行方不明
ぎぃ……がたん。
ぎぃ……がたん。
ペルシャ絨毯の上で私は天井を見上げた。立っているにも関わらず、手を伸ばしても届きそうにないシャンデリア。その美しさときたら夜空に浮かぶ一等星のようだった。
ぎぃ……がたん。
その音でようやく私はレム睡眠へと陥ったようだ。また私は夢の中の館に来たようだ。来たくはなかったが。私はとりあえずこの屋敷がどうなっているのかを知りたかった。しかし、あの音が聞こえる部屋には行けない。また暗闇が私を喰らうから。しかしやはりあの音には惹かれる。いけないとわかっていてもそこに行ってしまいそうになる。
よく、物語の主題になる七つの大罪。
「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「強欲」「暴食」「色欲」
あの、ぎぃ……がたん、という音にはまさにこれが相応しいように思える。これは勝手な私の考えだが。なにせ人を惹きつけることと、狂気に充ちていることと、……なにかに引っかかるような気がする。私が思うのは、あの音は私の罪意識の表しなのではないかということだ。そろそろお祓いにでも行こうかと考える始末だ。
ぎぃ……がたん。
私は2階には上がらず、1階にある扉、入口含め3つのうちの2つ、まだ知らない扉へと行ってみることにした。
片方の部屋にはベットしかなかった。無機質な、それでいてシンプルなベット。白のシーツは薄茶色に汚れていて洗われていないことを感じ取らせた。
ぎぃ……がたん。
片方の部屋は扉が壊れていて入れない。ドアノブがまわらないのだ。
1階には結局なにもなかった。私はドアノブから手を離した。
がたんがたん。
急だった。いつもなら油が切れた機械のようにがたんと落ないのに。
がたんがたんがたん。
音は背後からだった。振り返るのを躊躇うが目の前は開かない扉。逃げるにも振り返る他に手立てはない。私は振り返った。
がたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたん。
ベットから飛び起きる。そしてすぐさまトイレに向かう。便器の中に苦い液体を吐き捨て、流したあとに洗面台で口をしつこく洗う。
暗闇だった。振り返った瞬間になにも見えなくなった。まるで、あの部屋を開けようとして、憤怒したようだ。
なんなのだろうか。一体あの屋敷はなんなのだろうか。
いつものように居間でテレビを見ながら考えた。いつものようにテレビでは怖い話を面白おかしくやっている。私もこの夢の落ちがあればこうやって話せるのだけど。なんて恐ろしいことを考えてもこの夢が終わることがないだろう。
日頃の疲労からか、疲れが目に来た。目をつむる。再びの眠気。意識を失いそうになる。
『タスケテ!!!』
イメージされたのは麻里だった。まぶたの裏に出てきて叫ぶ彼女はもうそこにはいない。
再びの吐き気。私はまたトイレに行って苦いだけの液体を吐き出した。
2回目は始めてだ。この猛烈な嫌悪感と麻痺しそうな耳鳴り。なんなんだ。一体なんなんだ。
私はまた口をゆすぐために洗面台に行き口に水を入れる。吐き出して顔を上げると鏡に写った麻里の顔。
直ぐに後ろを振り返るがそこには誰もいない。嫌な予感がした。私は居間に置いてきた携帯の所へ直ぐに向かい電話をかけてみる。時間帯の所為もあるが出ない。出ないどころか……、電波の届かないところにいる?
とりあえずメールを送る。なにもないことを祈るがこの胸騒ぎは当たる気がする。
その日は眠れないまま朝になった。今日は朝から雨が降っていて、雲はどんよりと低い空を徘徊していた。おかげで暗い朝だ。居間のカーテンを開けるとお母さんが降りてきた。
「あら、夜更かし?」
私はお母さんの顔を見るなり涙が溢れそうになる。
「うん。最近怖い夢を見るんだ」
あまりの恐怖にもう負けたようだ。口が勝手に動いて今までのいきさつを話す。最近の吐き気も何もかもを。話しているうちにお母さんは恐怖に流されたような顔つきに変わっていく。そのうちお父さんが降りてきた。
「お、今日は早起きだな」
私のことを見てそう言うと、疑問符がその薄い頭に見えた。
「どうした? 顔がやつれてるぞ」
その疑問にお母さんが答えた。するとお父さんも恐るような顔になる。
「栄子、今日お母さんとお祓いに行きなさい」
「なんで?」
「いいから」
すると、テレビから『速報』という言葉が聞こえた。
『本日未明、埼玉県上尾市の蔵角麻里さん20歳が行方不明になりました。昨夜自宅の部屋で寝たのを確認されていて外出した形跡もありません』
それが誰かなんて考えたくもなかった。私はテレビに目を向ける。そこに映るのは私がよく知っている顔の写真だった。
『今回も少女誘拐事件として警察は見ていますが物的証拠は未だに見つかっておりません』
私は膝から崩れた。なんでこんなことになったのだろうかと考えても答えが出るはずもなかった。
「栄子……、これってあんたの……」
私は気を失うように倒れた。もはやぐっすり眠った感じなのかもしれない。
そんな中でも私は館の中にいる。目を覚まして起き上がると目の前は開かない扉だった。私はまた恐れずにその扉を開けるがやはり開かなかった。
ふと背後に気配を感じて振り返るがそこには誰もいなかった。1階には薄汚れたベットが置いてある部屋と開かない部屋がある。上り階段は途中で左右に分かれている。ぎぃぎぃ鳴っている部屋はそれを左に行った奥の部屋だ。私はそれを避けるように次は右の2階へ向かった。
手前の部屋の中にはお皿だけが乗っているテーブルがあった。お皿も1つだけではなく大小様々な形の物が所狭しと乗せられている。まるで宴会でもするような。
奥の部屋はまるでお姫様が使っている寝室のようだった。白で染められたこの部屋にはダブルベットは当たり前に、三面鏡のドレッサー、小さめのチェストの上には大きめのランプ。レースのカーテンはハートの刺繍がされているし、ベットの上にはハートの形の枕。可愛いと思えるようなそんな部屋だった。
がたんがたん。
その音に私は部屋に入り扉を閉めた。そして直ぐにベットの中には潜る。どうやら時間切れのようだが、簡単に暗闇に引きずり込まれる訳にはいかない。夢であっても、この場から逃げなければならない。いつまでもこんな苦痛に付き合っていられるはずがない。
がたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたん。
その音は部屋に入ってきてベットの周りを徘徊している。私は息を潜めた。
がたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたん。
私を探している。間違いなく私を。恐怖に私の体は勝手に震える。バレるな。バレないでくれ。
がたんがたんがたん。
いつの間にか止めていた息を漏らした。それが思わず音として出てしまった。小さな溜め息だ。
がたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたんがたん。
私の存在に気づいたのか激しく周りを徘徊する。もう、やめてほしかった。怖い。
未だに聞こえるその音は私の周りを10週以上まわって止まる。完全に冷静さを欠いていた私に冷静さを戻させたきっかけでもあった。
ぎぃ……がたん。
落胆ともとれるその音と共に音はどんどん遠ざかっていた。
ぎぃ……がたん。
ぎぃ……がたん。
そして聞こえなくなって私はベットの中から出る。
まだ恐怖に体を震えている。しかしながら暗闇から逃れることができたようだ。私は果てしない緊張が解けるように溜め息を吐いて残りの部屋を調べに向かう。まだそこら辺にあの音がいる可能性があるから、私は開いている扉からそっと顔を出して廊下の様子を伺う。
ーーーー青白い手が私の頭を掴む。
ーーーー暗闇が襲う。
目を覚ますと直ぐにトイレに駆け込んだ。吐く。相変わらず苦い液体しか出ないそれを流して振り返った。走った音に気付いたのか、背後に母がいた。その顔は本当に悪魔でも見ているような顔だった。
「……大丈夫?」
私はその視線を無視して洗面台に向かう。水を勢い良く流し、直に水を口に含んで直ぐに吐き出した。
「あの、……麻里ちゃんの話なんだけど……」
顔に水をかける。目は覚めているみたいだ。
「知ってる。行方不明になったんでしょ? それで、死んでるかもしれないんでしょ。知ってる。まだ犯人もわかってないんでしょ? 知ってる。知ってる、知ってる!」
鏡に向けた言葉は、そのまま私に返ってきた。
「そのくらい受け入れられるよ。子どもじゃない」
「違うの。あなたに向けて手紙が書いてあったの」
「え?」
なんで!? 私はお母さんを見る。何故か悲しい目をしていた。
ぎぃ……がたん。
その音に私は過剰に反応せざるを得なかった。お母さんとは反対の廊下側を見る。洗面台から離れながらお母さんの方へと足を進める。段々と近づいてくるその音に恐怖で頭が染まった。
ぎぃ……がたん。
ぎぃ……がたん。
「来ないで!!」
「……栄子」
その声はお父さんだった。私はゆっくり目を開けると目の前に悲しい顔のお父さんがいた。なんとも間抜けだ。現実と妄想の中が混同している。恐怖から解き放たれると体中の力が抜ける。膝を折り、股関節を折り、尻餅をつき、そんな無気力に座り込んだ。
「目が覚めたなら行こう。お祓いに」
お父さんはそう言うだけで言ってどこかへ行ってしまった。お母さんに撫でられる頭が無性に痛かった。
お祓いなんて人生初だった。いや、詳しくは七五三とかそこらへんでやっているだろうが。しかし終わっても私の気分が晴れるはずもなく、ただただ辛いだけだった。
悪魔は取れた。そう神主さんは仰られていたが、私はそうは思わなかった。赤い宝石のネックレスがきらりと光る。
お母さんが見せてくれたその手紙は麻里からだった。帰り道、しっかりと整備された道を車でゆっくりと走っていた。平日のお昼過ぎ、学生は遊びに出る時間。私と麻里だったらそろそろ帰る時間だった。決して夜遅くまで遊んだりしない。何故なら、麻里は見える子で私はくっつける子らしいからだ。大学で始めてあった時に言われた言葉は、なんか肩についてるけど気分悪くない? だった。なにを言ってるのかと思っていたが、彼女が塩を投げつけてきたらすっと肩が軽くなった気がした。
そう、ホントかどうかなんてわからない。ただそれだけだ。
私は手紙を開く。中身は手書きで大きくこう書かれていた。
ーーーー赤いドレスの人形に気をつけてーーーー
私はなんのことを言っているのかわからない。ただそれだけだったし、その荒れた字は間違いなく麻里のものだった。
お母さんも怖がるはずだ。こんな暗号見せられちゃ。
「ねぇ、止めてくれない?」
私はそう言った。
「落ち着いてから帰りたいから、ひとりでスタバに行きたいの」
「ダメだ。寄り道なんてなしだ」
「子どもじゃないの。いいでしょ。ここでおろして」
私の無機質な声になにも返さなくなったお父さん。脇道に入ると直ぐに車を止めてくれた。
「暗くなる前に帰ってこいよ」
「わかってるわよ」
クーラーのかかった涼しい室内から、猛暑の外へと出る。私はゆっくりと歩き出した。
あの店へ。




