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優輝と影美  作者: 在江
第二章
13/13

5 儀式異変

 年々、雪の量が少なくなってきている。正月だというのに、舗装された道路は乾いており、それでも日陰には、雪掻きで積み上げられた雪の塊が残っていた。


 向坂双海(こうさかふたみ)は、数年ぶりに故郷の土を踏んだ。道路も鉄道も整備されて交通の便はよくなったとはいえ、京都から帰るには遠すぎる距離であった。


 まして、結婚して子どもが生まれてからは、幼子に手がかかるのを口実に、実家からは足が遠のいていた。今回、双海は妻子を置いて帰郷したのである。


 藤野家の後継ぎが十歳を迎え、当主となる儀式が行われることになっていた。本来、向坂家からは、当主の一志とその子ども達が出席すれば事足りる。


 双海が呼ばれたのは、現在藤野家の当主である優輝が、儀式に出席したいという双海の言葉を覚えていたからである。


 覚えていなくてもよかったのに、と双海は思った。十年より前、双海は青柳影美の配下として己の人生を捧げていた。双海は影美を敬愛し、優輝に仕える影美が引退した後は、自分が影美を引き受けるつもりでさえいた。


 当然、それは青柳家としては許されないことで、向坂家としても許すわけにはいかなかった。双海は実家から絶縁されてでも影美と添い遂げる覚悟をしていた。


 だが、肝心の影美が首を縦に振らなかった。双海の気持ちを受け入れているように見せていたのは、優輝に対するカムフラージュに過ぎなかった。

 優輝の結婚が決まると、影美は双海に末永い幸せを見つけるように、とはっきり引導を渡したのだ。


 断られたのは、優輝のせいだと思った。だが優輝が無事結婚しても、影美の気持ちは変わらなかった。

 落ち込み、故郷から遠い京都で仕事に埋没する双海を、励ましてくれたのが今の妻だ。


 守護人としての影美を尊敬する気持ちには変わりはない。しかし、自分を捨てた女のことは忘れたい、というのもまた正直なところだった。


 藤野家の門をくぐり、正面玄関を開ける。築百年を越す家屋は時代に合わせ、少しずつ修繕しながら使われているが、そろそろ全面的に建て替えた方が、維持費や生活の質のために良いのではなかろうか、と余計な事を考える。


 上がり口には、お館様になった恵梨花がきちんと着物を着て座っていた。結婚後十年を経ても、なお年齢を超えた可愛らしさを保っている。


 「ようこそいらっしゃいました」


 先頭に立つ兄の一志が、定められた口上を述べる。恵梨花も決まった口上を返し、互いに挨拶を交わした。

 双海は一志の子ども達の後から靴を脱いだ。恵梨花は双海を見ても特段の反応がない。初めての事であるから、例外が紛れていることには気付くまい。


 座敷へ通される。数十年前の緊張感を思い出した。顔ぶれは異なるが、同じ部屋である。


 青柳家の面々は、既に揃っていた。当主の菊乃とその子ども達、それに影美もいた。

 影美は余り変わっていないように見えた。よく見れば、その上を通り過ぎた歳月を読み取ることもできたであろう。

 しかし、今眼前に背筋を伸ばして座る姿は、最後に会った日から時間が止まっていたような錯覚を起こさせた。

 菊乃が一志に気付き、挨拶をした。影美が双海を見た。双海は一瞬躊躇ったが、頭を下げた。


 「ご無沙汰しております」

 「元気そうで何より」


 影美は微笑した。双海の胸が締め付けられた。(やま)しいことはない。それでも、妻子がこの場にいなくてよかった、と思った。


 襖が開く。優輝が姿を現した。白髪がちらほらする他、年をとったようには見えない。


 「皆様、改めまして新年明けましておめでとうございます。本日は、当家の儀式のためにお忙しいところをお集まりいただきましてありがとうございます。儀式が滞りなく進みますようよろしくお願い申し上げます」


 優輝の後から、紋付袴をつけた男の子と大お館様となった和影が入ってきた。戸籍を変えたのか、今は和江と名乗っている。最後に恵梨花が襖を閉めて座敷へ入った。


 「それでは、始めます」


 優輝が藤野家の由来を説き起こし、続けて菊乃が青柳家に伝わる詞を唱えた。双海は眠くなってきた。


 「われら、その昔よりかの者を守りてここに至る 

  われらはかの者の為にあり

  われらかの者を光と為し、自らを影と為す

  光なくして影のあることなし

  われらはかの者の為にあり」


 「ここで藤野家の当主を我が子に譲る、と宣言したいところであるが、その前に我が守護人の進退について決めておきたい」


 優輝の言葉に恵梨花の顔色が変わり、和江の表情が曇った。予定外のことに違いない。

 双海の目が冴えた。影美を見る。変わらぬ様子に心が落ち着くのを感じる。

 居並ぶ一同を順繰りに見渡したのち、未だ藤野家の当主である優輝は、おもむろに話し出した。


 「これまで代々、青柳家の長子に、当藤野家の守護人を勤めさせてきた。守護人は藤野家の当主が交代すると、隠居を命ぜられていた。この隠居とは、守護人を引退するという意味の他に、速やかに死すべし、という意味を持っている。私は、我が子に人殺しの罪を負わせたくない。先代当主の一輝も、同じように考えていた」


 優輝は懐から黒っぽい本を取り出した。影美の眉が僅かに上がる。恵梨花と和江は食い入るように優輝の手にあるものを見つめる。座敷に緊張が走る中、優輝は敢えての笑顔で一座を見渡し、本を開いた。


 「影美殿は、この本を残しておいたことは母の手抜かりで、母に手渡すよう私に進言した。その言は正しい。この本は亡き父が書き残した覚え書きで、ごく私的な内容を含み、私よりは母が持つ方が相応しい」


 「それはそれとして、藤野家のことは当主が決めるのだ。『何故向坂家が『儀式』に参加するのか。影久殿を引退させてはならない。それは死を意味する』向坂殿は、如何か。自殺の手伝いをするのは、もう止めにしませんか」


 はっ、と息を呑んだのは、青柳菊乃である。彼女も継主(つぎぬし)として、引退の真実を知らされていたのだ。

 向坂一志は、我が意を得たり、という風に頷いた。


 「私もかねがねそのように考えておりました。利輝殿が影美殿に隠居を命ぜられた時には、異議を申し立てるつもりでおりました。ご当代様から止めるようにおっしゃっていただけるのは、心強い」


 「では、今後、守護人に隠居と死を同時に命じることはできないこととする」


 優輝はご先代様の覚書らしい本を懐に仕舞い、何事もなかったかのように儀式を進めた。一座の空気はぎこちないままであった。



 双海は、辺りを窺った。恵梨花と和影の顔付きが揃って強張っているのは何となく理解できたが、影美の表情も冴えない理由は謎だった。


 兄の一志は気がかりがなくなってさばさばしているし、菊乃もまた重荷を下ろしてほっとした様子であった。


 子ども達にとっては、練習と違う予定外の出来事については理解を超えていて、特に意味を考える風もなく、通常のシナリオに戻ったところで自分の出番を間違えまいと、緊張を新たにしていた。

 今しも利輝(としき)が藤野家当主としての台詞を述べている。


 「……我が守護人として、青柳影正(かげまさ)にその任を命ずる。柿朗(いちろう)は、青柳家の継主として同家を盛り立てよ。なお先代の守護人たる影美には、影正の就任を以って隠居を命ずる。隠居については、先に決めた通りである。異議があれば申し立てよ」


 利輝は堂々たる様子で命令を下した。今の言葉で、丸暗記した台詞ではなく、自分で考えて話していることがよくわかった。異議は出なかった。


 「有り難き幸せにてござります」


 向坂家の子ども達も影正の付き人として命ぜられ、無事出番を終えた。双海は、儀式の最初から最後まで口を開く必要がなかった。


 優輝は藤野家の当主として、なすべきことをした。十年前に双海がしようと思っていた事を、代りに成し遂げたのだ。双海が立ち会えたことは良かった。だが、必要はなかった。


 優輝は、双海の影美に対する思いが変わっていないと考えたに違いない。それは、優輝自身が変わっていないことを意味していた。双海は、優輝の披露宴で新郎の右手に刀傷を見つけたことを思い出した。前夜会った時にはなかった傷である。その後彼は、どこでそれをつけたのだろう。


 新婦はその傷が誰によってつけられたのか、気付いただろうか。


 十年の間に双海の心は変わっていた。もう、影美の余生を引き受けることはできない。

 もし優輝の心が影美にあるとしても、彼も彼女を引き受けることはできない。もはや守るべきものはなく、守られることもないのに、これ以上生き長らえる意味を見出せるだろうか。ここまで考えて、双海は影美の表情の翳りを理解した。


 膳を囲んで会食した後、藤野一家に見送られて、双海達は家を辞した。

 正月らしい、よく晴れて空気の澄んだ日であった。

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