第四十六話「それ、あたしの役じゃない」
昨日のことが、少しだけ残っていた。
メイベルの言葉。
――自分で決めてないと、ここにいる理由がわからなくなる。
あれは、かなり効いた。
だから今日は、あたしは意識していた。
先に決めない。
ちゃんと聞く。
メイベルが自分で選ぶ時間を、奪わない。
――そのつもりだった。
◇ ◇ ◇
「……依夜さん」
「なに」
「今日の目標」
「うん」
「……一緒に決めたいです」
メイベルが、少し緊張した顔で言う。
「いいよ」
「……」
少し間があく。
メイベルは考えている。
でも、なかなか言葉が出てこない。
「どうする?」
あたしが聞くと、メイベルは視線を落とした。
「……」
沈黙が続く。
あたしは待つ。
待つ。
待つ。
でも、その沈黙に耐えきれなくなった。
「……決められないなら」
「えっ」
「今日は軽めでいいよ」
つい、口が出た。
メイベルが、少しだけ固まる。
「……あ」
やった、と思った。
また先に逃げ道を出した。
「……ごめん」
「い、いえ……」
「今のなし」
「……はい」
仕切り直す。
今度こそ、ちゃんと待つ。
「どうしたい?」
「……」
メイベルは、ゆっくり息を吸った。
言葉を探すみたいに、少しだけ唇を動かす。
「……少しだけ」
「うん」
「自分で決める」
「うん」
「でも」
「うん」
「無理な時は、頼る」
ゆっくり言った。
あたしは頷く。
「いいじゃん」
「……いいですか」
「うん」
今度は、ちゃんとメイベルが決めた。
小さい。
でも、大事な違いだった。
◇ ◇ ◇
午前中。
メイベルは一回だけ「苦しい」と言った。
「どうする?」
あたしは、まず聞いた。
「……少しだけ、ここでやってみます」
メイベルはそう答えた。
あたしは頷く。
「わかった」
それ以上は言わない。
メイベルは席に座ったまま、机の端に手を置いて呼吸を整えた。
少し震えていた。
でも、崩れてはいない。
あたしは横で見ていた。
手を出さない。
でも、見ている。
ここまでは、よかった。
◇ ◇ ◇
二時間目のあと。
問題はそこで起きた。
「メイベルさん」
クラスメイトが声をかけてきた。
「このプリント、職員室まで一緒に持ってってくれない?」
「……えっと」
メイベルが迷う。
あたしは口を開きかけて、止めた。
今日は、先に言わない。
メイベルが決める。
そのはずだった。
「……どうする?」
あたしが聞く。
メイベルは少し考えた。
「……やりたいです」
「うん」
「でも」
「うん」
「少し、不安です」
ここまではよかった。
ちゃんと言えている。
なのに。
「じゃあ、あたしも行く」
気づいたら、そう言っていた。
「え……」
「一緒に行けば大丈夫でしょ」
クラスメイトも軽く笑う。
「じゃあ三人で行こ」
その流れで決まった。
メイベルは、小さく頷いた。
でも。
その顔は、少しだけ違った。
安心している。
でも、それだけじゃない。
何かを飲み込んだ顔だった。
◇ ◇ ◇
廊下。
三人で歩く。
あたしは、なんとなく会話を回した。
「今日の先生、機嫌悪くない?」
「それ思ったー」
クラスメイトが笑う。
軽い空気。
悪くない流れ。
メイベルも少しだけ笑った。
でも、その笑いは“自分で立っている感じ”じゃなかった。
支えられている笑い。
それに、途中で気づいてしまった。
「……」
職員室に着く。
プリントを渡す。
戻る。
何事もなく終わった。
安全だった。
失敗しなかった。
メイベルも崩れなかった。
でも。
成功した感じがしなかった。
◇ ◇ ◇
教室に戻ったあと。
「……依夜さん」
メイベルが、小さく呼ぶ。
「なに」
「……さっきの」
「うん」
「……ありがとうございます」
その言葉に、違和感を覚えた。
「……何が」
「……一緒に来てくれて」
あたしは少し黙る。
その“ありがとう”は正しい。
でも、どこか違う。
「……メイベル」
「はい」
「さっきの」
「……」
「一人で行けた?」
メイベルは、少しだけ目を揺らした。
「……たぶん」
「うん」
「でも」
「うん」
「依夜さんが来てくれた方が、安心でした」
その答えに、胸がざわつく。
安心。
それはいいことのはずだ。
でも――
「……それ」
「……」
「なくてもいけたやつじゃない?」
メイベルが固まる。
沈黙。
やがて、小さく頷く。
「……はい」
その返事で、確信した。
あたしはまたやった。
必要ないところで支えた。
“やるかどうか”はメイベルに聞いた。
でも、“どうやるか”を、あたしが勝手に決めた。
◇ ◇ ◇
放課後。
廊下で澄鈴に呼び止められた。
「依夜」
「なに」
「ちょっと」
そのまま、人気のない階段横へ連れていかれる。
「……今日」
「うん」
「やりすぎ」
即答だった。
「……やっぱり?」
「やっぱり」
逃げ場なし。
「でも」
「うん」
「放置も違うでしょ」
「違う」
そこはあっさり肯定される。
「じゃあ」
「でも」
澄鈴が言う。
「それ、依夜の役じゃない」
「……は?」
思考が止まる。
「どういう意味」
「そのまま」
澄鈴は淡々と続ける。
「今日のプリント」
「……」
「メイベルさんが“やりたい”って言った」
「うん」
「なら」
「……」
「やらせる」
当たり前のように言う。
「でも不安って言ってた」
「言ってた」
「だから、そこで聞く」
「……」
「“一人でやる?”」
「……」
「“誰かとやる?”」
「……」
「“途中まで一緒に行く?”」
澄鈴は一つずつ並べる。
「そこまで含めて、メイベルさんが決める」
あたしは言葉を失う。
そうか。
あたしは、“やるかどうか”だけを任せた。
でも、“どうやるか”は奪った。
「……依夜」
「……」
「あなたの役は」
一拍置く。
「決めることじゃない」
「……」
「決めさせること」
その言葉が、ストンと落ちた。
重い。
でも、正しい。
「……難易度高すぎない?」
「そうでもない」
「いや高いでしょ」
「慣れ」
あっさり言う。
簡単みたいに言うな、と思う。
でも、納得はしていた。
「……ありがと」
「どういたしまして」
「今日、完全にミスった」
「気づけたならセーフ」
その言葉に、少し救われた。
◇ ◇ ◇
帰り道。
メイベルは、しばらく黙っていた。
でも、昨日みたいに沈み込んでいるわけじゃない。
考えている顔だった。
「……依夜さん」
「なに」
「今日」
「うん」
「わたし」
「うん」
「少しだけ、頼りすぎました」
メイベルが言う。
「……」
少し驚いた。
「自覚あるんだ」
「……あります」
小さく頷く。
「依夜さんがいると」
「……」
「安心して」
「……」
「自分で決めるの、少しだけ逃げました」
その言葉は正直だった。
あたしのミスだけじゃない。
メイベルも、自分の逃げに気づいている。
「……そっか」
あたしは息を吐く。
「じゃあ」
「……」
「次からどうする?」
メイベルは少し考えた。
「……選びます」
「うん」
「“一人でやるか”も」
「うん」
「“誰かとやるか”も」
「うん」
「……どこまで頼るかも」
ちゃんと言えた。
「いいじゃん」
「……はい」
あたしは少し笑う。
「で、あたしは」
「……」
「聞くだけにする」
「……」
「勝手に決めない」
メイベルが、少し安心した顔をする。
「……それがいいです」
その一言で、今日の答えが出た気がした。
あたしの役は、“代わりにやる”ことじゃない。
“選ばせる”こと。
見ていること。
聞くこと。
必要なら止めること。
でも、必要ないなら奪わないこと。
それを間違えると、また同じことになる。
でも、わかったなら大丈夫だ。
今日も失敗した。
けれど、昨日より少しだけ早く気づけた。
それなら、次はもっと早く気づける。
次は、ちゃんとやれる。




