26.正体
「お別れが惜しいわ。ヒスクライヴ、あなた都会までついてこない?」
「いえ、妹がおりますゆえ」
お嬢様が帰る時期になった。
「お父様もお元気で」
「ああ、おまえも元気でいるんだよ」
領主の父娘は一度ぎゅっと抱き合うと、お嬢様は馬車に乗って去って行った。
「ヒスクライヴ」
「はい」
「もう、あなたに教えることはありません。よき執事としてお仕えするように」
「かしこまりました」
お嬢様のお世話を完璧にこなしたことで、ヒスクライヴはヴェブスターからお墨付きをもらったようだ。
「でもよかった!お嬢様がヒスクライヴ様を大変お気に召していたから、連れて帰るのではないかと心配したのよ」
「ヒズ、残ってくれて、うれしい…あ」
また盛大にシーツをぶちまけるリーシャ。
「まぁ、これだけ不器用な妹を持つと心配で行けないわよね」
ひぐひぐとしているリーシャを手伝いながら、嘆息するセレスだった。
「旦那様、王都より手紙が届いております」
蜜蝋で封じられた手紙をペーパーナイフで開ける領主。
ざっとその内容をみると、眉間に皺を寄せた。
「やれやれ、厄介なことになったねぇ」
「いかがなされましたか」
「ヒスクライヴくんとリィ嬢を呼んできてくれないか」
「かしこまりました」
もう一度手紙を見直しても、良い知らせではなかった。
はぁ、と溜息をつくと、二人を迎える準備をするのだった。
「旦那様、二人を連れてまいりました」
「入ってくれ」
なにか粗相を――主にリィだが――したのではないかとドキドキしながら入る二人。
「夜分にすまないね」
「いえ」
「そこの椅子に掛けてくれ」
旦那様の前で椅子にかけるなど…そう言おうとしたが、その視線の鋭さにしぶしぶ席に座るヒスクライヴ。彼が座るとリーシャも座った。
「今王都から手紙が来てね。我が国が帝国と軍事同盟を組んでいるのは知っているね?」
「はい、知っております」
「各領地に帝国への協力依頼が来てね『金色に琥珀の瞳の少女を探すように』と伝令がきたのだよ」
「!!」
「王都からの指令だ。うちも協力しないわけにはいかない」
「それは…」
ヒスクライヴの表情が鋭くなる。
「だから、その前に逃げたまえ、ヒスクライヴ・フォルテシモ親衛隊長、そしてリーシャ・ランヴァルト姫」
「!!」
ヒスクライヴの瞳が驚きで開かれる。
「知って、おられたのですか…」
「初めてここに来たときにね。昔一度だけランヴァルト国の剣術大会で君を見かけたことがある。そして君の持っていた剣の紋章、あれは第二王女の紋章だ。そんな君が大事に大事に護衛している金髪琥珀眼の娘なんて考えれば一つしかない」
にこにこといつも穏やかな領主。だが、その洞察力は非常に鋭かった。
「リーシャ様にメイドのような真似をさせるのは心苦しかったけれども、一人だけ令嬢扱いをするのも不自然だし、メイドに紛れさせたほうが良いかと思ったのだけれどね」
「旦那様がしきりと二人のご様子を気にされていたのはそのような意図があったからなのですね」
ヴェブスターも気づいていなかったのか、驚愕しているようだ。
「本当はこのまま保護してあげたかったけれど、うちも王都に逆らうわけにはいかないしねぇ」
「いえ、今までの保護の御恩、どうお礼申し上げたらよいか」
「まぁ、ヒスクライヴ殿はうちのヴェブスターがお墨付きをするぐらいだ。どこでも執事として雇ってもらえると思うよ。剣士として名を上げ過ぎている君がまぎれるにはそれぐらいがちょうどいい」
そのことも考えて、執事として雇っていたのだろうか、この領主は。
「それと、二人は色粉で髪を染めたほうがいいだろうね。金髪に白金の髪は非常に目立つ。リーシャ姫はありふれているとしても、護衛の君のほうが目立っていては、人の意識に残りやすいだろう」
「ご忠告、感謝いたします」
「リーシャ姫」
「…はい」
「帝国が何の意図で、あなたのようなか弱き姫を追っているのかは存じ上げません。けれども、この2カ月半見てきて、あなたは本当に心やさしい姫だと確証しております。お逃げなさい。あなたが捕まるのを見るに忍びない」
「はい」
「それとこれを」
領主は机の引き出しから金貨の入った袋を取り出す。
「これまでの報酬と、ちょっとした路銀だ」
ずしりと重いそれにヒスクライヴは驚きの声を上げる。
「これは、多すぎます!!金貨10枚などと!」
「ヒスクライヴくんはメイドたちの意中の人になるぐらい立派に仕えてくれたしね。リーシャ様も潤いを与えてくれたし、娘の勉強も見てもらったからね。これはほんのお礼さ」
「旦那さま…」
「内陸部のリュスターは避けて、カーリンの港町を目指すといい。カーリンには女領主の治めるリャナーンへの船が出ている。リャナーンは実力がものを言う町だ。よそ者にも寛大だ。帝国とも離れているし、それに交流がない。きっといい隠れ蓑になるだろう」
そうして、細かな情報の載っている地図も渡してくれた。
「何から何までありがとうございます」
「いいや、本当ならリーシャ様の16歳の誕生日会を開きたかったぐらいなのだけれどね、本当に惜しいことだ」
「いえ、ありがとうございます」
「うちのメイドたちには君たちの両親が見つかって会いに行ったとでもぼかしておくよ。お別れも言えないのは本当に残念がるだろうけどね」
「あの、領主さま…」
リーシャが決意したように声を出す。
「本当に、使えない、メイドでした。なのに、みなさん、本当によくしてくれて、本当に本当に、ありがとうございました」
「リーシャ様、あなたの旅路には困難が待ち構えているでしょう。ですがお強く生きてくださいね」
「はい」
いつのまにか用意してあった食料などの荷をヴェブスターから受け取ると、二人は一礼をして屋敷から旅立っていった。
「ふむ」
「惜しかったね、ヴェブスター。本当に彼を気に入っていたから」
「よい後継者と思ったのですがね」
「それに、腕が立つのも君に似ていた」
領主はチェストから酒瓶を取り出すと、二つのグラスに注ぐ。
「二人の幸運を願って一杯飲もうじゃないか」
「では、一杯だけ」
月夜の美しい夜だった。
その日、二人の兄妹が屋敷からいなくなったのだった。
実は領主は滅茶苦茶鋭い人でした。
次回、再び二人の旅が始まります。