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第31話  血の宿命



 遠く離れていようと、私が君を永遠に愛し続けるように、君の気持ちに心変わりなどあるわけがないと信じていた。

 私以外の男に笑いかけていようと、例え子をなしていようとも……

 君が本当に愛しているのは私だけだと、何か事情があるのだろうと――

 頭ではそう理解していても、心の衝撃は自分の思った以上に大きかったようで。

 愛しい姿が炎の中で霞んでいくのを不思議に思い、それが自分が涙を流しているからだと気づいたのはどれくらい経ってからだろうか。

 ずっとずっと大切にしてきた思いのすべてが跡形もなく砕け散っていく音が頭の片隅に響いて、自分が深く傷ついているのだと思い至る。

 手の届かない場所に君がいる真実を思い知らされて、じりじりと胸が焼け焦げる。

 それからは、何かに強く焦がれては、そんな気持ちに気づかないふりをする日々。

 ただ、役目を果たすことだけに集中し、くずぶる気持ちを胸の奥底にしまって――



  ※



「あなたはまた、そんなものを食べてるんですか……?」


 薄暗い室内。ソファーに腰掛けたルードウィヒは呆れた口調に顔をあげ、陰った瞳を再び手元に落とす。

 ドルデスハンテ国王城の一室、ルードウィヒにあてがわれた部屋に入ってきたのはニクラウスだった。

 室内には簡素な机と椅子、本棚が置かれているが、あまり使われている形跡はない。窓にはカーテンがひかれ、輝く陽光が室内に差し込むのを遮っている。


「お前か……、入出する時はノックぐらいするのが礼儀のはずだが? ドルデスハンテでは無用なのか……?」


 揶揄するような言葉だが、口調はどうでもいいというように抑揚がない。

 一瞬だけ自分を見て視線をそらしたルードウィヒに、ニクラウスはため息をつきながらぶちぶち愚痴る。


「しましたよ、ノック。何度もね。返事がないんで入らせてもらたんですよ。まったくあなたは……」


 落ち着いた上品な喋り方だが、まだまだ続きそうな小言にルードウィヒは陰った瞳を揺らす。

 ジュルジュル~~……

 うるさいとでも言うように、手に持っている袋に付属されたストローから中の液体をすするルードウィヒを見て、ニクラウスは片眉をあげる。


「毎度、毎度、聞きますが……、それはなんなんですか!?」


 手に持つものを指さされ、ルードウィヒはしれっと答える。


「栄養ドリンクだ」

「またそんな妖しいものを飲んで……」

「手軽に美味しく摂れる食事だ」

「液体で栄養なんて摂れませんっ!」

「魔界では大流行だぞ」

「魔界ってなんですか……」

「魔界は魔界だ……」

「そういうことを聞いているんじゃありませんっ! 魔界がなんなのかくらい分かっています……って、そうじゃなくて! 給仕係の女官が泣いていたんですよ、あなたがぜんぜん食事に手をつけない、このままではライナルト王子に叱責されると」

「女官のことは放っておけばいい、ただお前に声をかけたかっただけだろう」

「そんなことはないでしょう? 真剣に悩んでいましたよ。だからちゃんと食事をとって下さい」

「面倒だ。それに食べなくても問題ない」

「大問題ですよ! あなたはろくに食事をとらず、その栄養ドリンクとやらを飲むだけで一日の食事を終わりにしてるじゃないですかっ! このままじゃいつか必ず、体を壊しますからねっ!」

「お前は……」


 すごい剣幕でまくしたてられて、ルードウィヒはゆっくりと手元からニクラウスに視線を向ける。


「そんなことをわざわざ言いに来たのか……?」


 ふぅーっと馬鹿にするようなため息に、ニクラウスが片眉をあげ、持っていた盆をルードウィヒが座るソファーの横の小卓にやや乱暴に乗せる。

 つかつかと室内を横切り、カーテンのひかれた窓に近づくと、シャッと音を立ててカーテンを全開にする。

 ふいに差し込んできた日差しに、ルードウィヒは眉根を寄せて眩しげに目を細める。


「なにするんだ……?」


 光から目を隠すように手を翳し、やや不機嫌にルードウィヒがぼやく。


「食事をとらない上に、こんな薄暗い室内にいては本当に不健康極まりないですよ……」


 呆れを通り越して脱力しながら振り返ったニクラウスは、小さな吐息をもらす。


「ここに来たのは魔導師の講義についてですけどね、とりえあず先に食事して下さい。ちゃんと全部食べるまで見張ってますからね。逃げようなんて考えないで下さいよっ!」


 腰に手を当てて鼻息も荒く、ニクラウスが勝ち気な笑みを向ける。

 次第に日差しの明るさに慣れたルードウィヒは、明るくなった室内の窓辺に立つニクラウスを見て、わずかに眉根を寄せる。

 いつでも綺麗に編みこまれて一つに束ねて鮮やかで美しい薄茶の髪。端正な顔立ちに常に浮かべた優しげな笑顔と筋肉のついた逞しい体つきのギャップに宮中の女性のほとんどがニクラウスに憧れを持っている。

 今は以前よりも背が伸び、無邪気だった笑顔が大人びて落ちついた雰囲気を醸し出している。


「お前……今年でいくつになった?」

「ええっと……新年を迎えて三十二になりましたが……?」


 唐突な質問に、ニクラウスは澄んだ薄茶色の瞳を揺らし首を傾げながら答える。


「三十二……、年をとったな……」


 ぽつりと呟いたルードウィヒに、ニクラウスは口元に複雑な笑みを浮かべる。その表情はどこか寂しげで困ったように見える。

 ホードランド国が滅んでから。ティルラが南の小国に亡命してから。ルードウィヒがドルデスハンテに魔法指南役として来てから――

 十三年の月日が流れていた。ニクラウスが年をとるのも自然なこと。だが。

 ニクラウスの目の前にいるルードウィヒは、それこそはじめて会った時とほとんど変わらない。

 もともと年齢よりも大人びて見えていたせいもあるかもしれないが。

 魔法には縁遠いドルデスハンテ国で第一期魔導師候補生であり、独自に魔法関連について研究もし、今では筆頭魔導師であるニクラウスにはそれだけの理由ではないと分かっていた。

 人間であり魔王の血をひく混血の魔法使いが人よりも長い生を受け、体の成長がゆったりと進んでいくことを。

 まるで二十五、六歳で時が止まってしまった様に見えるその顔はやつれ、翠がかった黒い瞳は精彩に欠ける。無造作に背中に流した長い黒髪さえ陰って見える。

 ドルデスハンテの王城に来た時から、暗い影をまとい、瞳の奥に激しい炎をちらつかせているルードウィヒに聡いニクラウスは気づいていた。

 その何かを強く求める炎に興味を持ち、他の者よりもルードウィヒを慕い、側にいる時間が長かったと自負している。だから、砦の森に行くようになってから王城に来たばかりの張りつめていた空気が解けルードウィヒが穏やかな表情を見せることが増えていったことが嬉しかった。そのことに安堵して、大事な何かを見落としてしまったことをひどく後悔した。様子がおかしいと気がついた時には手遅れで、砦の森へと誘ってそれとなくルードウィヒの憂鬱の原因を探ったが、なにも知ることは出来なかった。

 第一期魔導師候補生は六年の時を経て微力ながら魔力を使えるようになり、その間も二年に一度の期間で候補生を募り魔導師育成の軌道に乗るのに――十三年も経っていた。

 ニクラウス達第一期生が魔力を使えるようになるまではルードウィヒは熱心に指導を行っていたが、その後は次第に指導を魔導師に任せるようになり、自室に籠ることが多くなり、食事をおろそかにする生活が続いていた。

 何かを強く求めて激しく揺れていた瞳は陰り、すべてのことに無関心でなげやりな様子に、ニクラウスは心を痛めていた。

 すべての事情までは知らないが、国を守れなかった自分を責め、恋人と別れを選んだことを悔いているのを知っていた。

 わずかに皺を刻む目元を細めたニクラウスは、気だるげに盆に乗った朝食をとるルードウィヒを見て、苦しげに顔を歪める。

 正しければ年齢では一つしか違わないはずなのに、目の前のルードウィヒは自分よりも六つも年下に見える。その体はやつれ、無気力な様子が痛々しい。

 事情を話してもらえないのはやるせないが、せめて食事の管理くらいは出来たらと思う。それくらいしか出来ない無力な自分が恨めしかった。




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