35・ご主人様奮闘記
先日、アカデミーから屋敷へと連れ帰ったユリアは、
次の日の早朝に高熱を出して倒れてしまった。
いつものように元気に箒を両手に持ち、
居間の掃除をしていたと思ったら、そのまま横へぱたりと倒れてしまい……。
そして俺の屋敷の中では、使用人達までも巻き込んで大変な騒ぎになった。
「うわあああーっ!? ユリアちゃんが! 俺達の娘が倒れた!!」
「あああ、俺、薬草摘んでくる! 薬湯を誰か作ってくれ!!」
「あ、ああ、ユリアちゃん……頑張り屋さんだからな。
無理がたたったのかもしれない。うう、可哀そうに……」
屋敷の使用人達は、右へ左への大騒ぎだ。
俺もその中に混ざって、おろおろしてしまった。
(ああ、こんな時に力が戻っていれば、ユリアに何かできただろうに)
適度に休みは入れていたと言うが、周りから見れば働きすぎだ。
熱が出たのはあの不思議な鏡の宿主となってもいるせいだろうし、
体に負荷が掛かったのかもしれない。
よくよく考えて見れば、ローディナを救出する際にも、
帰ってからユリアは熱を出していたな。
そう考えると、問題は鏡にあるのではないか。
(何が……”今のところ、宿主に危険は無い”だ。
嘘を言ったな、あの男……思いっきり危険がありそうじゃないか)
ユリアは酷く怯えて泣いていた。心労も影響があるのかもしれない。
俺の中では、ユリアにそんな負担をさせた男を許せずにいた。
やはり、ユリア達の見ていない所で始末するべきだったかもしれん。
ただでさえ、この娘は体が弱いのに……俺の獲物を勝手に傷つけ血を流させた。
これは龍の俺からすれば、最大の侮辱行為である。
(その上あの顔だ……俺の友の顔をしたのが他にも居たとはな。
見ているだけでむかむかする。よりにもよって、俺の友の、
リオの顔で俺のユリアを傷つけるとは)
友に似ている男はライオルディだけで十分だ。
こんな事をした奴には、この牙と爪で報復しても良いはずだ。
床に顔を押し付けた後に、足で踏みつけた位では気が済まない。
俺の獲物に手を出したのだ。これは相応の報復をするべきなのに。
(だが、そうすればユリアが嫌がる……なぜ、あんな奴に情など掛けるんだ?
俺には理解できん。自分に危害を加えて来たものを許すなど……)
そう、許した。自分の命を狩ろうとしたあの男を……。
俺にはそれが分からない。俺だったら直ぐに報復として相手を狩るだろう。
かつて、俺の家族と同胞を手に掛けた者を許せないように……。
ユリアもあの者を狩れば良かったのだ。そうすればもう二度と狙われまい。
「取りあえず問題はユリアだ。リハエルへの報復は後にしよう。
万一にでもこれで彼女に何かあれば……あの男を今度こそ狩ってやる。
ついでに、あの男が居るという教会も丸ごと燃やしてやろう」
ユリアは「熱が出たのは、体調管理が出来なかった私のせいだから」と、
無理に働こうとするものだから、俺は主人命令で休みを取らせた。
今はリファが強制的に寝かしつけている最中だろう。
幸い、ユリアの頑張りで現在は女使用人が二人も出来た事だし、
仕事は彼女達に任せて、暫くは養生させる事にしよう。
他の事が手に付かないので俺も仕事を休む事にした。
正直、騎士団の訓練よりも、ユリアの寝顔を見つめている方が有意義だと思う。
初めての有休なるものを急遽取った俺に、周りは何事だと騒いでいたが、
ユリアが熱を出したと言うと、早く行ってやれと背中を押してくれた。
待て……なぜユリアが熱を出したと言ったら、お前達は一斉に泣き出すんだ?
ああ、しばらく会いに来てもらえないのを悲しんでいるのか……。
ユリアは面倒見がいいからな、きっとここでも繕い物を手伝ったり、
洗濯物を畳むのを手伝ったりとしたのだろうな。
……敵は騎士団本部にもある気がする。
「あらかじめ言って置くが、ユリアの見舞いも看病も要らん。
俺が世話をするから、お前達はしばらく自主練習をしていてくれ。
指揮官はラミルスに頼んでおく事にする」
そう言ったら、ラミルスは……。
「分かった。お前の部下の面倒は俺に任せておけ、
その代わり、貸しとしてユリアの見舞いをさせてくれないか?」
と俺に言ってきたが、誰がお前なんぞに、ユリアの部屋に入れる事を許すか!
ユリアが無防備なのを良い事に、お前の様な肉食龍は何をするか分からんからな。
すると、ラミルスは「お前と一緒にするな!」と切れている。
本当に紅炎龍は気性が激しいな。もう少し落ち着けと言ってやりたい。
そうして俺は、そのまま部下達への面倒をラミルスに頼むと、
慌てて家へと引き返すことにした。
※ ※ ※ ※
ユリアは体が弱い、今のように熱を出して眠るユリアが心配で心配で……。
帰り道にある本屋のペットコーナーで人間の病気に関する事を調べようとしたが、
探しても探しても、人間用の本などありはしなかった……なぜだっ!?
「ユリア……もしかするとユリアの体は、今の治癒方法では治せないのか?」
何てことだ……俺の血肉を分け与えたら治るだろうか?
いや駄目だ。そうしたら、ユリアが口を利いてくれなくなる気がする。
「ユリア……ッ!!」
本屋の床に四つん這いになって、打ちひしがれる俺を見かねて、
店員が相談に応じてくれた。俺が酷く動揺している為に慰めてくれ、
見舞いの事が書かれている本を薦めてくれたのだ。
(そう……だな、せめて見舞いの為に何かしてやりたい)
本に書いてあった内容によれば、食べやすい物と花を贈るのが定番らしい。
俺は王都の近くにあるリルダの森へ入って、一心不乱に花をぶちぶち根ごと引き抜くと、
それを屋敷の廊下に飾ってあった花瓶に無理やり詰め込んで、
ユリアの部屋に飾ってやり……床を泥だらけにしてしまったことに気付いたが、
今、最優先すべきはユリアなので、見なかったことにした。
他に何かないかと思った所で、ユリアが俺にしてくれた事を思い出す。
『――はい、アデル様、あーん』
そう言って……スプーンに乗った物を俺に差し出してくれた。
「そうだ……ユリアが俺にプリンというのを作ってくれた事がある。
卵は滋養があるというからな、ユリアも食べられるかもしれない」
人間の暮らしをしてから、卵は火に掛けて食べるという事を知った。
それまでは生の卵しか食べていなかった俺には、その食べ方が実に衝撃的で……。
そしてユリアが作ってくれた物は、更に俺を驚かせた。
あのなめらかな触感、食欲のない体でも実に食べやすいものだった。
(そうだ……っ! あれならばユリアも喜んでくれるだろうか)
俺は再び森の中に飛び込んで、新鮮な卵を調達するべく龍の姿になり、
人が普段は立ち入らない禁域まで進み、レアクラスの怪鳥と死闘を繰り広げた。
狩りは雄の権力と誇りを示す見せ所でもある。
そして何より俺の得意分野でもあった。
だから、まずは材料となる卵を集める所から始めた。
卵が狙いだと気づいた怪鳥は、それはそれは俺に抵抗したのだが、
俺は問答無用でドラゴンブレスで戦いに勝利し、戦利品として貰って行った。
怪鳥には可哀そうだが、強い者が制するのが自然の摂理である。悪く思うな。
「――あれ? アデルバードじゃないか、こんな所で何しているんだ?
ユリアの看病の為に屋敷に帰ったんじゃなかったのかよ?」
「ラミルス」
大きな卵を抱えて帰宅しようとした途中、
丁度街を巡回していたラミルスと再会した。
そして俺の事情を説明すると呆れられた顔をされたんだが。
「お前な……なぜ市場で卵を買わないで、
怪鳥と死闘を繰り広げる必要があるんだよ。給料を貰っているだろうが!」
その時の俺は、食料調達=狩りだと思っていたので、予想だにしなかった。
人の世では食材は基本、市場でそろえる物らしい。
(あれは戦利品を見せびらかせて、伴侶を誘惑しているのではないのか……)
なるほど……では、命を懸けて俺が戦いを挑む必要など無かったのだな?
本当は新鮮なミルク……乳を調達する為に森の獣と戦った事も、
ハチミツを手に入れる為に、熊と縄張り争いもしたのだが、黙っておく事にした。
人は家畜や作物を育てて、食料を供給するのが常で、
狩りで食料を得るのはごく一部らしい……。
つまり、自分で食べるものを育てられるのが人間なのだと知った。
便利な世の中なのだな。人の世と言うものは……一つ勉強になった。
この日、俺は店に並んでいる食べ物が戦利品では無い事を知る。
ああ、そう言えば以前、ユリアと市場に行った事があるのを思い出した。
自分からは足を踏み入れない場所なので、すっかり忘れていた。
実の所、貰った給料は屋敷の使用人の給料と生活費に使われ、
その出費は古参の使用人に殆ど任せてあったから、
初めて私的に使ったのは、ユリアの私物をそろえた時位だったな。
そんな事を話すとラミルスは呆れていた。だが今は話す時間も惜しいので、
ラミルスと早々に分かれて家路を急いだ。
「実はユリアにプリンを作ってやって欲しいのだが、
誰か作ってくれないだろうか? 食べさせてやりたい」
その後、俺は狩りで手に入れた卵の山を背負い込み、
右手で乳が出せるひなり獣を引きずって来て、
左手にはハチミツをたっぷり含んだ蜂の巣を抱えて、
厨房へ向かった。
そして、早速厨房に居る使用人達に調理を頼んだ。
「黄色くて、甘くて、それでいてほんのり苦い不思議な味。
口の中に入れたら、一瞬にしてとろけてしまうものなんだ」
しかし、其処で予想もしなかった衝撃的な言葉が返ってくる。
プリンを作った事もないし、レシピも知らないと……。
何という事だ。人間である彼らでもプリンは未知の領域らしい。
ならばと、ユリアの友人であるローディナに会いに行って、
ユリアの為にプリンを作って貰えないかと頼んでみた。
彼女は菓子作りがとても上手だと、ユリアに以前、聞いた事があったから。
卵を背負い、獣を引きずり、蜂の巣を手に持ったままで聞く。
材料は揃っているんだ。後は作れる者が欲しいのだと。
しかし、そこでも……。
「あれは、ユリアがいつも私達に作ってくれていたものですから……」
……と言って、作った事がないと断られてしまった。
お菓子は作れるが、プリンは流石に作れないと……。
人間の娘でも、その作り方は分からないらしい。何て事だ。
「ふふっ、でもアデルバード様にこんなにも思われているなんて、
ユリアも、優しいご主人様に恵まれて幸せだわ」
……? なぜか笑われてしまった。
何か俺はまた、おかしい事を言っているのだろうか?
俺は一度、屋敷へ抱えていた荷物を置きに行き、
次いで菓子店に顔を出し、プリンが売っているかを探した。
ローディナが製菓店を覗いて見たらあるかもしれないと、
そう教えてくれたのだ。
動揺するばかりで、俺はすっかり忘れていたが、
菓子という甘い食べ物を専門に作る所があった事を思い出した。
初めて店の前を通った時に、良い匂いにつられて入店した事があったな。
その時は早々に追い出されてしまったが、今なら手に入るのではないか。
そう……この俺でも……っ!
夢にまで見たあの甘い食べ物だ。
人間は嫌いだが、奴らの生み出したものは俺の心を揺さぶる物が多い。
初めてライオルディに貰った菓子の味は、
俺の生活そのものを変えるきっかけになった。
そうか、あそこならば俺の探し求める物を作っているのではないか。
「すまないが、探している物があ――……」
すると俺の存在に気づいた店の女性客達が、俺を恐れて逃げていく。
(しまった!? ユリアから貰ったアイテムも先ほど外してしまった)
俺は直ぐに営業妨害だからと、入店を拒否されてしまった。
……なんとか話はできたものの、結局、其処でも俺が求めるものには出会えなかった。
気にしてなどいない、気にしてなどいないが、胸がずきずきと痛む。
自分用の菓子はおろか、ユリアのプリンさえ手に入らなかった。
俺は……龍の雄としてのプライドが崩壊しかけていた。
「ユリアは……俺の具合の悪い時にはプリンを作ってくれて、
龍の姿では食べにくいだろうと、手ずから食べさせてくれた。
だから今度は、俺も用意してやろうと思ったのだが……。
なぜだ? なぜプリンが何処にも売っていない!?」
結局、再び訪れた本屋でも、その作り方は載っていなかった。
育児書の「離乳食」という所にも、その事が書かれていない。
其処でふと……不思議な卵料理の数々は、
いつもユリアが作っていたのを思い出す。
もしかすると、あれはユリアにしか作れないものなのか。
欲しいものは手に入らぬまま、うな垂れて巣へと戻って来ると、
ユリアの部屋では、リファが彼女に音痴な子守唄を歌っていた。
「うう……ううう……」
ぐったりとしていたユリアが、余計うんうん言って魘されているではないか。
心なしか逃れようと必死にもがいているようにも見えた。
そしてその部屋の床では、ティアルがウサギのぬいぐるみを抱いたまま、
目を回して完全に気絶していた……。
「ガウ!! グア~ガガガウア~!!」
ノリノリでいるのは、歌っているリファだけのようだ。
俺は思わず耳を塞いだ。奴の歌声は敵味方問わずに戦闘不能にする能力がある。
この俺でさえも、まともに聞き続けていたら生死をさ迷うかもしれん。
しかし、まて……ユリアに止めをさしてどうするのだ。リファ!
俺は慌ててリファの首根っこを捕まえて、部屋から無理やり引きずり出した。
「クウン?」
「リファ、お前は歌うなと言ったはずだ!
ユリアは弱っているんだぞ? 追い打ちをかけてどうするんだ!!」
「うう……う~……」
俺がユリアに何も出来ないうちに、止めをさして貰っては困る!
リファには歌禁止令を出した後、プリンの作り方を知らないかと尋ねてみた。
ユリアの傍に何時も居たお前ならば、何か知っていても可笑しくないだろうと、
そう判断した俺は、リファに覚えている限りを答えてもらった。
「クウン?」
リファ曰く、プリンの作り方は結構簡単そうに見えたという。
材料を混ぜて火に掛ければ出来るそうだ。
そうなのか……思ったよりも簡単そうだな。
ならば俺でも作れるかも知れない。早速、俺は厨房へと向かった。
そうだ混ぜるといったが、何でやれば……剣でか?
少しやりにくいかもしれない……出来るだろうか?
こんな事なら、ユリアが料理をしている所を見ておけば良かったか。
俺は厨房を使うと使用人に宣言するなり、先ほどの材料を集めた。
怪鳥の卵、ひなり獣の乳、そしてハチミツ。
そして火だ! これは俺も得意である。
俺は早速意識を集中して、逆巻く炎を出現させる。
俺は自然と共に生きているから、
人間のように詠唱と媒介の必要が無く、闇の炎を出せた。
ごおおっと、勢い良く厨房が一瞬にして黒い火の海になる。
ああ、いい調子だ。これなら火力には申し分ないだろう。
だがその直後、何者かに頭から水をザッパーンッ! と掛けられた。
……俺の集中力が途切れた。一体何事だ?
「……」
自分の髪から滴り落ちる雫を見つめる事、数秒……。
水浸しになった俺は、無言で後ろを振り返った。
其処には桶を持って構えているコックの姿があった。
どうやらこの男に俺は水を掛けられたらしい……。
「……何をする。今、良い所だったんだぞ?」
「それはこっちの台詞ですよ、アデルバード様!
厨房をいきなり火事にするつもりですか!?
こんな所でそんな大きな魔法を出さないでくださいよ!!
アデルバード様の魔力は強いんだ。こんな所で使ったら大惨事になります!」
……そう、なのか?
遠征に出かけた時は、いつもこれで炎を出して夕食を用意しているのだが、
そうだな、考えて見れば火力が付きすぎて、
辺りを焼け野原にしそうになった事がある。
俺は仕方なく、厨房にあるかまどで地道に炎を作る事にした。
……こんな事をするより、龍の姿になって炎を吐く方が簡単なのだがな。
多分、それをしたら厨房を壊してまた怒られるのだろう。
いや、それ以前に俺の正体が皆にバレてしまうか。
やっと起こせた炎の中に、卵を丸々一個放り投げた。
次に搾った乳を……――入れようとした所で、先に入れた卵がなんと爆発した。
殻の欠片や中身が飛び散り、俺の顔にも掛かる。
……もう混ぜられそうなものじゃない。
どうすれば材料は混ざるのか、まだ乳も投げ入れてないのにな?
剣で突き刺して。かき混ぜてもいないのだぞ?
「ふむ……プリンという食べ物は奥が深い。
爆発する前に、次の素材を炎の中に投げ込まないといけないらしいな」
そうか……もしかしたら火力が足りないのか。
俺は其処で魔道具を最大限使って……逆巻く火柱を上げた。
その瞬間、またも頭から勢い良く水が掛かってくる。
無言で振り返る俺と、こちらをまたじい……っと無言で見つめるコックの姿。
「……」
……まだ何か文句でもあるのか?
俺は忙しいんだ。ユリアの為にも邪魔しないでくれ。
弱ったユリアの為に、滋養のある物を、
早く食べさせてやらなくてはいけないのだから……。
「アデルバード様、あなたは先ほどから何をしているのですか!?
私達に余計な仕事を増やすおつもりですか?」
「いや、これでも真面目にやっているのだが?」
「何処がですか!? 炎に直接卵を入れたら爆発しますし、
火柱を上げたら周囲に燃え広がりますよ!!」
「そうなのか?」
卵は中身だけを使うものだそうだ。
そうなのか……俺は龍体の時、殻ごと丸飲みしていたんだがな?
俺は剣を鞘から抜いて、宙に卵を放り投げる。
落ちる前に剣ですっぱりと切って、中身を……。
「卵の殻が入っている……。
それに、床に落ちた中身は、その後どうすればいいのだ?」
俺はまたも、厨房で剣を振り回すなとコックに怒られた……なぜだ?
その後……俺はコックと相談し、調理道具を使う事を提案をされた。
そうか、卵はまな板と包丁を使って割るのだな? と言うと、途方にくれた顔で、
「アデルバード様は、料理の才能が恐ろしく無いのは分かりました」
……と言われてしまった。なぜだ。
そして数十分後。俺の屋敷の厨房は、
混沌とした現場へと様変わりしていた。
「……」
もうもうと立ち込める黒い煙、飛び散る卵の残骸。
くすぶった煙の悪臭と共に、荒れ果てた厨房と言う名のゴミ置き場。
そして俺は……全身ずぶ濡れでコックと睨み合っていた。
「アデルバード様……」
「すまん……」
其処にあるのは、かつてない別の意味での戦場に相応しい。
これには、深い深い事情があるのだ。だから許して欲しいものだ。
※ ※ ※ ※
――……結論で言おう。
結局、俺はプリンなる「未知の生命体」が作れなかった。
器の中で卵の中身を入れて貰い、乳を入れ、蜂蜜も入れた。
混ぜた後は火に掛けるだけだと思ったのが、甘かったようだ。
料理には配合というものがあるらしく、
それが正確に分かっているものでないと、上手く作れないらしい。
固まらなかったり、空気が入りまくったりして、
あの滑らかな食感にはならなかった。
(あの柔らかく優しい味は……ユリアの味でもあったようだ)
プリンは火力も大切らしい。湯銭とやらにかけて、
低めの火力に当てないといけないらしいと、コックは俺に教えてくれた。
簡単そうに見えて、あれはユリアが苦労して作り上げたものだったのだな。
今度からはもっと味わって食べてみようと思う。
カラメルというものすら作れなかったからな。
俺が作ったものは……龍の胃袋を別の意味で落とせる代物となっていた。
まさに、龍殺しのプリンもどき……だ。
流石にあんな物を、弱っているユリアに食べさせるわけにはいかず。
「ユリア……すまない……そういう訳で、
君にプリンを用意してやる事が出来なかった」
俺は龍の雄として不甲斐ない一面を痛感した。
甲斐性のないこの雄を、どうか許して欲しい。
好みの食べ物を雌に与えるのは、雄の大事な役目だったのに。
そう言って俺は彼女の額に手を添える。
触れている手の体温を冷やし、彼女の熱を取る手伝いをする。
悔しいが今の俺に出来るのはこれ位しかないらしい。
「いいえ……私には十分すぎるほど嬉しいですよアデル様。
アデル様の手、冷たくて気持ちがいいです……ふふっ」
「ユリア……」
「ありがとうございます。アデル様。
お仕事お休みして、申し訳ありません」
「ああ……さあ、もう少し眠るといい。
何も心配しないでいいから、今はただ休め」
ユリアが儚くなってしまうのを、何より恐れている自分。
俺の家族と仲間を失ってからこれまで……。
人の世で初めて心の安らぎを与えてくれた存在。
ありのままの俺を受け入れ、存在を否定せず、認めてくれた娘だ。
そんな娘が辛い思いをしているのは俺も辛い。
本当は……一番、滋養のあるのは俺自身なのだが、
ユリアはそんな事を言えば泣くのだろうなと思うと、
今はこれだけでも十分と笑ってくれる彼女の言葉を受け入れた。
しかし、リファ、お前はまだ諦めていなかったのか、
お前はもうユリアに子守唄を歌うなと言っているだろう。
せめて俺はユリアの眠りだけは守ってやる事にした。
俺はユリアの添い寝をするので忙しい。邪魔はしないでくれ。
そういいつつ、俺はユリアの隣に潜り込んで一緒に眠った。
せめて夢路だけは守ってやろう。




