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Grand Road ~グランロ-ド~  作者: てんもん
第六章 ~ Open the Cross Road.~ 
30/110

第六話 『ひと』 [NC.500、葉月 3-8日]





 その日も、少年と青年は市場を歩いていた。

 前髪をバンダナで軽く立たせた小柄な少年と、銀髪ス-ツの長身の青年。カルロスとリ-ブスだ。二人とも今日は顔がほころんでいる。

 最初の何日か憲兵がいやに走り回っていたり、いきなり道端で訊問されたりして、物を売ろうにも売れず二人とも機嫌が悪かった。

 だがそれ以降は、一週間もかかったが、持ってきた大量の荷がけっこうな値段で売れたために銀髪の執事、リ-ブスは上機嫌だ。今も少年を先導するように一歩先で鼻唄を歌っている。

 少年の方はといえば、実はこれまでシェスカの港から100km 以上離れたことがなかった。

 だから心労も減ったせいもあり、いまだ周りを見るのに忙しそうだ。こちらも今は機嫌がいい。今日くらいは、天敵(執事)に何か言われたとしても大した事にはならないかもしれない。

「坊っちゃ~ん、ちゃあんと付いてきてはぐれないでくださいね-」

 前を向いて鼻歌のままチクリとくる。

(はっ。気にしねェ気にしねェ)

 笑顔はまったく崩れもしない。

「おやあ、返事がありませんね。いい子ですから迷子にならないでくださいよ-」

(ぐっ。ガ、ガマン、我慢だ、おれ)

 まだ大丈夫。

「坊っちゃ-ん坊っちゃ-ん坊っちゃ-ん、ああ! 連呼するとなんか気持ちいいっ」

 ぶ ち っ 

「テ メ - ……(以下略)!!」

 ……駄目だったようだ。

 今日も今日とて、この一週間で市場の新名物となり果てた絶叫が響き渡った。


(ちっくしょう、リ-ブスの野郎、まぁた恥かいちまったじゃねえか!)

 一人になったカルロスは、人込みの中で立ち止まる。

 やっと荷もすべて売れて、老婆を捜し始めることができると思っていたカルロスは、いい加減にしてくんねェかな、と本気でため息をつく。

(もはやアイツは当てにしね-。確かに強いが、いればそれだけで目立ってしょうがねェぜ、ったく。こうなったらおれ一人でもちゃんと捜して、しっかりと捜し出してやるぜ)

 通りの向こうで必死で捜して呼ぶリ-ブスの声がしたが、おれは無視して歩き出した。


 しばらく町の外側に向かって歩いて行くと、本通りと比べてかなり寂れてウサン臭そうな、キナ臭そうな通りに出た。どんなに大きくてお奇麗な街でも、裏に回ればこういう通りが必ずある。このイェナも、その点では例外ではなかったというわけだ。

(フッ、これだよこれ、この雰囲気だ。気に入ったゼ。こういう所にこそウマイ情報が隠れてるってもんさ)

 こういう場所では、慣れている分リ-ブスよりもカルロスの方に分がある。昔とったなんとやらだ。

 ところが、カルロスはちゃんと友好的に話しかけていたはずなのに、なぜかどうにもうまくいかなかった。誰もが背を向けてそそくさと行ってしまうのだ。そこで、わざと絡まれてそいつらを叩きのめした後、締め上げて情報を聞き出すという手っ取り早い手を使おうとした。

 しかし、そこかしこからよそ者に対するキツイ視線が刺さってくるのに、因縁をつけてくる奴となるとなぜかいない。どういう事なのだろう。

 騒ぎを起こしては困ることでもあるのだろうか?

 漆喰の建物の横で、積まれた空箱に座る。壁にもたれて首をひねっていたその時、いきなり男が一人、横合いから走り込んできた。

 20代後半くらい、か。それにともない、複数の足音が前後から聞こえてくる。

 少年には関係ないことだ。だが、その男と目が合った。一瞬だけ視線を交わす。

「……おれを信じる気があるんなら、この箱の中に入ってろ」

 カルロスはそう口走っていた。男はじっと少年を見つめた後、「頼む」。そう短く答えて木箱の中にもぐり込んだ。

 男を追いかけて路地に飛び込んで来たのは、この国の警察、『憲兵隊』だった。さすがに少し驚いたが、カルロスだってお近づきになりたい訳ではないので、見当違いの方向を教えてさっさと行ってもらう。一瞬だけ疑いの目を向けられたが、外交機関発行の特別商売手形が信用を得たようだ。外見とのギャップを差し引いても、どこの国でも書類は役人に対してはものを言うのだ。ちゃんと。

 しばらく待って声をかけると、男は這い出してきた。

「おかげで助かったみたいだな、有り難う。ええと、名前を教えてもらえるか?」

「カルロス。名字はあるが、気にすンな。言っとくがこれでも今年15だ。チビだからって子供あつかいしたらぶっ殺す」

 男はあっけにとられているようだ。

(フン、これぐらいで情けねェ)

「あ、ああ。俺はアリアムだ。クスッ、俺もどっかの誰かに似ているらしいが、気にするな。そうだ、お礼をしたい。良かったらついてきてくれ」

 じっと男を見る。信用していいのだろうか。

 よく見て驚いたが、目が……まったく腐っていなかった。欠片すらも。

 それだけで信用したわけではない。ないが、何となく嫌いになれない雰囲気がして、ご招待に甘えることにした。いざとなれば懐の(ムチ)がものを云えばいいだけの話だ。

 ついていって驚いたのは、さっきあれほどよそ者に対してキツかった回りの視線が、いきなり暖かくなって男を呼ぶ声とともに降り注いできたことだった。

「いやあ、まいった。少しばかり油断した。心配かけてすまないみんな。でも彼が助けてくれたお陰で大丈夫だ」

 笑顔で寄ってくる街の人たちを見て、少年はかなりの大物を助けたらしい、と気づいた。それが、カルロスと、アリアムと名乗る男との出会いだった。


 その後、少年はしばらくアリアムの家に泊まらせてもらうことになった。連絡してないリ-ブスには少し気の毒なことになったが、まあ今回は彼が悪いってことで、いい薬だろう、たまには。

 アリアムは妹二人と三人暮しらしい。らしいというのは、直接聞いたわけではないからだ。

 けれど、雰囲気がまったく夫婦らしくなかったし、年の離れた方も親子という感じでもなかったから、間違ってはいないだろうと思われた。

 この国には奴隷というものがいると聞いていた少年は、アリアムに「そうなのか?」と訊いて怒られた。違うらしい。

 年上の方は家の中でもタ-バンをつけている(女なのに)ので、なぜかとカルロスが尋ねると、「二度と自分のやるべきことを見失わないため」、という答えが返ってきた。さっぱり分からねえ。だから、カルロスは気にしないことにした。

 しかし、この家の主人はとことん付き合いの多い人らしい。

 今日だけで何度も様々な人が出入りして、奥の部屋で何か話をして帰っていった。まさか毎日こうなんだろうか? 忙しいことだった。

 まあそれは置いておいても、アリアムがいつも笑っているような人なのは、確かなようだ。けれど三日目に夕食を食べていた時、ある老婆のことを知らないか、と訊いた時だけは違っていた。

 少年は知った。ほんの一瞬、まばたきすらできないその間に、人の顔色が変わることがある、ということを。じっとアリアムがカルロスを見る。

「……その老婆のことを知っているのか?」

 そう訊くから、さわりだけ自分のことを話してやった。そして、捜しているのだと。

 それを聞いてアリアムは、女性二人を部屋から出して二人きりになると、静かに話し始めた。そしてカルロスは、自分の父親の事以外で初めて、あの老婆が起こし、作り出した悲しみの話を聞いた。

 そう、それは。とても、とても哀しい話だった。


 年若い客を迎えてから三日目の夜が更ける。時を告げる鐘が鳴る。

 その音が途切れる時刻、アリアムの家は一人の客を迎えていた。

「へえ、そうか。カルロスは、シェスカのロ-エン商会の若旦那だったのか。どうりで、な。それで色々腑に落ちた」

 客間の椅子に座り、塩を入れたチャイを傾けながら親しげに口を開くアリアムだったが、

「坊っちゃんを預かっていただいた事は、お礼を申し上げます。この度のお礼は後日ちゃんとさせて頂きますので。しかし失礼を承知で申し訳ないのですが、さっそく今からでも、宿泊している宿に連れ帰らさせていただくことをお許し願いたく」

 とりつく島もないとはこのことだった。うむを言わせぬ言い方にアリアムは苦笑する。

「お礼なんていらねえよ。俺があいつを気に入った、それだけのことだ。それに、なにもそう急ぐことも無いだろうに。なんなら、あんたも一緒にここに泊まればいい。べつに何日でも構わないぜ」

「結構です。わたくし共は観光などではなく、人捜しの為にこの国に来ておりますのでね」

 ジロリと睨む。

「ですから、王家のゴタゴタなどに坊っちゃんを巻き込まないでいただきましょう」

 2秒ほど音が消える。

「………さすが、と言いたいが。シェスカの街の執事は、皆あんたのように優秀なのかい?」

 杯を置き、ゆらりとアリアムは言いながら立ち上がる。

「そうでもないと思いますよ。わたくしは特別製ですからね」

 抜け抜けというほうも表情が消え、目付きのみが鋭くなる。重心がかすかに移動する。

 動いたとも思えないほどゆっくりと、笑顔で親しげにテーブルを横に回り。

 ガ ッ !! 

 二人、同時に動く。3mの距離が一瞬にしてなくなりこぶしが舞う! すぐ次の瞬間に飛びすさり呼吸を吐く。コォォという息吹、これまた同時だ。

 二人とも息すら乱れていない。こぶしはお互い、二の腕でガ-ドしたらしい。

「二発、ですか。アルヘナ国王が強いというのは、噂ばかりでもなかったようですね」

「なに言ってやがる。そっちこそ三発入れてきといてよ」

 ……音はひとつしか聞こえなかったのだが。二人とも凄まじいスピ-ドだ。

 五つ数える間にらみ合った後、アリアムが力を抜いて手をあげた。

「あ-やめたやめた! バカらしい。何の得にもならん勝負なんぞするつもりはない」

「同感です。どうやら貴方は、闘いそのものを楽しむ方ではないようですね。……さきほどのご無礼、失礼致しました。お許しを」

 執事用の胸に片手を当てるお辞儀。マニュアル通りの丁寧な仕草だ。やはりやればできる男だった。主人の前でもそれをやればもう少しは敬意を抱いてもらえるだろうに。

「なに、こっちこそ。しかし、さっきのあんたの構え。たしか、ファルシオン帝国のアサシンギルドのものだな。10年以上前、当時ギルド最強といわれた男が、組織の一つから、長い歴史の中で初めて脱走に成功した、とかいう噂が流れたことがあったが……。あんた知ってるかい?」

「そのような噂もあった気はしますね。しかし、もう昔の話でしょう」

「ははっ、違いない」

 二人は椅子に座り直す。堅苦しい話の時間は終わりを告げた。

 部屋の外で聞いていたア-シアがドアを開け換気をし、ライラの名前を呼び、頼む。しばらくして、ライラが台所からチャイのおかわりと酒を持ってきた。

 そのままテ-ブルに置いて出ていく。

「有り難う、ライラ。もう遅いから君は寝てくるといい。それとな、もう胴元に身請けの金は払ったんだ。自由になったんだから、別に無理に働くことなんかないんだぜ」

「はい、わかってます。でも今は、生まれて初めて働くことが楽しいと思えるんです。だから、あまりわたしから楽しみを奪わないでくださいね、アリアム様」

 笑いながら言われて、アリアムは腕組みをして考え込む。

「ううむ、難しいもんだな」

 唸るアリアムを見ながら頭を下げ、ライラはまた小さく笑いながら出ていった。

 それは、この国の在り方と彼の立場を知っている人間にとっては仰天の光景だった。とても奴隷の国の王様の態度には見えない。相手の娘は知らないのだろうが……。

 あっけにとられるリ-ブスに向き直り、アリアムは話しを続けた。

「別に巻き込むつもりはないさ。あいつの名字を知った時は、少しだけくらっときたけどな。でも今、あいつは疲れて眠ってる。酒を飲んだのは初めてだったらしいからな。ま、今夜くらいは大目に見てやってくれ。おっとっとこぼれる零れる。なあ、あんたも一杯どうだ?」

 注ぐぜ? と杯を差し出され、

「ふう、仕様がないですねえ坊っちゃんも。では、少しだけおつき合い致しますか」

 少しして、二つのグラスの当たる音が涼しげに何度も響いた。


 奥の客間。そのベッドの上で、カルロスは頭をおさえてずっと横たわっていた。

 ……の割には、かなりシ-ツが荒れている。

 トントン、と音がしてドアが開く。ア-シアが、コップに水を入れて持ってきたのだ。

「あんなに飲むからよ、もう。昼間どんな話をしたか知らないけど、あなたが荒れることはないのに」

「………アリアム、国王さまだったんだな」

 ア-シアの眉が少しあがる。

「やっぱり立ち聞きしていたの? ライラが隣の部屋から出て走っていく後ろ姿を見た、とは言っていたけど……。あまり行儀がいいとはいえないわよ」

 たしなめる言葉に頷きながらも言い返さずに、少年は続ける。

「その上……あんな哀しい過去を持ってるのに、強くて、未来の理想まで持ってて。なんか、ただ親父を見返してやることだけ考えてた昔の自分が情けなくなった。今回のことだって、親父や妹の涙のカタキを討つとか格好つけて言っちゃいるけど、それは絶対に嘘じゃねェけど。でも……まだ完全にロ-エン商会が立ち直ったわけじゃねェ。なのに、おれはここに居る。しかも一番商会に必要なリ-ブスを連れて……。何のことはねェ、それを口実におれは、単に逃げてきただけなのかもな……」

 ため息をつきベッドの端に座り、ア-シアは口を開く。軽く怒っているようだ。

「……それで、自分が許せないって? あんまり甘えないで。自分のやったことの善し悪しを決めるのは、自分。やったことの責任を背負うのも自分。他人じゃないわ」

 静かに、自分の奥の方から、ゆっくりと言葉をつむぐ。

「大丈夫。あなたは今、色々聞いたせいで混乱してるだけ。あなたは大丈夫。だって、こんなに遠くまで来れたじゃない。ここは大変な場所よ。逃げただけなら絶対に来れはしない。カルロス、あなたは自分をもっと信じてもいいと思うわ」

「………………………」

 カルロスは顔を上げない。腕で顔を隠したままだ。だが、先ほどと比べて頭のぐらつきはさほど無い。頭痛はひいたようだ。

「訊くけど、アリアム様の正体を知って、それでもしかして見る目が変わったりする?」

「……べつに。カタガキがどうだろうと、アリアムはアリアムだろ」

「じゃあ、リ-ブスさんは? 聞いていたんでしょう? さっきの」

「フン、それこそ! 昔なにやってようとアイツが、いつもおれをバカにするマヌケで口うるさくてちょっとばかり頼りになる、大事な執事って立場に違いがあるかよ!」

 くすくすくす……

「ねえ、あなた。いま顔真っ赤でしょう?」

 枕が飛んできた。

「ンなわけあるかよ! 水そこ置いたらさっさと出てってくれ!! クソったれ!」

「大商人になるには礼儀も大事よ、気をつけてね」

 そして反撃を受ける前に部屋を出る。ドアを閉めたとたん、

 ド ン !  という床か壁を音が響く。続いて、

「………………~~~~~~イッテェ………」

 という小さなうめきが聞こえてきて、不覚にもア-シアはうずくまって吹き出した。久しぶりの笑いだった。

 そのまま、顔を覆ったまましばらく震える。

 あの時、ア-シアは間違えてしまった。蓮姫が本当に言って欲しかった言葉が分からずに、まったく逆の事を言い、そのせいで蓮姫は壊れてしまった。

 自分が彼女を壊したのだ。自分のしたことを棚に上げて……

(よく言うわね、わたしも……。自分のした事の善し悪しを決めるのは自分……か)

 まだ、間に合うだろうか。少しでも取り返しがつくだろうか。

 任務中の三年間に調べた限りでは、蓮姫はやはり、ずっと昔ア-シアが守りたいと思って仕えたあの人の孫だ。傍系ではある。だが、彼女を娼館から救い出してくれたあの人の血が、確かにそこに流れている。けれど、……それだけではない。それだけではなかった。

「今度こそ……」

 今度こそ守りたい。あの姫の心も、体も。全部。

 身体の震えが止まった。

 ア-シアは立ち上がり、前を見据え自分の部屋へと歩いていった。



 次の日になった。

 カルロスは起き上がると、顔を洗って外に出た。深呼吸をする。

「早いな。頭痛はもう治まったのか?」

「ハッ、あんなもん屁でもねェぜ。酒なんて大したこと無えもんだな」

 振り向かずにそのままでいると、アリアムが横に並んできた。そのまま伸びをする。

「はは、あんな程度の酒量で生意気ぬかすんじゃねえよ。俺たちなんてその10倍はいってるぞ」

「そりゃ倍も年喰ってるからな。おれだってあんたの年になりゃそれ以上飲めてるぜ」

 顔を見ずに笑顔で返す。

「言ってろよ。っとそうだ、大事な執事が呼んでたぞ」

「リ-ブスが? サンキュ-」

 って誰が大事な執事だ誰がとか呟きながらそのまま家の中に入ろうとしたところで足を止める。

「なあ、アリアム……。あの……さ…………」

「なんだ? 他人行儀だな。言ってみろよ」

「…………おれも、何か役に立てないかな!? 人手が足りないんだろ? 自分で言うのもナンだけど、きっと役に立つぜおれ」

 静かな時が数秒流れた。

「……ありがとな。でもお前は捜しに来たんだろ? 親父と妹の涙のカタキを。それは諦めるのか?」

「諦める訳無ェだろが! ただ、おれは、あんたの役にも立てればなって思っただけだ! 悪かったな!」

「悪くねぇよ」

 背を向けて走り出そうと足を上げたカルロスは、そのまま硬直する。

「悪くねぇよ、全然。すげぇ嬉しいぜ俺は。お前は、金とか商売の事とか抜きにしても親しくしたい相手だし、きっと活躍してくれるだろう。こっちからお願いしたいぐらいだ」

「じゃあ……」

「だが駄目だ。お前は自分の目的をまず果たせ。人の人生に手を貸すのは、まず自分のやるべき事をやった後だ。お前みたいな奴は中途半端に、他人の人生に関わるもんじゃねえんだよ」

「何だよ……結局、邪魔だって事かよ……」

「馬鹿野郎!! 誰がそんなこと言った! 勝手に解釈するんじゃねえぞ小僧」

「……なっ」

「何にも理解っちゃいねえな、お前は。いいか、人にはそれぞれ、今その時に必要なことやものってのがあるんだ。自分では見え難いけど、な。だが、そいつは見失っちゃいけないものなんだ。絶対な」

「……………」

「俺は一番大事な時にそれを見失った。お前には見失って欲しくねえんだよ。だから言ってんだ。ああ? ……おいおいなんだその顔? 心配すんな。人間生きてりゃ、カッコ良い時もありゃあカッコ悪い時もあるさ。それはしょうがねえ。でもな、今がどんなにカッコ悪くったって、カッコ良かった瞬間が無くなっちまうわけじゃねえ。残ってるよきっと、誰かの中に。お前も俺も、な。……そう思っとけ。おっと、そうだ。言い忘れる所だった。実は……個人的に頼みたいことがあるんだよお前に、俺も」

「頼み?」

「ああ。俺だってあの婆さんには色々言ってやりたい事があるんでな。山ほどある。見つけたら俺の前にも連れてきてくれよ。とことん話し合ってみてえ。そしてこの三年の間に身に付けたこの話術で、コテンパンに言い負かしてやりてえんだ。……頼めるか?」

「……いいぜ、分かった。りょ-かい」

「恩に着るぜ」

 顔を崩して笑うアリアムに、カルロスは苦笑してポケットに手を入れた。

「ハハ……、ホントすげえ話術だよ、ったく。……アンタなら任せてもいいな。連れてくるからギッタギタに言い負かしてくれよな!」

「ああ、任された」

 カルロスは晴れやかに笑って家に入り、中で待つリ-ブスを捜しに行った。


 その日の昼、カルロスはリ-ブスとともにアリアムの隠れ家を出ることになった。離れていた間に、リ-ブスが例の老婆のちょっとした情報を手に入れていたのだ。

 状況が状況だけに盛大に見送りという訳には行かないが、それでもアリアムたちは裏口から見送ってくれていた。それだけでもカルロスには嬉しかった。

「なあ、ずっと思ってたんだが。お前な、その前髪、鬱陶しくないか?」

「いいんだよッ! ちゃんとバンダナで立たせてんだろっ」

「ふぅん?」

 カルロスはソッポを向く。

(言えるかよ、ずっと前に妹にほめられたから伸ばしてます。なんてよ……)

「ああ、その事ですか……実はですね、それには語るも涙の深~い訳があるんですよ」

 いきなりリ-ブスがしゃしゃり出た。

「ッ! リ-ブス、テメエまさか!」

 次いで聞こえてきたのは、カルロスが危惧した内容ではなかった。だが。

「あぁ、お可哀相な坊ちゃん。そんなに気にしてらしたとはっ! でも、安心してください。いくら旦那様の頭の登頂が薄かったからといって、遺伝するとは限りませんからね!」

 鈍い悲鳴と破壊音が響いた。得意そうに振り返ったリ-ブスの顎に、カルロス渾身の鉄拳が炸裂したのだ。呆れる一同の目の前でリ-ブスは地面に沈む。

 伸びてしまったリ-ブスを、カルロスは据わった目で引きずって歩き出した。

(こいつ……、いつかブッ殺す)

 増えた荷物を引きずって歩き出したカルロスを、アリアムの声が追った。

「カルロス! 餞別だ。話術の極意を教えてやるよ」

 振り返る。

「サンキュ。でもどうせ知識が大事、とかだろ? いらねえよ」

「あほう。そんなのは基本中の基本だよ。本当に大切なのはな、[決して嘘を言わないこと]と、[自分の口にした言葉を信じること]さ。自分でな。いいか、……言葉ってのは絶対じゃない。どんなに伝えたくても、伝えられないものは存在する。でもな、心の底から伝えたいと願えば、必ず何かは伝わるんだ。すべてじゃない。でも、ゼロでもない。なぜなら[ことば]ってのは、音声だけを指すものじゃないからだ」

「……参考にしとく。……刻んどいてやるよ」

「おう、刻んどけ。気ぃつけてな」

 二人の男は、こうして別れた。


「行ってしまいましたね」

 アリアムの後ろからア-シアが声をかける。ライラは家の中に入っていった。

「ああ。……もしかして、君も行くのか?」

 視界に入ったア-シアの格好を眺め、アリアムは尋ねる。

「はい。仕事は終わってしまいましたけど、まだやるべきことが残っていますから」

「そうか。けどそうなるとクロ-ノ殿と連絡が取れないのは、痛いな。俺はしばらく動けねえ。散り散りになっちまった組織のリ-ダ-や幹部たちも、間に合わねえようだし……」

「あのひとなら大丈夫です。きっと、今一番大事で必要な事をしているはずですから」

「……なるほどな」

 アリアムは面白そうな顔をする。ア-シアは気付かないフリをした。

「それでは、これで。利害が一致していたとはいえ、色々便宜を図っていただき、いままで有り難うございました」

 ア-シアが頭を下げる。

「まあな。だが、次に会った時は捕まえるぜ諜報員。これでも一応、国王なんでな」

「気をつけます、あなたはある意味、完璧な方ですから。……姫のことはお任せを」

「ああ……頼んだぜ。……すまねぇ」

 ア-シアが背を向けて走っていった。その姿が路地の向こうに消える。

「完璧ねえ……俺は、完璧じゃねえよ。今日だってさっきから頼ってばっかりじゃねえか。でも人間だから、な。完璧な人間なんて存在しねえ。ただ、ここより一歩でも前に行こうとしているだけさ。……てめえがした説教くらいは、同じものを他人ひとから食らいたくはねえからな」

 呟くと、アリアムは、ライラが作ってくれている朝食を食べるために、家の中に入っていった。


 その頃、街の中心の広場をはじめとした国中で、ある[御触れ]が出されていた。

  [これより、より多くの奴隷を差し出したものに、王宮に自由に出入りできる王立御用達の権限を与える]

 立て札に書かれたその内容がアルヘナ中の商人を色めき立たせるのに、大した時間はかからなかった。


       ◆◆◆


 その乗り物の乗り心地は、思っていたよりずっと快適だった。振動などもほとんど無く、馬車やラクダなどとは比較にならない。

 その上、やたら速い。飛ぶように景色が流れていく。たった五日でもう国境を越えてしまった。しかも、追っ手に見つからないように山道ばかりを走って、である。

 しかしクロ-ノは不機嫌だった。あの後、ほとんど何の説明もなく乗せられてここまで走ってきたのだから当たり前だ。

 その上、道中ずっと同じ席で腰は痛く、隣には気に入らない男がいる。

「………で、いつになったら説明して頂けるんですか? この状況を」

「クロ-ノ君、口調が固くなっているよ。もっとリラックスしてくれたまえ」

 隣の座席から声がかかる。

「貴方には訊いていませんよ、何ですか偉そうに」

 ソッポを向いたクロ-ノに、ナ-ガは苦笑する。まあ、クロ-ノが彼を毛嫌いするのも分からないでもない。なにより彼は、一度はプル-ノを殺そうとした男なのだから。

「そこで話を切らないでくれないか? 実はボクも困惑しているという意味では同じなんだよ」

「………」

 青年は顔を外に向けたまま微塵も動きが無い。聞いているんだかいないんだか。

「地下迷宮から出してもらったのはいいとして、ここに来るまで十日近く、ボク自身大した説明もしてもらっていないんだ。手伝ってもらうの一点張りでね。さっきも外に出してもらえなかったし。逃げやしないし久しぶりに神殿とか見たかったのに……。それに、ボクだって国に戻ってやらなくちゃいけないことがあるんだけどね」

「ふんっ、ならさっさとお一人で戻られたらどうですか。……ねえ、アベル、聞いてます?」

「黙って運転していないで、話に加わってくれないか。アベル君」

 アベルがため息をつく。いい加減うんざりなのはこっちも同じや。ええ加減にせぇっちゅーねん。少しは黙って乗ってられんのかいっちゅーねん。

「もう少しくらい待ちぃや。目的地に着いたら幾らでも話したるよってな」

「どうして今話せないんですか」

「ボクもね、少々カルシウムが足らなくなってきているんだ。聞いてくれクロ-ノ君。彼はボクの手錠を切るのに、何も言わずに全力で刀を振り下ろしたんだよ。さすがにあの時は寿命が何年か縮まったよ……。その上一言も謝ってくれないんだ、彼は。ああ……なんて悪魔のような」

 ナ-ガがふるふると首を振る。こういう時こめかみに指を当てるのは彼の癖なのだろうか?

「黙りぃ! あんくらいのお茶目がどないしたっ。昔アンタがやりよったこと考えりゃ、あんなん屁でもないわい! まさか忘れたとは言わさんでオイ?」

「同感です。どちらも大いに同感です。でも今はそんな事はどうでもいい事ですよ。それよりアベル、今どこへ向かっているのかくらいは訊いてもいいですか?」

「そんなことって……酷いよ君たち……」

 ナ-ガの嘆きは黙殺された。

「目的地かい。……まあ、いいかそんくらい。俺らが今向かってるのは、アルヘナ砂漠とサバンナ、それとアララクト山脈に囲まれた盆地、クエスタや」

「クエスタって……絶望の砂漠のすぐそばじゃないですか! 山の向こうはすでに……」 「成程ね、やっぱりそうだったのか。方向から考えてそうだとは思っていたけど。で、そこに何があるんだい? 確か岩ばかりで、あんな所には何もなかったはずだけどね」

「そうや、何もない。地上にはな」

「ふうん?」

「じゃあ地下に何かあるって言うんですね、アベル」

 アベルが頷いた。

「何があるんです?」

「……発掘中に偶然見つけた巨大基地」

「「…………は?」」

 後ろの席の二人の目が点になった。とたんに胡散臭そうな目つきに変わる。

「ああもう! だから着くまで言いたぁなかったんや……。そのおかしな者を見る目ぇ止めんかいっ。クロ-ノ、会った時見せたマニュアルとかこの[熱振動剣]、それにこの[砂動車]も、全部そこにあったものなんやぞ?」

「それが、古代種の時代のものだって言うんだね? アベル君」

「あんなんがそれ以外であってたまるかい」

 クロ-ノもナ-ガも頷く。小さなため息と共に。

「目的地は分かりました。でも、どうして私たちを連れていくのか、まだ理由を聞いていませんが?」

「そうだね。教えて欲しいね」

「……この星を守るためや」

「……ほし?」

「二人の力がいる。ちっ、ここにもかい……これ以上は着いてからや」

「え、ちょっと。アベル?」

 空を睨み突然険しい表情になったアベルは、それから一度も口を開かなかった。

 周りの景色に丈の低い緑が増え始めた。砂動車はサバンナの中へと入っていった。


       ◆◆◆


 デュランはいつもの巡回を続けていた。

 見回す。椰子の木の中程にくくりつけられた見張り台の上では、ダオカが見張りに立っていた。他の二人、クイタとペドウも、違う場所で見張りをしてくれている。

 ダオカも12才になっていた。3年前とは体つきも違う。

(頼もしくなったな、あの3人も)

 鍛えた甲斐があった。デュランは誇らしい喜びをかみ締める。が。

「ふあ~あ、退屈だ-。ここにいればゴミ拾いや片付けから逃げられると思ったけどさあ、退屈なのもいやだよな-。ふあああ」

「……………前言撤回だ」

 喝を入れてやろうと近づこうとした瞬間、ダオカが弾かれたように立ち上がった。

「なんだろあれ……ああ! うわあ、なんでだろ。こんなトコに商人のキャラバンが来るなんて! 何年ぶりかなあ。うわあ何買お-?」

(キャラバンだと……?)

 デュランは眉を寄せた。そんなものが来る予定はなかったはずだ。迷い込むにしても、この辺りは砂の街道から大きく外れている。一人や二人ならともかく、キャラバンが丸ごと迷い込むことなど今までなかったはずだ。

「ダオカ!」

「わあっ。隊長おれあくびなんかしてないよっ」

「そうじゃない。それはいいから、ナハト……長にこのことを伝えてくれ。怪しいキャラバンがまっすぐここに向かっているから、警戒しておくようにとな。頼んだぞ」

「はい-。了解いたしました隊長」

「……さっさと行け」

 ダオカを知らせに走らせてから、デュランは自分も物見台に登る。確かに、ダオカの言った通りキャラバンが近づいてきていた。人数は……15人ほどか。

(ただの商人であって欲しいが……)

 奇妙な不安を胸に、デュランは祈る。

 ……近づいてくる。


「ナハト!」

 物見台から降りたデュランは、村の中心へ走る。広場の食堂の正面に、村人を集めたナハトがいた。

「ナハト、女と子供は地下に避難させたか?」

「今終わったよ。でもディ-、警戒って一体どういうこと?」

「分からん。ただ、胸騒ぎがする。外れてくれることを祈ってはいるが……」

「来たよ-!」

 ダオカが指をさした。その先、村の入口にキャラバンの一団が現れた。

「ど、どうする! お、長?」 「どうする!?」

「落ち着いて、ペドウ。クイタも。まず最初にオレが話をしてみるから」

 地上に残った数少ない村の男たちを見回して、ナハトは、先頭を歩いてくる隊長らしき眼鏡の男に向かって歩いていく。それを見て、キャラバンの一行は足を止めた。

 ナハトが彼らの目の前にたどり着く。

「ようこそ、[ハムア]へ。この村の長のナハトです。今日はどういったご用件で来られたのでしょうか?」

 それを聞いて、先頭の男が口を歪める。嫌な笑い。人を見下した笑いだ。

 ナハトは耐え、もう一度訊こうと口を開けた。

「狩り(ハント)、ですよ」

 ナハトではなく、先頭の男が言葉を発していた。赤く裂けるかのような口元。眼鏡が反射して怪しく薄く光っている。

「狩り……?」

 ナハトがその意味を訪ねようとした瞬間、男の後ろから何かが飛んできた!

「っ?!」

 とっさに顔を庇った腕にかちゃんと嵌まる。これは……手錠!? 

「くっ!」

 真っ黒い木でできた大型の手錠が両の手首に嵌まっていた。先についた縄に引っ張られて、膝をつく。凄い膂力だ! 縄の端は、眼鏡男の後ろの坊主頭が握っている。

「何の真似だ!」

 見守っていたデュランが背中から愛刀を抜いて走り出す。が。

「おっと、動くなよ大きな兄チャン」

 坊主頭がナハトの首筋にナイフを当てるのを見て、悔しそうに立ち止まった。

「……要求は何さ?」

 ナハトが首を動かさないで尋ねる。

「いい度胸です、少年。長とか言うだけのことはありますねえ。要求? この村の人間全員の確保ですよ。どこかに隠れている女子供も含めてね、うふふ」

「! 貴様ら……奴隷商人か!!」

 デュランは唇を噛んだ。嫌な予感が当たってしまった……。

「や、やめろっ! 村のみんなに手を出すな!」

「うふふ、良い声ですよ。そこのあなたたち、動くんじゃありません! この少年が死ぬところを見たくなければね。さあ、皆さん。縛ってあげて下さいな。痛めつけてもいいですが、傷が残らないようにして下さい。価値が下がる」

 男の後ろにいた人間たちが滑らかに動く。長を人質に取られ動けない村のみんなが殴られ、縛られていく。ナハトの顔が歪んだ。

(オレの……判断ミスで……っ)

「うふうふ。ひのふのさんの……きっと一気に我々がトップですね……うふふ………ふぅっ!?」

 手首と首筋に冷たい金属を感じて、得意げに喋っていた男の体に戦慄が走る。手の中からナイフが落ちた。

「う、うそ!? ……いつの間に後ろに……!?」

「武器を収めるように言ってもらおう。それと、このような事をした理由も話せ」

 コ-ルヌイだった。一瞬前まで誰もいなかった男の背後に、音も足跡もなく彼は出現していた。男の首を覆うように後ろから歪曲した小太刀を当てている。

「そ、そんな脅しに……」

 促すように刃が喉を滑り筋を作った。

「み、皆さん!! そこまでです! すいませんが縄を解いて帰ってきて下さい!」

 男の部下たちは、渋々言う通りにする。全員、悔しそうにコ-ルヌイを睨んでいた。

「全員、武器から手を放せ」

 コ-ルヌイの言葉に、しぶしぶ敵が武器を手放した。ダオカたちがそれを集めて回る。 ナハトが解放されてデュランの傍に駆けていった。愛用の槍を受け取り、敵の隊長に向き直る。

「チッ……まさか、あなた程の凄腕がこんな辺境にいるなんて、誤算でしたよ……」

「それは良かった。と言ったところで、さて、理由を話してもらおう。これほど強引な奴隷集めをしたその理由をな。無差別な奴隷狩りは禁令で御法度のはずだ」

「……ふん、情報が古いですねあなた。王弟殿下の名前で[御触れ]がでたんですよ、つい先日ね。[これより祭りの日までの間に一番多くの奴隷を集めた者に、ラクダ100 頭分の金と王宮御用達独占の〔鑑札許可証〕を与える]ってね。まったく、これでレ-スのトップに出れたと思ったのに……きぃぃっくやしいったらまったくもうっ!」

 男から出てきた言葉はコ-ルヌイの怒りに触れた。

「嘘をつくな! 若は、確かに無茶な事を言う方だ。だがそのような無法な事を言う方では断じてない!!」

「なんです、うそって? ハァンッ! あなた殿下のファンですか? 残念でしたね、あの方この頃変ですから。堅物の王様は御病気だっていうしね。ま、私たちにとっては良い事ですけど、あはは」

「まだ言うかっ!」

 刃を当てながら、残りの手で男の腕をひねる。

「痛い痛いっ! 折れるぅ! だったら自分で確かめてくればいいでしょうが!」

「コ-ルヌイさん、地下室が空きました。全員閉じ込めておきますから、そいつも渡して下さい」

 うわの空で、腕を縛り上げて男をナハトに渡す。手の空いたコ-ルヌイは、傍らの椰子の樹に背を預け、両手を垂らして空を見上げた。

 御法度をシェリア-クが自ら破った? あの健康なアリアム王が病気?

「馬鹿な……。一体……何があったというのです、若………」

 シェリア-クの考えがまるで掴めない。彼が生まれてから、ずっと傍らに仕えてきたはずなのに……。

 コ-ルヌイは、生まれて初めて力が抜けるという感覚の中にいた。

 その様子を、少し離れた所でファングが心配そうに見ていた。

 その場所でやきもきと一人でバタバタした後、少年は顔を上げ、コ-ルヌイに近づいていった。


       ◆◆◆


「奴は現在国外へ逃亡したと思われる。だから討伐隊を組む。いいか、おまえら! もはや奴を大神官とは思うな! 奴は犯罪者だ! 国賊だ! 必ずひっ捕まえて連れてくるのだアァ!!」

 神殿の広場。

 部下たちの前で演説をぶっているのは、タルの様な体をした丸い男だった。

 男は、自らの演説に酔ったように打ち震えた。

(ぶひひっ、ようやくこの時が来た……。クロ-ノ・アス・フォ-ス……貴様のせいでおれは三階級も降格され、5年間もの間辛酸を舐めたのだ……。ぶふふ、生きて帰れると思うなよ。5年前の借り、必ず、返してやるぞ……ぶひひひひひ)

 完全な逆恨みだった。

 五年前のあの日神殿兵隊の隊長だった男は、懐に手をやり、濃赤色に光る小瓶を握りしめた。


       ◆◆◆


「ナ-ガ・イスカ・コパは、アルヘナ方面へ逃亡したものと思われます」

「そうか、ふふ。どうやって逃げ出したのかは知らんが、運のない奴だ。我らの目的地に逃げ込むとはな」

「各々方、それでは……」

「うむ、皇帝をここへ。[飾り]に宣言させるのだ。我ら帝国は、今これより帝国始まって以来の大規模遠征を行う! 最初の目的地は,アルヘナ。そして、その次はこの大陸全土に向けて進軍する。今こそ永年の収穫の時、征服だ!!」

 会議に集まった長老たちが、若者のように一斉に立ち上がった。テ-ブルの上の赤い小瓶がちゃぷちゃぷ揺れる。全員、今まで慎重に重ねてきた物事のことを覚えてもいない。裏でこそこそ動いてきた者たちが表に出ることがどういう結果を生むか、気づいても居ない顔ばかり。それが自分の考えから出たものだと愚かにも誤解したままで。

 誰のためによるものか分からないままに、巨大な蜘蛛の糸に小さな綻びが生じ始めていた。

 テーブルの赤き瓶、そこに映された瞳は欲望に照り返し支配され、老人たちとは思えぬ程ギラギラと輝いていた。


       ◆◆◆


 続々と奴隷たちが集まって来ていた。

 まだ締切りまでには三ヵ月以上もあるのに、すでに王宮の地下牢が溢れそうになっている。凄まじい集まり方だ。

 シェリア-クが直々に、[このレ-スに勝った者のみが祭りで商売できる。それ以外の奴隷商たちは期間中、街に入ることは許さん!]更に追加で檄を飛ばしたのが効いたのだろう。 檄、というよりほとんど脅迫に近いが。

 アルヘナ中の国民ではない者と、アルヘナ周辺の浮浪外国人たちのすべてが集まってきているのではないだろうか?

「早急に収容所を増設しなければならないな。くくく。もっとだ、もっと集めろ。貴様らの命の一滴がわたしの願いを叶えるのだ……くくく、ははははははは」

 シェリア-クは独り、自分のものではない玉座に座り、哄笑した。

 照らされた影が動く。それはまるで、人形が顔を動かしているかのような姿だった。


       ◆◆◆


 そして、とある山中の小王国。

「本当か!? 本当だな!? 本当にあの男がその場所にいるのだな!!?」

『御意。仰せの通りにございますよ王君』

「おお、おぉ、おお! 神よ、感謝します!! オルトゥ-ス……ふふ……オル、トゥ-スぅ……」

 玉座に入り切らないほどに肥え太った男が、その分厚い体を曲げて涙した。

「ようやく、ようやく見つけたぞ息子の敵よ……。フリクス大将をここへ呼べ! 全軍出動だ。出撃だ! 我が軍はこれよりアルヘナ砂漠のハムアオアシスに向けて遠征する! よいか、そのオアシスにいる者は一人残らず殺せ、残らずだ! これは弔い合戦、聖戦である!!」

 肥満し目脂の下がった王の落ち窪んだ目、その目だけがギラギラと光り始めた。

 かつて、一人の男がこの王に憧れた。

 かつて、その威厳のある笑顔で善王と呼ばれた。

 たった4年前のことだ。

 しかしもはや、同じ人間とは思えないほどにすべてが変わってしまった。

 善王と呼ばれた面影は、その姿のどこにも残ってはいなかった。




           「第六話 ひと」  了.


             第七話 「約束」 へ続く。


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