ありふれた二人は
ユヒルとの婚約を知らせに領地へ戻ると、危篤一歩手前だったはずの祖父はピンピンしていた。あまり帰らない孫娘に会いたくて手紙では少し大げさなことを書いたらしい。
平民との結婚に最初、難色を示したのは祖母だった。祖母は元は公爵家から嫁いできた身であるし、カミラたちよりもっとずっと偏見と自由のない時代を生きた女性だったから、心配するのも無理はない。
ところが、心配する祖母の言葉で不安がって、あれこれ考えすぎた挙句、先走ったのは祖父だった。ユヒルの実家が大きな商家なので、弱小貴族のカミラが金で買われて不幸な目に遭うんじゃないかと恐れたらしいのだ。
実はカフェーでのあと、ユヒルは先に辺境伯領へ手紙を出しつつ単身でカミラの実家を訪れた。各軍事施設に設置された転移魔術装置を使って大変迅速に駆け付けたという。
なので祖父母はユヒルのこの誠意と熱意と、あとはまあ稼ぐ見込みにすっかり結婚を許す気になったらしい。何せ、転移魔術を使える魔術師は間違いなくエリートであり、仕事以外で使うには特別な申請と相当な金銭を積まなければならないので。
だが、そこで祖父が勝手に手紙を出したことを知った祖母の怒りポイントが入った。そしてその手紙が結果的にカミラを危ない目に遭わせるきっかけとなったとまた祖母の知るところとなり、爆発した。
たった一通の手紙でカミラも相談せず先走ったので、祖父ばかりのせいではない。カミラのはやとちりは祖父譲り、怒りっぽさは祖母譲りらしい。
実家が修羅場と化していると知ったのは、ユヒルと二人で結婚の挨拶に行った時であった。そのため、まずは祖父母の熟年別居の引き留めにふたり揃って尽力することになって……忘れたくても忘れられない思い出になった。
それから数年。
結婚式も簡単には運ばなかったし、戦争だって再び始まってしまった。
他にも色んな問題は細々と起きたけれど、二人で同じ方向を向いたカミラとユヒルは、一緒に魔術雑誌を読んで議論していた頃と変わらず、一つずつ地道に取り組んでやってきた。
◇
カミラは立ち止まり、自身の膨らんだ腹を撫でた。
臨月のまあるい風船のようなそこはいつまでも慣れる気がしない。
だが、
「大丈夫、期限は決まってるから」などと、情緒のかけらもない言葉を慰めとして送ったのはもちろんユヒルだ。
まあ、悪阻で食べられないのにゲーゲー吐いて苦しんでいたカミラを献身的に支えつづけていた彼である。
「ぼくは、どうして医療魔術師にならなかったんだ!」
寝る間も惜しんで魔術書を読み、
「妊婦への魔術行使はいまだに謎が多くて、危険が高すぎる」
未開の世界を呪い、
「こんな時に何もできないなんて天才がきいて呆れる」
なんて本気で落ち込んでいた。
だからカミラの体調が安定して浮腫んで「靴下が履けないわ!」だの「お、お腹が」毛深くなっただのと恥ずかしがる妻に、笑顔で「どうでもいいよ」と切り捨てられるし、
「君と赤ん坊が元気ならそれでいい」
そう言って本当に安心したように笑ったのだろう。
そんな夫だから、少々デリカシーのない言葉にもカミラは怒る気になれない。
思い出してふふと笑っていたカミラは、息をついた。
「奥様、どうなさいました」
気心の知れた侍女がやさしくカミラの肩を支える。
「ちょっとね、お腹が張る気がして」
もう臨月だ。いつ産まれてもおかしくない。
「わたくしがお支えしますので、どうぞお座りください」
こういうとき女主人を立てて「座りますか?」など聞かない侍女をカミラもユヒルも気に入っている。
だが、カミラは首を振った。
「いいの、戻りましょう」
だって、いくら芝生の上とはいえ大きいお腹で膝を折り、地面に座ってまた立つのも一苦労なのだ。それなら椅子に腰掛けたほうが楽だとカミラは判断してゆっくり歩き出した。
でも少し、張りが強いかしら。
言葉にするか迷っているカミラの様子をいちはやく察知した侍女が
「旦那さまをお呼びします」
と、いうや否や、通りかかりのキッチンメイドにことづけた。
カミラは「いいのよ、あの人、いまはダンゴムシだから」と言ってみたが、初めての妊娠にそれほど自信もない。
そばかすの残るあどけないキッチンメイドは、すぐに洗っていたジャガイモを放り出し、支給されたワンピースの裾を持ち上げて軽やかに屋敷の中へ駆けて行った。きっとメイド長か執事を探しに行ったのだろう。白と水色の制服がぐんぐん廊下の奥へ消えていくのがカミラたちにも見えた。
下級メイドはみな若い。女主人のカミラにとって、若いメイドはみな、自分の妹か娘のような存在だ。あのまじめでしっかり者の少女も将来の自分と重ねてか、女主人のお腹に興味津々だった。カミラがためしに触らせてみたら、彼女は子ウサギのように目をまんまるくして「あったかい」とつぶやいていた。
「若いわねぇ」
「何を仰います」
ソファーに腰を下ろしたカミラは、しみじみと笑いをこぼす。
「赤ん坊だって歩けるようになったら、あれくらいすぐ飛び出していきますわよ」
と経験者の侍女が脅かすものだからカミラも笑いが止まらない。
「じゃあ、あの子たちに捕まえてもらいましょう」
二人で笑っていると、背後のドアが開いた。息を切らせたユヒルが慌てた様子でカミラに駆け寄った。
「カミラ!」
「大丈夫よ、少し張るだけだから」
「お医者を呼ぼうか」
「いらないったら」
カミラはユヒルの過保護っぷりに呆れた顔をした。
「てっきりダンゴムシになってると思ったのに」
「ダンゴムシ?」
怪訝な顔で膝をついたユヒルの乱れた髪を手櫛で整えてやる。
「あなたって、研究に夢中になってると耳がなくなるんだと思ってたわ」
からかう妻の顔に今度はユヒルが手を伸ばした。存在を確かめるように愛おしげに撫でている。
「自分でも驚いたんだけど、考えてみれば簡単なことだよ」
「なあに」
「君の安全を確認できないと、ぼくの頭はそこらの男よりよっぽど莫迦になるみたいだ」
そんなことを言う。カミラは目を見開いてから吹き出した。くすくす笑うカミラにユヒルも笑みを返す。
「ね、ぼくを凡夫にはしたくないだろう?」
だから、元気に生まれておいでと、ユヒルは妻子を抱き締めた。
終.
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