。こういう時は無闇に謙遜しても変な空気になるだけだ。かと言って「そうだ、すごいだろ」と言うのはもちろん論外。そんなわけで、私は「おかげさまで」と言うに留めておいた。
「それより、佐藤さんも患者さんに人気ありますよ。診察室で『あの綺麗な受付の女性はどなたですか』って聞いてくる人もいるくらい」
「ええ、辞めてくださいよ!先生にそういうこと言われると、なんか照れちゃうなあ」
僅かに頬を赤らめる彼女の様子は、まさに女神のよう。って、いけないいけない。危うく惚れるところだった。もしそうなったら、それこそ禁断の恋が始まってしまう。自分の内心を誤魔化すように軽く咳払いをしてから、私は話を続けた。
「話は変わりますが、仕事の方はもう慣れましたか」
「はい、なんとか。最初は簡単な事務作業ばかりだったんですけど、最近は少しづつ医療事務の方も任せてもらえるので、いい感じです」
「それは良かった。事務の方は私もよく分かってないので、やってくれるのは本当に助かります」
「なんですか、急に。褒めても何も出ませんよ」
口ではそう言いながらも、彼女は私の言葉を聞いてくすぐったそうにしていた。口下手なら口下手なりに、こうして偶には相手を褒めてみるのも悪くないかもしれない。
午後の診察も無事に終わり、白衣を脱いだ私はコップ一杯のお茶を飲みながら診察室でほっと一息ついていた。この病院での今の仕事量は特段多いものではないと思うが、それでも仕事終わりになるとどっと疲れを感じるものだ。これは、そもそも人と話すという行為が私に神経を使わせているのかもしれないし、単純に私が歳をとってきたから疲れが出やすくなったということなのかもしれない。要するに、理由は私にもはっきりしていない。
ちなみに、受付担当の女性陣は病院内の軽い清掃を終え、もう全員帰宅の途についている。病院といっても建物自体は大した大きさではないので、人件費節約も兼ねてここでは清掃担当の人を雇ってはいないのだ。
つまり、今この病院には私一人。一人でいるというのはとかく世間では悪いことのように言われがちだが、こういう対話する相手がいて初めて成り立つ仕事に就いていると、その貴重さが身に沁みて感じられる。特に私のような元々一人でいることが好きな人種にとっては、この心地よい孤独感がたまらないのだ。
そろそろ帰らなければと思ってスマホで時間を確認すると、もう六時半を回ろうとしているところだった。スマホをポケットにしまった私は左手薬指に一分の隙もなくはまっている指輪をそっと撫でると、忘れ物がないか周辺を確認してから診察室を後にした。




