インドへの旅(ホスペットでの試練)
松川がようやくワイン店のある路地を聞き当てた。田沼と別れて、私と2人でワイン店へ辿り着くことができた。
以上 趣味人http://smcb.jp/_ps01?post_id=6948266&oid=235598
以上、アメブロへ http://ameblo.jp/syosetu-123/entry-12155845867.html ちょっと休憩思案の続き と ハンピ
「そこにある紙パックの四角い奴、あれが安くてアルコール度が強かった。欲しいけれど、あれを一本は、酔いがきついから、宿で半分にしないか?」
彼の提案を受け入れた。彼と半分にして飲むのとは別に、これからの道中での引用にもう一本追加した。
「紙だから封を切ると後が困るだろう」と注意する松川へ、
「蓋の着いた空き容器がありますので、それに移し替えて、寝酒にします」
チェックインで部屋に入ると、私は急いで足の火傷を調べた。幸い化膿しては居なかった。宛がっていたティッシュを剥ぐと、血が滲んだ。食酢で消毒していると、ドアがノックされた。松川である。
「ごめん、傷の手当てをしている。もう少し待って下さい」
「どのくらい後だ?」
「15分ほど」
「わかった。待っている」
気ぜわしいことだ。彼はバンガロールホテルの二泊目の時も、ワインを飲もう、と誘ってくれた。その約束で私が自分の部屋に辿り着くと、彼は間髪を置かずにドアノックをするのだった。
そのときは肌着の洗濯などに取りかかっていたので、30ほど待って貰った。
「荷物を減らすために肌着はホテルで洗濯して一晩の間に乾かす、と聞いていましたが?」
「毎日洗うことはない。時々でいいんだ」
それなら、楽だろうが、私の汗は半端ではない。しかも、朝の出発までに乾かすためには、部屋に入って、トイレのあと、一番に洗って、絞って、部屋に張った紐へ並べなければならない。
そういう作業はあったが、傷の手当てだけを済ませて、松川の部屋へ行った。
松川は大酒飲みではない。少量を飲んで話をするのだ。二回目であったが、この二回のいずれかで、田沼の素行を知らされた。
「僕が彼を信頼していたのは、一つにはカウンセラーを志向していると聞いたからです。カウンセラーになろうとしているのなら、弱者の心中への配慮もあると思ったのです。ところが、何か違っている」
私の話に、「彼は人のことを気遣う奴ではない」と教えられた。
「特に、旅行に出ているときは尚更のことで、一つには、自分自身、不安なのだろう。だから人のことを配慮する余裕がないのだ」
そして、さらに感想を述べた。
「共同経営の構想など、どうせ実現はできない。ああいう性格で、自分勝手にしゃべるだけの人間に誰が投資するものか。1人よがりの空想で生きている人間だ。最初の内は、そこそこに面倒見も良くて、信頼を寄せるけれど、いずれ化けの皮が剥がれる。次第に旅行の企画に参加する者はいなくなった。儂も彼との旅は今回で終わりにするつもりだ」
松川は私の事も、いろいろと訊ねた。
私は正直にありのままを話した。というのも、彼は連絡用のラインに、本名や年齢など、全てを正直に晒らけ出していたからである。
「田沼さんにはまだ話していないことですけれど、貴方には隠さずに話します。少年、青年時代、大病患いで学校にも行けず、ようやく社会に出た時は30を過ぎていました、(此処までは田沼さんへも最近話した所です)それから、自力で車の免許取り、写真屋の仕事、大阪、奈良と渡り歩いて露天商までしました。そのとき職安で紹介されたのが京都のタクシー会社でした。働いてみると、駆け引き無しのメーターだけの気楽さ、正直仕事で長居をしてしまって、個人免許にまで行ったのですが、体力の限界で個人営業も止めて、それから日本中を車で放浪しているときに、田沼さんを紹介された、という次第です。旅を共にしているのだから、以上を彼に話されてもいいですよ」
「いや、儂は言わない」
自分の口から語れば、それを聞いた相手に箝口令というわけにはいかない。
知られてもいいと、腹を括ったときだけの打明けである。
田沼は相変わらず、ホテルに着くと自室に籠もってそれきりである。一緒に歓談することのない男だった。
松川としばしの時間を過ごすと、私は洗濯に取りかかる。非常食のラーメンもなくなっていた。ビスケットとカット昆布(これも非常食。小さなビニール袋に、一日分として10袋、そこへ煮干しを五匹ほど入れている)で寝床に就いた。
朝は、まず粉茶を飲む。そしてビスケットに昆布と煮干し。移動は今度も夜行列車である。昼間、何処へ行くか、田沼と松川で話し合っていた。
バスに揺られて就いた所は・・・・巨大なダム湖であった。
ダム湖巡りのバスが待機していたが、4人では動けない、ということらしい。せめて、もう一組の観光団が来れば出発するとか。
田沼は歩いて回ろう、と誘うが、松川は応じなかった。案内図を示しながら、
「こんだけの距離は歩けない。他のグループが来るまで待っていよう」
だが、だれも来なかった。そのダム湖は「トゥンガバドラーダム」
以上、趣味人http://smcb.jp/_ps01?post_id=6948283&oid=235598 へ
様子を見ていると、ダムの方から何組も歩いて人が来る。その様子と案内看板とを見比べて、ダム湖を全部回らずに、途中まで行って見よう、と話が決まった。
緩やかな上り坂の広い歩道が延びていた。今までに見たインドとは様子が違っていた。
何よりも、道路脇にゴミ箱が設置されていた。そのゴミ箱も、単なる箱ではない。猿や犬やその他の動物が駕籠を抱えていて愛くるしかった。
辿り着くと巨大な人口の湖が広がっていた。人はまれにしか見なかった。
松川が疲れて、最初のように歩き回る元気のないのが、私には幸いだった。
ダム湖見物を終わって、次の見物場所と、そのバスを探すのに、2人は苦労していた。
どのバスに乗れば良いのか、分からないようだ。その内に、炎天下の道路脇で、やってくるバスを、なんでもいいから手を挙げて止めて乗り込もう、ということに決した。
「バスを降りた所が、あそこの高架の下だったから、あそこでバスを待てば?」
と、私が言うのだが、なぜか、聞かない。あえて、バス停ではない所で、バスを止めて乗り込むのだと・・・・
そして、乗り込んだバスで、車掌が希望の目的地までのキップを4人分切った。そのあとで、所要時間を聞いていた。すると、そこへ就くまでには6時間は掛かるとか・・・・
松川が「それはダメだ。そんなに時間がかかれば、帰りがどうなることか。ホテルのチェックアウトに間に合わなければ、もう一晩料金を取られる。そこへ行くわけにはいかない」
田沼も納得した。それで、バス料金キャンセルを申し出るのだが、車掌は応じなかった。器械を通しての支払い済みだから、戻せないというようだ。松川が粘り続けたが、愛嬌を撒きながら例のヘラヘラ笑いも、まったく通じなかった。
松川と田沼が、ホスペット駅へ行くための乗り換えの出来る街は、何処で降りたら良いかと、乗客何人かに訊ねていた。
そして、下車したところがコパールであった。
通りを跨いだ楼閣のような派手な門が目の前に聳えていた。それに目を奪われながらも、
私は「食堂へ行こう、手頃な大衆食堂へ」
そして見つけた。店構えは綺麗であった。人も大勢入っていた。
メニューが写真で提示されていた。その中に大盛りの野菜炒めがあった。
あれにしよう、と決めたが、誰も私のために注文はしてくれない。ストークを逆さに(土突きで差しては失礼と思い握り側を向けて)その写真を差して、プリーズ と。店員は分かったくれた。
ところが、出てきた物は、野菜炒めでは無かった。野菜炒めの隣のチャーハンであった。
仕方がない。松川が一人分は多すぎるから、半分別けにしよう、と私に持ちかけた。昨日もそうだった。チャーハンならそれでも良い。
店員は心得たもので、食器とスプーンを二つ揃えてくれた。
見ると、田沼も同じように夫人と半分別けで食べていた。そして、持参のパンを出していた。これがインド式の食事方法として、だれも怪しまないのであろうか。日本では、持参の食品を出す事は、不謹慎と慎むものだが。
食事の後、田沼は楼門の奥に寺院があるはず、と歩き出した。
その途中で、田沼と松川は、ある建物に立ち寄った。
「ここも寺かな? 見物できるかも」
見ると、黒スーツを着て、ネクタイを締めた男たちが方々で散見された。何かの会場であろう。テーブルと椅子が並べられていた.見るほどの物はない。それでも、田沼は、ここは何なのか、と聞いていた。
しばらく、聞き回ったあとで、ようやく見物出来る寺ではないと分かったようで外へ出かかった。私は最初から、寺ではないことは服装で分かっていた。田沼のあとについて建物の門まで出かかったときに、後ろで松川が大声で呼んでいた。
「お茶を出したい、と言っている! はるばる遠い日本から来たのだから、と」
以上、趣味人 http://smcb.jp/_ps01?post_id=6948302&oid=235598 へ
コパール(コパル, カルナータカ州)そこには、道路を跨ぐ楼門があったので、衛星写真で探して見たが、見つからなかった。
バスは確かに町の中心地に停まって、そこから目の前に見えていた。その豪華な門を通り過ぎたすぐ脇に大衆レストランがあって、それを少し行ったところに、我々を接待してくれた集会場があったのだ。
会場内にはガンジーの写真が掲げられていた(私が見つけた。他の者は壁などには関心はなく、ひたすらになにやら質問していた)
「ガンジーの写真があると言うことは、宗教的な組織か、その種の活動の会場でしょう」
田沼がやっと、私の意見に頷いた。それで観光の対象ではないと理解して、出ようとしたところで「お~い」と松川の声が聞こえた。いつも遅れて歩いているから、後ろの私に聞こえたのだ。
田沼を呼び止めた。
「松川さんが何か言っている」
それで引き返すと、切角日本から来られたのだから、お茶を出したい、と、会場主催者からの接待を受ける事になったのだ。
会議室とは別の小部屋へ案内された。
勿体ないような品々とコーヒーが出された。
「まさか、寄付を求められるのでは?」
それはなかった。
田沼がしきりに話し込んでいた。
「我々はこれからオーロビルへ行く」
そして、自分には胸のチャクラが開いて居る。霊能が高いのだと自慢して、並み居るインドの人々の頭へ手を翳すのだった。
しかし、インド人は正直だ。なにも感じないと・・・・・
そんなはずはないのだがと、今度は相手の掌で試していた。それでも・・・・?
何人ものインド人へ試していたが、全員、無反応であった。
最後に、私が希望した。
「そんなことは一度も僕にはやってくれませんでしたよ」
それで、田沼が私の掌へ自分のでっかい掌を向かい合わせた。
気というものを放射する、という日本でもよく見掛ける如何わしい連中が好んでやるものだ。
インド人から全員にノーと否定されてやや消沈気味の田沼を励まそうと、
「おぉ~感じる!」と言うてやった。
「僕は感受性が強いから分かりますよ」
こんな嘘は言うべきではなかった。嘘をいわれて、自分はやはり霊能力があるのだと、信じさせてしまう。それは避けるべきだったのだ。
ホスペットの宿に4時頃帰着して、私は大変忙しかった。再び夜行列車に乗るのだ。荷物を運搬しやすいように、いざとなれば担げるように(駅までの道は最悪だったし、どんな事態が発生するかもしれないから)、そして、傷の手当てと曲がりなりの食事を済ませて、ベッドに体を横たえた。
私の部屋の外はカフェテラスのようになっていた。そこへ田沼らも行っていたのだろうか。コーヒーを金を出してまで飲む連中ではない。ただ、テーブルに座って、自分の手持ちの飲み水を飲みながら休んでいたのかもしれない。
窓が開いているから声が聞こえるのだ。
「あいつは英語の一言もしゃべれない癖に、あれこれという」
二回目の批難を聞いたのであった。まぁ、言葉が話せないと言うことは、人の目には軽蔑感しか与えないのかもしれない。気にしない、気にしない、と窓を閉めた。
ベッドに仰向けに休むと、体の疲れが嘘のように引いて行く。旅はまだ半ばだ。頑張ろう・・・・
ほん少しウトウトとしたが、ドアをノックされて飛び起きた。
「なにしてるんね、もう時間よ!チェックアウトが遅れると一日分の料金を取られるよ」
田沼夫人のヒステリックな声であった。彼女からも嫌がられているのだろうか?
フロントへ出て、それから各人で料金を支払ってチェックアウトを済ませた。
夜行列車にはまだ早い。フロントで時間の過ぎるのを待つのだが・・・・
田沼が列車の予約券を松川から見せて貰っていた。それには二人一組での予約券であったようだ。そこで田沼が、これは僕に持たせてくれ、と要求した。
私は前回の轍を踏まないように、私とは別に乗り込みたいのだとわかった。
松川の持っている予約券が私の分でもある。それをカメラに写して置こうと、松川から見せて貰った。
椅子の肘掛けに券を乗せて写した。
それを田沼が小憎らしそうに見ていたと思うと、なにやらグズグズ言い出したのだった。
「久米さんのすることは一々おかしい。普通の人のすることではない」
以上、趣味人へ http://smcb.jp/_ps01?post_id=6950325&oid=235598
連載私小説 インドへの旅 ホスペットの試練
以上、アメブロへも http://ameblo.jp/syosetu-123/entry-12155852334.html
チェンナイへ向かう途中?のホスペットにて




