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Grand Road ~グランロ-ド~  作者: てんもん
第六章 ~ Open the Cross Road.~ 
32/110

第八話 『敗 走』[NC.500、葉月 15ー 16日]

 コ-ルヌイは倒れていた。地下牢の最奥の鉄格子の中だ。

 同じ場所に詰め込まれた人々が顔をしかめて、遠巻きに彼を見ている。

 服から覗く箇所の全て、その体中が痣に覆われていた。体力を消耗し、栄養補給も満足にできず、うめき声すらあげることができない。

 しかし、それでも彼は生きていた。目だけが炯々(けいけい)と、爛々(らんらん)と光っていた。


(……足音。軽い音、だ……。誰だ……女、……?)

 その微かな音が、目の前の格子の外で止まった。

「やっぱり……あなただったのね。東塔の私の部屋には、壁に小さな穴が開いているの。実はそこから遠くに正門が見えるのよ、小さく。でも遠眼鏡なら見えるくらいに。これ、内緒よ? 結構役に立つから」

(だれ……なのだ………)

「大変ね、あなたも……。ふう、でも、人のことは言えないわね……。私もね、ここの所ちゃんと食べていないわ。あなたとは比べるべくもないけれど、それでも私も………大変だったの……。ね、……聞いてくれる? ねえ、あなたたち。その人に薬を塗りたいの。その人を私が届くところに運んでくれないかしら? ……ありがとう」

 後半は奥の方で見ている人々への言葉だ。何人かが目を見合わせて出てきて、倒れた体を運んで、戻っていった。コ-ルヌイが、目だけを動かして声の主を見た。頼みを聞いてくれた人たちに丁寧にお辞儀をしている高貴な衣装。

 うめきが漏れる。痛みと乾きで、言葉にはならない。

「ねえ、あなたには好きな人っている? 大切な人……って、そうね、訊くまでもないわよね」

 石畳に膝をつき、鉄格子越しに手を伸ばして薬を塗りながら、話す。

「私にもいたわ。三……いえ二人、ね。それぞれ、とても大切で、本気だった……。でも、その人たちにとっては、違っていたの。その人たちにとって私は……[娘]、なんですって。ふふ、嘲笑っちゃう。可笑しいわよね」

(……………)

 薬を塗る手の動きが、早まる。

「大切に思ってくれたのが嬉しくないわけじゃない。……でも違う、違うのっ。私が欲しいと願ったのは、そういう愛され方じゃないのに……」

 女性がうつむく。泣いているのだろうか。暗くて、そこまでは見えない。

「ふふ、いいわ……いいわよ。だったら見せてあげるから。子供がいつまでも親に守られているわけじゃないって、私にだってできるってこと、……見せてあげるんだから」

 子供のような、それでいて力無い笑い声。ふと、彼の心に不安げな気持ちが湧いた。何も判らないまま聞いていたが、女性には精神の不安定さが垣間見えた。

 女性が立ち上がり、牢の出入り口の扉に手を掛ける。その手の中に小さな鍵が見えた。

「手伝ってよね、コ-ルヌイさん。調べたの、あなたが殿下の懐刀だったということ。貴方とは遠くから見ただけで直接面識があったことはなかったけれど、名前と顔と特徴だけは覚えてたわ……ふふ、これでも昔、国では才女で通っていたんだから……あなたにはあなたの思惑があるのでしょうけれど。……役に立ってもらいますわ」

 不安がどんどん膨らんでゆく。コールヌイには見上げた先に、迷いのままに迷走する子供の姿が見えた気がした。乾いた口を急いで開ける。ベチャリと唇の皮が剥げて開いた。呼吸する。息を吸う。喉が腫れたまま呼吸音のみで何とか言葉をつむぎだす。急げ!

「病んだ国くらい私が治してあげるの。私にだってそれくらい……後ろのあなたたちは好きな所へお行きなさい。でも、二人くらいこの人を運ぶ事、手伝って下さいね」

「ま……」

 コールヌイは止めようとした。女性が何かをやろうとしていた。目がまだ開かない。だが、止めなくてはと思った。今の女性の状態で何かことを起こさせるには、非常に危うい気がしたのだ。だが……遅かった。言葉は届かず全てが動いた。

かちり。小さく音が鳴った。

 澱んだ人々の目に光が浮かぶ。それは、何の光だったのだろう。

 女性は自分が何をやっているか、その真の意味に気づいてはいなかった。その後に何が起こるのかさえも。いきなり押し退けられ、悲鳴とともに突き飛ばされた女性、蓮姫は逆側の鉄格子に背中を打ちつけ気を失った。

 時は、どんなに(すが)ろうとも戻ることはない。その事を知らない姫は、望まぬままに夢の無い眠りにつく。そう、時は……止まらないのだ。

 人の波が我先にと溢れ出した。


       ◆◆◆


 砂漠に鉄と鉄の打ち合わさる音が響いている。

 すでに闘いは半日近く続いていた。なのに、だれ一人退屈そうにしている者はいない。そこに集ったすべての瞳は、もうずっと、その凄まじい闘いに釘付けになっていた。

 ギンッカカンッガンガンギンッ

「うおおおおおおおおおおおおっハミルの小倅ええええええ!!」

「どうしたあれだけ言ってその程度か! 年ばかり喰っていたようだな、フリクス!」 

「なんだとおおおおおおおおおおお!!」

 巨大な音。そして一転、何十度目かの力比べに入る。

「ぐぬぬうぬぬぬ、負けはせんぞおおおっ」

(ナハト……まだか……? さすがにもうこれ以上は、引き延ばせないぞ………)

 体力自慢のデュランの体中から、大量の汗と湯気が出始めていた。


「まだなのか!? 早く、早くしないと、ディ-が……!」

 ナハトの声も裏返り始めていた。

 飛ぶための操作法はファングが何とかしてくれている。飛ぶのに使う燃える(あぶら)も、奥の巨大な方の扉の向こうから見つかった。ファングが開けてくれたのだ。小さな扉の方は何をどうしても開かなかったのだが。

 しかし、不慣れな人間が用意しているせいか、思うように準備が進まない。気ばかりが焦っていく。高所作業、その上全部手作業だという事も、それらに拍車をかけている原因だった。

「長、あと11樽分で油、入れ終わります! 現在満タンの2分の1入りました!」

 ナハトは頷く。そのそばから、

「大変です! 油が詰まってしまいましたぁ!」 「うわあ滑った落ちるうっ!」

「何やってるのさ! さっさと退いて、次の人に交替して退くんだ! 足元拭いて、詰まった所は固まる前に空樽を受けて真ん中に槍の柄でも突き刺しといて! 中見てくる!」

 ナハトは急いで中に入り、操縦室まで走った。

「ファング! どう、何とかなりそうかい!?」

 部屋に飛び込むや否や、ナハトが叫ぶ。

「コンピュ-タ-……ええと、機械の頭の調子が悪いんだ。何百年も放っておかれたんだから無理ないけど、操作方法が映らない。紙のマニュアルは置いてないし……」

「そんな、駄目だって言うのかい……?!」

「ううん……大丈夫、やってみせるよ。昔、これよりずっと小さいものだけど、何度か動かしたことがある……はずだから。それより燃料は?」

「駄目だ、まだ半分しか……。くそっ、間に合いそうにない……」

「そう……。じゃ、それで飛ぶしかないね。飛ぶ距離が短くなるけどしょうがないよ」

「ホントに大丈夫かい……?」

「信じてよ。僕だって、やるときはやるよ。……しなきゃいけないんだ」

 ファングの決意の表情に、ナハトは前向きな覚悟を見たと思った。大丈夫だ、彼なら。自分が言うべき事はもう何も無い。

「分かった、任せるよ。じゃあ、あとどれくらいだい?」

「……5分。それでいけるはずだから……」

 高速でパネルと操作盤を打ち込みながらファングは答えた。

「じゃ、急いでみんなを乗せなきゃ! 作業してる場合じゃない。あ! ディ-にも合図!! 煙玉ッ」

 ナハトが転げるように操縦室から出ていった。


 オアシスから煙が上がった。

(助かった! 間に合ったかッ)

 デュランは息をついた。

「もう息が上がったかハミル! 軟弱が、では死ねえ!!」

「ハアアッ!」

 デュランはフリクスの渾身の一撃を受け流し、滑らせる。ギギギギギン! そのまま懐に飛び込みながら手首を浅く切りつける。返す刀で敵の重心の左足首も浅く薙ぐ。

「むうう貴様ッ!!」

 よろめいた所へ膝ゲリ一発! みぞおちに入りくの字になった所をアッパ-カット! 血飛沫が飛び散る中後ろに回り柄尻で腰を打ち、剣の腹を後頭部へ打ち込んだ!

 ズズ……ン…………

 デュランすら凌駕する巨体の老人が砂原に沈む。生きてはいるがもはや動かない。

 いきなり決した勝負に2千人が呆気にとられる中、デュランは拾ったフリクスのランスを思い切り投擲(とうてき)した。

 悲鳴。崩れたその一角を走り抜け、大男がオアシスの中に消えていく。

「何をしておるか貴様らッ! さっさと奴を追わんかァッッッ!!」

 グレ-ザの叱咤の声に、我に帰った兵士たちが後を追って走り出した。


       ◆◆◆


 雪崩を打つように走り出した人々の群れは、それ自体がすでに凶器と化していた。

 踏み、潰され、砕かれ。そこに怪我の無い者は一人として存在しない。

 数千人の人間の濁流は、もはや、何人たりとも止められはしない。こぼれた鍵を拾った誰かが次々に牢を開けていった、その結果だった。

 目を血走らせた人の群れが正門を目ざす。イェナの中心街は大混乱に陥っていた。


 その頃、人影の絶えた地下牢は、静かだった。

 潰れて煎餅のようになった牢屋番の亡骸が血によって床に張りついている。

 誰の血だろう? 大量の血液で、床が川と化していた。

 幾つかの死骸が倒れる中、蓮姫はどうしたのだろう? まさか……。

 一番奥の鉄格子。その前には誰もいない。しかし、その中に人がいた。

 キィキィと揺れる小さな扉の向こう。壁にもたれて座っているコ-ルヌイと、気を失ったままの蓮姫。そして、もう一人。新たな人影が姫を抱き抱えて立っていた。姫も気を失ってはいるが、怪我はなさそうだ。

「ここに、水と食料を置いていきます。あなたなら、これで何とかなされると信じています。頼める筋合いではありませんが……それでも、姫をお願いします。わたしは、まだ姫の前には出られないのです……。もしかしたらもう、二度と出られないのかもしれませんね。それでも自分……わたしは……」

 蓮姫を静かに、床に置いたシ-ツの上に寝かせる。

「サポ-トはいつでも致します。いつも側にいますし、あなたの回復も、目的もお手伝いしますから。姫を、お願いします……」

 人影は、コ-ルヌイが頷くのを待って、それから姿を消した。

 コ-ルヌイはしばらく考えに(ふけ)った後、置かれた水に手を伸ばした。


       ◆◆◆


 オアシスの中に軍隊が入ってくる。

 2千人が一気に入れるわけではない。しかし、押し寄せる人波は途切れることがなかった。

 地響き。鎖帷子(くさりかたびら)の擦れる音。汗の玉がしたたり落ちる音さえ聞こえてきそうだ。

 夕方だが太陽はまだ出ている。鎧は脱いでいても、容赦の無い陽光はじりじりと兵士たちを傷つけている。

 そのせいだろう。彼らの正常な精神さえもすり切れてしまっているかのようだった。

 うわああああああああああああああああああああ!!

 村に大群が迫る!

 その時、落とし穴が前方に開いた。村の周囲には準備された罠が展開されていた。下には何も無い。槍も油も泥水すらも何も無い。だが押し寄せる大群の自らの重圧によって、ただの落とし穴は最悪の凶器と化した。

 悲鳴が途切れなく砂漠の中までこだまする。


「急げ! やつらがここを見つける前に飛び立つぞ!」

 いまだ乗り込みの済んでいない者を、デュランが服をつかんで放り込んでいく。

「なぁにすんのよこのでかウド! あんた今レディの服を引っ張ったわねッ! 引っ張ったわね引っ張ったわね引っ張った………」

「はいはいそこまで! 良い子だから早く入るんだラ-サ」

「や~んナハトさまが服をひっぱるぅ~~~」

 喜んで乗り込んで行くラーサにも皆慣れっこでクスリともしない。

(フリクスと闘うよりも疲れるな……)

 げっそりとしたデュランに、団員の一人の声が聞こえた。

「なんだって!? 奴隷商人たちがまだ食堂の地下に……!? クッ」

 団員の舌打ちが聞こえる。デュランも口の中で舌打ちした後、走り寄る。こんな時に!

「俺が連れてくる。お前たちは中に入って待っていろ!」

「隊長! あぶねえよ! あんなやつらどうでもいいじゃねえか、自業自得だよ!」

 デュランは走ったまま、振り返らずに答えた。

「それでも、ナハトは誰も死なせないと言った。皆の前で誓ったんだ。……お前らここの防衛を頼んだぞ。死守……いや、生守だ、絶対に死ぬんじゃないぞ!」

 言葉を残し、デュランの巨体がはしごの上に消えた。


(村にはまだ入られていないな……)

 罠が正常に作動しているようだ。作っておいて本当によかった。

 全速で食堂にたどり着く。扉を蹴り砕き中に入り、地下への扉を全力でこじ開けにかかる。じりじり。デュランの怪力でも少しずつしか進まない。

(くっ、いざという時のための重さが枷になるとは……!)

 ようやく開いた。中に向かって声をかける。

「出てこい! この村は軍隊に攻め込まれている。さっさとついて来ないとみんな死ぬぞっ!」

 眼鏡男が驚いて尋ねた。

「……どうしてです!? まさか、わたしたちを助けてくれるとでも……」

「うるさい黙れさっさとしろ! 俺たちはハムアの村の人間だ。この村は人を救う村だ。もうだれ一人この村の中で死んで欲しくない。それが俺たちの誇りであり、決意だ。……急げ」

「……………………………行きますよ皆さん」

 眼鏡男が呟き、男たちが立ち上がった。

 デュランたちが食堂を出た途端、村の中に兵士たちがなだれ込んできた。

「ひっ」

「急げ、まだそんなに多くない! 今ならまだ間に合う! どけえっっ!!」

 剣の腹で、柄尻で、立ちふさがる兵士たちを凪払い、デュランと奴隷商人たちは突き進む。湖に着いた。穴が見える。

「あの穴に向かって走れ!! その中に乗り物があるから急いで乗り込むんだ!」

 先に男たちを行かせ、振り返って剣を振る。追いつきそうだった兵士たちが3人、顔をぶたれて転がった。その後ろからもわらわらと湧いて出てくる。

「行かせん!!」

 デュランは穴の縁で応戦した。10人……20人……。

「隊長! みんな乗り込みました! 隊長も急いで、はやくっ!!」

 瞬時に動く。

 転がりうめく兵士たちを乗り越えて、デュランは穴に飛び込んだ。どがァッ! 10m近い高さを肩で受けて、さしものデュランも顔をしかめる。

 しかしそのまま走って乗り込み口までたどり着く。

「いいぞ、閉めてくれ!」

 肩を押さえ、タラップを駆け上りながら叫ぶ。間に合った。が!

 頭の横を轟音を立ててランスが飛び過ぎ、飛び退いたデュランは乗り込み口の下に転がった。その間に無常にも入口が閉まり終えた。

 振り返って投げた相手を見る。

「デュラン・ハミル……このわしに背を向けるのか……? 否々逃がさぬ。さあ剣を取れ……。フリクスに殺された方が何倍も良かったこと、その身にしかと教えてやろうぞ……」

 グレ-ザだった。4年前まで剣聖とすら呼ばれた王。

 奥の壁に半ばまで突き刺さったランスをちらと見る。たとえ太ってしまおうとも。

(いまだ、健在……という訳か)

 グレ-ザの後からもぞくぞくと兵士が穴に入ってくる。

「……」

『みんな、揃ったね!?』

 ナハトの声が聞こえた。こちらの声が聞こえるかどうか疑わしかったが、声をかける。 

「ああ、俺で最後だ。みんな中に入った。ナハト、急いで飛び立つんだ」

 少しだけ危惧したが、どうやら聞こえてくれたようだ。

『ディ-、間に合ったんだね! よし、ファング、発進してくれ!』

『うん分かった』

 地響き。乗り物の周りに亀裂が入り、機体を乗せたまま円形の部分が上昇していく。天井がぴしりという音とともに開いて、今日という日の最後の太陽の光が差し込んだ。

 それとともに大量の塵が降り注ぐ。兵士たちがパニックを起こして走り回った。

 そんな中、対峙する男たち。二人とも微動だにしない。

 デュランが剣を構えた。グレ-ザも遅れて構える。ゆらり。


 地上では伸びたレ-ルの上で、数百年の眠りから覚めた小型宇宙船が最後の抵抗をし、震えていた。ノズルの内側が赤熱していく。

『ディ-、どこさ? ファングがちゃんと掴まってないと危ないって……』

『ナハト!! 違う! これ外部双方向スピ-カ-だよ! ボタンを間違えたんだっ、デュランさんは中にいない!!』

『……え? な、なに言ってんだよファング……違うよ……ほらどっかにいるって。……いない訳ないじゃないか、ねえ、ディ-? どこさ? どこ? 返事してよ……返事してよ………!』

 悲痛な戸惑い。そんな声だけが外に漏れ小さく金属の床に反響した。

「ナハト」

 砂埃が晴れ、デュランの姿が窓の遥か下に初めて見えた。敵と向かい合って構えている。

『ディ-!? 嘘だよなんで……なんでそっちにいるのさ……っ! なんでさああっ!!』

 絶叫がこだまする。

「約束したな? 俺は」

『!!!』

「絶対に生きて帰る。騎士は……いや、俺はお前にだけは嘘をつかない。俺の壊れた心を救ってくれたお前にだけは、絶対に。……待っててくれ。……ファング、ナハトを頼む」

 刹那、ノズルが炎を噴いた。機体が動き出す。ゆっくりと、そして次第に速く。

『ディ────────────────────────────っっっ!!!』

 飛び立つ船の下で、互いに互いの大切な者を殺された男たちの闘いが、始まった。


       ◆◆◆


「アリアム様!」

「分かっている。すごい騒ぎだな。……リ-ダ-たちは、やはり間に合わなかったか。誰だか知らんが……余計なことをしてくれた」

 苦い声がにじみ出た。それでも視線は下を向かない。そう、あの時に決めたのだから。

「どう、なさるんですか? 何の準備もまだできていないんですよね……?」

 アリアムが笑顔になる。

「何とかなるよライラ。心配したって始まらないんだから、心配するだけ損だぜ? 要は、今できる一番をすればいいのさ。こらこら、言ったろ? 君は笑ってな。笑顔笑顔。女の子は笑い顔が一番可愛くて、男は女の子の笑顔を見るために頑張るんだぜ? その笑顔が力になる。頑張らせてくれよ。な?」

「……はい。でも、」

「でもは無しだ。さ、君はここにいろよ。いいな」

 そう言うと、アリアムは隠れ家を飛び出していった。


 整列した軍人の群れを前に、テラスからシェリア-クが言葉を降らして立っている。

「いいか、必ず一人も逃がさず捕まえるのだ! だが抵抗するものは殺してかまわぬ。まだ祭りの日までは、十分時間があるのだからな。ふはは。では行け!」

 シェリア-クの声が王宮の庭に響き渡る。憲兵隊が散開して街中に散っていった。


 イェナの大通りが壊されていた。逃げ出してきた奴隷候補たちが、逃げるのもそこそこに破壊を続けている。どこかで火の手が上がった。

 こん棒やパイプを手に持ち振り回すその顔は、異様な熱気に包まれ、浮かされていた。

(馬鹿野郎どもがッ)

「やめろおっ! 何をしてるんだこんな時にッ。そんな事やっている暇があるならさっさと逃げないか!! 追っ手がすぐそこまで来てるんだぞっ」

 いきなり現れたアリアムを敵と思ったか、何人かが襲ってきたが、[追っ手]という言葉で少しは正気が戻ったのか、(きびす)を返して逃げていく。

 見送りながら、アリアムは恐ろしい脱力感に襲われていた。

(……俺は、あんなやつらを開放してやるために闘っているというのか……?)

 しかし、足を止めたりはしない。他にバカをやっている者を止める為に、走る。

(そうだ、あんなやつらばかりじゃない。あんなやつらばかりではないから、だから俺は闘っているんじゃないか)

 ライラ、蓮姫、お袋……。彼女たちの様な者を、一人でも無くすために。

 通りの突き当たり、繁華街通りの角に、子供を連れた女性が足を押さえて(うずくま)っているのが見えた。それを見てアリアムは急ぐ。

(何だ……!?)

 女性の周りの逃亡奴隷たちが騒いでいる。王宮の方向を指さして、恐怖の顔で逆方向に逃げていく。だが、余程痛いのか女性は立ち上がれないらしい。

 子供はおろおろして泣いている。だがもう少しで助けに行ける! その瞬間だった。

 王宮の方角から無数の矢が降り注いだ。


「……ば…………馬鹿な……っ!!」

 目の前で、親子が刺し貫かれ、ゆっくりと倒れた。無音の紙芝居のページの様に。

 通りにいた他の逃亡奴隷たちもだ。矢の雨が止んで立っている者は、繁華街通りにいなかった者のみだった。そいつらも、(ほとん)どがあまりの事に腰を抜かして呆けていた。

「おや兄上、いけませんねえ。面会謝絶の病人がこんな所で何をされておられるのです? クククははは。おい、だれか陛下を城にお連れ差し上げろ。夢遊病らしい」

 シェリア-クだった。戦闘用のラクダにまたがり、彼の弟は、今まさに矢を撃った軍隊の最前列中央にいた。腕を降り下ろしたままの姿で。

「シェリ、アァァァクゥゥゥゥゥッッッ!! お前は、いつから、いつからそこまで堕ちたんだ! 昔は、あんなに……優しい奴だったじゃねぇかよ……ッ!」

 その言葉を聞いた瞬間、シェリア-クの顔にドズ黒い悲しみの顔が浮かんで消えた。次いで見せるのはどう猛な笑み。空虚で飾りの陶器の様な。

「優しかった? 昔のわたしが? ……くっくくく、これは可笑しい」

 左手で目を覆い隠す。指の隙間から覗く黒目が深く深く燃え上がる。

「いいえ兄上、今のこれが、わたしの本当の姿です。あなたはやはり、真の意味でも、わたしを見てくれてはいなかったということなのですねえ。哀しいですよ兄上」

「シェリア-ク……」

「最後の選択です、兄上。王宮にお戻り下さい。そうすれば、この馬鹿騒ぎも無かったことと収めましょう。終わりにして差し上げます。あなたが、戻って下さりさえすれば……」

 アリアムはさっきの親子連れを見た。……針ネズミだ。悲痛な気持ちが溢れかえる。ため息が出そうになった。

 あんまりだ………。

「……本当……だな? だが……なぜだ……なぜそうまでして、お前は……」

「それは、わたしがもう長く……。……いえ、何でもありませんよ、何でもね(これは、墓まで持っていく類いの話なのですから)。そんなことより、戻られるのですか? 戻られないのですか? 今ここで決めて下さいな、さあ!」

「だめぇぇええええええ!!」

 少女の声がこだました。アリアムが答えようと口を開けたその時だった。屋敷に置いてきたはずのライラが、転がるように走ってきてアリアムを背中に(かば)い両手を広げて立ち塞がった。

「アリアム様には大事な目的があるんです! 捕まえちゃだめぇえええ!」

 シェリアークが口をポカンと開ける。大通りの男達はみな一様に呆気に取られて固まった。ただ一人、アリアムだけが恐慌に陥る直前の表情で焦りの声を上げていた。

「ライラ、馬鹿なんで来た! 駄目だっ、ここはいいから逃げろ、逃げるんだ!」

 アリアムはライラを捕まえると、体を入れ替えて逆に庇う。

 途端ライラがガタガタと震え出した。その視線の先を辿ると、恐ろしい形相をしたシェリア-クがいた。

「なるほど、そういう……事でしたか……。いやいや兄上、自分だけは違うみたいなお顔をされていながらねえ。そうやって何人の奴隷の色を世話なされたのです? それにしても相変わらず下々の者がお好きなようで。その節操の無さ、あの父上にそっくりですよ」

 カッとなった。勘違いを正すことすら忘れた。

「なんだと貴様ッ。あんな、あんな男と一緒にするな!」

「同じですよ。弓兵、あの奴隷を撃て」

「やめろって言ってんだ馬鹿野郎!!」

 夢中でアリアムが背中でかばう。

「フ、そのままでは兄上も串刺しですよ? いいのですか、王族がその様な死に方で」

 ライラがアリアムを見た。

「王族……? 兄、上……って、どういうことですか……アリアム様……?」

「ほう、これは……くく、傑作だ。兄上、まさかご自分がこの国の王だという事を隠しておられるとはね? そんなに知られたくなかったのですか? 娘、その通りだ。この方はな、このアルヘナの国王、アリアム一世であらせられる。貴様如き虫けらがその汚らわしい口で呼んでよい名ではないのだ奴隷娘よ」

 ライラの表情が引きつっていく。

「う……うそ、ですよね? アリアムさま……」

「……………ライラ」

 視線の先のアリアムが悲痛な顔で目線を逸らした。

「………い、いや………いや。いやあああああああ!!」

 ライラがアリアムの腕を全力で降りほどいて走り出す。

「良いザマですよ。今だ、撃て!」

「チィッ」

 アリアムが全力疾走でライラに追いつき、覆い被さって地面に押さえつける。

 その瞬間、アリアムの体がビクンと跳ねた。

 背中に刺さる音がした。それだけでは終わらなかった、脇腹と右の二の腕、両の太股に幾つもの矢が深々と、次々に突き刺さっていった。


       ◆◆◆


 天井の開いた砂と(ほこり)の舞う半地下で、二人の男が闘っていた。

 薄い星の光の下、だんだんと闇に近づいてゆく黄昏(たそがれ)の戦場に、剣と剣のぶつかる音が間断なく続けて響く。

 ひときわ大きな音。デュランが表情を変え、わずかに遠くへ飛び退いた。

(ば、化け物か、グレ-ザ……!)

 腕がしびれている。あのフリクスと半日闘っても軽い汗しかかかなかった男が、たった十数分の攻防で脂汗を流し始めていた。

 目の前の敵は未だぶくぶくに太っているというのに、だ。

(4年前に闘っていたら、一分持たなかったかもしれないな……)

 だが、今は4年前ではない。

(さすがに持久力では俺の方に歩があるはずだ……。負けない。そうだ俺は……帰るんだ!待っていてくれる人がいる。だから、負けない。負けるものか!)

「腕を上げたな、ハミル」

 驚いたことに、グレ-ザから話しかけてきた。一瞬すら気を抜けないにらみ合いの中の会話。どういうつもりだろうか?

「質問がある。さっき逃がしたな、あの子供を。あんな子供が、お前にとって一体なんだというのだ? 答えろ……デュラン・ハミル」

 どういう意図の質問だろう。分からない。だが、デュランは間髪入れずに答えていた。

「生きている、証だ」

「なんだと?」

「あいつは、ナハトは……自分が生きているのかどうかすら分からなかった抜け殻だった俺の為に、泣いてくれた。心の底から俺の為に涙を流してくれたんだ、王よ。

 俺はあんたに対して恨みも引け目もたくさんあるが、それは、もはや生きるすべてではない。今この瞬間俺が闘っている理由はただ一つ。あいつの為だ。あいつの村。あいつの涙。あいつの信頼。それが俺を動かす。俺を生かしているのだ。あんたには、理解できないだろうがな」

 数千の視線の真ん中で、二人は剣を構え、ピクリとも動かない。

「……………なるほど、確かに分からぬな。儂に分かるのはただ一つ。お前も儂も、等しく咎人(とがびと)だということのみよ」

 デュランの眉がわずかに上がった。何かが、違う……? どこかが……。

「知っている。だが、俺は、……それすらも背負って生きてみせる!」

 言えた。この言葉を言えるまでに、なれたのか俺はようやく……。

 デュランは思う。この三年間で、確かに自分は変わったのだと。それは世界から見れば、大したことではないのかもしれない。だがそれでも、それは奇跡なのだと。

「ほざけよ、ひよっこが!!」

 グレ-ザが動いた! 攻防がまた、始まった。


       ◆◆◆


「アリアムさまぁぁあっいやあああああああああ!!」

「あ、兄上……なぜ……!!」

 体の下で、通りの向こうで、自分の名前が呼ばれている。

 アリアムは薄目を開けた。まだ、大丈夫だ。自分はまだ生きている。

 体を起こす。突き刺さった矢ごと体を起こし立ち上がる。

「無事、かい? ライラ……」

 男の笑顔にライラは目を見開いたまま泣き崩れた。

「あ……どうして……どうしてです!? わたしは、逃げたのに……。あなたから逃げたのに……!!」

「そうです、なぜなのですか!? その女がそれ程大事だとでも仰りたいのですか!」

 二人の詰問が飛んできて体を抜ける。静かだ。何かが体に詰まってる。弾けそうではちきれそう。だがそれでもとても、静かだ。空を仰いで、そのまま上を向いたままアリアムは口を開く。

「………いや……なんだよ俺は…… 」

「は……?」

 男は言葉をつむぎ出す。仰いだ空の下、詰まった何かが決壊して、弾けてゆく。

「もう厭なんだよ俺はぁ!!!」

 アリアムは絶叫した。体に幾つもの矢を差したままで。

「俺に少しでも関わった奴は、もう誰一人不幸にさせねぇ……。絶対に……ぜったいにさせねぇ、させねぇんだあああああああああああああああああああああああああああ!!」

 ライラもシェリア-クも絶句した。

 それは、途轍(とてつ)も無くわがままな言葉だった。けれど、アリアムらしい言葉だった。それを本気で絶叫できる(まれ)な人間の一人だった。それを聞いて、ライラは胸が熱くなる。

 だが、シェリア-クは違っていた。哀しそうだった。

「それは……無理というものですよ、兄上……」

「違う!! 俺はまだ死んでねぇ! 俺がまだ存在して息をしているうちは、無理だなんて言わせねぇ。絶対にっ!」

「無理ですよ」

「ちがうっ!」

「違いません。…………わたしは、幸せではない。そして、死ぬまでに幸せになることなどあり得ない。……だから、無理だと言っているのですよ、兄上……」

 シェリア-クが視線を落として独白する。それを聞き、アリアムは愕然とした。

「……………シェリア-ク…………お前は……………」

 一陣の風が吹き、シェリアークの髪が乱れた。顔に差した(かげ)りがなぜか取れぬままに言葉が漏れる。

「弓兵、撃ちなさい」

「シェリア───────────クッッッ!!」

 髪で顔を隠したまま(きびす)を返し背中を向ける弟に向けて、アリアムは叫ぶ。しかし無常にも矢は放たれた。今度は、無数に。近づいてくる。空から無数の死が降り注ぐ。

 動きたかったが、体に力が入らなかった。ライラがアリアムを支えて横に並んだ。


       ◆◆◆


 ガキン! ガキンッ!ガキン!

 巨大な二振りの刃が、薄闇の中まるでスロ-モ-ションの様に舞っていた。

 体に当たれば身体が二分され、頭に当たれば頭がなくなる。

 デュランの一撃には、それほどの力が込められていた。

 だが、グレ-ザ王はそのすべてを受け、流し、反撃すら行っている! 恐るべき才だ。 昔、まだ太っていなかった頃のこの王の力は、どれ程のものだったのだろう。

 デュランたち騎士が憧れたその強さ、気高さ。

 そこには確かにそれがあった。なのに、

 なぜ?


「うおおおおおおおおおおおっ!」

「ぬううううぅおおおおおおっ!」

 二人のその巨体と同じくらい大きな剣同士が、目にも止まらぬ速さで打ち合わされる。 速い! 辺りが暗くなってきたこともあるが、見ている者にはもはや剣筋がまったく見えない。

 地鳴りすら起こしそうな剣戟(けんげき)。打ち合わされてできる火花がまるで、連続した打ち上げ花火のように途切れない。

 音のリズムがどんどん速くなっていく。

 恐ろしい……。この二人には限界がないとでもいうのか!?

 しかし、人より先に道具のほうに限界が訪れた。澄んだ破砕音を響かせて、グレ-ザの剣に亀裂が入る。

 数分内に数百回という現実離れした激突に、剣そのものが耐えられなくなったのだ。ここぞとばかりにデュランが上段から振り下ろす。

 今度は濁った破壊音。完全に中程から真っ二つだ。

 そのまま勢い余って相手の体に刃が当たる。その一撃がグレ-ザの鎧を破壊した。だが、そのせいでデュランの剣も歯こぼれを起こして使えなくなる。

 間を置かず二人同時に剣を仕舞い、ファイティングポ-ズをとる。

 これまた同時に拳が舞った。


 力は互角だった。だが、避けるスピ-ドだけは肉の量分デュランの方が勝っていた。

 次第にグレ-ザの体の痣が増えてゆく。グレ-ザ渾身の一撃! デュランは逃げずに踏み込んで(ほお)で受け、視界に火花を散らしながら顔を背け支点をずらし……最後に最大の一撃をお見舞した。

 こぶしがグレ-ザの胸元に吸い込まれる。パキィ…ン……ン………

 グレ-ザの胸元に入っていた何かが、割れた。


       ◆◆◆


 どすどすどすっ。

 最初の数本が肉に食い込む!

「クソオオオオッ」

 終わりなのか!? これで、俺は終わりだというのか!

 コンマ何秒の間に世界が止まる。思考だけが億回転し絶望の色だけが染まってゆく。

 眼前に死が迫る! 無意識にライラを抱きしめた。刹那。

 ころころころ………ド カ ン ッ ッ !

 無造作に転がってきた何かが幾つも通りの前方で爆発した。


       ◆◆◆


 細かくなった何かが床に散らばって、濁った音を立てた。血ではない赤い水が床に垂れた。そして、

「ぐぉぉぉぉぉああああああああああああああっっっ!!」

「!!?」

 いきなりグレ-ザが顔を覆って苦しみ出した。痛みのせいだろうか。胸を押さえ、そしてグレ-ザは膝をつき、そのまま倒れ動かなくなった。

(な、何だ? どうしたというんだ!?)

 デュランは茫然と立ちつくす。

 今の今まで闘っていたのがまるで嘘のように“しん”として、誰も言葉を発しない。

(気持ちが悪い………)

 異様に後味が悪い。なんなのだ、この恐ろしいほどの気持ち悪さは!?

 倒れたグレ-ザの下から、何か赤い液体が流れてきた。大量に床を覆ってゆく。

 「……馬鹿な。これ程の血が流れる傷など、まだ俺は与えていないぞ……」

 しかし、それが合図となった。正気に戻った騎士たちが次第に包囲を狭めてくる。デュランを見る彼らの顔には、皆一様に怒りの表情が浮かんでいた。

(そうか……。まだそれなりに、慕う者もいたのだな、グレ-ザ……)

 デュランが軽く苦笑し、刃毀(こぼ)れた剣を構えた。さあ、ここを抜ければ後はナハトたちに追いつくだけだ。

 王を倒され(?)て怒りをあらわにした騎士が迫る。デュランも構えをとる。

 前列の騎士が雄叫びを上げ、今まさに乱戦が始まろうとしたその時、ぴくりともしなかったグレ-ザが体を起こした。手をついて立ち上がろうとする。

 騎士たちがデュランそっちのけで傍に集まって行く。その時、デュランの耳に、グレ-ザの囁き声が届いた。

「……紅い瓶は………潜在能力を、開放……し……、欲望……を……肥大さ……せ、る……。集められ、た……狂気………は送られ、奴の……力と……………… 」

 聞いた途端恐ろしい胸騒ぎがした。また、気持ち悪い。内側を虫が這い回っているかの様。

「何の事だ……。それは……いったい何の事だ! グレ-ザ!!」

 デュランは知らず知らずのうちに口を開け、質問を発していた。

 グレ-ザの視線がこちらを向いた。

「急げ、デュラン・ハミル。星が危ないのだ……、一人の男の狂気が、世界を……、儂は、わしは貴様が、憎い! だが、お、お前なら、お前ならぁああ……ぐ、ぐぉあああああああああああああ!!!」

 グレ-ザが本格的に苦しみだした。


       ◆◆◆


 後方へ、抱きしめたライラともども爆風に飛ばされる。

「がハッッ!」 「きゃああああ!」

 ライラを抱きしめたまま受け身もとれずに石畳に叩きつけたれ、息が詰まる。しかし、矢もすべて爆風で意味のない方向に飛ばされたようだ。

(た、助かった、のか……?)

 顔を曲げると、爆風で通りに砂煙が立ちのぼっているのが見えた。

 その時、目の前の石畳に馬車が滑り込んできた! 凄まじい音を立てて木輪が軋む。

「乗れ! 早く!!」

 ドアが開く。そこから、革命組織のリ-ダ-が二人に手を差し出していた。

 最後の力を振り絞って馬車の中に転がり込む。

「飛ばすぞ!」

 煙が薄れていく中、茫然とする憲兵軍を蹴散らして馬車が発進した。

「街外れにらくだ車が待機してある。それに乗り換えたら一度砂漠に逃げ込むぞ!」

「……………………」

 アリアムからはもはや返事がない。気を失ったらしい。

「い、いや……アリアム様アリアム様、アリアム様ああああああああああ!」

「うるさい少し黙りなライラ! 大丈夫だよ、このキツネ男がそう簡単にくたばるもんかいッ」

 馬車の中でエマさんがアリアムの服を脱がし、応急処置をしながら叫ぶ。

 ライラは、頷くしかなかった。


「申しわけありません、逃げられましたッ」

 空気の晴れ始めた通りでは、シェリア-クが伝令兵から報告を受けていた。

(兄上の仲間、か……。まさか、手投げ爆薬まで用意してあるとはな……)

「まあ良い、すぐに戻ってくるだろう。決着はその時だ」

 腕を振る。しばし。考えに(ふけ)ろうと腕を組んだシェリア-クは、報告の兵士が立ち去らないのを見て、眉を上げた。

「何かまだ用があるのか?」

 兵士は(ひる)む。しかし、意を決して質問した。

「今の方、……今の方は本当に、アリアム陛下だったのですか殿下!?」

「だったらどうした」

「ッ!?」

「フン、違うに決まっておろうが! あの男は陛下の名を騙る賊。それだけだ。……もう良いだろう、行け」

 噛み潰した表情のまま去っていく兵士の背中に、シェリア-クは呟く。

(フン。たとえ真実がどちらであろうと、貴様等には関係のないことだ。考えるな。そう、歯車は歯車らしく、命令された通りに廻っておれば良いのだ! ……運命を受け入れて、な……)

 シェリア-クは自嘲気味に俯くと、ラクダの首を王宮に向けた。


       ◆◆◆


 ビ-ビ-ビ-ビ-ビ-ビ-ビ-ビ-………

 いきなり部屋の中に甲高いアラ-ム音が鳴り響いた。

「な、何事ですかアベル!」

「これはどういう事態だい? アベル君」

 話の腰を折られ、アベルが不機嫌に立ち上がる。すると、それを待っていたかのようにヘイムダルが報告した。

「マスタ-、東南東方向約1,320km地点で、高エネルギ-反応感知。緊急事態ノため解析を一時中断シテ、集中観測に入りマす。オ-バ-」

「了解や。で、どの程度のモンかここから判るか?」

「……予測完全消滅範囲デ、直径290m。周囲2キロの物体はほぼ熱により破壊と推定。小型の空間点爆縮弾のようデス」

 アベルの顔色が一変した。

「ば……アホな……それは大戦時に宇宙で使われたっちゅう伝説の爆弾やぞ!! 今残っとるはずがない!! しかも……そんなモンが地上でやと……!?」

 それを聞いて後の二人も顔色が変わる。クロ-ノなど、取り乱す寸前だ。

 ここから東南東。そこにはア-シアのいるアルヘナがある。

「爆縮のカウントダウンに入りまシた……60秒……………55秒…………」

 誰もが硬直し、ただ機械の読み上げる時間が減っていくのを聞く事しかできなかった。


       ◆◆◆


『使えぬ指だ。まさか洗脳の一部が解けるとはな』

 ハムアオアシスを望む砂丘で、マントの男、ナニ-ルがぶつぶつと呟いていた。

『その上シャトルを逃すとは本当に使えぬ。頭にアレを埋め込んでいたのが役に立つのみか。まあよい、派手に散るがいい。くくくくふふふふうははははははははははは』


       ◇◇◇


 デュランに話しかけようとしていたグレ-ザは、まるで気が狂っているかのように自らの頭を掻き始めた。皮がめくれ血がにじむ。それでも止めようとはしない。

「おの、れ……ナニ-ル………。心だけでなく、頭の中にまで……」

「グレ-ザ! どういう事だ! ナニ-ルとは何者だ!?」

 聞いた事がなかった。だが、とてつもなく不吉な名前に聞こえた。無意識に近づく。 びくんっ! その瞬間グレ-ザの体が跳ね上がり、硬直した。

 ぎこちなく顔が動き、血走った目がアリアムをめつける。

「ひひひいいひひひひいい……死ネ死ネ死ネ死………、カネカネカネ、血血血血血ィ」

 キイィィンッ! ドカドカドカドカドカッッッ! 

 折れて半分になった剣が振り回され、床や壁に穴を開けた。

「グ、グレ-ザ!??」

 目の前でグレ-ザが(よだれ)を垂らしながら剣を振り回していた。騎士たちの一部が吹き飛ばされる。

(正気では……ない、のか……まさか……ハッ!?)

 目の前に剣が振り下ろされた。辛うじて避ける。転がったまま片膝をついた姿勢で向き直る。グレ-ザは大上段に構えた姿勢のまま、固まっていた。

「バ、ミル……。キザマを殺して、やりたいぞ……。ガ、生かしておいてや……る。キザマは……ダレカに、知らせるのだ……このごとを……」

「おい、グレ-ザ……何なんだ一体!? さっきから何を喋っている………!?」

「ナニ-ルを、倒せえええぇぇぇぇぇっぇへへへへへへへへっひひひいひひいいひひ!」 

 ドガッッ!!

「なっ!?」

 一瞬で間合をつめたグレ-ザに思い切り蹴られ、デュランは壁に叩き付けられた。と、その背中の壁がいきなり傾き、デュランの体が暗黒の中に落ちていく。デュランがぶち当たった場所、それはあの、どうしても開かなかったはずの小さな扉の位置だった。

「おおおオォォ……グレ------ザァァァアァアアアァァァァァァァァァァ……!」 

 野太い大男の叫びが小さくなってゆく中で、グレ-ザは誰にも聞こえないように口の中で呟く。 

「……貴様は生きテ、償エ……。儂は……一足先にオルトゥ-スに会うとしよう……。クククッ……貴様を、この手で殺せナカった事、残念でならヌわ……。いつかまた決着ヲツケようぞ……、その、時まで他の者に負けるこトは、絶対に赦さんぞハミルうぅゥぅ……ひひひひひいひい」

 そして、最後の力を振り絞って後ろを向いた。騎士たちが見ている。

「ひっひひ……何を、ひっ、してイルお前たちも……いひひ、逃げるのだ……! は、早……く……ぐ、ぐおおおおおおおおああああっ!!」

 ゴキンッ! 刹那、騎士たちが遠巻きに見守る中で、グレ-ザの頭蓋骨そのものがいびつな形に変形した。ごきごきごき。ぶつぶつぶつ。

 あまりの光景にさすがの騎士たちも悲鳴を上げ、我先にと逃げ出した。腰を抜かした者がいなかった事はさすがだった。だが。

 キイィィィィッィィィィィィィィィン……キュインッ!

 一瞬でグレ-ザの頭が点にまで縮んだ。爆縮! そして、……………


       ◇◇◇


 ナハトは窓に張り突いてデュランの名前を呼び続けていた。まるで、名前を呼べば自分のところに相手が現れてくれると本気で信じているかのように。

 何百度目だろう、ナハトがその名前を呼んだ瞬間だった。

 世界が、光に包まれた。


 視界がまるで白黒反転写真のようになっていた。何が起こったか分からなかった。前ぶれもなく襲ってきた衝撃波にファングは必死になって機体を安定させる。

 何も考えられない恐ろしい数十秒が過ぎ、ようやく空が元に戻る。機体も安定する。

「な………何だったんだろう、今の……? ナハト、何があったの? ナハト!?」

 スピ-カ-で呼んでも返事がない。不安になったファングは、小窓を覗いて絶句した。 

「あ……な……あ、あれは……そんな………」

 炎だった。星空の下、舞い上がった砂煙の中心に、雲に達する程巨大な炎の玉が出現していた。


       ◇◇◇


 『ククククク、ははははは。ハハハハハハハハはハハハハハハハハハハハ』

 融けて流れ落ちる砂を置き去りにして、炎の球体が次第に小さくなっていく。

 近すぎて、空気さえ燃え上がりそうな程熱せられた砂丘。そこにはもはや誰もいない。その誰もいない砂漠の片隅に、人ではない笑い声だけが、長く永く響いていた。


 炎の玉から逃れられた騎士は、全体の一割、たった200名足らずだった。一月後、ようやく帰りついた騎士たちの報告を聞いた国民は、パニックに陥る。国王と軍隊を失ったオルティニア王国は、次第にその力を弱め、数年後、隣の大国に併合されることとなる。

 だが、それはまた別の話だ。

 月と星と空の下、巨大な炎の球体に照らされて、金属でできた鳥が飛んでいる。

 閉じられた扉の前で、少年が泣いている。

 操縦席の少年は、無言で唇を噛んでいる。

 席に座った人々は俯き、鼻をすすり、「卑怯者」誰かがそう呟いた。一番端で顔を覆ってしゃがんでいる少女だろうか。

 闇に包まれた地上。その場所には豊かなオアシスがあった。幾百・幾千もの命を助け、500年の間一度として枯れることのなかった、奇跡のオアシス。

 そのオアシスが今日、この日、この地上から永久に姿を消した。


        

         『第八話 敗走』 了.

                  

   第九話『Interlude(インタ-ル-ド) ~老婆~』に続く。



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