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Grand Road ~グランロ-ド~  作者: てんもん
第六章 ~ Open the Cross Road.~ 
35/110

第十一話 『戦 端』[NC.500、乾月 3日- 乾月 17日]

 夜の砂漠をひたすらに疾走する者があった。

 砂にまみれた男は、その顔に、笑みを浮かべて走っていた。

 欲に彩られた微笑み。

 それはあの、コ-ルヌイの代わりに新しく影頭になったはずの男だった。


(は、はははっ。偶然とはいえ、あの様な話を聞けるとは、幸運だ……何という幸運だ! 革命組織が根城にしている町も突き止めた。その上、その帰りにあれほどの情報を得ることができるとはっ。これで、これで俺はまた返り咲く事ができる……)

 あの脱走騒ぎの日から、半月余りが経っていた。

 あの騒ぎの直後に彼はシェリア-クに呼び出された。

 革命組織の城外への逃亡を阻むことのできなかった彼への叱責とともに、彼が独断で牢屋に押し込めた男が騒ぎに関係している可能性が高かったことで、説明するように求められたのだ。

 だが、コ-ルヌイの事を言うわけにもいかなかった彼は、沈黙するしかなかった。彼は、表の仕事である門番長の職を追われた。何でもいい、革命組織について調べがつくまで帰ってくるな。そう言われた。つまりは裏の影頭の席も、暗に取り上げられたと言ってよい。

 彼を庇うものは誰もいなかった。誰一人、彼直属の部下ですらも。


(……そうだ、王弟殿下は、人類の昔話などには興味はないだろうな。だが、あの小瓶の秘密にならば興味を示されるはずだ! その上、古代の地下基地、か……。ははは)

 潜んでいた町で他国の大神官を発見し、後を付けた。隠密行動には絶対の自信を持っていた。案の定気づかれもせず目的地に着いたその先で、あの様な仰天の話を聞くことができるとは!

 にやにや笑いが止まらない。

(コ-ルヌイ、あの程度でこの俺に復讐したつもりか……? 馬鹿め! キサマなどこの俺がまたすぐに引きずり下ろしてやるさ!)

 逆恨みだった。だが、もはやあの騒ぎはすでに、彼の中では、コ-ルヌイが彼を追い落とすために仕組んだ出来事に変わっていた。思い込んでしまっていた。

 彼は、自分がそれに値する存在だと、信じ込んでいた。自分の存在の大きさを。

 コ-ルヌイにとっても自分はライバルで在り得るのだと。相手も必死に自分を追い落とそうとしているのだと。そう、信じ込んでいた。信じようとしていた。心から。

(待っていろ。キサマ程度のこざかしい小細工など、すぐに蹴散らしてやるぞ……。キサマが後悔して這いつくばる姿が目に浮かぶ様だ。クククそうだ、お前も這いつくばったまま後悔し俺を悔しそうに見上げるがいい!)

 狂っていた。砂漠は、こうも簡単に人を狂わせることができるのだろうか。

 例えほんの一時期とはいえ、彼も、一度はこの国の裏側を掌握した者だというのに……。

 たった独りで走る彼の妄想はどんどん膨らんでゆく。しかし。

 彼の至福の時間は、永くは続かなかった。あまりにも短い時間に過ぎなかった。


『ククク、素晴らしいエナジ-だ。自分勝手で、愚かしくて、……何とも心地好い波動だぞ、お前。小物の癖に旨そうではないか。ククク』

「な! 誰だ!?」

 ザッ! 砂を踏み、筋肉の力で慣性を無視して静止した男は、軸足を支えに回りながら辺りを探る。焦り、妄想し、それでも少なくとも手練(てだ)れな隠密であるはずの男ですら声の居場所が掴めない。

『威勢がよいな、フフ。だが、行かせる訳にはいかぬ。その辺りの話が赫き瓶を持つ者たちに知られては、(われ)が何かと困るのでな』

 声の聞こえる場所が判らない。衝撃に打たれて立ち止まる。彼は、他人の気配に敏感なことが密かな自慢の一つだった。小心者の彼が望みを手に入れる為の唯一の取り柄、手段だった。

そう、彼はその特技だけでここまで上り詰めたのだ。なのに今回はまるで気配の位置を特定することができない。どの方向にいるのかすら何一つ判らない、欠片すらも!

 わずかに残った自信が打ち砕かれ、男の顔が恐怖で歪む。

「誰だ! 隠れてないで出てこい! そ、そうかっ、こ、怖いんだろ俺が! ははっあ、当たり前だ。悔しがることはないぞ! それは当たり前の事なんだからな!」

 精一杯の虚勢。だが、バレバレだ。傍から見れば、それはあまりに哀しい姿だった。 

気付いていないのは彼一人だけなのだ。

『フン、心の強さはその程度か。やはり話にならぬわ。生かして操る価値もない。貴様などこの場で吸収し尽くしてやろう。我の力となることを光栄に思うがよい』

 その言葉とともに、マントをつけた男の姿がすぐ後ろに出現する。

 その瞬間の彼の行動は迅速だった。

 さっきまでの姿からは想像もできない程の動きを見せて、真後ろに剣を解き放つ。

 居合!

 完璧なタイミングだった。100%当たる距離だった。なのに。

 剣は空を切っていた。

 そして次に彼が見たものは、目の前に突き出された赤い色の、腕と瓶。

『クククククククッフッフフフウハハハハハハ、消えるがよい、雑魚が』

 迫る赤い液体が視界いっぱいに広がった瓶の中で跳ねる。ちゃぷん。彼の体がそのままの姿勢で凝固する。

「ヒッヒヒヒ、オ……俺は返り咲くんだ……オレは特別なんだ……。オ……オレ、は、ァアアアアアッ…!」

 金縛りの状態で、それでも何とか脱出しようともがく体が、液体と同じリズムでビクンと跳ねた。見る見るうちに男の体から生気が失われていく。伸ばした腕が萎んでゆく。

 泣き笑いをその顔に貼り付かせたまま、彼は見た。

 西の空に浮かぶ赤い月の中心から、彼に向かってどす黒い何か腕の様なものが伸ばされるのを。

 絶叫。彼の目の前にたどりついた拳がゆっくりと開き、そして……。


 ナニ-ルの足元に、先程まで生きて動いていた男が、ミイラとなって横たわっていた。

『愚かな男よ。分に相応な夢を見ていれば良いものを。分不相応な欲は自らを滅ぼすのみ。他の人間共とてみな同じよ』

 そのまま、東の地平を見遣る。遥か先をじわじわと近づいて来る、血の予感を。

『もうすぐだ。あとわずかで、愚か者共がまた血を流し合うだろう。その瞬間大量に生まれくる負の感情と生命の花火が、我の内を愉悦と共に潤すのだ。いつかの遥かな時の果て、あの頃と同じ様に。

そして、最後の仕上げにあの者が奴隷を殺し始める。正の封印者候補の一人が負に堕ちて沈みゆくのだ! クククその瞬間、我は500年振りに完全に復活する! 残念だったな、ルシア。現在サブシステムは完全に沈黙している。もはや干渉するだけの力は無い。我の……勝ちだ。くく、ふふふはは。ウははははははははははははははアはははははははハははははは!』


       ◆◆◆


 王宮の一角。中庭に向かうテラス。そこで少年はたった一人、星を見ていた。

 先程までの王宮会議を思い起こす。

 (いくさ、か……)

 それも、良いかもしれぬ。誰も自分の事を真に解ってくれない世界など統治して、何になる? それにこの国は、(いびつ)なままで大きくなりすぎた。

 帝国がとうとう本格的に攻めてきたと報告を受けて、大臣たちはオロオロするばかり。 (ただの烏合の衆だ、あれは)

 国を動かす気概を持つ者など、誰もいない。ただ享楽的に命令を出し、奴隷がその通りに動く。この国は奴隷で成り立っているようなものなのだ。だから、いざ緊急の事態になってようやく気づく。何をどうしたらいいか、考える力すら無い自分たちに。

(兄上……。貴方の考える未来は、多分間違ってはいないのでしょう。しかし、この国はもはや、貴方の崇高な考えを理解することすら、できなくなっているのですよ……)

 シェリア-クはあの時のアリアムの叫びを思い出し、喉奥で笑う。

 本当のアリアムは、彼が憧れたような完璧な人間ではなかった。それどころか、致命的なほど、甘さの残る感情的な人間だった。

 すべての人間が幸せになれるはずなかろう。

 人は死ぬ。人のスタ-ト地点には差がある。

 人の運には差があり、人は運命には逆らえない。流されて生きることしかできはしない。

 人の人生は、決して平等などではないのだ。

 失望した。あの兄なら、いつか自分の狂気を止めてくれるかと思ったのだが。

 だが、それでも、遠いあの日に感じた感謝の念が消えることだけは、無い。

 決して、無い。

 テラスから離れて歩き始める。足の向く先は彼の寝室だ。

(そう……だな。終わらせるべきかもしれぬ)

 百年続いた国を滅ぼした者。魅力的だ。人々は永劫わたしの名を忘れることはないだろう。自分の短い寿命が終わり、さらにその百倍の刻が流れ過ぎようとも。

(すべてを無に、か。それも良かろう。ただ、最後に…………)

 袖の中の濃赤色の瓶を握りしめる。

 そうだ。だがそれも、最後に自分の望みを叶えてからだ。ただ一つだけ残った、唯一の願い。

 手が痛み、震えた。まだだ、まだ終われない。

 その日まで、祭りのある水月(みなつき)までは2ヵ月半あまり。それまで持ち堪えられれば良い。

「ふふ。【シェリア-ク】、後の世まであまねく知れ渡る悪魔の名、か」

 嬉しそうに言う。

 すでに喪失の痛みは感じない。それだけは、ましな出来事に思う。

(その為には、今のうちに王位を引き継いでおく必要があるか。狂った王の方が周りもやり易かろう。兄上、生きておられるのならもう戻って来なさるな。そのままでいれば、貴方があれ程望んだ自由が手に入る。母を探すもよし、すべてを忘れて人生をやり直すもよし。しかし、もしも戻って来られるのなら、……容赦はせぬ)

 夢を見るのは止めよう。これ以上良くなることがないのなら。

 所詮、人は独りなのだ。聞きなれた自嘲の声がこだまする。生まれた時から聞き慣れた己の声。

 そうだ、所詮独り。ならばこの扉を開けたその時がわたしの真の終わりの始まりだ。

 諦観のままドアを開ける。薄暗がりの中に見知った顔があった。

「…………………」

「お久し振りで御座います、若」

 影が言葉を放つ。その声も、幼い頃から聞き慣れた声だった。


       ◆◆◆


 車が砂漠を走っていた。バギ-でもラクダ車でもない。車だ。高さのある車体の上に帆が張り、横に張り出したソリが車重を支え、後ろには何かを噴き出す小さなノズルが付いている。チグハグだ。あまりにもチグハグな姿だった。笑い話にしかならない。

「なあ……、誰かに見られたらとてつもなく恥ずかしいデザインな物に乗っている気がするのは、おれだけの気のせいか?」

 運転席に座った少年がハンドルを握ったまま呻くように尋ねる。

「そうですか? わたくしはとても機能的なデザインだと思いますが」

 助手席の青年が嬉しそうに窓を開けて言葉を返した。

「そ-かぁ? ってゆーかおま、熱い風が入る熱風が入る!さっさと閉めろアホンダラ!」

 怒られて、すごすごと少しだけ不満そうに銀髪の青年は窓を閉めた。

「とは言われましてもね、わたくし達は、ルシアさんを除いてだれ一人この乗り物の本当の姿を知らないのですよ坊っちゃん? 500年分の価値観の相違があるのかもしれませんし、見た目が悪いからといって文句を言ってはいけませんよ、坊っちゃん」

 今度運転に集中しなくて良くなったら覚えてろよ。小さく呟く声が聞こえた。

「ルセ-な。ってことはお前だってデザインに関しては文句があるって事だろ-が!」 

「……何日も同じような事で言い合いしてて、よく疲れないですね、あの人たち」

 前の席でジャレあっている(様にしか見えない)同行者達を見ながら、ムハマドが呟いた。

「あんたもいい加減慣れな。ああいうのは気にしたって良いこたないよ」

 その瞬間、カルロスが半分振り返って怒鳴る。地獄耳だ。

「ルセ-ぞ婆さん。だいたいアンタ、何日も何日もずっと黙秘し続けやがって。話す気があるのか無いのかはっきりしろ!」

「煩いね。あたしはまだ婆さんと呼ばれる歳じゃないよ」

「歳だろ-がッ!あぁ!? いい加減にしやがれコンチクショったれくそババア……ッ」

「聞こえてるよ小声でも。礼儀がなってない者に話すことは何も無いね」

「くぬやろ……! だ-、いい加減なんでおれの親父を殺したかを吐きやがれっ!」

 見かねてリーブスも口を挟む。

「わたくしからもお願いします、ルシア。貴女の話だと、【思念の小瓶】は願いを叶える代償に、その者の為に誰かが流してくれた真実の涙が必要で、それに含まれるエネルギ-が化け物を封印する力になる、んですよね? ならば、なぜ旦那様が亡くならなければならないのですか? それだけでは説明がつかないのですが」

「……簡単だよ。小瓶がエナジ-を吸収する瞬間は、無心にならなければならないのさ。だが、欲望というのは強力なエナジ-の塊だ。小瓶はそれに反応し、より多くのエナジ-を吸収しようとして、魂のすべてのエナジ-までも奪ってしまう。人の体はそれに耐えることができない。残念ながら、それらを区別できるほどに精密には、あたしは作ることができなかった……それだけさ。そういう意味では二重の理由であたしはアンタらのカタキだね」

「……チッ、やっぱジジイの自業自得かよ。……馬鹿だよ、アンタ……。クソッ。……おいだがちょっと待て。なんでリ-ブスにはそう簡単に口を割る?!」

「顔と礼儀です、坊っちゃん」

「顔はともかく、礼儀は大事だねえ」

 カルロスはいきなり急ハンドルを切った。砂漠にジグザクの跡が付く。

「や、やめて下さい! ルシアさんは病人なんですよ!」

「ぼ、坊っちゃん、………ぎぼぢわるいです…………おえっ………」

「なにっ!? うわっばかっこっちを向くなっ!」

 次の瞬間、車の中に酸っぱい匂いが充満した。


 しばらくして一行は、掃除を終えて走り出した。まだ涼しい明け方で助かったと、誰もが思った。ただ一人を除いては。

「坊っちゃん、安全運転でお願いしますね……うぇっぷ」

(クソ……コイツがこれほど乗り物に弱いとは……運転変わってもらおうと思ってたのに。先が急げねえじゃね-かよ)

 頭から胃液を浴びたのに休憩できないカルロスは、まだ酸っぱい香りのする髪を眺めて毒づいた。水は貴重なので砂で洗ったのだが、それで落ちるわけはない。

「自業自得だね」

「……アンタが言うな。だいたい、話を聞いた限りじゃ、やっぱ瓶によって死んだ者はアンタが殺したも同然じゃね-か! よく平気でいられるよな、冷血か?」

「最初から言ってるよ。あたしも、悪なんだってさ」

(確かに正義の為とかほざかないだけ、マシだがな……)

 だからってなぁ!

「それでおれが納得すると思ったら大間違いだぜ」

「別にあんたに納得してもらう必要なんか欠片も無いね」

「なっ!?」

 カルロスが激昂する。だがそれも、ルシアの視線を受けて、止まる。

「誰にも謝る気はないよ。少なくとも、すべての終わりを見届けるまではね……」

「……フンッ、上等だ。じゃあさっさと終わらせてやるさ。すべてをな。その後でゆっくりと話し合ってもらおうじゃね-かよ、おれたちと、じっくりとなァ……」

 その時、カルロスが長期戦の覚悟を決めたその隣で、リーブスが緊張して伝えてきた。

「……どうやら来たようですよ、坊っちゃん。さすがに見逃してはくれないようですね」 

 リ-ブスが会話に割ってはいる。見回すと、疾走中の車の周りをあの小さな虫が囲んでいた。次第に増えてゆく虫たちに団子のように包まれてゆく。

「砂漠の昼日中にこのスピードで忽然と現れる羽虫の群れ、かよ。普通の虫であるわきゃね-よなァ!」

 虫たちが窓に体当たりし始めた。音の滝。やはりというか、金属の壊れる音がする。

「チッ! 全員つかまってろよ。飛ばすぞ!」

 細かい火花の散る中で、カルロスはアクセルを全開に踏み込んでいった。


「クソッタレ! どうやら、おれたちはよっぽどそいつに気に入られてるらしいな」

「ルシアさん……ナニ-ルも、同じ様なやり方でエネルギ-を、集めているのですか?」 

 虫を振り切って後、リ-ブスの乗り物酔いで息切れ切れの質問に、ルシアは頷く。一行は、空中が真っ黒になるほどの虫の群れの後、いきなり出始めた砂漠の霧のせいで方角を見失っていた。

「そうさ。あいつの瓶は、【想念の小瓶】という。欲望のエナジ-を集めるためだけに特化された悪魔のような代物なのさ」

「おい。じゃあそれを使った者は、いったいどうなるんだ?」

「内なる欲望と潜在的な力が表に出てくるんだ。あたかも二重人格になったかのようにね。だが、二重人格なんかじゃない。本人が自覚していないだけで、それは心の内の己れの声だ。元々あったもう一人、自分の裏側さ。そして、開放されたその力は際限なく溢れていく。最後に、自らを滅ぼすまでね。

 濃赤色の小瓶は、その瞬間にすべてのエナジ-を吸い取って月に送るのさ。周りの者の命でさえも、根こそぎね。その為だけに作られた代物で、ただ単にエナジ-を吸収するよりも格段に吸収の質が上がるらしい。量もね。さらに困ったことに、この瓶は呪文を唱えなくても持っているだけである程度効果がある。つまり素人でも、素質の持ち主でなくても機能してしまうんだ、もちろん、呪文を唱えれば急激に効果は上がるけどね」

「怖い……瓶だな、それは」

 カルロスは軽く震えた。

「この間クロ-ノの話を聞いて、背筋が凍ったよ。何度も言うように、【ガイア】は瓶を使えば失われた命からでもエナジ-を取り込める。多少の効率の悪さは関係無い。恐怖や欲望にとらわれたまま死んだ人間のエナジ-なら、簡単だ。あのオアシスでどれだけの人間が命を落としたのかは判らないけど、それ次第では時間がないかもしれないね」

「対抗策はあるのですか?」

「ある。いや、……あったよ。けど……」

「どうしたんってんだよ?!」

「あたしが、なぜ瓶を使える人間を捜していたと思う?」

「だから、瓶を使ってその、【カムイ】だか何だかに力を注ぎ込むためだろうが」

「それもあるさ。けど、それだけじゃあない」

「では、何なのですか?」

 真剣な視線が絡む。

「あたしが真に捜していたのはね、本当は、【瓶を使える人間】ではなく、【真実の涙を流すことのできる人間】なんだよ。あたしに見分けが付くのは、瓶を使える人間だけだからね。本当に、手間がかかるったらありゃしないさね」

「ハァ? ……なんだそりゃあ?」

「そいつらの持つエナジ-だけが、真実【ガイア】を封印する鍵となるのさ」

「なんでだよ? 涙なんか誰にだって流せるだろ-が」

「違うよ。【真実の涙】さ。人が、自分以外の存在のために心の底から流す涙だよ」

「……どんな違いがあるってんだ、それ?」

「さあね。こもってるエナジ-の量とかが違うんだろうさ。あたしにも詳しくは分からない。でもね、今のこの時代、世界の中で、そういうものを流せる人間がいったいどれだけいるってんだい? ひとり見つけるだけでも大変な仕事さね。なのに、鍵は最低5人以上必要なんだよ」

「………今のところの心当たりは?」

「この5年間であたしが確認できたのは、たったの二人だけさ。だけど、その一人が例の消滅したオアシスにいたんだよ……」

「おい、それってっ!」

「だから背筋が凍ったのさ……。まさか、ナニ-ルが知っていたとは思わないけど……」

「瓶を使える人間じゃ、駄目なんですか?」

「資質が違うんだよ。両方の素養を持ってる者もまれに居るみたいだけどね。だとしても、一度でも瓶を使っちまった者は、もう二度と【カムイ】のエナジ-の供給源になれない。生体情報が記録されてロックされちまうからね」

「なぜクロ-ノさんにその事を話さなかったんですか? そういう情報は大勢が知っていたほうが良いのでは?」

「……本人には知らせないほうが効果が高いんだよ」

「? ぁ……という事はまさか」

 リーブスは目を見開いてルシアを見た。

「はっきりとは判らない。けど、あの感じだと、多分彼も候補の一人さ。それに気づいた時は驚いたもんだよ。まったく、ずっと見つからなかったってのにえらくあっさり見つかってくれるもんだ」

「フン。人の為に泣く、か。ま、あの色男ならならありえるかもな」

 そう言って自嘲気味に前を向くカルロスを見遣(みや)って、ルシアは一人、呟く。

(あんたもその候補なんだよ、カルロス。真実の涙に必要なのは、優しさと激しい感情、その二つの心のバランスだ。どちらが欠けてもいけない。多すぎてもいけない。そしてこの時代、その二つを兼ね備えた者は、滅多に居ない。そう、滅多にね)

 だから、敢えて話した。それが吉とでるかは分からないが……ルシアはもう、悲観して躊躇することを止めたのだ。それに悲観する時間も無い。

 リ-ブスは、横目でルシアの視線を追っていた。その先にいるのは彼の、主人だ。

(……つまり、坊っちゃんも、ということですか……)

 心当たりはありすぎる程ある。十年前に自分に向けられた、あの澄んだ瞳を思いだす。 見ず知らずの血だらけの人間を、涙目で、本気で心配してくれた優しい子供。

 それに、先日の【覗く者】を墜とした事実。彼ですら気付けなかった物事に気付いた洞察力。一瞬とはいえ自分を超えた主人は誇らしい。良い事だ。だがこの場合、それに選ばれることは、主人の為になると言えるのか? 本当に?

 答えが判らず、リ-ブスは前を向き窓越しに地平線を眺めた。

「あの、皆さん。水出しのお茶が入りましたが、いかがですか?」

 ムハマドの気遣わしげな声が、しんとした車内に響き渡った。


       ◆◆◆


 ナ-ガは巨大な廊下に続く扉を見上げながら、腕を組み、壁にもたれていた。

 部屋の奥では、アベルがクロ-ノからの通信を受け取っているようだ。ときおり激しいリアクションがあるところを見ると、余程の内容らしい。

 ……どうやら怒っているらしいが?

「ああもうあのダボが! そういう大事なことはさっさと伝えんかいまったく!」

 通信を終えて近づいてきたアベルが、いきなりそうまくし立てる。

「どうしたっていうんだい、アベル君。クロ-ノ君からの通信だったようだけど」

 そう言うと、今度はナ-ガを睨んできた。キッと音がしそうな勢いだ。

「……あんたもやナ-ガさんよ。これじゃあ俺ひとりいい笑いもんやないかいっ!」

「? 何がかな?」

「この星と人類の歴史について!!」

「……ああ」

「そこォッ、手ェポンと打つんやないッ! アカンがなオモロイやんけッ」

 アベルが天井を指差して叫ぶ。ヘイムダルがナ-ガの動きに合わせて音を出したようだ。

「いやでも、少しだけ聞こえてたけど、ボクがセレンにいた頃教わったことより、ずっと詳しかったよ。お世辞じゃなく勉強になったしね」

「そう言う事や無いワ! さぞかしオモロかったろうよ、まったくどいつもこいつも……。ああそうや、他にも色々オモロイ話があるで。ビックリすなよ」


「……それじゃあ、もうすぐここにルシアが来るっていうのかい!!? まさか……」

 しばらくビックリする話とやらを聞いたナ-ガは、本当に驚きのあまり立ち上がった。

「あんの堅物がそのテの冗談言うかい。クロ-ノが来るっつったら来るやろうな。つ-か落ち着け。座っとけ」

 アベルは手をひらひらさせる。

「でもね、しかし! 相手はある意味人を越えている存在だよ? 実際に実在するとは思わなかったが……」

「アホかい。おんなじ人間やおんなじ。ただちょっと寿命が長くて人にはない力があるだけやろう」

「ただちょっとって君……」

「それがどないした? どんなに力があろうが寿命が長かろうが、血と肉を持ち存在するからには、いつか来る死からは逃れられん。それなりに悩みだってあるやろう。おんなじや、俺らと。オタオタすることでもないわ」

「……ハァ、凄いね君は……………………」

 今度こそ彼は心底感心した。その胆力は本当に並ではない。

「それよりな、どうせや。何か聞きたいことがあったら今のうち質問考えときぃ。曲がりなりにも最高の知恵袋には違いない。今の状況を打破するなんか考えでもあるかもしれん」

「……そうだね」

「それからな……、覚悟は決まったか?」

 その質問に、ナ-ガは無言で腕を組んだ。そのままもう一度壁にもたれる。

「すぐに決めぇとは言わん。けどな、早めにしてくれ」

「成功確率は、どれだけだったかな……?」

「65%」

「低いね……」

「せやな、せやけど、やってもらわん事にはな。成功した所で大したモンは出てこんかもしれんし、報酬が満足感だけってのはツライやろうが……」

「それは別にいいさ。成功すれば、そのナニ-ルや月の機械だけでなく、現在起こっている全ての物事を知ることができ、今行なわれている争いも止められるかも知れないんだろう? しかも国で操られてる者たちも一掃できる。願ったりだ。しかし、ボクに隠された古代種の力がそういうものだったなんて、考えた事も無かったよ。もう少し格好いい力が良かったかな……」

「……了解ってことでええんやな?」

「ここで断って、何かいいことでもあるのかい?」

「断れば、命は100%無事やぞ」

「言ったろ? 今のボクにも守りたいものくらいある。それに、知ってるかい? 一度死んだ人間はね、命とプライドを天秤にかけると、わずかだけどプライドの方が重くなるのさ。……で、いつやるんだい?」

 ナ-ガは苦笑したまま、ため息を突いた。


       ◆◆◆


 とある町。町外れの一軒家の小さな部屋で、二人の男は眠っていた。

 夢でも見ているのだろう。閉じたまぶたをせわしなく動かしている。

「アリアム様、いつになったらお目覚めになられるのでしょう……」

 庭の隅に静かに立ち、窓に揺れるカーテンの内側を、見えないままそれでも少女は凝視していた。

「さあてね。傷はだいぶ塞がってきてるけどねえ。ふう。さっさと起きないとそろそろ筋肉が衰えて立てなくなっちまうよ。……もう一人の方はその心配はなさそうだけどさ」

 そのもう一人は見ているだけで恐ろしいほどの筋肉なのだから。

「アリアム様……」

 部屋を眺められる小さな庭の一角に、彼女達はいた。先程まで部屋にいて世話していたエマさんも、疲れたのだろう。午後遅くの風に当たりに外にでてきていた。

「もう一人の方も心配してやりなよ、ライラ。可哀相に。あ~しかし、驚いたねえ……。まさか、あのキツネ男が国王様だったなんてね。みんなビックリ仰天だよ。中には憎々しげに睨む奴も居たけど」

「アリアム様はそんな方ではありません! わ、わたしも疑っちゃったけど、でも、でも……!」

 エマさんが手のひらをライラの頭に乗せて、撫ぜる。

「判ってるよ。ああ、解ってるとも。あの男が、あんな酷い命令の数々を出してた訳があるもんか。そんな事はないさ。みんなも、ちゃんと解ってるよ」

「…………はい。でも、早く謝り……たいです……」

(ったくもう! こんないい子を泣かすたあ、やっぱり男ってのはもう。……さっさと起きてきなよ、キツネ男!)

 エマさんは顔を空に向け、夕暮れの風に乗り流れる薄っすらとした砂のカ-テンを眺めた。

(そういえば、あの日逃げる時に、空飛ぶ怪物を見たんだったねえ……。あの変な大男を拾ったのもその時だったっけ)

 半月前、轟音を残し夜空を飛び地平に消えたあの光る鳥は、いったい何だったのだろうか?

 そいつの消えていった地平の先にある村々は、何も見なかったと云っていたが……。

 直後に空中から現れた大男も謎だ。目の前が光ったと思ったらいきなり落ちてきた。逃げる途中で焦っていたとはいえ、今考えると、あんな怪しい男よく一緒に連れてきたものだ。できれば、さっさと目を覚まして出ていってもらいたい所だけど……。

 くしゅん。ライラが小さなくしゃみをした。

「ああ、ごめんね。もうこんな時間だものね」

 砂漠の夜は寒い。遮るものが何も無いために、熱の拡散を防ぐことができず、たとえ昼間50度に達しようとも夜はマイナスになることさえあるのだ。

 エマさんは軽く震えるライラを支え、建物の中へと入っていった。


       ◆◆◆


「ナハトさまは、まだ………………?」

「うん……でも、今日は何とか眠ってくれているから……」

「…………そう」

 いつものように、様子をを見に来たラ-サが肩を落として帰っていく。

 あの日から、半月が過ぎた。ラ-サやフェング達は、なりゆきで助けた奴隷商人たちの村に隠れていた。近くに彼らのの村があると云うので、そこに不時着したのだ。

 ま、村長の息子だという眼鏡の男に言わせると、「もう我々は奴隷商人ではない!」らしいが。

 あの優しい大男は、体だけでなく影響力も大きいらしい。助けられて、改心したと言っていた。本当かどうかは知らない。本当であればいいと、ファングは思う。

 だが、オアシスを失った者達にとっては、宿があるだけでもありがたかった。

 でも、皆が心に負った傷は大きい。

 特に、ナハトは……。ここの所、部屋から日の光の下へ出ることすらしない。赤黒かった褐色の肌も、太陽に当たらないので色素がかなり薄くなってしまっている。その薄い肌に、赤い髪だけがはっきりと映えていた。

 それでも、食べる物を食べてくれるだけ初めよりはマシだ。全部じゃないとしても。

 だが、ナハトはこの半月、笑顔を見せていない。……言葉も。


(僕には、何ができる……? いったい何ができるっていうんだろう……)

 デュランさんにナハトやみんなの事を頼まれた。でも……自分にいったい何ができるというのだ?

 ラ-サを送り返した後、奥の部屋を見ながらファングは自問する。

 ナハトを助けるどころか、元気付けることだって全然できてやしないじゃないか!

 自分には何かできると思っていた。それだけの力があると信じていた。

 あれだけ色んな人に偉そうなこと言っておきながら、自分はこの程度だって?

 惨めだった。やっぱり、どこまでいっても、自分は部外者に過ぎないのだろうか。

 パリッ………。 見えない位置、ファングの体の背中側に、本人も気付かぬままに小さく暗い電光が疾走る。紫電。それは、まるで大気の摩擦のよう。

「何かしなくちゃ……、僕にもできることがあるはずなんだ……。みんなの、ナハトの為にできることが、僕にもっ」

 いつの間にか歩き出したファングの足は、布を張って隠した乗り物へと向かっていた。 (僕にできること。それは、みんなを守ること……ですよね、師匠)

 もう一度、隅から隅まで調べ直すのだ。あの日急いでいて調べる暇の無かった、すべてを。徹底的に!

「僕は強くなる…! デュランさん、師匠。力を、貸して下さい」


「何で、何であたしはこんなに無力なんだろう……! ううう、ナハトさまぁ……」

 ラ-サは力無く水晶玉をひざに乗せる。座った椅子がぎぃと鳴った。

 ここは臨時に作られた占い用のテントの中だ。タダで泊めてもらうのもなんだから、みんなそれぞれできることで体を動かしている。ラ-サの場合、それが占いだったのだ。

(今日も、こっちを向いてくれなかった。口も、食べる時以外開けてくれないし……)

 涙が出た。それを袖で拭う。

 泣いちゃいけない。泣いてもどうにもならないんだから泣いちゃいけないんだ。

でも……。

 ナハトの為になにかしたくて村に来たはずだった。でも、まだ何もできていない。

 哀しかった。

『どうしたのですか。元気を、出して下さい』

 その時、どこからともなく声が聞こえた。微かな声。聞き覚えがあるのに知らない声だ。客は来ていない。それに今の時間は日中さなか。外には誰も居ないはずだ。

「だれよ、アンタ。どっから覗いてるの? あのねえ、のぞきは、いけないんだよっ」

『ああ良かった。ようやく声を届けることができましたね』

 声に釣られて水晶玉を覗き込む。と、その中に人の姿が揺れていた。髪の長い……女性? 

「だれよ、アンタ?!」

 驚きの声を上げる。水晶玉を放り出しそうになったが何とか押さえると、ラ-サはもう一度覗きこんだ。見えるのは青色をした女性の影!

 ……ゆーれい?

『お久し振りです、ラ-サ。そちらでは3年程経っていますね。まあ、大きくなって』

「だから、アンタいったい誰よ! どうやってあたしの水晶玉に声なんかっ! 酷いよ営業妨害だよそんな事されるとプロのコケンに関わっちゃうんだよ!?」

 女性はあらあら、とでも言うような仕種を見せた。

『そうでした。貴女達の記憶を消していたのでしたね。貴女方を奴から隠す為でしたが、でも、それも役には立たなかったようですね……、残念です。今から貴女方お二人に記憶をお返し致します。お詫びに、すぐに必要な知識を上乗せしておきますね』

 訳の分からない事を並べる影女に、ラーサの怒りは疑問に変わる。

「何のこと……?」

『これぐらいしかしてあげられない事を、申し訳なく思っています。ですがきっと貴女たちなら、これからの困難も乗り切れると信じています』

 小さく首をかしげる少女を無視して水晶玉が強く光る。その光が収束し一本の束になって、ラ-サのひたいの中に入っていった。

「だからさ何の、きゃ………え? あれ? ……あ-! アンタはあの試験の時の!!」

 座ったまま水晶玉に指を差す。あいたっ。こちんと音がしてラーサは震えて絶句した。距離感を誤まった。指を抱えて痛みにうなる。

『思い出して頂けて嬉しいです。ですが、もうそろそろ我々の力も尽きるでしょう……。少なくとも、こういう直接的な干渉はもうできません。しかし、水晶玉の能力だけは確保しておきました。ですがそれも、いつまで持つのか判りませんので、今のうちにできるだけ情報を引き出しておいて下さいね』

「ちょっと! 何のことよ!? え? やだ! あたまの中に違う人の記憶がある!! なによコレ!? いや~ん気持ち悪いぃぃぃっ!」

 指先の痛みに涙目のまま、少女は不安定な精神状態に混乱した。あまり話を聞いていない。椅子の上でのた打ち回る。

『そして、貴女の信じる人に伝えてください。憎しみだけでは勝てない、と。…………ご武運を。またお会いできると信じています……あの宙、の頂き、で……きっと……また皆さ……んと………』

 女性の姿と声がが消えていく。しかし、残念ながらラ-サは最後の辺りの一文をまるで聞いてはいなかった。

 それどころではなかったから。だから、伝言を伝えることができなかった。

 その事を、後に思い出した時彼女はひどく後悔することになる。

「え? ……うん……ありがと、じゃ……またね。……ふ~ん、……そういう事、だったんだ。……くっなんてことすんのよ絶対……ぜったい許してなんてあげないんだからそのおじさん! そうだナハトさま! ナハトさまに知らせなきゃ! ナハトさまああ! デュランを巻き込んだ爆発を起こした犯人が判りましたあああああ!!!」

 そのままテントを開けて駆け出して行く。とんでもない大声を上げて。

 少女の目ざす先の建物の中で、少年がピクリと肩を震わせた。

 半月振りのことだった。


       ◆◆◆


 太鼓の音が鳴り響き、ラッパの音が空にこだまする。その間を途切れない兵達の群れが行進して行く。

 先勝祝いのパレ-ドだ。戦勝祈願も兼ねている。彼らはこれから、(いくさ)に行く。

 正面のテラス。冷めた瞳で大通りの浮かれ騒ぎを眺めながら、シェリア-クは、3日前の再会のことを思い出していた。


「……コ-ルヌイ、なのか……」

「お久しぶりです、若」

 コ-ルヌイが頭を垂れる。酷くやつれている、が、間違いなく幼い頃から見知った顔だった。それを見て、シェリア-クの(まなじり)が微かに震えて釣り上がった。

「今頃、のこのこと……。今までいったい何をしていた……!」

「若の(めい)の通り、くだんの老婆を追っておりました」

「ほう、そんなことに3年もかかったのか? お前は。それで、老婆は捕まえたのであろうな?」

「……申しわけ御座いません」

「フン、そんな事であろうと思うたわ。だがそれならば、なぜ今まで一度も帰って来なかった? せめて報告くらいできたであろうが」

「弁解の仕様も御座いません。ですが、今日はその事で来たのではないのです。若……、何故(なにゆえ)このような………」

「言うな!!」

 叫び、コ-ルヌイの言葉を途中で静止する。

「それ以上何も言うな。お前の言いそうな事は想像がつくわ。だがな、いまさら止めることはできん、止めるつもりもない!」

「若!! なぜ、なのです……この3年間にいったい何があったというのですか!」

 お前が居なかった。だがそれは自分のせいだ。何かがあったとしたら三年よりもずっと前だ。だが、それは自分が言わないできたことだ。ならば、今口に出せば惨めになるだけ。

「言うなと、云っている!!!」

 シェリア-クの叫びが男の耳朶を強く打つ。大きく振られた左腕がコールヌイから彼の心を隔てていた。拒絶。

「もう……行け、コ-ルヌイ。もう、お前の居場所はここにはないのだ。もう戻ってくることは……赦さぬ」

「若……」

 シェリア-クはきびすを返して部屋を出た。眠気など既に、ない。

(もう遅いのだ、コ-ルヌイ。わたしは既に選択し、すべては、動き出してしまったのだから……。お前は気にするな。すべてはこのわたしの責なのだ。わたし一人の責として終わらせる。お前まで憎悪の対象となる必要はない。……馬鹿者が)

 感情を表に出しはしない。それでも帰ってきてくれた事は、素直に嬉しかった。

 もう迷いはない。覚悟はできた。すべてに再生の女神の幸があらん事を。

 悪魔に、なる。


       ◆◆◆


 地下基地の廊下。アベルが煙草を(くゆ)らせている。気配を感じて横を見ると、ナ-ガがやって来て立ち止まった。

「ボクにもそのタバコ、1本頂けるかい?」

「へえあんた、吸うんか?」

「そうだね。軽いものを吸っただけで、一日声が出なくなったりするかな」

「………アカンやんそりゃ」

 横目に呆れたアベルの顔が見える。

「でもね、何か、大事なことを決めたとき……その時だけは、一本だけ吸うことにしているんだよずっと。これまでの25年の人生で、まだ、5本目。特別の一本さ」

 アベルはひと呼吸だけ煙をくゆらせると、無言で煙草の袋を差し出した。

「ありがとう」

「どう致しまして」

 しばらくの間、薄暗い廊下で二つの赤い光が静かに灯り、闇に解け、そして消えた。

 扉の開く音。

 二つの足音が静かに、室内に入っていった。


       ◆◆◆


 イェナの街の正門が見えていた。

 小さな穴の中だ。

 誰にも秘密ではめたレンズが、はるか遠くの人々の表情までも、届かせていた。

 軍隊が出ていってから、もう一週間がたった。あの初めの日からはもう、20日余り。

 壁に開いた穴を見つめながら、蓮姫はつかの間のため息をつく。

 自分はいったい、何のためにここにいるのだろう。

 そして、あの人も……。

 振り返った濁った瞳に、扉の側に彫像のように立ちつくす影が見えた。むっつりと押し黙っている。

 あの日、自分の無知さ加減のせいでアリアムに重傷を負わせてしまった。彼はそのまま街の外へと逃亡したらしい。(公式発表では否定されているが。 )

 聞いたのだ、彼に。詳しく。

(私はいったい、ここで何をしているというの……?)

 何度も問う。ここに残る理由は、もう、ないというのに……。

 でも、あの時の決意だけは本物だったのだ。アリアムの助けになりたいと。

 自分が役に立つということを判ってもらいたかった。でも……。

 もうそれも……叶うことはないかも知れない。

 (蒼星(ツァンシン)……)

 もう一度、何気なく穴に目をやる。

 その人込みの中に門をくぐる青年の姿が見えた。タ-バンを巻いても隠し切れない長く明るい金髪と整った顔が、少し前まで国際色の強かったこの街でも、かなりの人々の目を引いていた。

(……?)

 見覚えのある顔だった。どこで見たのだろう。一瞬、思い出せなかった。

(!! あの人は……!)

 あの時鏡に映っていた顔だった。後ろから体越しだったので、印象しか覚えていない。でも、間違いなかった。

(大神官クロ-ノ!)

「コ-ルヌイさん。お願い今すぐあの人をここに連れてきて、お願い!」

 震える声。それは、怒りからだろうか。

 振り返ったその目には、微かだが光が一筋戻っていた。


       ◆◆◆


 何日も雨が降り続いていた。これでは方角が判らず僅かずつしか進むことができない。 

あれから襲撃はない。だが、既に10日以上経っている。これがナニ-ルの足止めの結果だとしたら、悔しいがかなりの効果を上げたことになる。前の席の二人も喧嘩する気力がなさそうだ。静かに窓の外の雨を眺めながら、ルシアはある事柄を考えていた。

 この旅の出始めの頃から考えていた事。微かな、だが無視することのできない、ある疑い。

(あの時、ナニ-ルはこう言っていたね……。「我の真の復活は確実となった」、と)

 どういう意味だろう? 生きて動いている以上、既に復活は成されているではないか。 

 違うと、いうのだろうか?

(あたしは、何か根本的なところで大きな勘違いをしているんじゃないだろうか……)

 まさか……しかし……。分からない。だが……。

(これ以上、あの【ガイア】に力を与えてはならないことだけは、確かだね)

 その時、ルシアはふと、何かが気になって南東の地平線を見た。

 能力はもう失っている。大気操作もテレポートも索敵もテレパシ-ももうできない。

 だが、嫌な胸騒ぎがした。

 何かとてつもない間違いが起ころうとしている。

「止めな!」

 大声で急ブレ-キを踏ませると、ルシアは、体の痛みも構わずに外に出た。

 顔をしかめる。これは………しまった………っ!

 なぜ判るのかなど、考えている余裕はなかった。

「なんなんだよいったい?」

「うっぷ……何か、あったの、でしょうか」

「どうしたんです? ルシアさん」

 ルシアは答えない。だが、その顔に、ひきつれたような表情が浮かんでいた。

「…………………やられたね…………………………」


       ◆◆◆


 同時刻、睨み合っていた帝国とアルヘナの両軍が、最初の激突をした。

 前触れも開戦の合図もなかった。ただの醜い殺し合いでしかなかった。緊張に耐えられなかった一部の兵士たちが暴走した結果、最悪な形で戦端が開いてしまったのだ。

 合わせて5万人近い数の命が、砂漠の上で互いに混乱したまま混戦で切り結び始めた。

 その日、数百年振りに、砂漠の大地の片隅で、大規模な戦争の幕が上がっていった。



第十一話『戦 端』[NC.500、乾月 3日- 乾月 17日] 了。


第十二話 『他がために鐘は鳴る?』 に続く……


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