五話 その頃別の場所で④
連続投稿いったん終了です。
「だめよ王女! 貴女はそんな誘惑に負ける弱い子ではないわ!」
苦し気な宰相のその声は、曖昧になった自分の意識を引き戻し目の前の何かへの反抗心を取り戻させた。
すぐに目の前に差し出された短剣を払い除けると、私の中へ残っていた勇気を精一杯振り絞り睨みつけて言い放つ。
「私はーースカジ王国第一王女! お父様と宰相様が築き上げ、騎士団長様が護り抜いて来た誇り高きこの国の王女です! 王女である私が許可します少しでも良心があるのなら今すぐそこで自害なさい!」
私が誘いに乗らなかったのが余程意外だったのか、後ろによろめきながら目を白黒させていた何かだったが直ぐにその表情を怒りに変える。
「は? なんだよそれ? この僕が直接声を掛けてやったのに、断るとか何調子に乗ってんだよ。しかも僕に自害しろ? は? どうなってんだよここらの劣等種どもは、不愉快な事だらけだよ。こっちは楽しく遊んでんのにさ、なんでお前ら僕に逆らってんだよ?」
がしがしと何回も狂った様に耳の裏を掻き毟り、遂には血が流れるほどに掻き続けた。
怒りの声で呟きながら、血だらけの手で耳の裏を掻いていた何かが唐突にその手を止めると酷く冷めた声で言い放つ。
「もういいや、遊ぶの止めた。まだちょっと少ないけど、思い通りに成らないここいらの劣等種は全部処分して他を探そう」
不貞腐れた様な足取りで玉座の間の中央に歩いて行き、手にした短剣の刃を自らの胸に向けると躊躇なく突き刺して崩れ落ちた。
その突然の行動に驚いていると、突き刺された短剣に付けられた宝石からこれまでとは比べ物にならないほど大量の靄が溢れ出し、何かの身体と短剣の全て飲み込むと黒く丸い大きな塊へと変化する。
ごきり ぐしゃ ぐちゃ
何かを潰し捏ね回している不気味な音が黒い塊の中から少しの間響いた後、塊は急激にその大きさを変え小柄な人型を模る。
それまで真っ黒だった体表が徐々に他の色に染まっていくと、そこに立っていたのは美しい白髪をした10代前半くらいの子どもの形をした何かだった。
非常に整った顔立ちで青く澄んだ瞳が美しい。
服は何も着ておらずその染み一つ無い素肌を晒しているが、その胴体には手足以外の人体の部品がまったく何も付いていなかった。
その姿が余計に、あれは人間とは違う何かであると本能に訴えかけてくる。
「やっぱり自分の形が一番しっくり来るよ。劣等種の中は窮屈でいけない」
少しの間自らの身体を確認する様に眺めていたが、ややあって不満げに口を開く。
「うーん、やっぱり材料に使ったあの劣等種は質が良くなかったね。あの新しいやつだったら違ったんだろうけどーーまあ、あんなの使うのは嫌だししょうがないか」
子どもの姿の何かが気だるげに腕を一つ振るうと、その方向にあった玉座の間壁や天井が何かに削り取られた様に吹き飛ぶ。
遮るものが無くなって降り注ぐ日の光に照らされた白髪が輝き、その光景を作り出した圧倒的な力と神秘的な美しさに一瞬見惚れてしまっていた。
「さてと、じゃあこんな不愉快な所はさっさと全部潰しちゃおうか」
その直後、子どもの姿をした何かを中心に辺りが一瞬で一帯が薄黒く染まると、立っている事が出来なくなりその場でへたり込んでしまう。
何か大規模な魔術行使の準備しているのだろう、この圧迫感は大量の魔力に当てられた時の状態に似ている。
呼吸すら満足に行えない程の強烈な力に抑えつけられ、先程までの何とか立ち向かおうという気持ちがへし折られそうになる。
(あんなの……あんなのどうやったって)
上手く息が出来ない、頭はふらふらで今にも吐きそうだ。
周りを見渡しても動けるのは自分だけ、それもまっすぐ歩けるかも分からない。
それでも。
(それでも! あいつは、宰相様の心を弄び騎士団長様を侮辱した!)
いまだ震える自分の両足に、思いっきり力を込めて立ち上がる。
歯を食いしばり過ぎて口がどこか切れたのか、血の味がするがそんなもの構うものか。
(私はお父様や皆さんの様に戦う力は無いーーだけど! せめて最後まで、せめて一発くらいあいつに食らわせてやるわ!)
丁度足元に転がっていた剣を拾い上げると、それに気付いた何かが魔術の準備を中断して話し掛けてくる。
「へえ、正直驚いたよ。この中でも動けるのか……劣等種にしてはある程度の素養は感じてたけど、やっぱり素材にすれば良かったかな」
抑え付けて来る力が強くなりもはや言葉を口にするのも億劫だ、しかし剣を一度振るうくらいは出来るだろう。
私は少しも様になっていない構えで近付くと、何かに向かって剣を振るう。
「なんだいそれは? 滑稽過ぎて笑えもしないよ」
避けられた、でもまだ何とか剣は握っているし振るえる様だ。
もう一度振るう、やはり避けられた。
構うものか、あいつに当てるまで何度だって振ってやる。
「もういいよ、劣等種なら劣等種らしく小さくなって震えていれば良かったのに。そんなに死にたいなら今すぐに殺してあげる!」
そう言うと距離を取った子どもの姿をした何かが自らの腕に靄を纏わり付かせ、巨大化させると殴りかかって来る。
間違いなく自分は死ぬだろう、だけどせめて心だけは。
この国の誇りと意志だけは手放すまいと、剣を握りしめそれを迎え撃つ。
(結局一発も当てられなかったわ。もっと真面目に護身術の先生にならっておけば良かったな……)
そんな場違いな事を思いつつ迫りくる巨大化した相手の腕から目を逸らすまいとしていると
「貴女のその魂は、我が主の御側に侍るに値する」
そんな声と共に突然目の前に執事服の若い男が現れて、巨大な腕を片手で防いでしまう。
その男は驚愕の表情を浮かべる何かを鋭い上段蹴りで弾き飛ばすと、ふらつく私を抱き抱え大きく相手から距離を取ると壁際に丁寧に下ろし見事な礼の姿勢を取る。
「ーー女性の体に突然触れる無礼をご容赦ください」
「え、ええ。構いませんが」
あまりに突然の事態に状況を飲み込めていない私に対し、その執事服の男が更に続けた。
「寛容なお言葉、誠にありがとうございます。それから、厚かましい様ですがもう一つ」
「なんでしょうか?」
「あの者の処遇を私にお任せいただけないでしょうか」
彼が突然現れてからは、あの圧迫感と不快感が無くなっている。
いつの間にか立ち上がり、これまでに無いほどの焦りと警戒の態度を示す何か。
彼の雰囲気や口ぶりから味方では無いにしろ、少なくとも私達の敵では無いのだろう。
もし判断が間違っていたとしても、私が死ぬ時期がほんの少しずれるだけだ。
「お前は! お前は! 何時の間に嗅ぎつけたんだ! あの野郎の飼い犬が! ちくしょう……ちくしょう! 僕自身はまだ全然なにもやって無い! やっていないじゃないか!!」
それはこれまでの何かの子どもじみた癇癪や傲慢な口ぶりとは全く違う、恐怖や焦りが強く滲み出たものだった。
「ーー貴方は、あれを何とか出来るのですか?」
「問題無く」
「分かりました、誠に口惜しいですがあれは貴方にお任せします」
本当に悔しいけれど、私にあれをどうこうする力は無い。
それならば助けてくれた彼に賭けてみるのも悪くないだろうと見定める。
「重ねてお礼を申し上げます。ではこれから少々埃がたちますので、こちらでお待ちください」
「はい、お気遣い感謝いたします。ーー貴方には色々とお聞きしたい事はありますが、一つだけよろしいですか?」
いまだ警戒を続ける何かの前に向かおうとしてた執事服の男が、改めてこちらに向き直る。
「はい、私にお答えできる範囲の事であれば」
「では。なぜ貴方は犬の仮面をされているのでしょうか?」
彼は長身痩躯に仕立ての良い執事服を纏い、黒みを帯びた灰色の長髪を低めの総髪に纏めた美形なのだが……何故かその顔の上半分が犬の仮面で覆われていた。
それまで受け答えや立ち居振る舞いに全く淀みが無かった執事服の男が、一瞬の思案の後しかしはっきりと答える。
「私の敬愛する主様からの贈り物です」
「そう……他意は無いの、とても素敵だったからそれを言いたくて」
そう伝えると、彼の口角が少しだけ上がった様に動き優雅な一礼を行うと、今度こそ子どもの姿をした何かへ向かって行く。
その後ろ姿に不思議な安心感を覚えると、張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろうか不意に自分の身体が言う事を利かなくなのを感じ倒れ込みそうになる。
意識も途切れ途切れになる中で、指を鳴らした音が一つ響いたかと思えば暖かく柔らかい風が私を包み込み、ゆっくりと壁に寄り掛かる様に運ばれた。
(何ていうか……ここまでされたら逆に嫌味に感じるものなのね)
そんな事を思いつつ、私の意識はそこで途切れた。
お読みいただきありがとうございます。




