17 灰青の嘘と瑠璃の囁き
ある日のこと、俺は遠目に彼女を見つけた。
たまに見かけることはあるが、俺が見る彼女はいつも走り去る後ろ姿。
だからつい、追いかけて腕を掴んでしまった。
「──……こんにちは?」
とても驚かせてしまったようだが、落ち着きを取り戻した彼女の口から出てきた言葉は、前世で使われていた最もポピュラーな挨拶だった。
その懐かしい響きに、俺は思わず泣きそうになる。
「──えっと、先日はありがとうございました。あの、手を離していただけ──「あ!済まない、つい……」
彼女に指摘され、まだ腕を握っていたことに気づく。
慌てて何を口走ったかは分からないが、彼女が困惑しているのが分かった。
その後、ハンカチの話題が出て、俺は咄嗟に嘘をついてしまった。
彼女のハンカチなら、今も制服の内ポケットに入っているのに、つい持っていないと言ってしまったのだ。
俺の嘘にハンカチを取り戻すことを諦めたのか、彼女は話題を変えて来た。
「ご相談なんですけど、二度も助けていただいたので何かお礼を、と考えているのです。
試験も近いですし、できれば消えモノでお願いしたいです」
「き、消えモノ……!?」
(そんな言葉、こっちの世界の人間に言っても理解なんかしてもらえないぞ……)
思わずそう突っ込んでしまいそうになってしまったが、これはチャンスだと冷静に考える。
とにかく俺と同じ記憶を持っているであろう彼女と、ゆっくり話がしたい。
放課後時間を取って欲しいと願ったところ、試験勉強を理由に断られてしまった。
ならば……
「──じゃあ、試験も近いし図書館でテスト勉強にでも付き合ってもらおうかな」
「は?」
俺がそんなことを言い出すなんて、全く考えていなかったようだ。
焦る彼女が可愛い。
「──じゃあ、明日の放課後図書館で。こう見えても俺は学年首席だから、チェリーパフの試験勉強の役に立てると思うよ」
俺はそう伝えると、断られる前にその場から立ち去った。
*--*--*
勉強会当日の昼休憩。
シエルは穏やかな春風に誘われるまま、いつの間にか桜の木までやってきていた。
「──これでも一応、この国の第三王子だから」
桜の木の横を通る時、ベンチのある方から風に乗って流れて来た声を拾い、シエルはなんとなくそちらに足を向けた。
(チェリーパフ?)
そこでシエルの視界に入って来たのは、第三王子ルカ・アシュフォードが、ルルとベンチに並んで腰かけ、話しをしている姿だった。
しかし、ルカのにこやかな笑顔に反し、ルルの顔は引きつり、顔色は悪い。
気づけば王族と他者との会話に割り込む不敬など考える余裕もなく、シエルはルカに声を掛けていた。
「失礼、殿下。彼女は私との先約がありますので遠慮していただけますか?」
(ひぃぃぃぃっ!)
ルルは声にならない悲鳴を上げた。
ついでにランチを食べたばかりの胃袋も悲鳴を上げている。
ルカに続いて現れたシエル! 眉目秀麗な男性は一人でも供給過多なのに二人も……
食欲があるうちに昼食を終えていたことが、ラッキーなのかアンラッキーなのか分からなくなる程の胃痛がルルを襲う。
「──君は……ブルーベル公爵令息か。ふふっ、そんなに焦らなくても彼女を取って食ったりしないよ」
ルカはそんなルルの内心を知ってか知らずか、シエルにそう声を掛けて楽しそうに微笑むと立ち上がり、ルルに向き直った。
「じゃあ、素敵な昼のひと時を邪魔したね──」
ルカは軽く手を上げ立ち去る素振りを見せると、最後の一言をルルにしか聞こえないように耳元に口を寄せて囁いた。
「──また会おう、ルル・パックス男爵令嬢──」
「!」
ルルは何に驚けばいいのだろうか?
第三王子に声を掛けられたこと?
都合よくシエルが現れたこと?
ルルの名を第三王子が知っていたこと?
──それとも、シエルが高位貴族だったという新事実にか……
楽しそうに去っていくルカと、立ち去ることなくその背中を黙って見つめるシエルに、ルルは胃に手をやり、昼食を抜かなかったことを後悔した。




