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5-1.鍵

潮の匂いが、湿った空気に混じって鼻を突いた。宮野と私は、現場とその周辺をくまなく調べ、写真を撮り終えると、静かにその場を後にした。


――再び、密室だった。


それが、この事件でもっとも重大な事実。


もし宮野の持っていた鍵が使われていなかったとすれば、この部屋は完全な密室となる。

つまり、またしても――密室殺人が成立したのだ。


同じ手口を、もう一度使って。


犯人は、このトリックに絶対の自信を持っているのか。若しくは、私たちへの挑発か。


もし、私が犯人なら、絶対同じ手は使わない。一度目は完璧でも、二度目には必ず綻びが出る。


もちろん、鍵を使って開錠した可能性も残っている。所持している宮野本人、あるいは別の誰かが盗み出したか……


建物の周囲には、昨夜の豪雨でできた泥濘と水たまりが点々と残っていた。足跡の決定打は望めない。泥に汚れた重機や建材もそこかしこにあったが、それは宮野の怠慢ではなく警察の指示によるもの――央太の事件捜査が終わるまで、手をつけてはいけないと。


 ……まさか、同じ場所で、また……


宮野の声は掠れていた。


――お嬢様を……守れませんでした。社長に……合わせる顔がありません……


運転席でハンドルを握る彼女の手が、かすかに震えていた。検証中は無表情を貫いていた宮野も、今はもう限界だったのだろう。


私たちは、食堂へ向かう前に恋さんを迎えに部屋へ戻った。中に入ると、布団に包まり、小さく震える恋さんの姿があった。


 み、未凪ちゃん……お、おかえりなさい


声は枯れ、顔色は悪く、ぐったりとしていて、いつもの元気は影も形もなかった。


 古本さんも……すみません、こんな姿で。


 吉岡様、気になさらないでください。体調が優れないようですね。ロビー棟からお薬と食事をお持ちします。少しお待ちを。


 い、いえ、私も行きます。……な、何があったのか、教えてください。


その声は弱々しかったが、意志だけは揺らいでいなかった。宮野と私は何度も休んでいるよう説得したが、彼女は首を縦に振らなかった。


結果的に、私たちは恋さんの言葉に従い、響子の死と調査結果を伝え、三人でロビー棟へ向かった。助手席に座る彼女は、ピッチリとマスクを付け、口をつぐんだままじっと前を見ていた。普段は止まらない"お喋り"が一切発動していない…それは、体調がかなり良くないことを示していた。


ロビー棟に着くと、私たちは泥のついた長靴を拭い、中へ入った。その途中で、恋さんが宮野に声をかける。


 古本さん……一つ、お願いがあります。“あのこと”は、犯人は気付いていないかも知れません。ですから、同好会のみなさんには……伏せておいてください。


 ……畏まりました。


(公にしてはいけない…)


"私"の中で、そんなお告げみたいなものがあったのだ。


建物に足を踏み入れた瞬間、空気がぴんと張りつめる。息をすることさえ、誰かの邪魔になるような沈黙だった。昨夜、トランプ片手に卓を囲んでいた面々がそこに揃っていた。


宮野が、響子の死を告げると――


世界そのものが凍りついたようだった。誰もが表情を失い、ただ硬直した人形のように椅子に座っている。


視線を合わせようとする者はいない。テーブルの木目に釘づけになった者、指先を握りしめて血の気が引いている者、唇を噛みしめて白く変色させる者。それぞれが互いの心を覗かれるのを恐れるかのように、顔を伏せていた。


カップを持つ手が小刻みに震え、陶器がわずかにカチャリと鳴った。その音だけが、やけに鮮明に響く。次の瞬間には、誰かの喉が生唾を飲み込む音が耳を打った。


それからは、無音。時計の針の駆動音さえ聞こえない。沈黙が、部屋を覆う厚い布となって降りてくる。


それは空気ではなく、重い液体のように胸に纏わりつき、呼吸をするのさえ苦しい。誰も声を出せない。発すれば、その瞬間、自分に疑いの矛先が向かうのではないか――そんな恐怖が、全員を縛りつけていた。


誰かが咳払いをしようと喉を鳴らしたが、声にはならなかった。言葉が喉から上がってこないのだ。沈黙は、皿やコップよりも重く、テーブルの上に並んでいた。


――その沈黙を最初に破ったのは、恋さんだった。


 みなさん。この度は……心よりお悔やみ申し上げます。


静かでありながら、揺るぎない声だった。彼女は一歩、皆の前へと進み出る。


 改めてお伝えします。私たちは皆さんから、この事件の真相解明を依頼されました。すぐに気持ちを切り替えるのは難しいと思います。でも……私たちは必ず、犯人を見つけ出します。だから――どうか、ご協力をお願いします。


凛とした言葉は、水面に落ちる一滴のしずくのように、皆の胸に広がっていった。

張りつめていた場の空気が、僅かに緩む。

視線が恋さんに集まり、俯いていた顔が少しずつ上がっていく。


――やはり、こういう時の恋さんは強い。

その背中は、どこまでも頼もしく見えた。胸の奥に、じんわりと熱いものがこみあげる。


彼女の瞳には、一点の迷いもなかった。

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