インドへの旅 (いよいよ本試練 2 途中下車 ホスペット)
「わかりました。了解しました」
と私が言うことで、やっと彼は沈黙した。
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より、つづき
私の横に張り付いていた女性も上の段へ揚がったのであろう。動けるようになったので、荷物の再配置が出来た。ようやく足を伸ばすことができた。
床には一面、小粒のゴミが散乱していた。大ゴミもあった。
外国人用の上等な車輌どころではない。一番ひどい三等車(二等車というらしい)だ。
眠っている間に荷物を持ち逃げされないようにと、ネクタイ紐で全ての物を金具などに
縛り付けた。
<途中下車、ホスペット>
私は、チェンナイへ行く途中の観光地に立ち寄るものと信じて疑わなかった。
夜行列車が朝の7時頃にホスペットという駅に到着しても、その駅名も認識していなかった。後で訊ねて知ったのだが、それでも、チェンナイ方向へ向かう途中としてか考えていなかった。
何度か、地図でも確認しようとしたものの、バンガロールとチェンナイの区間には、ホスペットやハンピの表示は見つからなかった。
ネットの地図も当てにはならない。探し方が悪いのかもしれないが・・・・
(実は、此処まで書き進んで改めてホスペットという所をネットで見た。そして地図が現れたので、その地図を見て、唖然とした。なんとホスペットはチェンナイへ向かう途中などでは無かった! まったく逆の方向であった!そんな話は全く聞かされていなかったではないか!いくら腰巾着宣言はしていたとはいえ、真逆へ行ってその為に最大の目標値のオーロビルには予定の二泊は出来なくなるかも、ぐらいの話は有ってしかるべきであろう)
多分、最初の予定を、どこかで変更しているのだ。その変更が目標のオーロビル二泊の体験観光にも変更をきたす事ぐらいは分かっていたはず。そのための説明を私へするのを厭んだのに違いない。
なにしろ、公務員気質で謝罪する事の出来ない精神幻覚発症者なのだから。しかし素直に話せないという事は、内心に鬱屈したものを産むであろう。その鬱屈が更なる精神異常を引き起こす。何かに向かって鬱屈を発散させないことには、治まらないものが生ずる。
私がその餌食とされたのに違いない。
ホスペットからいよいよチェンナイへ行くための夜行列車に乗る直前に、彼の精神異常が爆発するのであるが、ホスペットに到着した時には、まだそういう事など、予想もしていなかった。
いくつかの不吉な兆候は見られたものの、私は予言や時間を事前に先取りして幻覚を見たりするような精神異常は持ち合わせていない。
ホスペット駅を出ると、リキシャという三輪タクシーが入れ替わり立ち替わり、近寄ってきた。
田沼と松川は、彼らに尋ねて、安宿探しに歩き回った。
私は或る不安を持っていた。それというのも、バンガロールのホテルの最後の時に、言われていたからである。
私の軽敏な荷物を指差していうのだった。
「荷物を預けるときに、施錠がしっかりしていない荷物は預かれないと断られることがありますからそのつもりで」
そんな話は一度も無かった。もし事前に聞いていれば施錠の方法も考えていた。間際になってどうしてだ。そういうことになれば?
「仕方がありません。その時は荷物預けの所であなたたちの帰りを待っています」
田沼がせせら笑った。
「何時間になるかも知れないのに待っているのですか?」
「だって、預かれないというのなら仕方がないでしょう。でも、列車を待つ時間があるから、その間にスーツケースを買って詰め替え直してもいいですし、頑丈な南京錠を買ってもいいし、店へ行くのに付き合って下さい」
田沼は私を不安にさせただけで、付き合いはしてくれなかった。
松川が癇癪気味に言った。
「鍵など、どうでもいいだろう!」
ホスペット駅前の道路は未舗装、といった感じのものだった。都会の雰囲気はなかった。牛と人とが半々ぐらいに歩いている。
見ていて非常に面白かったが、ここでも写真を撮る段ではなかった。
私は自宅では歩くのには自信があった。2時間でも3時間でも歩いた。だが、田沼ら一行について歩くのは、それとは別であった。歩速が違うのである。
カメラもまだ使い方を習熟していないハンディカム。写していると思うと、設定がPHOTOに成っていなかったり。写すときはPHOTOに成っているのを確認しなければならないことには、まだ慣れていなかった。
リキシャに教えられて、通りを曲がり、手頃なホテルに辿り着いた。
値段交渉と部屋の確認を田沼と松川が行った。そしてチェックインを午後6時ぐらいに決めて、荷物を預けた。気になっていた施錠云々はなかった。
荷物を預けるとすぐに外へ出た。
ハンピへ行くのだという。その為にはリキシャを貸切契約で行くようだが、寄ってくるリキシャとは値段の折れ合いが付かずに、凸凹路をひたすらに歩き続けた。
リキシャの付き纏いもなくなった頃に、一台寄ってきた。そのリキシャに600ルピーを提示するとOKとなった。4人で乗り込んだ。
三人が後ろに乗り、一人が運転手の横へ座れと、指図された。松川が運転手の横に座った。それでしばらく走ると・・・・
面白い事が発生した
最初に纏い付いていたリキシャが寄ってきて、運転を交替したのだ!
交替を迫られた運転手は、脇に寄せられているリキシャに乗った。
日本では考えられない珍現象だった。解釈するに、この客は自分が見つけた自分の客だ。だから運転を代われ!?
安い値段で応じた運転手は、彼のリキシャでまた、客捜し・・・
「おそらく彼はここでは顔役なのだろう。彼には逆らえない同業者仲間の仕組みがあるのに違いない」
田沼が解釈するのに、一同、さもありなんと。
「でも、料金は?」
「600で決めたのだから、あとは知らん」
追加するのでなければ、チップをはずむのだろう、と私は思ったのだが・・・・
道中、幾つかの川を渡った。
川岸には洗濯女が寿司詰めに並んでいた。それを是非写したかったが、カメラは咄嗟には作動しない。スタンバイで待機していれば、電池が消耗する。
何カ所もあると知っていれば写せたが・・・・
心残りの風景であった。
ハンピという所は、昔の王宮の都跡で、遺跡が離ればなれに散らばっていた。
世界遺産になっているとは、後で知った。リキシャを降りて歩き回るのが辛かった。太陽は容赦なく照り付けるし、昨日の足首の火傷も時々疼く。
それでも彼らの行く所へは全部付いて回った。物乞いが多かった。そして、記念絵はがき売りも・・・・
幾人もいれば、誰から買って良いかわからず、彼らの写真でなくて、自分の映した写真があるのだから不要なのでは・・・・、第一、安くはないだろう。彼らから買わなくても、安い土産物店があるのでは・・・・もし値段を聞けば、もう彼らは引き下がらないだろう・・・・、買うにしても財布を出したりしていれば、いつも遅れているうえに、さらに遅れてしまって、追いかける事が出来なくなる・・・・と危惧したり。
でも、それは言い訳だ。一組でも買ってやればよかったと、悔やんでいる。
南インドには、北インドのようなしつこい物売りはいないと、聞いていたが、ハンピには多かった。そのハンピが、南インドと北インドの中間ぐらいの所だったのだ。
物売りは親子代々の物売り仕事? 身分の階層で、仕事は階層ごとに細かく決められているとか。そして、多分、土産物売りも許されていない下層階級がいるのであろう。
そうした人々は? まさか、物乞いしか許されていない人々がいるとは、信じられないが・・・・
次回
インドへの道 ちょっと休憩思案




