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異端令嬢と無感情公爵 〜眠れる心を取り戻す運命の恋〜  作者: 無月公主


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12話目

気が付けば、ティチェルリスは当たり前のようにビトリアンのことを気にかけるようになっていた。


(何をそうさせたのか、分からない。)


 どうして自分が、彼にこうも構ってしまうのか。

 どうして、彼のことばかり目についてしまうのか。


(……ただ、何か腹立たしかった。)


 公爵としての責務も果たさず、ただ生きることを諦めたように過ごしていた彼。

 何もかもを"無"にしてしまうあの姿が――どうしようもなく、腹立たしかった。


 それだけだった。

 本当に、それだけのはずだったのに。


 だから、何かやってやらないと気が済まなかった。


――———————

――—————


 朝――。


 ティチェルリスは、朝食前の時間を利用し、魔法騎士たちと共に訓練場で剣を振っていた。


 ただの貴族の令嬢だった頃なら、こんなことをする理由はなかった。

 けれど、あの"地獄"のような日々を生き延びたのだ。

 力を手に入れた以上、それを強くするのは当然のこと。


 鋭く空を切る剣。

 彼女の周囲には、蒸気と微かな火花が舞っていた。


「随分、使い分けられていますね。」


 魔法騎士の一人が、興味深そうに呟いた。


「そうね。」


 ティチェルリスは息を整えながら、開いた掌を見下ろす。

 そこには、うっすらと水滴が浮かんでいた。

 以前は熱湯しか出せなかったのに、今は水と雷を分離して扱うことができる。


「まさか、融合した力を分離できるとは思ってもみなかったわ。」


 自分が雷と水の力を同時に持っていたことすら、知らなかった。

 ただ、熱湯しか扱えなかったのは、それらが融合していたからだ。

 雷と水が混ざった結果、高温の水として発現していた。


(つまり、私は"元からそういう力を持っていた"ってこと……?)


 考えても答えは出ない。

 だから、今はただ、鍛えようと決めた。


――その時だった。


「っ……はぁ、はぁ……!」


 訓練場の入り口から、ビトリアンが息を荒げながら走り込んできた。


 滅多に運動しない彼が、こんなにも必死に駆けつけてくるのは異例だった。

 額に汗が滲み、肩を上下させながら、こちらを真っ直ぐに見つめている。


「な、なにしてるの……。」


 荒い息の合間に、かすれた声で問いかける。


「何って……訓練?」


 ティチェルリスは、剣を軽く振りながら答えた。

 しかし、ビトリアンの反応は明らかに焦っていた。


「なんの!!」


「どうしたのよ。」


 彼の動揺ぶりに、逆にこちらが驚いてしまう。


「せっかく手に入れた力よ?強くしないでどうするのよ。」


「だ、だめ!!」


 ビトリアンは、はっきりと拒絶した。

 普段は無感情の彼が、こんなに強く何かを主張することは珍しい。


 ティチェルリスは呆れたようにため息をつく。


「あのねぇ。知ってる? 戦争が起きたら、どっちかが行かないといけないのよ?」


 すると、ビトリアンは即座に答えた。


「僕が行く!」


 即答だった。


 ティチェルリスは、じっと彼の顔を見つめる。

 彼は、本気だった。


 しかし――。


「そんな体力で行ったら死んじゃうじゃない。死んだら結局、その後は私が行くことになるじゃない。」


 ビトリアンは、ぐっと口を閉じる。

 ティチェルリスの言葉は、あまりにも現実的だった。


 確かに、彼が倒れたら、代わりに彼女が戦場へ行くことになる。

 それを避けるために、自分が鍛えるべきでは――?


 その考えが浮かんだ時、彼はふと、自分の手を見つめた。


 ――細く、白い指。

 剣を握るには、あまりにも貧弱な腕。


 しかし――。


「……僕が鍛えるよ。」


 その言葉が口から出た瞬間、周囲がざわついた。


 魔法騎士たちが互いに顔を見合わせ、ティチェルリスも驚いたように目を瞬かせた。


「……え。」


 彼女が、思わず間抜けな声を漏らしたほどだった。


(ビトリアンが……自分を鍛える……?)


 これまで、ただ"生きているだけ"だった彼が、自分の体を鍛えると言った。


 それは、彼にとって――大きな変化だった。


――—————————

――——————


 訓練場での出来事のあと、二人は屋敷へ戻り、食堂で朝食をとることになった。


 白いクロスがかけられたテーブルには、湯気を立てるスープ、焼きたてのパン、香ばしいベーコン、ふわりと焼き上げられた卵料理が並ぶ。


 ティチェルリスは、スープを一口含みながら、目の前のビトリアンをちらりと見た。


 ――彼は、以前よりもしっかりと食べていた。


 ただ口に運ぶだけの"作業"のような食事ではなく、今はちゃんと咀嚼し、味わうように食べている。

 スープをすくい、パンを千切り、慎重に肉を噛みしめるその姿は、少しずつ"生きる"ことを意識し始めた人間のようだった。


(……すごい心変わりね。)


 ティチェルリスは、ナイフを持つ手を止め、静かに考えた。

 何が彼をそうさせたんだろう?


 彼がこんなふうに"変わろう"とするなんて――ほんの少し前では考えられなかった。

 死ぬ予定だったと言っていた彼が、今は自分を鍛え、しっかり食べることを選んでいる。

 それは、彼の中に何かしらの"変化"があった証拠だ。


(何が……きっかけだったの?)


 訓練場での出来事? それとも、自分とのやりとり?

 それとも――。


 一方、ビトリアンの心の中では、まったく別のことが渦巻いていた。


 ――恐怖でしかなかったのだ。


 今でさえ痛いビンタが、体を鍛えなければもっと痛くなる。

 "平手打ち"の威力が増していくのでは――そう思うと、ぞっとした。


 だからこそ、彼は必死に食べていた。


(鍛えなければ……! 体を強くしなければ……!)


 パンを噛みしめる。

 スープを飲み干す。

 肉をじっくりと咀嚼する。


 "生きるため"ではなく、"防御のため"の食事。

 彼の意識の中では、まるで戦闘訓練の一環のようにすら思えていた。


――――—————

――————


 食後の休憩を挟んだあと、二人は公爵執務室へ移動した。


 窓の外では、柔らかな午後の陽射しが屋敷の庭を照らしている。

 けれど、執務室の空気はどこか重く、張り詰めていた。


 机の上には、領地運営に関する膨大な報告書と、細かく記された帳簿が山のように積まれている。

 ビトリアンは、その書類の束を無言で見つめながら、何から手をつければいいのか分からず、指先で表紙をなぞった。


 一方のティチェルリスは、手際よく書類をめくり、内容を確認していく。

 普段なら執務室には近寄ることもなかった彼女だが、今は公爵夫人として、しっかりと"仕事"に向き合っていた。


 そして――ある帳簿のページをめくった瞬間、ティチェルリスの手がピタリと止まった。


「……税金……どうしてこんなに高いの?」


 書類に目を落としながら、ビトリアンがぽつりと呟く。


 そこには、領地全体の税収が細かく記されていた。

 予想以上に徴収額が多い。


 けれど――その数字と、町の貧しさはどう考えても釣り合わなかった。


(税収がこんなにあるなら、もっと町の発展に回せるはずよね……。)


 市場は閑散とし、領民たちは「冬を越すだけで精一杯だ」と口をそろえていた。

 それなのに、この収支報告を見る限り、貴族の屋敷や軍備に回されている金額が異様に多い。


 ティチェルリスは眉をひそめ、視線を上げる。


「誰がこの税率を決めたの?」


 単刀直入な問いかけに、ビトリアンは小さく息を吐き、静かに答えた。


「……僕じゃない。」


 その言葉に、ティチェルリスはじっと彼を見つめる。

 彼の表情はいつも通り無感情のように見えたが、その瞳の奥には、どこか後ろめたさが滲んでいる気がした。


 ――彼は、公爵でありながら、領地の運営にはほとんど関わってこなかった。


 だからこそ、税の決定権も、別の誰かが握っていたのだろう。


「じゃあ、決めた人が誰か突き止めれば? その人に聞けばいいじゃない。」


 ティチェルリスは、迷うことなく言い切った。

 まるで、当然のことのように。


 ビトリアンは、書類に目を落としながら、静かに考え込む。


(領地の税率を設定するのは、本来なら公爵である僕の役目……。)


 だが、それを決めたのは、彼ではなかった。

 では、一体誰が?


 不意に、背筋を冷たいものが走った。


 ――それを決めたのが、"善意のある人物"ならまだいい。

 しかし、もしもそれが"私利私欲にまみれた者"だったとしたら?


 税を引き上げ、その金をどこかへ流している可能性だってある。


 ティチェルリスは、書類の束を手に取りながら、まっすぐに彼を見つめた。


「調べましょう、ビトー。」


 ビトリアンは、彼女の真剣な眼差しをじっと見つめ返す。


 "ビトー"と呼ばれるのも、今ではすっかり慣れた。

 最初は違和感しかなかったその呼び名も、不思議と今では心地よく感じる。


 ティチェルリスの声には、確かな決意が滲んでいた。


 彼女は、本気でこの領地を変えようとしている。


 ビトリアンは、ゆっくりと視線を上げる。

 彼の青い瞳には、珍しく"強い意志"が浮かんでいた。


(変わるべき時が、来たのかもしれない……。)


 彼は、ゆっくりと手を伸ばし、書類の束をしっかりと掴んだ。


「……ああ。」


 短く、しかし、確かな声で答えた。


 ティチェルリスは、その返事を聞くと、小さく微笑んだ。

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