第18話 魔法使いの真意
北欧の森から王城に戻ってきたティアナとレオンハルトは、あてがわれた客室のメインサロンでジークベルトとニクラウスが待っていた。
ヘンリーとメアリアの話から、時空石が“世界の鍵”であり、これを探すことで世界を救うことが出来ると確信を得たことを告げたティアナに、ジークベルトも真相を告げる。
「ティア、落ち着いて聞けよ。実は、森の魔法使いに刻まれた刻印の解釈について二つ、知らせなければならないことがある」
あえて伏せていた名前――メフィストセレスとティルラ。
だが、もう隠す必要はない。刻印の真実のすべてを打ち明け、それを知る権利がティアナにはあるのだから。
ジークベルトはティアナの辛い状況につられる自分の心を落ち着けるように、深く呼吸を吐き、話し始める。
「前に伝えた契約の解釈はかなり内容を省いて説明していた。そして、その解釈が間違っていたことに気づいたんだ」
「間違っていた……?」
「ああ、契約に使われる古魔法文字は組み合わせによって様々な読み方がある。俺達は分かる単語からある程度推測で解読してしまった、それが間違っていたんだ」
「それはどういうことだ……?」
円卓を囲んで座るレオンハルトは、ニクラウスとティアナの間に立つジークベルトに鋭い視線を向ける。
「レオンよ、落ち着くのじゃ。契約の内容を正しく伝えさせなかったのはわしの咎じゃ。わしが契約の中にでてくる二つの名前をティアナ姫には知らせないように頼んだのじゃ」
「二つの名前――」
ティアナはゆっくりと口を動かし、ニクラウスの言葉をなぞる。視線があったジークベルトは静かに頷き、話を続ける。
「正確にはこうだ――“汝、我の助けを求めん時、我の力を欲する時、メフィストセレスより加護し、権威を持ってすべての願いを叶えるだろう。すべてが叶った時、代償として汝の血とティルラの記憶をすべてルードウィヒの物と契約す”」
メフィストセレス――その名を聞いて、ティアナはぞくっと背筋が震える。
“闇の王”と呼ばれる偉大な魔王であり、今、力を二分する“光の王”を亡きものにし、世界を闇に包もうとしている魔王。
まさか、ルードウィヒのほんの気まぐれでつけられた刻印の中にその名が出てくるとは思いもしなかったティアナはさわさわと全身に震えが広がり、顔は青ざめる。
忘れるはずもない、甘く脳に響くバリトン、漆黒の闇から流れ出るように全身黒づくめの衣装をまとい、漆黒の中でも輝く艶やかな長い黒髪を背中に流した、畏怖の念を与える闇のような笑顔の男。
その男が名乗った名前がメフィストセレスだった。魔王だとは言わなかったが、目の前に現れた瞬間から、ティアナには分かっていた。毛の逆立つような絶対的な服従。逆らうことのできない威圧感に、かの男が魔王なんだと、警鐘が鳴り響いた。
震えの止まらないティアナは、だが頭だけが通常に回って震える唇を動かす。
「メフィストセレスから私を守る……?」
ジークベルトが語った契約の内容をわかりやすく解釈すればそういうことになる。
どうして――?
そこに疑問が浮かぶのはみな同じことだろう。
「おそらくルードウィヒは……世界が終焉の危機をむかえることを予期していたのじゃろう。そして恋人の血をひくティアナ姫を守るために自分の最善を尽くせるように先手を打った……」
悲痛な面持ちで語ったニクラウスに、ティアナは胸が締め付けられる。
そうなら良いと思った。昨夜会ったルードウィヒはどこかよそよそしく、瞳の焦点があっていなかった。ずっと探しているといったティルラの形見のピアスを見せても見向きもしなかった。
でもこの契約の内容が本当ならば、今でもルードウィヒがティルラを愛していることが分かる。憎んでいるのなら、どうして子孫を守ろうなどと思うだろうか。
ティルラを愛しているから――
どこまでも黒く凝った闇の瞳、すべてを凍らせるような非情な雰囲気に包まれ、復讐に身を焦がすルードウィヒの真意が垣間見えたようで、ティアナは胸が温かくなった。
ぽかぽかする胸に手を当てたティアナは、ジークベルトの声にはっとする。
「ティア……!?」
視線を落としたティアナは、自分の胸元から赤い炎がほとばしり、強い光を放ったのを見て目を瞬かせる。ジークベルトが息をつめたように名を叫んだが、炎は熱くなく、優しくティアナを包んだ。
ティアナは、その炎の出どころが胸にしまったままだったティルラの形見のピアスだと気づいて取り出すと、手のひらに乗った涙型の紅玉から鮮烈な炎がほとばしり、一筋の縁を描き消えていった。
なにが起こったのかとティアナを見つめたジークベルトは、手のひらのピアスを見て眉間に皺を寄せる。
「それは……形見のピアス……森の魔法使いの……?」
マグダレーナの館で形見の場所が書かれた記述を見つけたのはジークベルトだったが、取りに行ったのはティアナ一人で、実物を目にするのは初めてだったが、ジークベルトにはそれがティアナが探していたピアスだとすぐに分かった。
「ええ、ルードウィヒに渡そうと思って……だけど彼は見向きもしなくて、胸にしまっていたのを忘れてたわ……」
呆然とピアスを見つめながら言ったティアナに、レオンハルトが口を挟む。
「それは森の魔法使いのものなのですか……?」
「ええ、そうですが……?」
「ならば、もしかしてそれが火の鍵――なのでは?」
北欧の森での妖精たちとティアナの会話で、魔界関係の話にはついていけなかったレオンハルトだったが、最後のヘンリーの言葉『火の鍵はあいつが持っているはずだぁ』そのあいつが森の魔法使いなのではないかと推測していた。
レオンハルトの言葉を聞いて、ティアナは七十七年前にティルラがイーザ国に来て神の子として崇められたことを思い出す。魔法使いの家系でありながら力を有しなかったティルラがイーザ国にきて魔力が解き放たれた――のではなく、その原因が別れ際にルードウィヒが魔力の媒体となるピアスに力を注ぎこんだからだった。
ロ国で記憶を失くしたティアナの前に現れてまで、ルードウィヒはピアスを探していると言っていた。それはまるで、ティアナに“探せ”とでも言うように――
だが、いざピアスが見つかると見向きもしない。その矛盾した行動がティアナには引っ掛かっていた。それがもし、ルードウィヒの計算だとしたら――
ニクラウス氏はなんと言っていた……?
『おそらくルードウィヒは……世界が終焉の危機をむかえることを予期していたのじゃろう』
ルードウィヒは闇の王の力が増幅して世界の終焉が近いことを知っていた? 世界を救うには“世界の鍵”を探すことで、私が探しに行くことを予期していた――?
この紅玉のピアスが火の鍵で、だから、私の手元にくるように仕向けたの――?
そんなことを考えても推測の域を出ないが、ティアナは自分の推測を信じることにした。
「きっと、これが火の鍵なんだわ――」




