35 熱に魘されて(レオルド視点)
するりと掴み損ねた手がすり抜けて、エリの身体が落ちる。
同じ部隊になれたことを喜ぶ暇もなく、エリが倒れた。
「エリ!」
仰向けにして顔に触れたら、さっきよりも熱く感じる。
いつも真っ直ぐに見てくる黒い瞳は閉じられていた。汗で黒い髪が貼り付いていて、唇から漏れる息は荒い。
その息も、熱かった。
「……治せないって、どうゆうことだよ」
エリは直ぐに医務室に運ばれた。エリを診察したドクターの返答にオレは殺気立つ。
「落ち着け。今治してもぶり返すと言ってるだろ。エリに必要なのは、睡眠と休息だ」
ガタガタ震えるドクターの代わりに、支部長が答える。
オレは納得できず唸った。
ベッドに横たわるエリは、辛そうに表情を歪めていて呼吸をしている。
このままにしろって?
「精神的な疲労からきた体調不良なら……原因は父親と連絡が取れなくなったこと、ですかね」
ライリが呟くように言う。
父親と連絡取れなくなった、と報告したエリは暗い表情で俯いていたことを覚えている。
「よく頑張った方だろう。少女が一人、異世界で生活をして戦った。十分順応したが……その支えになっていた父親との連絡手段が絶たれて、不安で眠れなくなり体調を崩した」
支部長を一瞥すれば、彼女もエリを見下ろしていた。
そんな話はどうでもいい。
どうするんだよ、エリを。
「あたしの家で預かる」
「は? ……なんで?」
「寮は男しかいないだろ。弱ったエリをあそこに寝かせられない。基地に足を踏み入れたオニアが襲撃に来ては、このエリを簡単に奪われるだろ」
オレが守る。
オレがアイツを殺す。
エリは誰にも渡さない。
支部長に睨みで伝えるが、鼻笑いで一蹴された。
「エリには休息が必要だ。野郎どもがわんさかいる騒がしい寮より、あたしの家の方が静かで休息には最適だろう。看病は使用人にさせる、あとは任せろ」
エリを連れて行こうと、支部長が手を伸ばす。
その手を掴み、オレは。
「看病はオレがやる」
基地から一ブロック離れた西に聳え立つ支部長の屋敷に、ある一つの客室のベッドにエリは寝かせることになった。
エリは目覚めることなく、ずっと熱に魘されている。
汗を拭き取ってから、濡れたタオルで熱を冷まそうと額に置くが、効果はなさそうだ。
半日経っても、エリは寝込んだままだった。
荒い呼吸がまだ熱い。
輪郭をなぞり、顎を指先で撫でる。熱い息を吐く唇から、頬に、皺を寄せた眉間にまで指を滑らせた。
それから汗で貼り付いた髪を退かす。
「んっ……」
苦しそうに洩れる声。
いつまでエリは苦しまなくてはならないのだろうか。
どうすれば君の苦しみを取り除けられる?
白いシーツの上に横たわるエリを見下ろす。
閉じられた瞼。
早くオレを見て欲しい。
早くその声を聴かせて欲しい。
欲しい。欲しい。
エリの全てを、欲しい。
ベッドに乗り込んでエリの顔の横に、手をつく。ギシッとベッドが軋んでも、エリは反応しなかった。
前に覆い被さるように上に乗った時は、睨み付けて抵抗したのに。今はオレを見もしない。
「エリ……」
呼んでも勿論起きなかった。
顔をゆっくり近付ける。オレの白い髪が額に触れても、閉じたままの瞼はピクリともしなかった。
「起きないと────食べるよ?」
熱い寝息を浴びながら、唇を近付ける。鼻が触れあう。
その瞬間、顎に衝撃を受けた。
「んうっ」
「…………」
エリの右手が上がる。
ふらふらとオレの鼻先で揺れているが、エリは起きていない。
悪夢に魘されているみたいだ。
さ迷う掌がぺちぺちとオレの顔を叩く。
それから食べたかった唇を動かす。
なにを言っているのかと、エリの上にいたまま耳をすました。
「…………と……さん──…」
「!」
エリは呼んでいる。
自分の父親を呼ぶ。
辛そうに顔を歪ませて、何度も何度も呼んだ。
「とう……さん」
「……」
「……とう、さん」
「……」
「お、とうさ──…」
「…………エリ」
何度も何度も、泣きそうな声でエリは呼ぶ。
探し回っているみたいに、呼ぶ。
掴もうと手を伸ばすみたいに、呼ぶ。
ただ父親を求めてる。
父親だけを求めてる。
閉じられたままの瞼の裏に映るのは、エリの父親だけだ。
奥歯を噛み締めて、低くエリの名を口にした。
それから彼女の右手を掴み、握り締める。
「エリ、オレはここにいる」
荒い息のエリは、握り返さない。
「エリ、オレを呼んで」
こんなにも近くにいるオレではなく、他の誰かを呼ぶな。
「エリ、オレを求めて」
オレだけを求めてよ。
オレがエリを求めるように、エリもオレを求めて。
今度は邪魔されないように、エリの両手を頭の上に持っていき固定する。
コツン、と額を重ねた。
濡れた額は暑い。
求めても無駄だ。
絶対に帰さないから。
二度と帰さない。
オレから離れるなんて、許さない。
だから。だから。だから。
「オレを愛してよ────エリ」
その柔らかい唇に噛みつこうとしたその時、懐かしい声がそこに響く。
「病人はそっとしてあげなさい」
エリと違って静かに響く声にピタリと止まって、ゆっくりと顔を上げる。
右を向けば、部屋の扉の前に立つ女。
そうか、そろそろくる頃だった。
「……また支部長に会いに来たんだ────姉さん」
「ええ、そうよ」
無表情を崩さず容姿端麗の姉は頷く。オレと違って色付いた白金髪を結っていて、青く澄んだ瞳。
城に仕える兵隊の証であるケープを羽織っている。
半年に一度、姉は友人の分類に入るという支部長と飲むためモントノールクリムアに来る。
そのついでにオレの顔を見るのだ。
姉弟だから。
別にそんな必要ないだろう。さほど心配もしていないんだから。
姉は無言でオレの下で呻くエリを見つめた。
一度起き上がり、何か話したいことでもあるのかと待つ。
姉が見ていようとエリを食べれるけど、姉が興味を示したようだから反応を観察する。
特段変わった表情をしていない。
「…………貴方が興味を示した女性が、その子なのね」
「だからなに?」
支部長から聞いているようだ。
でも姉には関係ない。
オレが興味を示したから、なんだと言うんだ。
珍しい、とわざわざ言うために足を運んできたわけではないだろう。
姉は無駄なことをしない。確認したら黙って踵を返すだろう。
そう予想したが、姉はその場から動こうとしなかった。
「お父様が唯一興味を示した他人は、お母様だった。レオルド、貴方にとって彼女が……そうなのね」
「だから?」
今日は口数が多い。
姉はほとんど口出ししたことはない。互いに干渉を嫌っていたからだ。
だから同じく城に仕えていた時にオレが問題を起こしても我関せずだった。
だから年に一度顔を見る時は、文字通り顔を見るだけで終わらせることが大半。
姉は冷たくも感じるその目でオレを見据えた。
「押し付けるのは、愛ではないわ」
放った言葉は、意味がわからなかった。
「貴方の気持ちを押し付けて、苦しめてはだめよ。壊れてしまう。壊したくはないでしょう?」
オレの気持ちを押し付けるな。
姉はオレに忠告した。
「持ったが病、惚れた病に薬なし。堪えなくては貴方は、彼女を壊してしまうだけよ」
それを言うとケープをひらりと揺らして背を向ける。
「知ったような口を聞くんだね、姉さん。────愛なんて、知らないくせに」
腹が立ったから噛み付く。
姉は足を止めて、振り返る。
他人の接触を一切許さないような冷ややかな眼差しが向けられた。
幼い頃から見慣れているから、恐怖など感じない。
「──────…知っているわ」
「!」
姉の返答に目を皿にする。
姉はくだらない嘘をつかない。見栄も張らない。
知っている?
そんなまさか。浮き立つ話が全くない姉が、登ることが困難な絶壁の上かはたまた天国に咲く花の如くの高嶺の花と称される姉が、知っているわけない。
「伊達に貴方より長く生きていないわよ。いつまでも子どもみたいにだだこねずに、大人になりなさい」
「……」
子ども扱いをして姉は静かに扉を閉めて去っていった。
姉には生まれてこのかた斬りかかったことはなかったが、そうしてしまいたくなる。
きっと一晩中剣が交わる音が鳴り響くことになるだろう。
そんなことをするより、エリのそばにいたい。
エリを押し潰してベッドに沈めば、苦しそうな呻き声を出す。だが、やはり起きなかった。
ペロ、と頬を舐める。しょっぱい。
ワイシャツの上から彼女の身体に触る。そっと腹部に手を這わせて、くびれをなぞって背中にもぐらせてから、身体を持ち上げてオレの方へ引き寄せた。
右腕もベッドとエリの間にもぐりこませて、彼女を抱き締める。
汗のにおいが混ざるエリの匂いは、嫌いじゃない。好きだ。それを堪能してまだ熱いエリを感じながら目を閉じた。
この温もりを、壊すものか。
久々更新!
只今ワレバラは修正中です! 今のところ一章完了しました!
次の更新は二章の修正が完了したあとに!
次回はエリちゃん視点に戻ります。




