試練の始まり 序章2
したがって飲み水のお茶は、当座用である。なにしろ、駅はすぐ近くなのだから。
しかし、実際の行動は違っていた。
http://syosetu.com/usernoveldatamanage/top/ncode/830225/noveldataid/6358444/
より、続き
最初に、田沼に言われたのは、私の服装だった。
「長袖のジャンバー、見るからに暑そうだ。そんな物、脱いでしまいなさい」
私は一度は、脱ぐことも考えた。しかし、ジャンパーのポケットには、入り用な物が、それぞれに入っている。ジャンバーを背中のリュックに入れてしまうと・・・・今度はリュックを一々下ろして探さなければならない。そんな悠長な時間をみてくれるとは思えない。
「太陽が苦手なんです。肌が陽に照らされると炎症をおこすから、長袖で無いと・・・・」
「まるで、ドラキュラだね」
「そうなんですよ。きっとドラキュラの子孫かも・・・・」
あるいは、彼はそんな私が嫌になったのだろうか?
「久米さん、行きたい所があれば自分で行っていいですよ」
と、言われたのだ。冗談では無い。
「いや、田沼さんの腰巾着で回ります。どこへでも着いて行きます」
その他に方法はないではないか。列車の予約は、2時間くらい後で、と言う話なら、ホテルで休憩して、駅へ行くだろうけれど・・・・
ホテルを出る時には、そういう予定は言わなかった。予約がまず優先、と散々聞かされていたのだ。
それが、他に行きたいところがあれば、自分で行け、はないだろう。
何一言も逆らわずに、三人の後を付いて歩いた。
インドの鉄道キップは、日本のように駅で目的地までのキップを買って、それで乗る、というものではない、と幹事の田沼から軽蔑混じりに言われていた。
「あんたは日本と同んなじように考えている。そうではないんだ。予約を取らなければ乗れないのだ」
「では、一緒に予約を取って下さいよ」
「なにを言うんだ。久米さんは何も知らないであれこれという。インドではキップは銘々が自分でパスポートを提示して予約を取らなければならんのだ」
駅へ行くものと、思っていると、違っていた。チケットの前に、ほかの用事と、ついでに観光に回るという。
「はいはい、行きましょう」
それなら、飲み水はもっと用意しておくべきだった。
田沼は、時々松川と相談している。相談がどのように決まったのかはわからない。
話しが終わると、田沼はひたすらに歩いた。大きな体格の田沼である。見る間に引き離された。
50メートルほど遅れて田沼夫人と松川が並んで歩く。その2~30メートル後に、私が二本のストークを頼りに、息せき切って付いていた。
時々、田沼が周囲を探るのに立ち止まる。その間に、やっと追いつくのである。
たまたま田沼と並んだときに言うた。
「もうすこしペースを落として歩いてくださいよ」
田沼は素っ気なかった。
「僕は普通に歩いている」
「せめて、奥さんと並んで歩くぐらいにして貰えると助かるのですが」
「・・・・・」
それでも、変わりはなかった。歩き始めると、すぐに彼は遥か遠くに行ってしまう。決して、後ろを振り向くことはない。皆が付いて来ているかどうかさえ、気にもとめていなかった。
何回か、夫人が「ちょっと待って」と言った。夫人が靴紐が解けて直したりしているのだが、誰も注意を払わなかった。私が一人、側で待っていた。
夫人と歩き出したときに訊ねた。
「よくお二人で海外旅行されているのでしょう?」
「そうよ」
「まさか、あんな調子で歩いて行くわけでは?」
「あんな調子よ。いつも勝手に一人で行っている」
?
夫婦で仲良く、手に手を取って、鼻歌交じりにのんびり楽しく旅行をしているのだろう、と思ったのは?どうやら違うようだ。
「はぐれた事は?」
「はぐれた事はない」
そこは夫婦なのだ。もし見失っても、なんとかなるのだろう。
また、松川と話す機会があった。
「どうして、後ろに付いて来ているか、確認さえしないのでしょう?」
「そういう性格なんだよ。人のことなど考えない」
「それでは、奥さんが可哀相ですよ。トイレは自分は先に行っているから適当に処理しているけれど、他の者はそうはいかないし、奥さんが路の片隅で済ませるわけにも行かない。言うてあげては?」
「今回はまだマシなほうだ。今までにグループで何回か旅行に出たが、彼は一人で行ってしまって、なんども見失って困ったものだ。それで儂は言うたのだ。あんたは一番後に歩け、そうすればはぐれなくて済む、と。しばらくみんなの後に付いていたが、いつの間にか、また先頭で、はるか先へ行っていた。治らないのだよ。自分勝手な奴なんだ」
「苦労しますね」
「それでも、他の者が一緒だから、いなくなったらなったで、自分たちのホテルへ戻ればいい」
「予定のホテルがあって、そして会話の出来る人がいれば、それでいいわけですね」
「いつもあんな調子だから、一緒に旅行すると言う者がいなくなった。今回も誰も来ないと思っていた。どうして久米さんは来ることにしたんだ?」
「何回かオフ会で会っていて、海外旅行の折には是非誘って欲しい、とお願いしていたのです」
「物好きだ。あんな自分勝手な奴と」
「それでも、親切だし、いろいろ教えてくれるし、第一、彼は贅沢をする人とは思わなかったから、倹約家で出費は少なくて済むと思っていましたから」
「倹約家・・・・というより」
松川はその後、言葉を途切らせた。
田沼が珍しく松川を招いていた。
反対側へ行こうというのだ。道路の中央は高さ1メートルほどのコンクリートの壁が設けられている。 それを越える、と言うているのだ。そのために、車の途切れをまっていたらしい。
是も非もない。追いついた者にそう告げると、素早く車の途切れ目を狙って行ってしまった。大きな体にコンパスの長さ。田沼は一跨ぎで障壁を越えた。松川と夫人がつづく。腹ばいになって壁の上を越えていた。
仕方が無い。少し遅れて私も倣った。
有るとき、寡黙な夫人が田沼に言うていた。
「方向が違っているでしょう」
滅多に口を挟まない夫人であったが、たまりかねたように言うた。
「ここはさっきも通ったよ。同じ所を行ったり来たりしているだけやないね」
そこはゴルフ場の脇であった。バンガロールにゴルフ場が幾つもあるわけでは無いだろう。とすれば、私が日本で予約して泊まれなかった問題のホテルの近くに来ていることになる。
ゴルフ場の反対側まで行ったのでなければ、この近くかもしれない。
しかし、道路には標識がなかった。もしあの時、亜喜音さんに会わずにバンガロール空港を出ていれば?
目印の道路の確認も出来ずに、困った事になったであろう。
冷や汗ものだった。
田沼がホテルに到着したときのことを思い出した。
空港からホテルまでの経緯を話すと、彼は「守られているのです」と言うた。
超絶的な霊から守られているから、ここに来れたのだ、と言うようであった。
「明日、その方に御礼の電話をしたい。無事に友達とも合流できたと知らせたい」
そう言うと、「そんなことはしなくていい。守られているのだから、人に礼など言わなくていい」
変な事をいうものだと、聞き流してはいたが・・・・
ひよっとしたら、田沼の一人勝手な行動は、霊感に頼っているためだろうか?
霊が、この先を行け、早くこちらに来い、と指示を受けている? まさか・・・・
散々歩き草臥れたころに、門構えの立派な所に着いた。警備の者に聞いていた。
「ここが行政の庁舎らしい。ここなら観光案内書が貰えるかも。しかし、様子がおかしい」
松川も加わって、訊ねていた。クローズ と聞こえた。ホリディとも聞こえた。
「そうか、休みなんだ。今日はインドでは休日になるらしい。金曜日なのに休むのかな?」
それならと、周辺の観光地を探してみよう、と、さらに警備員に訊ねていた。
元気であった松川も、さすがに疲れたのであろう。この先はリキシャ(三輪タクシー)に乗ろうと提案していた。
そこで二人が止めたリキシャに行く先を尋ね、値段交渉に入る。松川と田沼が、もっと安くしろと迫る。例によって松川はヘラヘラ笑いで値引きに応じさせようとするが、折れ合いが付かずにそのリキシャを行かせて、次のリキシャと値引き交渉。
それを何回かやったあとで、ようやく乗ることが出来た。
リキシャは通常、後ろに客三人であるが、むりやり四人で乗り込んだ。
着いた所は、立派な王宮殿のようで、内部は博物館になっているらしい。当然、有料だ。皆が入るのなら、私も入るが、しかし、私が持っていたハンディカムのカメラは、王宮殿を一コマ写したところで電池切れとなった。このあと、何を見ても、もう写すことは出来ない。
田沼は心底、倹約家であった。金は払わない主義で、有料と分かると、入るのを止めた。
私はそれで良かった。炎天下を長時間歩いたために、脱水状態になっているのがわかる。
早くホテルに戻りたかった。それでも、田沼は、また松川も、せっかく来たのだからと、別の所へ行くことになった。
王宮殿から離れてリキシャを待つが、近寄ってきたリキシャとは値段の折れ合いが付かずに、再び歩いた。
歩く事が苦にならない巨人、田沼であった。
広い園内を徒歩で抜けて、表通りでやっと交渉成立のリキシャに乗った。
着いた所は、木陰の無い猛烈な炎天下であった。私の体からは、吹き出る汗も無くなりだしていた。
建物は壮麗で巨大であったが、内部には入れなかった。(バンガロールの官庁?府議会所かも)
「次は、何処へ行こう」と松川はさらに遠方の観光地を探しに掛かっていた。
「ホテルへ戻る方向で探しましょうよ」
私の提案であった。
捕えたリキシャにバンガロールシティステーションと、聞くとOKで、値引きも成功したらしく、四人で乗り込んだ。
「昨日、駅へ行ってみたけれど、店は何もなかった」
と私が話すと「大きな駅なんよ、店が無いなんて信じられない」と夫人がいう。
「多分、駅の裏だったと思うのです。表へは行けなかった」
リキシャは店や露店で混雑した所を抜けると、停車した。
シティステーションだという。降りてみると、どうやら、駅前のようだ。
「店が一杯あるじゃない!」
夫人から窘められた。
水、水、水、その前にトイレ・・・・レストランへ入れば、叶えられるであろう。
トイレである。田沼は途中で立ちションベンをしていたから平気であろうが、私は我慢のし通しだった。
一番に行かせてもらったものの、括約筋は長時間必死で引き締めていてすぐには弛緩してくれなかった。しかも一気には全量出なかった。前立腺肥大であろうか?
トイレは汚かった。便座が欠け落ちていた。
田沼から「まだか、まだか」と不機嫌にせかされた。
不思議なのは田沼の夫人である。平気な顔で待っている。
「女性には無理みたいですよ」
それでも他にはない。なんとか済ませたようだ。次に食事の注文と水!
私は朝の8時に散歩に出て、一度ホテルに立ち寄った時に、急いでバナナ一本食べたきりである。喉も渇いているし空腹だし、何か食べないことには・・・・、
配膳所へ行き、注文はここではないと言われて、出口へ戻り、ようやく食券販売機に辿り着いた。どれが良いか、選んでもおれない。皆に倣ってチャーハンの食券を買った。
「僕の分も、同じでいいから」
と頼んでも、自分でしろ、と相手になって貰えない。そして水も自分で探し回った。封印されたミネラルウォータを自分で探し出したが、1.5リッター入りで大きい。ホテルは近いけれど、他にはなかった。
見ていると、現地人は物凄い分量を食べていた。空腹続きであったから、私も食べたかったが、一人別注文もできなかった。
食事を終わると、いよいよ電車の予約である。方々へ行き来したあと、本日の予約受付業務は午後の2時で終わったという。
「明日、一番に来て予約しよう」
ホテルに戻ったのは、午後3時であった。寄り道、迷い道がなければ、間に合ったはずなのに・・・・
ホテルに戻ると、驚いたことに松川はまだ時間が早いから、博物館を二つほど見に行くと言って、一人で出掛けた。田沼夫妻は行かなかった。
「凄いですね」
私が感嘆すると
「あの人は毎日、トレーニングをして体を鍛えているから」
と夫人が説明してくれた。
私には、気掛かりなことがある。ホテルに着いたときに、900ルピーを取られて、その領収書が貰えていなかった。それを田沼ら旅行の主催者が来たときに、聞いて貰うつもりであったが、朝はそういう時間はなかった。
ホテルに戻ってフロントで一休みしているのがチャンスだった。
しかし、田沼は私の頼みを聞いてはくれなかった。
「そんなこと、僕は知らん。自分で聞きなさい」
それが出来るのなら、頼みはしない。薄情な奴め!
二人は、駅の近くへ行って、パンを買うという。
私も追随した。今度は夫人の足に合わせていた。それで付いて行くことができた。
彼らが立ち寄った所で、私も頃合いの物を指差して、
「プリーズハウマッチ」というより手は無かった。チーズかソーセージかハムでも欲しかったが、彼らはパンにしか興味は示さなかった。
その時買い求めた物は、捻り菓子のような物を油でカラッと揚げてビニール袋に封印された物で、非情に美味だった。カリカリと歯応えがあって、一つ食べると止められないほどであった。
それと同じ物は、旅行中、一度も見ることは無かった。
ホテルに戻ると夫妻は自分たちの部屋へ籠もってしまった。
洗濯などの雑用を済ませると、私は意を決してフロントへ降りていった。
幸い、愛想の良いボーイであった。
「ツナイト、イエッスディ、ネクストイエッタディ、ツウホテル、スリースティ、ハウマッチ?」
手振り身振りであったが、単語が正確かどうかも分からないが、一所懸命にいうと、パソコンで調べてくれた。そしてなにやら説明してくれるのだが、さっぱり分からない。
「プリーズ、レシートコピー、プリントアウト、プリーズ」
パソコンに表示されている契約画面をプリントして貰えれば、部屋に戻って単語を調べてみようと・・・・
ボーイは「プリントアウト? オーケー」と快諾してくれた。
出してくれたプリントを指差してなにやら言っていた。
やはり分からない。そこで「トータル?」というとわかってくれた。
手書きで計算してくれたのだ。一日の宿泊料に3を掛けて、その数字から更に900をマイナスして、最終金額へ二重線を入れてくれた。
内金として入れていた900ルピーが認識されていた。その計算を書いてくれたプリントを貰って、やっと安心して、第3日目の夜を、一人旅と変わらない孤独感の中で眠りに就いたのであった。
旅の5日(インドで4日)目
無駄歩きで丸一日を潰したあとの翌日、いよいよ今日こそは列車の予約を取らなければ、大変、という事態になっていた。
一人が代表者で予約するのでは無くて、銘々がパスパートを提示して、申請書に記入して取得しなければならない、と引率の田沼から聞かされていた。
それで朝一番に行くから準備をして、8時にフロント集合と言い渡されていた。
目覚ましは必要では無い。6時には野外の拡声器から読経が流れる。
それで起き出して、昨日の朝の散歩で買ったバナナの一本(最後の一本)と、夕方買ったインドの揚げ菓子、そして非常食として残り僅かになったインスタントラーメンを朝食にした。
この時、慌てていたのか、まだ覚醒が足りなかったのか、大失敗をしたのだ。
私は湯沸かし用に、金属製の強固な蓋付き容器を利用していた。コイル式簡易湯沸かし器を、その容器に立て掛け入れして、電源のコンセントへプラグを挿入する。
約5分で沸騰する。沸騰すればコイル式湯沸かし器のコンセントを抜いて、その高熱の湯沸かし器を出して、安全な所へ置くと、熱湯の入った容器の蓋を閉めて、それから洗面所の水道で容器ごと冷やすのである。
自然冷却など待ってはおれない。何しろ、インドの冬は、日本の真夏なのだから。
すでに何回も、そのようにして熱湯を冷まして利用していた。
今回も、同じ要領で手際よく飲料水を作ろうと、容器を洗面所へ運んでいたのである。
そのとき、蓋が開いた。蓋の留め金が外れた。容器が傾いて一気に熱湯が私の左足に振り注がれた!
靴下の上からであった。すぐに靴下を脱いで足を冷やせば良かったのだが、容器の片付けを優先した。そして、どうして蓋が外れたのか? これでは飲料水が作れなくなる?!
その心配が優先していた。
靴下を取ってみると、火ぶくれが三箇所ほどあって、その内の一つが・・・・靴下に連られるように皮が捲れた。その皮を、取ってはいけない、とは思ったが・・・・
その時、痛みは何もなかった。捲れた皮がぶら下がっていた。
その皮をつい、取ってしまった。痛みの無いのが不思議だった。
私は原爆被災者が、じぶんの体の皮をボロ布のようにぶら下げて歩いていた、という話や、そうした写真、記録画を思い出していた。
あの人々も、痛くはなかったのだ.皮膚の下の神経まで熱で死んでしまっていたから、痛みを感じずにいた。
私の火傷も痛くないのは、それと同じだと思った。過去に何回か火傷をしていたが、それらの火傷は猛烈に痛かった。
傷の感染と化膿が心配だ。とっておきの殺菌剤、食酢を傷に流して、さて、どうしたものか・・・・
私は日本式タオルを引き裂いた。包帯の幅に裂いて、それを火傷の足首に巻いて、同じく非常手当用に準備していた防水絆創膏で包帯を留めた。
靴を履いた。これで歩く。歩かなければならない。
歩くと、やはり痛む。歩けない程ではない。頑張らなければ・・・・
私の出で立ちは・・・・、膝サポータに汗取りの日本タオルを頭から被って両頬へ垂らして、その上から麦わ藁帽子、そして二本のトラッキングポールにハンディカム。
田沼から言われた。
「言うておくけど、そんな藁帽子を被って歩いている日本人は一人もいない」
「と思います。僕は人とは違っているのです。必要から編み出されたスタイルなんです」
顰蹙気味に批難している田沼へ、私は冗談めかして応えた。
ホテルを出たのは8時半頃。まだ時間的に早いからであろう。あの猛烈な車の洪水の道路は、比較的渡りやすかった。それでも用心する。万一、車に接触すると面倒なことになる。
彼ら三人は互いに助け合うだろうけれど、迷惑がられている私が事故に遭うと、彼らは私のために予定を変更して面倒を見てくれるとは思えない。
そこで、車の進行してくる逆の側を歩く事にした。つまり彼ら三人の影の所を一緒に渡るのである。彼らは歩測が早い。それに合わせるためには、私は小走りだ。
すると、夫人から注意された。
「走るとかえって危ない。普通に歩いていれば、車の方が注意してくれる」
それは分かるのだが、運転手側ではしばしば錯覚する。つまり一群れの歩行者が通り過ぎるのを見計らって加速をかける。遅れて渡る者が盲点に入って見落としてしまう。気付いたときは間に合わなかったりする。
車の仕事を何十年と続けて来て経験則、というもの。しかし、抗弁はしない。
「はい、そうですね」と素直に受けた。
次回へ、続く