ちょっと休憩思案
その不安があったためであろう。田沼から絶交宣言のような虐めを受けたからでもあろう。翌朝、一大パニックに見舞われたのであった。
以上、趣味人へ http://smcb.jp/_ps01?post_id=6959654&oid=235598
以上アメブロへ http://ameblo.jp/syosetu-123/entry-12155864130.html
松川へは既に、私の身の上を話した。私が自力で苦境を乗り越え続けて来たことは、脳裏に入っているだろう.世俗的に優越した物はなにもない、ということは分かっている。
従って、昨夜、田沼が自分の殻を破って一歩踏み出せ、あんたはそういう踏み出しをしない云々、が、違う、ということには気が付いたであろうが、しかし、私への弁護はなかった。精々、田沼の叱り方、決めつけが良くないと、窘めた程度だ。
「人間、生まれも境遇も全部違っています。その分、皆、性格や癖は色々というものですよ」
私は松川へ言わずにはおれなかった。
松川はうなずく。
「人間として許される範囲というものがあるはずでしょう?人に迷惑を掛けないのなら、少々変わっていてもいいでしょう?同じ人間として認め合える許容範囲があるはずです。最大公約数が・・・・」
「あいつは融通性がない。プロクルステスのベッドだ」
「それですよ。まったくそのベッドです。つまり自分の基準に合わせて、出ている分は切ろうとして、足りない所は鎖で引き延ばそうとする。各人各様に個性という物があって、それを認めることが出来ないとは、あきれかえるばかり。結果は人を殺す事になるというのに・・・・」
問題は、何がそれを可能にしているかだ。普通では人を屁理屈で殺人までは行わない。肉体への破壊は今の時代には許されないことは田沼でも知っている。
その代わり、手を下さない方法で、つまり人格の否定を行って打ちのめして、精神的に破壊させてやる、とう事には躊躇しないのだ。それは肉体を破壊するのと等価である。
通常、人々はそうとまではしない。今日でも、虐めと称して精神的苦痛を与えることは犯罪とみなされることが認知されだしている。田沼はまだそれを理解していないのであろうか。そして、相手のためだ、教えている、指導してやっている、云々の元で、相手の全人格を否定して、相手の自尊心を崩壊させようとすることに厭わない、というのは、いうてみれば、殺人行為を良しとするのと同じであり、それを可能にしているのは何か?
彼はそれを可能とする何らかの支柱を持っているのに違いなく、私が思うのには、それは〝霊性〟である。
信じるところの霊界の指導、自分は高級霊に属している、という思い込みであろうかと。
それが、他者を、彼の見る所の低級霊の者を打ち砕き死なせてやろう、それを成すことが正義である、という信念になってしまっている・・・・
列車に揺られながら私はひたすらに考え続けていた。揺れが大きいためか、速度感があった。猛スピードで直走りしているようだった。
松川は7インチタブレットで地図を見ているようだ。ネットには繋がらないはずだから、出発前に取得した情報をみているのであろう。彼は二回目の夜行列車でも眠れなかったと聞いた。
「そういえば、夜半に僕を起こしてくれたのですね。眠剤で眠り込んでいて、ご迷惑をお掛けしたと思います」
「いや、君はすぐに起きてくれた。僕も眠剤は持っているが、使わないようにしている」
チェンナイ駅には、午後の1時半頃に着いた。
大きな鉄道駅だった。昔はマドラスと呼ばれていた港街だったとか。その名前は聞き覚えがあった。
この駅で、田沼が一人トイレへ行き、そのまま戻って来ない、というアクシデントが発生した。
駅前のバスターミナルのに着いて、田沼が俄にトイレへ行くと、一人でチェンナイ駅へ戻った。
私はバス表示板の陽影に除けて待っていたが、15分過ぎても30分過ぎても、彼は戻ってこなかった。やがて45分も過ぎてしまった。
「トイレの中で死んだのと違うか?」
松川が夫人に話していた。夫人は心配している様子もない。
「様子を見に行くべきですよ。もし下痢でも起こしていて、トイレの中で身動きも出来ないでいる、ということもありますから」
私が二、三度助言したが、松川と夫人は意に介さない。せめて、妻である夫人が行くべきだ。それが、素知らぬ顔でいる。死んでいれば死んだで良い、というのであろうか?
1時間を過ぎていたか、それに近いか、田沼がトイレへ向かった方向とは別の所から戻ってきた。
夫人にしてみれば、このくらいの異変は毎度のことであったのかも。もし、これが私なら(トイレで大変な事になったりして)その理由の如何を問わず、ボロクソに言われたであろう。
普通の常識人であれ、という昨夜の私への批判は、自身に照らしてみれば、これが普通人、というのであろうか?
下段へ続く
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・頂いたコメント・・・・・
ーーーーーー
田沼は、まさにアートマンですね。
ええ、梵我一如説が出現する前の個人原理の方です。
間違えました!
むしろ、梵我一如説のアートマンかもしれません
霊性が出てきた意味も、ここで解明されのでしょうか?
アートマンは、生命を保持するもの(霊魂)、 自我意識の当体(我)、感覚器官の統制者(経験の統制者)、認識、判断の主体ですから、田沼そのものに見えますが、以前から、霊性の高低を使われている真意を、よろしければ教えていただきたいです。
前述の私の解釈は、全く的外れの意見でしょうか?
ーーーーーー
Ta・・・・さん、
アート(芸術)としか、知らなかったから、
アートマン、、は、
芸術家の事かと思ってしまったやん~~
(我)のことで、インド哲学の根本原理の一つ、、
後に、自我の本質、霊魂を意味して、
宇宙の根本原理と同一であることが、
究極の真理、、? とか、、
久米は、無学で幼稚で、まるで小学生、、
と、笑われたのですよ、、
難しすぎます、、
質問を返しますから、
教えて下さいね~~
僕は、
霊の存在を信じていないから、
霊が高い、低いの区別など、
知らないです~~
考えられるのは(彼らが)
世間的な評価の高低でみる、、
それより他に、物差しは?
有れば、高い、低いは、逆転するはず、、
答えを、お待ちしています
もう、寝ますので、、また、あした~~
いつも、、ありがとうございます~~
ーーーーーー
霊の高低は世間的な評価では決してありません。
生前自分で出来る課題を決めて、それを全うすることによって、霊はより成長すると聞きました。
高級霊になればなるほど、課題も難関な事を設定するそうです。
例えば、難病、しょうがい者とかです。
低級な霊はまだ容易な課題設定ですが、生まれ変わる度に、少しずつ難易度を上げて行き 、
最終的には、皆、難関な課題を設定して、高級な霊を目指していく……というのが、よく普及している考え方ではないでしょうか?
この世は修行の場、あの世は楽すぎて、観音様であるわれわれは、わざわざ修行しに、この世に遊びに来ているそうです。
仏教学者のひろさちや氏が、観音経等々に基づいて、前述のように言われるには、自ずから、どうしてもそういう結論に達する、これは氏だけの意見ではないのだよと、私の質問に回答してくれました。
Ta・・・・さん、
ありがとう~~
とてもよく理解出来ます~~
整合がとれているようで、、、、、
信じてしまいそうです~~
身障者や不遇な運命に泣く人々は、、、
霊のレベルが高い人達?
では、彼らを敬わなければならないのですね~~
なっとく、、、、、
でも、分からないです~~
教えてよ~~
彼らは自らその苦悩と悲哀を課題として選んだ?!
では、放っておけばいいんだ?
他の楽な生活をしている者が、とやかく言う必要は無い?
それならそれで、高級霊の尊い人だから、
軽蔑したり、打ちのめしてやる、
などというのはとんでもない間違い?
五体健全で、高額年金を受けて、別荘も二軒持って、、、
そういう人は、まだ低級霊だから
五体不満足で、病気ばかりして、貧乏暮らしの
高級霊の者へ、
「僕はレベルが高いから、レベルの低い君を教えてやる」
というのは? あっては成らない?
ということは、自称「霊的レベルが高い」のは、大嘘付き?
わかった!
問題は、認識しているか、否か ですね?
高級霊で、自ら難題に挑んで「生」を得ても、
それを自覚していなければ、
低級霊に及ばない?
世間的価値観、の物差しとは、、、
もし、健全な肉体で生まれていて、
なお且つ霊性が高ければ、目に見える形で
成功者となっいるはず、、、、
でなければ、霊に守られた人では無い証拠、、、、
一方、霊界に目覚めていない無自覚な「高級霊の者」
それは、一度死んでしまって、再度、難題に挑戦せよ!
となるのかな?
低級霊の者から、軽蔑されて罵られて、
コテンパーにされるのも、難題を自ら選んだが故の
自業自得?
もう、わからないですよ~~
ーーーーー
お遍・・・・さん、
一番、共感できるご意見です~~
魂(霊)の世界のあの世、など、宇宙の中の何処に
存在するでしょう?
科学ではまだ未発見の領域がある、
と、幻覚依存の宗教者達はいいますけれど、
脳が異常を起こしてくれない久米には、
取りすがりようがなくて、、、
共感深きコメント、同じように保存させて
頂きました~~
有難う御座います~~
>不治の業病に苦しんで死を待つしかない人の枕頭に立ち、
>やれ魂の救いだとか
>患者の痛みを減らすことも無い御託を、
>自分は健康体で美味しく食事をし生活を楽しみながら述べている、いわゆる宗教家たちを見ると、
>棒に縛り付けて生焼きに焼き尽くしてやりたくなります。
>さあ、これがお前の云う救いだ、悦べ、
>お前の云ってきたようにお前もこの苦痛を悦べと。
ーーーーーーーー
私は霊性と言うことを考えたことが殆んどないので、自分の意見を持っていません。
上のかた、美味しい位置に、新興宗教のやり方を列挙されましたね。
お見事です!
私は、久米さんが何故それほど、霊性に拘泥するのかが不可解です。
高級霊だという田沼という人も理解できません。
そもそも、小説に霊性を取り入れなければならない意図が分かりません。
分かりませんので、時々、こじつけているのでは?と言うような、私の間違った読み方が出てきてしまい、大変申し訳ありませんm(__)m
結局、私のような者が、大いなる久米さんの小説をどうこう判断出来る能力はないのです。
本当に申し訳ありませんm(__)m
これからは、久米さんと 4.のお遍路はぐれさんとの絡みを傍観させて頂きたいと思います。
その時でも、せめて拍手だけはさせてくださいね!
よろしくお願いいたしますm(__)m
それと、ご迷惑でしたら、お気に入りリストをいつでも解除して下さいね。
ごめんなさい、言い過ぎました。
どうか、スルーして下さい。
私なんて、どうしようもない人間です。
こんなくだらない人間をお気に入りリストに登録して下さった
久米さんに感謝しきれないほど、本当は嬉しいのです。
それなのに、何故、むきになってしまうのでしょうね、
私はアマノジャクです。
そうです、低能で、デブスでババアの。
今から出掛けて来ます。
ーーーーーー
Ta・・・・さん、
それを言う人と出会って、
その人から、、アフリカで、、
コテンパーに、、
そして、帰国すると、和を乱すから、
来るな、、来ないでくれ、、
で、彼の言う「霊」とは?
高級霊、低級霊、、その正体を、、
突き止め、暴かずには、、
済まなくなったのです、、
孤独なことも、病弱な事も、
、、なにもかも、高級霊の名の元で
嘲られた、、
騙しと暴虐、、済まなかったの一言もなく、
ーーーーーー
Ta・・・・iさん、
貴女は、、博識で、謙虚で、
こんな僕にも、暖かいコメントを寄せて下さる、、
随分、勉強になりましたよ~~
浅学非才、、だから、
独断と偏見ばかり、の、久米です、、
あなたのコメントで、どれだけ視野が広がった事でしょう!
これからも、、どうか、遠慮なく、、
お気付きの事を、知らせて下さいね~~
宜しくお願いします~~
ーーーーーー
久米さんは、かなり御立腹ですね?
本当に申し訳ありませんでしたm(__)m
何故かコメントが同じ時間になりましたね?
でも、私、久米さんを傷つけてしまいました!
悲しいです……
寂しくて、悲しくて、涙が出てきますρ(・・、)
お休みなさい……
ーーーーーー
Ta・・・・さん、
貴女に腹を立てたりはしませんよ、、
マヤカシの思想と、それを金科玉条にして、
弱い者を虐める輩に、腹が立つのです~~
弱者を守れるか、切り捨てるか、
それを見つめる久米です~~
いつも、鳴きながら、孤独に耐えています、、
ーーーーーー
ありがとうございますm(__)m久米さん.……
~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~
上段より続き
チェンナイからはオーロビルへ目指して、長距離のバス移動であった。出発が既に午後3時頃である。到着した時は日暮れていた。
ゲストハウス(GUESTHOUSE読めた!)の看板が軒を連ねていた。二軒の内、値切りに応じた汚い宿に泊まることになった。
それにしても、値切り交渉に精を出す人々である。私のような最低年金生活者にとっては、有り難いのだが、田沼は公務員の高額年金受給者であり、松川は株や金融の投資家で、二人とも金に不自由をする人では無い。
まさか、貧乏人の私のために頑張って値切りをしているわけではなかろうし・・・・それだけは、ありえない。
明日はいよいよ目的のオーロビル。
長距離バスに揺られながら、私は嫌でも昨夜の田沼の仕打ちを考えざるを得なかった。
まともな食事はとらないままで、真冬の日本から突然の炎熱地獄を火傷の足を抱えて歩き回ったのである。体力は底をついていた。
その上、頼りにしていた田沼からは、冷酷な突き離しと憎悪に満ちた批難と攻撃を受けたのだ。
気にしないでいる、というわけにはいかない。
表面上、意に介していないようには、勤めていても、受けたダメージは軽くは無かった。もう、彼らにうかつに話も出来ない状態で耐えるだけの苦しい旅となっていた。
オーロビルは霊験顕らたかな所か知らないが、目前にして私を斯くまで苦痛に追い込むとは、なんの為なのか?
霊的レベルが高いから、と宣う田沼は、レベルが低い奴と、私を詰り続けた。軽蔑と嫌悪を露骨に顔に漲らせて、そこまでなじるのか?
霊性が高いと、そのような事が許され、かつ、行うことが可能となるのであろうか?
オーロビルへ着けば、或いは何か、啓示があるのでは?
そういう「霊」が存在するのなら?なにか無ければ嘘だ!
「右の頬を打たれれば左の頬も打たせよ」
イエスの言葉がよぎった。
殴るのなら、通常、利き腕の右手で打つだろう。とすれば、打たれるのは左の頬だ。
正しくは左の頬を打たれれば・・・・、となるはず。
そこで考えた。
「汝、我が左の頬を打つならば、右の頬も打て.我は汝をそしらず、汝を友と呼ぶ」
私が青年の頃に、自分へ挑んで来る者へ、イエスの言葉を借りて言うた事があった。関わりを持てばこそ、その関わりの中で私を憎むのだ。それなら、汝は我が友である、と。
私を憎む者さえ、私は切り捨てたくはない。その嫌悪と軽蔑を持ったままでも良い。汝よ、我が友であれ。
次回へ続く




