灰青の至福な午後と『蒼穹の調べ』
パックス男爵家に手を回し、強引にルルとの婚約を締結した『公爵令息』の正体を知り、ルルがハッピーエンドを迎えた春季休暇一日目から数日──
なぜか目の前に優雅に朝食を摂っているシエルが居る。
「俺の顔に何かついてる?」
シエルは意外と意地悪だった。
それはもう、入学式で甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたあの優しかった彼はどこに行ってしまったのかと思うほどに────………………いや、お世話はしてくれるし、とっても優しいのだけれども。
「──“そんなに見られていると、照れるんだが”……」
シエルがそう言ったとたん、ルルはシュクレ商会で久しぶりに会ったシエルをつい見つめてしまい、墓穴を掘ったことを思い出し、赤面する。
──とりあえず、こんな風に昔のやり取りを持ち出しては、ルルの恥ずかしがる姿を見て楽しんでいるようなのだ。
たまになら、いい。
いや、良くないけど、まだマシだ。
春季休暇中シエルはパックス男爵家に通い、出来る範囲でダニエルの執務の手伝いをすると聞いていたのだが、まるで公爵家に帰宅する様子が無いのだ。
早々に 「客間じゃ不便ね?」 と言って、キアラが嬉々としてシエルの部屋を準備してしまった。
ルルだって、好きな人と一緒に居られることはうれしいので異論はないのだが、問題は先ほどのように事あるごとにルルを揶揄ってくるのだ!
いつの間にかダニエルとも仲良くなったようで、ついこの間は、
『大勢の中に埋もれていた君を探しだした、ただ一人の相手は俺だと言うことでいいよね……?』
と、ダニエルに髪染めがバレたときにうった一芝居をネタに、熱烈に迫られて(?)しまった。
それでなくても真面目で爽やかな見とれるほどのイケメンだった。
なのに、学園を卒業し、生徒会役員という『肩書き』と制服を脱ぎ捨てた途端に溢れだした、この色香はなんなのだと、問いたい。
(心臓がもたない……お父様のバカっ……って……あれ? え、私を売ったのはお義母様じゃないよね……?)
シエルと婚約してからこっち、男子学生から一人の『男性』として苛烈な変貌を遂げたシエルに、ルルは翻弄されてばかりだった。
「あら、ブルーベル公爵令息って、そういうタイプだったのね? 意外だわ」
フェリシティが本当に意外そうな顔で言った。
「ふふ。それだけルルのことを好いておられるのよ。ルルの照れる顔を独り占めしたいのではないかしら……」
マノンはクスクスと笑っているが、ルルにとっては笑い事ではない。
毎日砂糖にでも浸かっている気分だ。
おかげで神経が毎日、少しずつすり減っている。
それでも、彼のそばにいることで感じる安堵は、何者にも代えがたい……
しかも、先日は学園がはじまっても毎日会いたいのだと、危うく退寮させられるところだった。
これに関しては父ダニエルもシエル側についた。キアラは楽しそうに傍観するだけの中立だ。
さすがに男爵邸から通学するには距離があるし、友人との放課後のお茶会もできなくなるとルルが必死に拒否して、ようやく諦めてもらったのだ。
その代わり、毎週お迎えの馬車が来て、週末は共に男爵邸へ戻ることとなった。
「そうね、それは少し困ったわね……」
フェリシティはそう言って少し考えこむと、不意に顔を上げた。
そして 「そうね。マノン、あれを包んでルルに渡してちょうだい」 と言って微笑んだのだ──
チェリーパフ。
シエルによる数あるルルの“揶揄いパターン”の中でも、彼の一番のお気に入りがこれだ。
桜色のシュークリームを買って来ては、その名を連呼するのだ。
ルルが『チェリーパフ』と呼ばれるのを、恥ずかしがったためだと思われる。
ルルとしては、そんな甘い時間も嫌いではないのだが……いかんせん多すぎる。
スイーツにおいても、人間関係においても、糖分の過剰摂取は身体(と精神)にとっては悪いのだ。
「紅茶を淹れますね──」
ルルがそう言って立ち上がる。
二人で過ごす時は、シエルがスイーツ、ルルが紅茶の担当なのだ。
三華サロンでマノンから学んだお茶の淹れ方も、だいぶ様になって来た。
「チェリーパフ、今日はチェリーパフを買って来たんだ。お茶にしてチェリーパフを一緒に食べよう?」
こうして、さり気なくルルのことを『チェリーパフ』と呼ぶのもお約束だ。
「シエル様、それダジャレにもなっていませんからね!」
ルルがそう返すと、不意にシエルが黙り──笑みを深めた。
「シエル様、それダジャレにもなっていませんからね!」
俺が連呼する『チェリーパフ』という言葉に反応して、ルルが“懐かしい言葉”を口にする。
咄嗟に反応できなくて黙り込んだ俺を、「?」というような顔で見ているルルと目が合う。
彼女といると、俺は満たされ、あたたかい気持ちになる。
共通する前世の記憶だけのせいじゃない。
それならば、三華の面々にも同じ気持ちを抱いたはずだ。
屈託のない笑顔も、少し膨れた顔も、コロコロ変わるその表情すべてが、渇いた俺の心に染み渡っていく。
常に自分を彼女で満たしていたくて、つい揶揄ってしまうんだ──
ルルが湯気の立ち上るティーカップをシエルの前にそっと置く。
「! ……このお茶は……?」
シエルの表情が、固まった。
いつもどこかに見え隠れしている“余裕”が失われた、そんな感じ。
「このお茶は『蒼穹の調べ』と、いいます」
そう、ルルがはじめて三華サロンに招かれたときに口にした、緑茶だ。
「これを、何処で……?」
シエルの見せた意外な食いつきに、ルルはにっこり笑って答えた。
「これはですね。フェリシティ様がシュクレ商会経由で入手しておられる希少なお茶なんです。
先日お会いしたときにシエル様の意地悪が過ぎるってご相談したら、フェリシティ様が 『これを淹れてあげたら、きっとシエル様は喜んで私を揶揄うのを控えてくれるようになるから』 って、渡してくださったの」
シエルの手が止まる。
「──ウォード公爵令嬢が……?」
『ルル。ちょっとその過剰な愛情表現を控えて欲しいと思ったら、私からだと言って、このお茶を出すといいわ。きっと喜ばれるでしょうから』
フェリシティはそう言うと、珍しく悪戯っぽく笑って、マノンから受け取った蒼穹の調べの包みをルルに手渡した。
するとメイベルが体を乗り出し、こちらも悪い笑みを浮かべて言った。
『その時ついでにこう言ってやったらいいよ──』
「『──まだまだだな』……だそうですけど、シエル様、意味が分かります?」
途端、シエルの脳裏に浮かんだのは、ルルを横抱きにしてサロンに運んだあの日の、メイベルのデリカシーの欠片もない言葉だった。
『少しでも長くルルを抱きしめていたいという魂胆か?』
「────!」
容易に想像できるあの三人……
扇で口元を隠し冷めた目で見るフェリシティ。
ニヤニヤと笑みを浮かべるメイベル。
そして、困ったように、生暖かい目でこちらを見るマノン──
三者三様だが、どの視線からも「ルルを虐めたい気持ちは分からないでもないけれど、ほどほどにしておきなさい」と言われているようで、いたたまれない気持ちになってしまう。
何もかも見透かされている──
「……すまない。君を手に入れたことが嬉しすぎて、一人で舞い上がっていたようだ……」
シュンとするシエルの隣にルルが座り、きゅっと手を握る。
「ルル……?」
「シエル様だけじゃありませんよ?舞い上がっているのは私も同じです……」
だって──、と、ルルが頬を少し染めて照れくさそうにシエルの耳元で囁いた。
「つい、三華の皆様につい惚気てしまったんですもん──」
そう言って頬を赤らめたルルに、シエルは喉元まで出ていた 「頼むから、あの三人にだけは惚気るのは止めて欲しい──」 という言葉を、とうとう口にすることができなかった……
シエルはそのどこにも吐き出せないもどかしさを、ルルを強く抱きしめることで誤魔化した。
(HAPPY★END)




